知ったかぶりクラシック
「ええと……月の光……とか」
入学式を終え、高校生になって3日。あちこちから笑い声が聞こえてくるもののその顔はどこか強張っているし、みんなどこか遠慮がちだ。
無理もない。会ってまだ数日、相手がどんな奴かも分からないのだ。しかしそれで遠慮をしていてはいつまで経っても友達などできない。
だからみんな必死で話題を作り沈黙を避け、相手に喰らいついている。
そんな中で出た話題こそ、「好きな歌は?」であった。
俺の隣の席にいた山岸さんにその話題を振ると、彼女は先程のように答えた。
「月の光……って、鬼束ちひろだっけ?」
「それ月光だろ!!」
周囲にいた男子生徒がワイワイ騒ぐ。それを眺めながら山岸さんは優しく、しかし少し悲しそうに微笑んだ。
その姿はまるで百合の花のように可憐だ。
「……もしかしてドビュッシー?」
俺がそう呟くと、山岸さんはパッと顔を輝かせて嬉しそうに笑った。
それが俺達の交流の始まりだった。
山岸さんは大のクラシック好きであった。
しかしクラシックに関心のある高校生などそういるものではない。だから俺がドビュッシーの月の光を知っていると分かってとても嬉しかったのだと山岸さんは教えてくれた。
クラシックの話をしている時の山岸さんはとても楽しそうだったし、とても良い顔をしていた。そしてそんな山岸さんの顔を見るのが俺は好きだった。
しかし一つ問題が。
俺はどう頑張ってもクラシックに興味を持てなかった。
そもそも俺がドビュッシーを知っていたのはあるアニメの影響なのだ。「おんがく!」というピアノをテーマにしたアニメで、クラシック音楽の薀蓄が語られたり劇中でクラシックを演奏したりとなにかとクラシック音楽が出てくるアニメである。
しかし俺が「おんがく!」を見ていたのはクラシックに興味があったからではなく、ただ単に女の子が可愛かったからだ。
そして中でもお気に入りのキャラクターが桜ちゃんである。
長い黒髪に肌が白く大きな眼、そして趣味はクラシック、中でも特にお気に入りはドビュッシーの月の光――山岸さんと桜ちゃんはとてもよく似ている。
俺はいつの間にか山岸さんと桜ちゃんを重ね合わせ、そしてあっという間に彼女に惹かれていった。
「はい、借りてたドビュッシーのCD」
俺は山岸さんにCDの入った袋を渡す。
すると予想通り、山岸さんは満面の笑みで俺に尋ねた。
「どうだった?」
「えっ……と」
予想していたとはいえこの質問はかなりキツい。
何度も何度もCDを聴き、どれか一曲でも好きな曲を作ろうと努力した。だがダメなのだ。どれだけ頑張ってもクラシックを聴くとすぐに寝てしまう。身体がクラシックを受け付けない。
しかし予め予習はしておいた。
大手ネット通販サイト、アメゾンのレビューを目に通しておいたのだ。そのうちの一つは空で言えるようにしている。
『とても柔らかで透明感のある美しい音色。まるで森の中で爽やかな風を受けているような気分にさせてくれます。とても癒やされる楽曲、オススメです』
これを言えばクラシックなんて知らない俺でも「分かったような顔」ができるはず。
俺は「分かったような顔」をしながら満面の笑みの彼女に暗記した感想を話していく。
「とても柔らかで」
「透明感のある美しい音色よね!」
「う、うん。それから……ま、まるで森の中で」
「森の中で爽やかな風を受けているみたいよね」
「うん……い、癒やされるよね……」
「ええ、とっても!」
そう言って楽しそうに笑う山岸さん。
……あの感想、まさか山岸さんが書いたのか?
このように少々ボロが出そうな場面もいくつかあったが、山岸さんは変わらず俺と楽しいおしゃべりをしてくれた。
しかしある時、俺に強力なライバルが現れた。
吹奏楽部の田中。ヤツは正真正銘のクラシック好きで、なんなら演奏までできるという話だ。
山岸さんはとても美人だ、狙う男子は数しれない。
それでも俺が山岸さんの隣にいられたのはクラシックがあったから。しかし正真正銘のクラシック好きが現れた今……俺の地位は大きく揺らぐこととなるだろう。
そして今日、とうとうヤツが仕掛けてきた。
「僕もちょっとお話していいかな?」
俺が隣にいるのも構わず山岸さんの隣に座る田中。
そして偉そうにペラペラと話しかけてきた。山岸さんだけでなく、俺にも。
「君、山岸さんからCDを借りたそうだね? どの曲が好きだった?」
「えっ……ど、どれって」
「借りたんだろ? ドビュッシー。ああ、曲名を忘れるのは仕方がないよ。大事なのは名前じゃないしね、ハミングで結構だよ」
マズい事になった。
山岸さんとお話できるよう知識だけは付けた。曲名だけなら頑張れば思い出せる。
しかし曲はダメだ! 寝てしまってちゃんと聴いたことがない。
クソ、山岸さんへのアピールより先にライバル潰しから始めるなんて。なんと姑息で卑怯な男だ。
しかしとりあえずなにか言わないと……
「えっ、ええとその。俺音痴だから、はは……」
「そうなのか。じゃあ俺がやろうフンフフーフーン、これかな? それともフンフンフンフンフンフンフンフン……これ?」
「そ、それ! それ好きだったな」
微妙に上手くて腹の立つハミング。
しかし助かった、なんだが聞き覚えのあるメロディだ。
ところが田中は突然噴き出し、腹を抱えて笑い転げた。
「えっ、なんだよ」
「ひーッ、おかしい。今のうちの校歌だぜ? ドビュッシーのCDに入ってたのかよ! 校歌が? お前俺を笑い死にさせる気か!?」
「な……騙したのか!?」
「これは騙される方が悪いだろ! あーあ、せっかく山岸さんが甲斐甲斐しくCDを貸してあげてたのに、山岸さんの情熱は彼には届かなかったみたいだね?」
「う、うぐっ……」
ぐうの音も出せないでいると、田中は急に真面目な顔になってキツイ口調で俺を責め立てた。
「君さぁ、まともに曲も聞いてないくせにアレコレ曲の感想を言っていたんだろう? そういう知ったかぶりって本物のクラシック好きとしてはもの凄く腹が立つんだよね。君みたいなのがクラシックを語るとクラシックの品位が下がるんだよ。山岸さんもそう思わない?」
「や、山岸さん……」
山岸さんは酷く狼狽えていた。
顔を白くさせ、自分の肩を抱いて小さく震えている。
「ご、ごめん俺――」
なにか言い訳をしなきゃ。そう思うのに口がまわらない。
何も言えないうちに山岸さんは突然立ち上がり、逃げるように走り去ってしまった。
「ま、待って山岸さん!!」
慌てて山岸さんを追う。
背後から田中の嫌らしい高笑いが飛んできた。
「み、見つけた……」
山岸さんは施錠された屋上に通じる扉の前で膝を抱えて小さくなっていた。後ろを向いていて俺から山岸さんの表情をうかがい知ることはできない。
「ごめん、嘘ついてて。でも悪気があったわけじゃないんだ! CDだって聴こうとした、でもどうしても眠くなっちゃって……でも山岸さんに嫌われたくなくてそれで……」
「……違う」
「ち、違くないよ! 俺は本気で……」
「嘘をついていたのは私の方なの」
山岸さんはそう言ってそっと振り返る。
その顔はどこか寂しげで、でも口元は笑っていて、でも今にも涙が零れ落ちそうな眼をしていた。
「本当はね、私もクラシックなんて全然聴いてないの。でもCDだけはたくさん買って、それを部屋に飾ってる。なんでだと思う? アニメの影響! 笑っちゃうでしょ?」
「アニメ……?」
「そう、『おんがく!』っていうアニメ。私の好きなキャラクター……桜ちゃんって言うんだけど……その子の趣味がクラシックでね、私その子が大好きで……桜ちゃんになりたくて……この髪型もね、そのアニメの女の子のイラストを美容室に持っていって同じように切ってもらったの。でも私は桜ちゃんじゃないし、クラシックにだって興味ない。けどネットで調べた曲の感想とかクラシック音楽の薀蓄をあなたに話している時だけ……私は桜ちゃんになれた。でもそんなのダメだよね、田中くんの言うとおり。本当にクラシックが好きな人に……迷惑だよね……」
山岸さんの大きな瞳から涙が溢れる。
気が付くと、俺は山岸さんの小さな体を抱きしめていた。
「良いじゃん……別に! 誰が何をどんな理由で好きになろうとさ。だって誰にも迷惑かけないし。田中みたいなクラシック好きは確かに嫌がるかもしれないけど――そういうやつにはクラシックの話をしなきゃ良い。俺はクラシックなんて全然分からないし、気にしないよ。だから……また俺にクラシックの話してよ」
少しの沈黙の後、山岸さんは言葉こそ発さなかったもののすすり泣きながら何度も何度も頷いた。
その後、俺たちは付き合う事になった。
今日も山岸さんは付け焼刃のクラシック話を俺に披露する。俺は彼女を褒めながら絶えず相槌を打つ。
でもきっと山岸さんは俺の事なんか好きじゃないのだ。彼女が好きなのは「桜ちゃんに似た自分」、そして「自分を桜ちゃん扱いしてくれる彼氏」
俺も山岸さんの事なんか好きじゃない。俺が好きなのは「桜ちゃんにそっくりな彼女」
でも俺は幸せだ。きっと山岸さんも。
誰が何をどんな理由で好きになろうと、誰にもそれを否定することはできない。