お年玉戦争
元旦の夜、俺は東京から車を走らせて田舎の実家に帰省した。
上京してまだ一年も経っていないのに、目に入るすべてが懐かしい。
玄関をくぐると賑やかな声が聞こえてくる。正月は親戚一同集まって宴会をするのが我が家の恒例なのだ。ふすまを開けると、ほろ酔いの親戚たちが迎えてくれた。
「たかし! よぉきたな、今ちょうどお前の話してたんだぞ!」
「すいません遅れて。あけましておめでとうございます」
「おお、たかし君じゃないか。大きくなったなぁ。まぁ飲みなさい」
ほろ酔いでご機嫌なおじさんたちが笑顔で俺に酒をすすめる。俺も笑顔でビールに口をつけた。
「たかし君、仕事の方はどうだい? うまくいってる?」
「まぁ大変なこともあるけど、なんとかやってます」
「まだ一年目だもの、今が一番大変な時よねぇ。がんばんなさいね」
「ありがとうございます」
「ねぇ東京ってやっぱり芸能人とかがその辺を歩いてるの?」
「あっ、僕駅でお笑い芸人を見かけましたよ」
「おー凄いなぁ」
酒を飲んで飯を食いながら近況や東京のことを話していると、音もなく見慣れない子供が近付いてきて俺に頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
「おお、あけましておめでとう……えっと、どこの子?」
俺の問いかけに、親戚のおばさんの一人が答える。
「ほら、吉田のおばちゃんとこの孫よ。最近まで大阪にいたらしいんだけど、戻ってきたからこうやって挨拶に来てくれたの」
「へぇ、大阪ねぇ。こっちの学校には慣れたか?」
「うん。みんな優しくて、すぐに友達もできたよ」
おそらく10歳前後だろうに、なかなかしっかりした話し方だ。
「へー、それは良かったな。まぁ小学校って転校生多いからみんな慣れてるのかもな」
「うん、そんな感じ」
「へー」
「……」
「……?」
子供は新しい話題を口にすることもなく、かといってここから去ることもなくじっとこちらを見つめている。
しばらくそうしていたが、子供はおもむろに近くにいた親戚のおじさんに向かって口を開いた。
「あっ、おじさんお年玉ありがとうございました」
「ッ!!!?」
俺はこの時ようやく気付いた。
このガキ、俺からのお年玉を狙ってやがる……!
「良いんだよ、大阪にいたせいで今までお年玉をやれなかったしねぇ。しかしたかし君が社会人になって、今年はお年玉をやらないで済むと思ってたのになぁ」
そういっておじさんはからかうように俺を一瞥する。
今それ言うんじゃねぇよと思ったが時すでに遅し。
「へぇ、お兄さん去年までお年玉貰ってたんだ(だったら早く借りを返さんかい)」
「ッ!!?」
き、聞こえるぞ。ガキの心の声が聞こえてしまう!
もちろん実際に音として聞こえるわけではない。これは俺の脳が勝手に作り出した幻聴でしかないはず。
ではなぜそんな幻聴が聞こえてしまうのか。
それは俺がヤツの考えていることを見透かしすぎてしまうからに他ならない。
そう、俺も昨年までこのガキと同じ「お年玉ハンター」だったのだ。
「みんな転勤やらで地元を離れてしまっていて、正月に集まる親戚の中での最年少はずっとたかしだったんだよ。だから大学生になっても成人してもなんだかんだでズルズルお年玉をやり続けていてなぁ。正月は随分儲けていたんだろ、たかし?」
「い、いやまぁ」
このジジイ、お年玉を暗に要求する時はやけに口数少なかったくせに今年はえらく饒舌だ。
酒が回っているからか、はたまたいつまでもお年玉を要求する俺を内心疎ましく思っていたか……まぁこの際どちらでも良い。
今はとにかくガキからのお年玉要求をそれとなく突っぱねることが重要だ。一人暮らしの社会人一年目が自由にできる金なんて雀の涙にも満たない。ほとんど初めて会うようなガキに俺の金を渡してたまるものか!
「ところで君、もう結構遅い時間だけど大丈夫なのかい? 今日は泊まってくわけじゃないんだろう?」
毎年我が家に泊まっていく人間は固定されており、もう部屋がないため新入りがそう簡単に我が家へ宿泊することはできない。
俺の読みは当たったらしく、ガキの顔が微妙に歪む。
そして近くにいたおばちゃんが詳細を俺に話してくれた。
「さっきこの子のお母さんがもうそろそろ帰るからって言って支度してたよ。あんた、忘れ物のないように準備しときなさいね」
「ふうん、そうなんだ。せっかく来てくれたのにあんまりお話できなくて申し訳ないね」
俺は思ってもないことを口にしながら勝利を確信した。
こいつが帰るのも時間の問題。このままのらりくらりとかわしていればコイツはこのまま家を去るはず。
見よ、こいつの苦虫をかみつぶしたような顔!
最高に笑えるぜ!
(クソッ、このまま逃げ切らせるものか! 時間なんて関係あらへん、お前から一滴残らず搾り取ったるからな!!)
そんな叫びが聞こえてくるようだがそうはいかない。
俺はおもむろに立ち上がり、手で顔をあおぎながらガキを見下ろしにやりと笑う。
「あー、ちょっと飲みすぎたかな。トイレ行ってくるわ」
「ッ……!」
ガキはさらに顔を歪ませる。
もう苦虫どころの話ではない。何を噛んだらこんな顔になってしまうのか、教えて頂きたいくらいだ。
(どこ行くんじゃ! お前このまま逃げる気か、卑怯者!)
ああ、そうさ。俺はトイレに籠城させてもらうぜ。
卑怯、大人げない、お年玉も払えないクズ、なんとでも罵るがいいさ。社会で大事なのは「結果」だ。どんな手段を使っても勝てば問題ない。
そして俺はこのお年玉戦争に勝った。
勝者の姿をその小さな目に良く焼きつけておくんだな。
「あ、たかし帰ってきてたの」
敗者に背を向けて襖を開けた先にいたのは、少々化粧の濃くなった我が姉であった。
「おお、帰ってきたよ。久しぶり」
「うん、久しぶり。帰ってきてもらって早々悪いけどビール出すのちょっと手伝って。はいこれ持って」
「え、ちょっと俺トイレに……」
「すぐ終わるから良いでしょ。私昼から買い出し行ったり料理作ったりして大変なのよ。ちょっとは手伝って」
「わかったわかった……」
少々予定が狂ったが、まぁビールを出すだけなら大丈夫だろう。忙しそうに作業する分にはガキが寄ってくることもあるまい。
と、甘く考えたのが間違いだった。
なんと姉がガキのもとに駆け寄り、エプロンのポケットからポチ袋を取り出したのだ!
「はい、まーくんお年玉。少ないけどごめんね?」
「わぁい! お姉さんありがとう!」
苦虫をかみつぶしたような顔から高級チョコレートを頬張った時のような顔になるガキ。
嫌な予感がして顔を背けるも、魔の手は確実に俺の肩を掴んだ。
「たかしはお年玉やったの?」
「……ん?」
とぼける俺。
どうかこの瞬間庭に隕石でも落ちてお年玉の事など言い出せなくなる雰囲気になりますようにと祈ったが、そんな都合のいいことは当然起こらない。
「お年玉だよ、お年玉」
「んん、あぁ……」
「どうせ渡してないんでしょう。去年まで散々貰ってたんだから、今度はアンタがお年玉渡すばんでしょうが」
「わ、わかってるって……」
畜生! 畜生! 畜生!
やられた! クソッ、まさか肉親に背後から刺されるとは!
なんてことだ、勝利はもう目前だったのに、なんてことをしてくれるんだ!
ああ逃げたい! 今すぐここから逃げ出したい! 財布を握って逃げ出したい!
しかし親戚の前でそんな恥さらしな事をできる度胸もなく、俺は泣く泣くポケットから財布を取り出した。
本当は500円、いや100円で済ませたいところであるが、さすがにそういう訳にもいくまい。姉からなんと言われるか分からないからな。ポチ袋でもあればよかったのだが、当然そんなもの持っているはずもなく。
渋々1000円札を取り出そうとした、その時――
「わー! 一万円だ! ありがとう、お姉さん!」
「ッ!!!!????」
ガキが、姉から貰ったポチ袋から諭吉を取り出しやがった!
(おい兄ちゃん、お姉さまは一万円くれはったで。あんたはいくらくれはるんやろなぁ?)
クソッ、どうして10歳そこらのガキに一万もやるんだこのクソ女!!
この状態で千円札一枚だけなんて、できるわけないじゃないか!
どうしてくれるんだ! 一万円なんて俺が欲しいわクソッッ!
(ほら、どうした兄ちゃん。うじうじしとらんと男気見せんかい!!)
ガキが今にも手を伸ばしてきそうな勢いでこちらを見ている。
仕方がない。ここは三千円で手を打とう。
ここにいるおっちゃんたちが渡したお年玉額の平均も三千円程度だろう。ガキには十分すぎる額だ。
と、思い財布を開いたのだが。
「……」
ない。
千円札がない。
小銭もない。
あるのは万札と五千円札のみ。
手が震えだした。汗が止まらない、息切れ、動機、目眩がする。
なんということだ。俺はほぼ初めましてのコイツに、会って十数分のコイツに、五千円も払わねばならないのか。
しかしここでお釣りを請求するなどといったセコい真似をすれば、この先の正月はもちろん結婚式、葬式など親戚の集まりの時の面白話にされてしまうのは目に見えている。ここは涙を飲んで五千円を支払う他ないのだ。
一体どこの世界に挨拶と世間話するだけで金をくれる仕事があるというのか。そんなもんこっちが紹介してほしいわぁ!!
「ほら兄ちゃん、ケチケチしてないで早くしてあげて。そろそろ帰る時間だから」
分かっとるわうるせぇクソ女!!
てめぇが書いてた謎ポエムここで読み上げんぞ!!!
「は……はい……お年玉……」
俺は震える手で五千円を支払う。
(えらいすんませんな。あれ? 兄ちゃん顔真っ青やで?)
ドヤ顔で勝利宣言をするガキ。
マジで縊り殺したくなる衝動を抑え、俺はビールをグイッと飲みほす。
その時、ふすまが開いて女性が室内に入ってきた。ガキによく似た顔のその女性は、こちらに頭を下げながらガキに駆け寄る。
「まーくんそろそろ帰るわよ……あら、なにそれお年玉もらったの?」
「え? う、うん……」
明らかに目が泳いでいるガキ。
貰ったお年玉を手で包み隠そうとするかのように握りしめる。
「まぁ、良かったわね。すいません皆さん。ちゃんとお礼言ったの?」
「ちゃ、ちゃんと言ったよ」
「そう。じゃあそのお年玉お母さんに預けときなさい」
「えっ!!?」
ガキは悲壮感に満ちた顔で母の顔と手の中のお年玉を交互に見つめる。そして母は有無を言わさず鮮やかな手つきでガキの手からお年玉を奪い取ってしまった。
「あっ……ああ」
情けない声を出すガキ。しかし小学生が母に逆らえるはずもない。あんなに憎らしかったガキが少々可哀想に思えた。
こうしてこの「お年玉戦争」は俺でもガキでもなく、母親の勝利で幕を下ろしたのであった。