ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  日常賛歌 作者:しろくろ
第六十五話 踏み越えるべきもの
 黒の喫茶と黒の主。漆黒の夜空には星が輝き、淡い光となって薄暗い店内を照らしていた。

「いらっしゃ……いませ」

 澄んだ声があたりに響いた。無表情で来客を迎えた緑髪の少女を眺め、店の主たる彼女は一つの疑問を抱いた。

 今の台詞、噛んだ?

 いや違う。まだ新米とはいえ、織崎紫音は基本的にも応用的にも優秀なバイトである。

 台詞を噛んでは可愛らしく照れ笑い、などという姿は、およそ彼女に似合ったものではない。

 ならば、台詞が途切れたのは何故か。退屈しのぎの一環として、店の奥から看板娘の働きぶりを観察していた店主は推測した。

 おかしい。私は今、“客を入れようとはしていなかったのに”と。そんな疑念が彼女を支配した。

 今日も今日とて、店主は気分屋だ。自分の意思一つで客の出し入れを制御できる彼女は、どうも面倒くさがりやらしかった。

「私の意思を踏み越えて、この店に入ってこれる存在だと。つまりそういうことなのね、あの二人」

 誰にも見られていないと確信しているためか、疎ましげな表情を隠そうともしない。店主は今日も観察者であり傍観者のままだ。

「引き寄せられたのね。紫音ちゃんに。もしくは……紫音ちゃんが」

 運命は絶体。彼らが今、出逢う運命であるなら、それはこの店の摂理さえ覆して実現される。

 つまり、私の意思は運命に却下されたのか、と。不服であるものの、どうすることもできない彼女。

 所詮私は、観察者で傍観者。それ以上を望むなら、壊れてしまうから。

 そう割りきっている店主は、自分の店に土足で踏み込んできた二人の客を見つめた。

 ……なるほど。彼らもまた歯車の一つらしく、運命の加護を受ける者らしく、面白い瞳をしていた。

 どこぞの看板娘と同じ、誰かを変えるべき運命を背負った、まっすぐな瞳。

 今夜はせいぜい楽しませてもらおう。そう思い、彼女はニヤリと笑みを浮かべるのであった。


 さてこちらは、突然の来客が知人であるという、特異なケースに遭遇してしまった看板娘こと紫音。

 黒のエプロンドレスをひらひらと揺らしながら、いつもの無表情を崩すことなく接客を開始した。

「……こちらの席にどうぞ」

 相手は二人。うち一人は知り合いだ。藤森秋隆。何を隠そうアパートのお隣さんである。

 元々優秀な執事であった男らしく、ちらりと目をやるとすぐにアイコンタクトで対応してくれる。

(申し訳ないが、今夜はお世話になる)

(……了解)

 などと、一瞬のやり取り。相手が彼で助かったと、紫音は密かに安心した。

「ここ、タバコは大丈夫かい?」

 胸ポケットに手を入れながら、というより、おそらく煙草を取り出そうとしながら、もう一人の客が問うた。

 無造作ヘアの行き過ぎたような状態の頭髪。かけた眼鏡は無気力な瞳を隠す為かと勘ぐってしまう。

 秋隆さんのの友人か何かだろうか、と予想を立てながら、彼女はやんわりとこの店での常套句を口にした。

「……当店では、煙の摂取を習慣とされるお客様の来店を固くお断りしております」

「だってよ、藤。残念だったなぁ」

「だってよとは何だ。吸うのはおまえだろう」

 胸ポケットからそそくさと手を引いて誤魔化した男は、ばつが悪そうに私から目を反らした。

「どうしてもと言われる場合、別室で○炭を燃やして煙を楽しんでいただくサービスもございますが」

「どんなサービス!?」

「……お客様がこの世に存在したことを煙にまくサービスでございます」

「まくな、まくな!」

 と、ここまでがこの店の喫煙者に対する常套句である。発案者が不思議タンパク複合体こと黒さんなのは言うまでもなく。

「いや、紫音ちゃん。何?不思議タンパク複合体って。変わった人って言うんじゃ駄目なの?私を人として見るのが不服なの?」

 何故かしっかりとツッコミが返ってくるあたり、いろいろと人間の範疇には収まっていない店主なのであった。

 いや、あなたは今店の奥に引っ込んでるはずでしょう、設定上は。と、軽く突っ込んでおく。

「しかしなぁ、煙草が吸えないとなると……アルコールで埋め合わせるしかないわな」

 釈然としない様子ながらも、切り替えは素早い。一応教員として生計を立てる草壁冬介にとって、この切り替えの早さは大変重要なものであるのだ。

「勝手にしろ。お前の存在の埋め合わせなど誰にでもできるからな」

「いや俺の話じゃねえ、煙草の埋め合わせの話!てえかお前、どんだけ俺に消えて欲しいんだよ!」

「すみません、注文をお願いします」

「聞けよっ、俺の話を聞けよっ!」

「ん?お前の話じゃなくて煙草の話だろう?あれは不味いよな、物凄く」

「殴っていい!?こいつ殴っていいよねえ!?」

 教員にとって重要なはずの切り替えの早さに振り回される冬介。振り回す秋隆の切り替えの早さは、彼の比ではないのだ。

 何しろ、切り替えないとやっていられない人生だったのだ。切り替えの早さには悲しいほど自信がある秋隆であった。

 青筋をたてて怒る冬介をよそに、無表情で注文をとりにやってきた紫音を笑顔で迎える秋隆。

「草壁、お前は何を?」

「酒!飲まずにやってられるかってんだよ!」

 仮にも教員ともあろう者が、店員にあたりちらすように叫ぶのもどうかと思うのだが。

 そう思ったが、これ以上刺激するともれなく一升瓶で殴打の応酬が来そうなので止めておく。

 酔っぱらいはこわい。他人がなるのも、自分がなるのも。それは単なる経験則だが、何よりも確かなことでもあるから。

「私はコーヒーをいただこう」

「……かしこまりました。しばらくお待ちください」

 ペコリと頭を下げて、紫音は足早に店の奥へと戻っていった。少し、気になることがある。

 何だか、秋隆の様子が微妙にいつもと違うのだ。優しく慮りのある姿とは裏腹に、あの友人に対しては扱いがぞんざいである。

 人には色んな姿がある。あまり見られたくない姿もあるだろう。そう思い、紫音はそっと目を反らしたのであった。

 紫音により酒とコーヒーが運ばれ、二人がそっと一口目をつけたときだ。

「そういやお前、酒飲まねえの?」

 冬介の素朴な疑問に、秋隆は目を向けることもなく切り捨てるように答えた。

「呑まれるだけだ。基本的に良いことがない」

 どこぞのアパート売りみたいになりたくはないしな、と加えておく。そうすることで、より酒の怖さを認識し易くなる。

「なんだ、飲めねえのか。つっっまんねーの」

 二口目。いきなりぐいぐいと瓶を傾け、半分近くをいっき飲みした冬介は、見下すように秋隆を見た。

 いや、コップを使えコップを。そして何なんだその目は。今時中学生でも飲めるぜ?とでも言いたげだ。

「今時中学生でも飲めるのにな(笑)」

「予想通り過ぎて笑えないな。というか、その(笑)は止めろ!イライラするとかそういうレベルじゃないから!」

「あっはっは(笑)まぁ秋隆(笑)もさ、あんま気にするなよ(笑)飲めない奴も案外多いしさぁ(笑)」

「笑い声に(笑)をつけるなっ!そして人の名前に(笑)をつけるな!」

「(笑)」

「括弧を重ねるなァァ!もうそれは台詞ではないだろうが!」

 怒りに我を忘れそうになる秋隆だが、そこはプライドが許さない。私は奴とは違うのだ、冷静でなくてはならないのだ、と。

 気分を変えるために、コーヒーをいっきに口に含んでみた。馬鹿だった。舌を火傷したようだ。

「おいおい、酒だけじゃなくコーヒーの飲み方も知らねえの?」

「馬鹿にするな。第一、俺は酒を飲めないんじゃない。飲まないだけだ」

 付き合いで飲むべきときはしっかり飲むし、旨いと感じる舌だって持ち合わせている。馬鹿にされるいわれはない。

「強がんなよ。お前程度じゃすぐに呑まれちまう」

 手をヒラヒラと揺らし、無理無理とでも言いたげに鼻で笑う冬介。人を挑発することに関して、彼の右にでるものはいないだろう。

 秋隆とて、プライドがあるのだ。20近くも年の離れた少女にこき使われて幸せそうな秋隆にも、誇りや尊厳があるのだ。

「……いいだろう。なら、飲み比べて見るか?」

 ここで秋隆は、素早く追加の酒を注文する。空気が空気だけに、紫音も無言ですぐに酒を用意した。

「別にいいけど、吐いたりしないでくれよ?」

 上等だと言わんばかりに、冬介も追加注文をする。紫音は少女疲れ気味であるが、お構い無しだ。

「まぁ俺は先に一本飲んじまったが、それはハンデとしてくれてるよ」

「必要ない」

 そう言うと秋隆は、瓶一本文の酒を瞬く間に飲み干してしまった。ドンと音を立てて、空の瓶がテーブルに置かれる。

「これで、ハンデ無しだ」
「……上等だコラ」

 天下分け目の合戦が、ここに幕を開けた。次々と来る追加注文に、紫音は戦のとばっちりを受ける農民の気分にさせられていた。

「店長、ちょっと手伝ってくださ」

「がんば!給料上乗せしとくから」

「……っ」

 やるしかないらしい。愛しのあの人の顔を思い浮かべ、紫音は一瞬で覚悟を決めた。

 この苦難の向こうに、彼が待ってくれているはず。そう信じひたすらに走るのであった。

 滴る汗が、普段とは一味違う美しさを醸し出している。こんな姿を見たなら、彼もあるいは……。

 秋隆が一瞬、そんなことを思ったとか思わなかったとか。酔っぱらいの記憶が曖昧なのは、仕方のないことである。


「そういえばお前、執事やってたのが首になったらしいな」

 酒乱合戦も中盤に差し掛かったころ、相手の戦意を煽る目的から冬介がこんなことを言った。

「事実だが、だから何だ」

 平静を装うものの、胸中穏やかではない秋隆。普段なら軽く流せることも、酒が入るとうまくいかないのだ。

「あっはっは!ザマーミロってんだ!」

 高笑いである。何とも誇らしげで喜ばしげな高笑いである。酒の入った秋隆を煽るのには充分過ぎた。

「はっはっは、もういい。お前には消えてもらう」

 乾いた笑いを浮かべながら、秋隆はスーツの懐からそっとある物を取り出して見せた。

「って、何だよその黒光りする危険物は!」

「知らないのか?拳銃っていうんだがな」

 慣れた手つきで黒光りするそれを弄ぶ秋隆。ドン引きの冬介と目を逸らして見て見ぬフリをする紫音。

 いや、ちょっと待て。

「おま、それ、本物か?」

「当たり前だ。玩具を持ち歩く理由があるか?」

「本物を持ち歩く理由もねえだろ!」

 反射的に両手を挙げてバンザイのポーズ。いくら挑発の天才といえど、銃器を携えた相手に舐めた真似はできないらしい。

 助けてくれ。この際天賦の才は天に返すから、ちょっともうその黒いのは下げてくれ、と冬介は祈る。

「いやな、執事の仕事に必要だったから、何年か前から欠かさず持ち歩いてるんだよ」

「あれっ?執事って何だっけ、殺し屋だっけ!?」

「知らないのか?執事は結構暴力性を必要とするんだ」

「それ違う、執事違う!お前の職場は多分それ、めちゃめちゃどす黒い感じのとこだから!」

「否定はしないな」

「否定してっ!」

 やばいよ、やばいよこの男。あり得ないレベルの堅物のクセに、どうしてそんなに簡単に法を犯せるんだよ。

 飲み過ぎた酒が今になって響いてきたようで、冬介は水分と恐怖の二重奏から失禁寸前のようにさえ思われた。

「何を驚いてるんだ。仕方ないだろう、仕事だったのだから」

「しばらく見ない間に変なとこで妥協することを覚えてんじゃねえ!てか銃刀法は!?」

「だから、仕方ないんだって」

「仕方ないのはお前の性格だよ!そんな柔軟な思考が出来るならもっと巧く生きろよ!」

 もっともだった。不良教師の分際で嫌味なほどごもっともだった。ちょっとイラッときたので、秋隆は引き金に手を掛けた。

「ああそうだ。草壁、今からお前を打つが、私が拳銃を所持使用していることは遥人くんには黙っていてくれよ?」

「今から打つなら必要なくね?その交渉は」

「ああ確かに、死人に口はないしな。納得だ」

「納得しないで!」

 ばきゅーんばきゅーん、などと、普通の喫茶店からは発されてはならないはずの音が二度響き、店内は一瞬で静けさを取り戻した。

「ああもうほんと、酔っぱらいは始末が悪いわよね。お酒はメニューから外そうかしら」

 そう呟いたの店主の足元には、二人の男のご遺体に見えなくもないものがゴミのように転がっている。

「……店長、今何をしたんですか?」

 拳銃を振りかざす酔っぱらいに怯えていた紫音は、あり得ない光景を目にしてしまったらしい。

「何って、うるさい酔っぱらいをちょっと殴っただけよ?」

「でも、ばきゅーんっていいましたよ?しかも店長、店の奥にいたはずじゃ」

「細かいことはいいんじゃない?玩具のピストルでさえばきゅーんって音がして煙を出す時代だもの、出るわよ、拳から銃声くらい」

「出ません!やっぱりあなたは化け物だということです!」

 というか、自分の拳が銃声を放ったことをあっさり認めてしまっていいのだろうか。

 紫音はもう、この店に自分のような一般人の居場所がないような気がして仕方なかった。

「ま、紫音ちゃんもたいがいだと思うけど」

「……何か言いました?」

 自分のことほど良く見えず棚に上げてしまうのも、まぁ人の常である。責め立てることはない。

「何も。それより、そちらの酔っぱらいを起こしてご帰宅願いなさい。もう閉店の時間だから」

「……これ、起きるんですか?」

「起きるでしょ、多分、おそらく、手加減はしたし」

 いやに曖昧な返答だなぁと内心呆れながら、紫音は酔っぱらいA(草壁冬介)を店の外に放り投げる。

 知らない酔っぱらいに手を差し伸べてやる義理はない。勝手に目覚めて勝手に帰るだろう。

「そっちの人は知り合いなのよね?」

 店主の質問にコクリと頷いた紫音は、酔っぱらいB(藤森秋隆)を少し粗っぽく揺り起こす。

「……起きてください、でないと、職を失いますよ」

 気絶していたはずの秋隆は、その一言に生存本能を揺さぶられたのか、弾かれたように飛び起きた。

「そんな、校長先生!解雇などとはいささか残酷過ぎではありませんか!?」

 どんな夢を見ていたのかはわからないが、飛び起きた秋隆は店主の前にひざまづき命乞いを始めた。

「誰が校長先生よ、誰が」

 店主が呆れたようにため息を吐く。紫音も、知人の普段では考えられない醜態に頭を抱える。

「……秋隆さん、お願いですから、そろそろキャラを取り戻してください」

 切実だった。それほど、発泡酒の暴飲から発砲者へと成り下がった隣人の姿は痛々しかった。

 その言葉のお陰か、ようやく秋隆も我に帰る。それからだ。酔っぱらったときの醜態をしっかり記憶しているタイプの人間は、恥ずかしさに心を裂かれることとなる。

 ゆっくりと、自分の右手に握られた拳銃を見る。それから、自分の中にある先ほどまでの記憶と照らし合わせる。

「……あぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁ!!」

 後悔先に立たず。死ぬほど恥ずかしい思いをした秋隆は、二度と酒を飲まないことを心に誓ったという。


 そして帰路。

 まったくもって、酔っぱらいとは始末が悪い。そう感じたのは、紫音と秋隆本人である。

「すまない。どうも、自分はアルコールに弱い様で」

「……見ればわかります」

 秋隆が恥ずかしい思いをしたのは、事実上これが一番だろう。フラフラで一人では歩けない状態のため、紫音の肩を借りて帰路についているのだ。

「本当に済まない。重いだろう?」

「……臭いです」

 ぐさりと心に突き刺さる一言である。酒臭いのは認めざるおえないのだが、なんとも情けない。

「……でも、いいんです。人はみんな、誰にも見られたくない姿があるものですから」

 秋隆を慰めるように、紫音はそう呟いた。

「どうしても見ていて欲しい姿があれば、誰にも見られたくない姿もあって当然なんです」

 暗闇に、柔らかい声が音色のように響く。

「……それを見せないようにいつも頑張ってる人も、はめが外れるとこんなものです。みんな同じです」

 秋隆は、やけに饒舌な彼女が月明かりに照らされている姿を眺めていた。やけに幻想的である。

「……だから、今日のことは忘れてあげることにします。あなたが執事として手を汚してきたことも、奈央さんたちには知られたくないことなんでしょう?」

「ああ」

「あの男の人が相手では、感情も姿も繕いきれない自分がいるんでしょう?」

「ああ。多分、そうなんだろうな」

 自分の気持ちを確かめるように、空を見上げる。暗闇に、心を溶かしてみようか。

「どうしても、私の生き筋の前に立ちはだかる男なんだよ」

 踏み越えなくては、ならない相手なんだよ。そう、静かに呟いた。

 紫音はと言えば、ひたすらに前を向いていた。自分も、道を走り続けなくてはならないから。

「恩は返そう。必ずな」

「……期待します」

 どうか、互いの道に幸福があらんことを。そう、闇が呟いたらしかった。


 こんな一日
 そんな日常


 草壁冬介の存在をしらしめつつ、秋隆紫音の二度目の協定。
 徐々に、遥人ぬきでも関わっていけるようになる住民たち。取り残された彼。
 いや、久々に純コメディパートのつもりなんですがね……。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。