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  日常賛歌 作者:しろくろ
執筆意欲がなかなか湧いてこない中、本編がどうも書けないので、ひき続き番外編。

今回は敢えて時間軸を設定させていただきますと、50話の前のあたりです。

 二人は似ていた。どうしようもないくらい。
 ただ、彼はに気づくことができて、彼女には気づくことができなかった。
ただそれだけの違い。しかしそれはやがて、大きく二人の道を別った。
 彼女には、悲しい程に強い、ただ一つの信念と覚悟があったから。


 それでも……どうか、この想いだけは―――

 心深く、濡れる前に。

第六十三話 心深く濡れる前に
 朦朧とする意識。消えてしまいそうな意志。

 笑顔と強がりだけを武器に生きてきた少年にとって、それは絶対的な敗北条件だった。

 なのに、そんな状況のくせに、それでも無理に笑おうとするのなら。

 後はもう、壊れて行くだけ。気づかないくらいにそっと。消えていくように、きっと。



「はい、氷枕です」

「あとこれ、額に貼ってください」

「……うー」

 平凡な日々を某国の不良債権の如く積み重ねていたある日のことだった。

 いつの間にやら『健康』という大前提を忘れてしまっていたらしい俺は、見事に今流行りの某ウイルス感染症にかかってしまった。

 はね上がる熱、朦朧とする意識。いやはや、人間ってのはどうも、自分の思っている以上に脆い存在らしい。

「苦しくないですか?」

「死なないんですか?」

 心配そうに俺の顔を覗き込んでくる姉妹。さっきから精力的に看病してくれている二人だが、感染しないうちに離れることを勧めるべきか。

「心配……しないで。てか奈央さん、死なないんですか?ってのはちょっと……まるで死んでくれることを望んでるかのような……」

「あーもう!わざわざ息を切らしながらつっこまなくていいですからっ!」

 そんな身勝手な!そんな発言をしたら俺が反射的につっこんじゃうことくらいわかってんだろ……。

「じゃあ素直に心配すればいいのにねー」

 よし、良く言ってくれたね真央さん。もうこの女はそれに尽きる。頼むから病人にくらい素直になれと。

「心配って何ですか?やがて遥人さんの中で停止するものですか?」

「心肺かっ!?心肺停止しろと言いたいのかっ!?あんまりだ……ぐすっ」

「えっ、弱っ!ちょっと遥人さん泣かないでくださいよ、冗談ですって!」

 いやだって、ほんとに今きついんだって。今仮に本宮の顔とか見たら即死するレベルだもん。

「二人とも、状況をわきまえてください。……まったく」

 珍しく、俺たちの口論を咎めるような口振りの真央さん。厳しい目線で奈央さんを制すと、不意にその額を俺の額にあてがった。

「え?いやちょっと、顔が近っ……」

 恐らく真っ赤になっている俺の顔に、覆い被せるように真央さんの顔がくっついている。

 触れ合った額と額。否応なく感じとれてしまう、甘い香りとその吐息。

 病人にはだいぶ、刺激の強すぎる状況である。てか、病人じゃなくてもこれは……。

「……熱、下がりませんね」

「う、うん……」

 なんだか、まるで小さな子供のような返答をしてしまった。いや、それしかできなかったのかな。

「えと、真央さん?熱を計るなら体温計を使えばいいんじゃないかなぁ、って。そう思うのは俺だけ?」

「部屋の温度はどうですか?寒かったりしたらすぐに言ってくださいね」

「うん、すげえ爽やかなスルーの仕方だな」

 もうこの娘は駄目かもしれない。頼むから天然で男を誘惑するのはやめて欲しい。

 無意識なのはわかってても、下手したらその気になっちゃうからね。男ってこう、馬鹿だから。

「……いっそ死んでしまえ」

「おいこら。奈央さんのくせに激昂しないから変だと思ったら、嫉妬の仕方がより陰湿なものに変わってんじゃねえか」

 ぼそっと縁起でもないことをいうよなぁ、この娘は。目がマジだもんねほんとに。

「……まぁ、俺が死ぬかはさておき。おまえら二人の問題として、一つ提案させてもらうわ」

 改まってそう言った俺を見て、二人はきょとんとした様子で首を傾げた。俺は、できる限り精一杯笑顔を作った。偽るために。

「今日は二人とも、よく看病してくれた。めちゃくちゃ有難いし、おかげでずいぶん体調も良くなってきた。俺はもう、大丈夫……だから」

 だから、と。いつも通りに、偽ってしまおうとした。その刹那である。

「「イヤ」」

 息ぴったりの二人の声が、俺の虚言を遮断した。いや、イヤってまだ何も言ってねえし!

 案の定っちゃ案の定だけども、そんな明らかに不毛な争いを生む返答を声を揃えてされても困る。

「どーせ、ウイルスが感染しないうちに俺から離れてくれー、とか言うつもりなんでしょう」
 奈央さんが勝ち誇ったように笑う。別に嫌いではないけど、微妙に腹がたつ。そんな表情。

「何が大丈夫ですか。今だって熱で顔が真っ赤ですよ、遥人さん」

 真央さんが俺の体調を見極めようとこちらを凝視する。俺の言う『大丈夫』なんて、どうやら既に信用しなくなっていたらしい。

 でもちょっと待ってほしい。顔が真っ赤なのは間違いなく、さっきの真央さんの誘惑行為のせいだ。

「そこまでわかるなら、俺の気持ちも察してくれ。……感染したかないだろ?」

「まぁ」

「それはそうですけど」

「俺だっておまえらにうつしたかないよ。例え一人が辛くてもね」

 俺は多分、結構な嘘つきで。そのことは二人ともわかっているのだろうけど。

 それでも、この本音をわかって欲しくて。嘘つきのままじゃ辛くて。

「でも……遥人さんが心配です。自分の体よりも、ずっと」

「私は……遥人さんなんかどうでも良いですけど。でも、真央ちゃんがここに残るのなら、私が離れるわけにはいきません」

 こいつら、無駄に素直だ。というか、俺はウイルス感染の心配さえなければすぐにでも真央さんを抱きしめたい勢いである。

 けど、それは駄目だ。彼女がどんなに俺を想ってくれても、抱き締められないときがある。

 いっしょにいてはならないときがある。彼女を想うなら今は離れなくてはならない。当然のことだ。

 そして、そう思っているのは俺だけじゃないはず。ここには、誰より真央さんを想っているやつがいるのだから。

「ねえ、真央ちゃん。どうしても、遥人さんから離れたくない?」

 奈央さんが困ったように問う。わかりきったことだが、この娘は本当に俺なんかより真央さんが大切なんだよね。

 それが月島奈央という女の子の信念であり魅力なのだから、仕方ないけど。

 俺がちょっと悲しい気持ちになったことくらいどうでも良い。

「心配だよ。この人を一人にしたら、ぜったい死にそうになるまで誰も呼ばないもの。そういう人だもの」

 それはおそらく、俺を知り尽くした上での言葉だったんだと思う。

 つまり、彼女を縛っているのは、俺の破綻した生き方そのものなのだ。

 俺はまた、自分の生き方のせいで大切な人を傷つけるのかな。そんなのは、嫌だ。嫌だから……頼むよ。

「そっか……なら」

 真央さんの強い決意を秘めた瞳を見て、奈央さんは彼女を説得するのを諦めたようだ。

 あ、ヤバい。これは『ならばもう、遥人さんの息の根を止めるしかありませんね♪』ってパターンで間違いない。


 奴は本気だ。そういう女なのだ。逃げないとっ!

「……って、あれ?」

 意外にも、そこで奈央さんが掴んだのは、何故か真央さんの腕だった。

「なら、仕方ないから強制送還だね。さっ、別の部屋に移動しようか」

「……えっ?いやっ、離して奈央ちゃん!私はっ!」

「真央ちゃんがどう思っていても、ここにいさせるわけにはいきません。……そうでしょ?遥人さん」

 不思議な光景だった。奈央さんが真央さんを心配するところまではいつも通りなのに、決定的に違っている部分があったのだ。

「ああ、頼む」

 そう答えるのが精一杯だった。しかし問いたかった。あなたは本当に、月島奈央なのかと。

「そんな……ねえ……話せばわかるよ……はるとさ……」

 奈央さんに引きずられるようにして、部屋を出て行った真央さん。だんだんと声は小さくなって、やがて消えた。

 訪れた静寂の中、少しこれまでの経緯に関して思考を張り巡らせてみる。

 そもそも、俺にこのウイルスを感染させたであろうあの男は元気なのだろうか?

 あのアホ、桐原疾風は倒れそうな体調の中、俺を自宅に招待して一日中ゲームに付き合わせやがったのだ。

 いやコレ間違いなくあいつのせいだからね。そしてどうせ、あいつは茜ちゃんあたりに看病してもらっているに違いないのだ。

「……はぁ。よく考えたら心配してやる義理が一つもねえや。俺だってしんどいし」

「そうですよ。あなたは自分の心配だけしていれば良いんです」

「いっ!?」

 静寂の中での、単なる独り言のはずだった。誰もいなくなったはずの枕元に、何故か彼女がいた。

「奈央さん……なんで?」

 なんで、そこに?どうして戻って来たのか。

「真央ちゃんとね、交渉をしたんです」

 これもまるで、独り言のような口調だった。ただ、耳を澄まさずとも聞き逃すことはない。

「そんなに心配なら、私が看病するから勘弁して。って」

「それで、なんて?」

「私を犠牲にするなんて嫌だって。何だか嬉しいですよね。久々に心配されちゃいました」

 嬉しいわりには、どこか元気なさげに微笑んだだけだった。その姿が、何故かすごく不安で。

「私を信じてって頼んだら、信じてくれるって。嬉しかった。私、真央ちゃんに信じてもらえたんだ」

「……っ!」

 力の入らない体を無理やり起こして、俺は奈央さんの肩を掴んだ。そうせずにはいられなかった。

「どうしたんだよ、奈央さん。何か、さっきから変だぞ!?」

「そんなことないです。……私は、今までできなかった選択ができるようになっただけですから」

 そう、俺の体を丁重に布団に戻しながら答えた。その瞳には既に、誰かの入り込む場所はないように見えて。


 それに向き合うのが怖かった。自分の知っている全てが、ただの虚像なのかもしれないと、そんな恐怖に駆られたのだ。

 だから俺は、そこで逃げてしまった。これ以上、彼女を知るのが怖くなって、考えることをやめたのだ。

「……それで、奈央さんが感染上等で看病してくれるって?」

「はい。大変不本意ですけど、約束なので」

 重苦しい空気を払拭するように、軽やかに微笑んでそう答えた彼女。

 どうしてだろう?時間がないような気がした。もう、こんなチャンスは二度と訪れない気がした。

 それは多分、どうしてかわからないけど、奈央さんも感じていたことなのだろう。

 だから……。

「では、お隣失礼します」

「へ?」

 枕元で正座していた奈央さんが、いきなり俺の布団の中に入り込んで来た。

 いやいやいやいや、おまえは真央さんかっ!?

「あったかい……。ほら遥人さん、恥ずかしがらずにこっち向いてくださいよ」

「無茶言うな!何なんだよいきなり!血の循環が真逆になる勢いで驚いたわ!」

 顔が真っ赤なのは最早言うまでもなく。どうして奈央さんは平気なんだ……って、よく見たら奈央さんも顔赤いしっ!

 カップルかっ!?新婚夫婦かっ!?おかしいだろこれ!

「恥ずかしい割に、追い出さないんですね。やっぱり人肌恋しいんだ、遥人さんも」

 その、ただの一言で、自分の全てが見抜かれた気がした。いや、気のせいではない。多分もう、全部……。

「本当は、甘えられるのと同じくらい、甘えるのが好きな癖に」

 俺に体を密着させ。背中に顔を埋めた。その温もりは、俺には少し熱すぎた。

 溶けてしまいそうなくらいに、熱くて。

「なのにあなたは、甘える術を知らなかった。甘えるのが下手だった」

 紡がれる一つ一つの言葉が、俺が作り上げてきた透明な鉄壁を崩壊させていくようで。

「……あなたは、私に似ています」

 それは多分、今までで一番。今までで話してきたどんな言葉よりも、決定的な一言だった。

「うん。知ってた」

 知ってた。わかってた。全部。

「あなたは全てを受け入れようとして、私はただ一つを護ろうとした」
「俺は惨めに夢を見て、君は確かに現実を見た」

 ただ、それだけ。似てる二人の道を別ったのは、ただそれだけのことだった。

「ねえ、遥人さん」

「なーに」

「……甘えても、いいですか?」

「っ!?」

 瞬時に、冷めきっていた心と体が熱を帯びる。情熱とかそんなんじゃなくて、ただ純粋な恥ずかしさ。

「私も、あなたと同じ。甘えるの下手なんです。今さらだけど」

「ううううん、それは確かに今さらだけど!でもほら、ちょっとこう、心の準備ってやつがさ!」

 なんだろう?今奈央さんに『甘えられ』たら、何かとんでもない間違いを犯してしまいそうな気がする。

「何を言いますか。甘えさせるのだけは、もう鬼のようにうまい癖に」

 なんかっ、なんか背中で頬を膨らませていじけてるめちゃめちゃ可愛い女の子がいるんだけどっ!

 えっコレ真央さんじゃないの?じゃあ誰コレ?こんなに俺の心を揺さぶるあんたはいったい誰っ!?

「真央ちゃんや紫音さんには、あんなに甘えさせる癖に。私だって……ずっと、そんな風に……」

「ちょっ、奈央さん!?」

 なんか今にも泣き出しそうな勢いなんですけど!私だってっなんだよ!

 だったら俺だって……ってああああもう殺してくれ!何を考えてんだ俺は!

「遥人さん」

「うん?」

「本当のところ、あなたは私をどう思っているんですか?」

 本当のところ、奈央さんのことをどう思うのか。どんな風に想ってきたのか。

 そんなの、決まってるのに。それでもあなたが問うのは何故?

「本当は、私のこと、嫌いなんじゃないですか?」

「なわけあるか!むしろ今までさんざ好きだと言ってきただろ、俺は!」

 思わず叫んでしまった。だっておかしいじゃないか。むしろ本音を隠してるのは、彼女の方なのに。

 本当は嫌いなんじゃないか、なんて。そんなの、俺が奈央さんに聞きたいことなのに。

「……嘘つき。私は一度も、私だけに向けて『好き』なんて言われてません」

 ど、どうしろってんだよ!言えってか?今ここで言えってか!?

「だから、いつも言ってるだろ!俺はっ……」

「だったら、ちゃんと言ってください。でないと、私は……」

 でないと私は、覚悟することができないから。

 その覚悟が何なのか知らぬまま、俺は口にした。極めて単純で、馬鹿みたいに甘ったるいその言葉を。

「大好きだよ。俺は、奈央さんのこと」

 私も、とは返ってこなかった。代わりに、彼女は俺にもっと確かな答えを用意したのだ。

「なら、こっちを向いて」

 その言葉に対し、恥ずかしさを越えた極限の状態で反応してしまった。ゆっくりと、彼女の方に寝返りをうつ。

 彼女の方に向き直った瞬間だった。その唇は、言の葉を紡ぐことなく、ただ想いを秘めて。

 重なり合ったその瞬間に、全ての答えが俺の中を駆け抜けた。熱すぎた、彼女の答えが。

「………」

「………」

 確かにその瞬間、俺と彼女は交わった。心と体と運命と。その全てが、だだの一瞬にして。

 しかし、それでも結局一つだけ。互いの進んで行く道だけは、交わることはなかった。

 僕らは道を違える。たいむおーばー。終わりの時を迎えてしまったから。



 俺が目を覚ましたのは、日が上りきった昼間のことだった。しかしどういうわけだろうか。

 俺の中では、あれ以降の記憶がプツリと途切れて消えてしまっている。

 ただ、熱の影響で記憶がないのか、気を失っただけなのか。

 それともあれは―――単なる夢?

 自分の世界から見える景色は、いつも通り平凡そのもので。奈央さん自身も、なかなかあの日のことを話そうとはしなかった。

 ただ、そう。


 数日後。僕らのココロには雨か降った。

 止まない雨。全てを終わらせる為に。

 こんな一日

 それは日常

さて、なんかとんでもないもん書いてしまった気が。後悔は全くありませんが。笑

前書きあたりでお分かりでしょうが、番外編となると作者のやる気が明らかに違うのはご愛嬌です。

 でも、最後にはきっと、こんな風になっていくんだろうな、と。その程度のお話だったり。

断り書きとして、『あくまでも番外編です』と書いておきます。


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