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  日常賛歌 作者:しろくろ
第六話 くだらない本
 むげん、ムゲン、無限。

 求めても届かないもの。届いても掴めないもの。掴んでもすり抜けるもの。

 すなわちは、夢幻。永遠と言う名のゆめまぼろし。それを追い求めることさえも、人は夢だと。



「うっ……」

 うだるような暑さに圧倒される、そんなある夏の日の朝。目を覚ました俺が感じたのは、多大で重大な質量感だった。

 おはようございます、要介護少年こと遥人です。なんでしょうね、これ。ベッドから起き上がることができません。

 違和感とかそんな曖昧に言う必要もないような、手近で身近な感覚。そう、これは……何かが乗ってる?

 そしてこの、妙に柔らかい感触と嫌に甘い匂い。重苦しくてもそれだけで、幸せな世界へとぶっ飛ばされそうになる。

 とにかく、これは。

「うっ……おっ、重っ」

 ガッ!!

「つうっ!?」

 おい、なんか今鈍器らしき物で殴打されたぞ!?この痛みはアレだ、昔辞書の角で殴られた時のソレに似ている。

「遥人さん、知ってます?女の子に重いとか言っちゃいけないんですよ?」

 全身に鳥肌が立つ程の恐ろしい微笑みをもって俺の声に答えたのは、迷惑姉妹の天使の妹こと真央さん。

 その手には俺の所持品の中でも屈指の厚さ、つまりは攻撃力を誇る分厚いハードカバーの書籍が握られている。

 更にその体は何故か寝ている俺の腹の上。彼女は横たわる俺に跨がる形で腰掛けて、至近距離からこちらを見つめている。

 何か弁明をしようとした俺だが、その気配を察するや否や、真央さんは本を強く握り攻撃体勢に入った。

「落ち着け真央さん!分厚い本の角とか凶器以外の何物でもないから!」

「嫌ならちゃんと反省してください」

「ごめんなさい!」

 情けないことに、謝るという行為には少しも躊躇いのない俺だった。

 昔から、頭下げるだけで許されるなら、いくらでも下げてやるというくらいの姿勢でいる。

 そんなわけで、謝ったからには速急に凶器を下ろして欲しいのだが。

 あとその天使どころか修羅と例えられても仕方のない恐ろしい笑顔も禁止。見た目だけでも可愛い妹ちゃんでいてくれ。

「わかればいいんですよ、わかれば」

 そう言って今度こそ天使よろしく微笑んだ真央さんは、そっと振り上げた腕を下ろした。

 そうそう、普通に笑っていてくれれば可愛いんだから。それこそ、思わずぎゅっと抱きしめたくなるくらいに。

 姉辺りに変態の烙印を押されるのは避けたいので、今はまだ我慢はする。だけどそのうちには、ね。

「ときに真央さん、ここで何をしてるんだ?」

 今となっては重苦しさより柔らかさとか甘い匂いとかの方が気になってしまって、理性的にはちょっと危ない状態なのだが。

 これを長時間続けるような実験をした場合、もれなく俺は大変な間違いを犯すであろう自信がある。

「何って、見ての通り読書ですけど?」

「いや、俺の体の上で?」

 疑問はそこです。そんな果てしなく以外そうに目を見開いて口をあんぐりと開けてな様子を見せられても困るよ俺。

「………えっ?」

 驚いた様子で自分の座っている場所を確認する真央さん。五六回ほど瞬きしながら見詰め直し、やがて沈黙。

「………ごめんなさい、気付きませんでした」

 そう言って、恥ずかしそうに顔を赤らめ俯いてしまった。さて、ここからそっと事情を聞き出すのが腕の見せ所か。

 ―――話によれば、どうやら彼女は、奈央さんに俺を起こすよう頼まれて部屋に来たらしい。

 しかし、あまりにも読書に夢中だったが為に、俺を起こすことも忘れて再び物語の世界にダイブしてしまったというわけだ。

 それが俺の体の上で行われたのは、幸か不幸か。ただ、朝からいろいろありがとうとだけは言っておく。

「いや、別に謝ることはないけど……とりあえず、そろそろ降りようか?」

「あっ、その、ごめんなさい……」

 そそくさと俺から離れる真央さんは、あまりにも恥ずかしそうな様子。見ていて忍びないとさえ思う。

「そうだ、真央さん。今日は銀行に行くついでに本屋にも寄るんだけど、ついて来てみない?」

 そもそも、そのために朝早く起こしてくれるよう奈央さんに頼んでいたのだ。

「えと……はい、是非!」

 うん、少しは元気が出たみたいだな。ちょっとしたミスで逐一落ち込むことなんてないんだから。

 それに彼女のような女の子なら、それくらいはご愛嬌と思ってもらえる筈だ。

 なんせ男なんてのは、純然たる超然的なアホ共の総称なのだから。



 予定通りに銀行で数人の諭吉さんとコンニチワした俺達は、その足で浮かれ気味に本屋へと向かった。

 まだまだ経済的に自立していない俺のようなガキにとっては、数人の諭吉さんとご挨拶するだけで何処か幸せな気分になったりするのだ。

 その大半が生活費に消えることは、今は思い出さなくていい。

「今日はさ、俺の好きな作家の新作の発売日なんだよね」

「それで本屋さんですか」

 懸念材料としては、そろそろ二つ目の本棚がいっぱいになることか。流石に置き場に困る近頃だ。

 最近は極力、好きな作家の新作以外買わないようにしてるのだが。それでも衝動買いしてしまうことがあるのは、甘ったれの証か。

「あっ、ここが本屋さんですね!」

 その通り、ようやくたどり着きました。俺の行き付けの茶色の外装が特徴的な本屋さんです。

 みんなの家の近くにもあるよね、●屋。

「さて、俺は目当ての本を買ってくるけど、真央さんはどうする?」

「私は店内を一通り回ってみようと思います!」

 言うや否や、嬉しそうに店内をうろつき始めた真央さん。昔の自分を見るようで、不思議と微笑ましい光景だ。

 一緒に連れてきて正解だったな、と。そんなことを思いながら、俺は自分の目的を果たしに向かうのであった。



「さてさて、真央さんは何処かなー」

 通い慣れた店ということもあり、本を一冊買うのに時間はかからない。そんなわけで、さくさくと会計を終えた俺は真央さんを探して歩いていた。

「おっ、いたいた」

 人を見分けるのが致命的に苦手な俺でさえ、遠くから見て彼女だと確信を持てた。それくらいに、突出するものがあったのだ。

 顔見知りでもなければ、うっかり見入ってしまいそうになる。可憐な文学少女が一人、そこには佇んでいた。

(初対面でも、うっかり声をかけたかもしれないな)

 もちろん、そんな度胸を持ち合わせていないのは自分が一番わかっているんだけど。

 そんなことを考えながら近づくと、真央さんはじっと一冊の本を見詰めているらしかった。

 その瞳が、まるでどこか遠い世界を見ているみたいで。引き留めるみたいに、呼び戻すみたいに、俺はその華奢な肩を叩いた。

「真央さん、戻ったよ」

「……あっ、遥人さん」

 気づくまでに随分と時間がかかっていた。俺ってもしかして、影が薄いのだろうか。

 いや、そんな筈はない。今のは真央さんが何かに気を取られていただけだ。そうに違いない。

 それならば、俺の影を薄くする程に彼女を惹き付けたものとはいったい。

「ねえ、何を見てたの?」

 別に何も、とか答えられたらどうしよう。確実に嫌われてるよね。つーか俺って大丈夫か?嫌われてないのか?

「この本が、ちょっと気になりまして」

 良かった。本当に良かった。ほっとして大きく息を吐いた俺を真央さんが不思議そうに見ているが、そんなこと気にならないくらいに良かった。

「これ、小説だね。興味あるの?」

「興味?……多分、あるんだと思います」

 一瞬の間があったのと、非常に曖昧なのが気になった。やけに心を揺さぶられているなと、そんな様子。

「欲しいなら、買ってあげるけど?」

「えっ」

 試しに言ってみると、途端に視線が食らいついて来た。そんなに欲しかったのなら、言ってくれれば良いのに。

「あっでも、そんなの悪いですし」

 今更我に返っても遅かった。真央さんがこの本を欲しがっていることは、十分すぎる程にわかってしまったから。

「気にすることないよ。単に付いてきてくれたお礼なんだから」

「……いいんですか?」

「いいんだっての」

 そんな顔されたら、買わないわけにもいかんだろうて。本当にこの娘は、男をたぶらかす才能が備わっているとさえ思う。

 本人がそれに気づいていないのが、なお良い。自分が可愛いとわかってる美女なんて、ただの悪魔でしかないのだから。

「それじゃ、帰ろうか」

「はい。帰りましょう」

 買い取った本をぎゅっと胸に抱えて、真央さんは幸せそうに頬を緩めていた。



 家に帰った真央さんは、さっそく例の小説を読み始めた。重ね重ね疑問だが、何故にわざわざ俺の部屋で読むのだろうか。

 いや、俺は嬉しいけど。

 そして数時間後、本を読み終えた真央さんは限りなく満たされた様子で微笑みを浮かべていた。

 そんな表情、俺が何をしたところでたどり着けやしないんだろうなって。物書きって、やっぱりすごいと思う。

 顔も知らない赤の他人の感情、そして感性や品性、果ては思想さえ、その文章によって作り変えてしまうのだから。

 大好きな本のことを自分のバイブルと釘打つ人がいるのも、十分に頷ける。

「それで、おもしろかったかい?」

 この様子を見る限り、わざわざ聞く必要もないことだとは思う。それでも、彼女の言葉で聞いておきたかった。

「……いえ、全然」

 意外な答えだった。彼女の表情はそんな風に言ってなかったから。満足だって、そう言ってたから。

「遥人さん。どうして私がこの本を欲しかったか、わかりますか?」

「む?」

 不意に問われた質問に、俺は答えることができなかった。だってそう。俺は彼女のことを何も知らないから。

 知らなすぎるくらいに知らなくて。怖くて不安で、寂しくて。それが二人の距離だったから。

「これ、私が宝物にしてる本の作家さんの最新作らしいんですよ」

「作家繋がりか。その真央さんが宝物にしてるのってどんな本だったの?」

 ただ、なんとなく知りたいと思った。その本のこと。そして、月島真央という女の子のこと。

 知りたいと思えたから、どうか教えて欲しい。

「特に何か事件が起きるわけでもなくて、特種な設定があるわけでもない。そんな小説なんです」

 そっと、紡がれた言葉。緩く目を閉じて語る彼女の姿は、可憐そのもので。

「普通の人にとってはなんでもないような日常を、ひたすらにだらだらと書き記した、そんな本でした」

 それならどうして?なんて聞かなくても、言葉は続いていく。俺の意思さえ、当然のように汲み取って。

「どうしてこんな本が売り物になっているんだろうって、私も最初は本気でそう思っていました」

 そんな風に綴られた物語の行方。それを愛した、その意味。

「でも、気づけば私はそんな本に心を奪われていたんです。涙が出るくらいに、切ないくらいに、そう」

 本をぎゅっと胸に抱き、大切な思い出を語るように話す彼女。清らかなる者の姿だった。

「他のどんなハッピーエンドよりも、最初から最後まで何事もなく終わる、そんな物語に憧れたんです」

 感化された。思考も思想も生き筋も、全て巻き取られるみたいに。

「まるで終わりなんてないんじゃないかと思わせるような……その本に」

 なんてことはない。つまり彼女にとっては、そんな日常こそが夢見る対象だったのだ。

 涙を流すくらいに、切ないくらいに、夢を見た。

 物語に山も谷もありはしない、そんなだらだらと書かれた日常。終わりを感じさせることのないその日常こそが、彼女の願いで。

「……ねぇ真央さん。今の生活は、楽しい?」

 そんな、夢のような日々を、俺は与えてやれてるのだろうか。

「……ええ、楽しいです。まるで、夢なんじゃないかって思うくらいに」

「……そっか」

 ―――それなら、やるべきことは一つだろうな。

 積み重ねていこう。そんな夢みたいな日々が、なんでもない日常に変わる、その日まで。

 小さな決意を胸に、俺は彼女を見つめた。偶然ではなく、お互いに視線がぶつかる。

 自然と綺麗に微笑んでみせた彼女。そのとき俺は、気づかないうちに微笑み返していた。

「ちなみに、その新作がつまらなかったってのは?」

「……いえ、さすがに変化が無さすぎて、マンネリと言いますか。それもご愛嬌ということなのかもしれませんけどね」

「まあそんなもんだわな、世の中」

 そんなもんだからこそ、今日も明日もなんとか生きて行ける。こんな今日よりは、明日はいくらかマシになるだろうと。

 それで十分だ。這いつくばってでもいい。足掻く理由さえあれば、立ち止まらずに行けるから。

 積み重ねて、欠伸でもしながら、進んで行こう。

 きっとそれが、この日々の意味なのだから。



 日常はいつまでも終わらない。そんな『永遠』さえ思わせるような、ある夏の日の一時。

 こんな一日
 そんな日常


 2011.6.1改定

 わざわざ書き直しているのに、それとなく手抜き。こんなことじゃ、またそのうちに修正し始めるかもしれない。


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