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  日常賛歌 作者:しろくろ
第五十九話 素直な気持ち、起きて見る夢
 ある桃色の季節の真昼。忘れ去られた時間を閉じ込めたその場所に、彼らはいた。

「ここですか。遥人さんの言う“旧氷名御家”っていうのは」

 桃色の季節に映える桃色の髪を持つ少女、月島奈央は呟いた。目の前には、一軒の空き家。

「とはいっても、いつも見ていた建物ですけどね」

 隣に立つは艶やかな黒髪を持つ少女。月島真央は、特に感慨もなく真実を口にした。

 それぞれ微妙に異なった反応を示しつつ、二人は揃って後ろに振り向いた。春風に髪が揺れる。

 二人にじっと見つめられた少年、氷名御遥人。やれやれと頭をかきながら、懐かしむように空き家に目をやった。

「前から言ってただろが。アパートの隣の空き家は元々俺が住んでたとこなんだって」

 去年の夏まで、彼はこの一軒家に住んでいた。そこには当たり前のように両親がいて、今でもときどき思い出す幸せな日々があった。

 それがなくなったのはやはり去年の夏で。彼はちょうど、隣にできた建てられたばかりのアパートに引っ越したのだ。

 それから取り残されたこの一軒家は、以後遥人さえめったに足を踏み入れることなく、アパートの隣にひっそりと存在していた。

「そういえば、そんなことを言ってましたっけ。どうでもいいですけど」

 あんたはまず俺自体をどうでもいいと思ってるんだろ?と言いたいものの、思い切り頷かれたら悲しいのでやめておく。

「っても、今はときどき中を掃除しに来るだけなんだけどな。入ってみるか?」

 自分自身、久々に足を踏み入れる。両親がもうこの世にいないことを実感させられるこの家には、なかなか入ろうと思えないから。

 墓参りと同じ。それもこれも、全部受け入れることができた今となっては関係ない話だけど。

 俺は何の迷いもなく、昔の記憶を蘇らせさがら家の中に入って行く。少ししてから、姉妹も後に続いた。

「誰も入ってみるなんて言ってないです。なんで私たちを連れてきたんですかメンドクサイ」

「遥人さん明日から学校でしょう?こんなところうろついてないで明日に備えましょうよメンドクサイ」

 他人の思い出とか心の底からどうでも良さそうである。まったく、こちとら明日から学校だからこそ来たというのに。

「せっかくだから春休みの最後になんかやろうと思ってたんだよ。後でわかると思うけどさ」

 夏休みの最後には寂しがってくれたのにさぁ。こいつら、今回はさっさと学校行けよって態度じゃん。

 なんか今度は俺の方が寂しさを覚えてしまったわけで。長期休暇の最終日。夏には海、ならば春には……と考えた。

「それで、春には空き家探険隊ですか?女心って言葉知ってます?」

「ようやく桜が綺麗に咲いたその日に、こんなところにしか連れて来れないんですか?だから遥人さんなんですよ」

「女心がわからなくて悪かったな。てか真央さん、それは俺の存在そのものを否定してんだろうが!」

 いつになく可愛くない反応をしやがると思ったら、こいつら花見に連れてって欲しかったのか。いじけてんのな。

「ま、安心してくださいな。俺だって、女心くらいわからぁ」

 聞こえそうで聞こえない。そんな中途半端な声でそう言い切った俺は、とりあえず先に家の中を見てまわることにした。

 姉妹も訝しげな表情ながらこちらについて来ている。そういうところだけは、確かに可愛い奴らである。


 そんなわけで、懐かしみながら各部屋をまわる俺。その場所その場所に、今も忘れぬ思い出があって。

「お、そうだここ!よく怒られていじけたときに逃げ込んだわ」

 それは、小さな物置部屋のようなところだった。あらかじめお気に入りの本なんかを置いておき、逃げ込んできたときに気持ちを整理した場所。

「なんか、遥人さんのそういう姿は想像できませんね」

「そうか?小さいときなんてしょっちゅうだろ。ガキは感情表現が単純だから」

 それは暗に、今の自分が感情もまっすぐに表現できない哀れな大人になってしまったことを認める言葉で。

 その変化が間違っていたとは思わないけど、悲しいことではある。そんな気持ちになるのも、こうやって過去に目を向けているからこそで。

 やっぱり、人間たまには後ろを振り返るべきなんだろうな。落としてきたもの、拾いに行くのも一つの道か。

「私だったらトイレに立て籠りますけどね。いずれ便意を我慢できずに相手が降参するでしょ」

「そんなガキはなんか嫌だな……」

 真央さんはいったいいつ頃からこんなブラックな思考を手に入れたのだろうか。よくもまぁ、そんな計算高い考えを。

「その作戦で私はいつもケンカに負けてましたけどね」

「ん?二人でケンカしたこととかあるんだ。意外だな」

 奈央さんの今の態度からして、この姉妹がケンカするなんて想像できない。まだ俺が怒られていじけてる状態の方が現実味あるだろう。

「さすがに小さいときは結構しましたよ。今は絶対しませんけど」

「今やったら私は遥人さんの部屋に立て籠るね。そして共謀して奈央ちゃんをシカトしましょう」

 なんで想定の話から軽い打ち合わせみたいになってんだよ。ケンカする予定でもあるのか?

「ケンカか……。そういえば、どっか夫婦喧嘩の末に壁に穴空いたところがあったような」

「ど、どめすてぃっくばいおれんすですかっ!?」

「遥人さんのお父さん、そんなことするようには見えませんでしたけどねー」

 そういえば、親父とは面識があるんだったよな。夫婦喧嘩の末とは言っても、暴力を振るったわけじゃないんだよねコレが。

「いやコレ、ほとんど恐喝目的で壁殴っただけだから。……母さんが」

「「母さんっ!?」」

 穴の前に立ち止まり、当時の光景を思い出しながら言う。親父、びびって体痙攣してたもんな……。

「それはそれは……ドメスティックな家庭だったんですね」

「バイオレンスな日々だったんですねー」

「いやドメスティックな家庭ってなんだよ?どんな家庭だそれは」

 あえて真央さんの発言に関しては言及しない。それはもう、実際バイオレンスでしたから。主に親父の体とか、もう夫婦喧嘩の後は危険な状態だったもん。

「ちなみに私、一度だけ奈央ちゃんにぶたれたことがあるんですよ」

「なんだそのカミングアウト。マジでか?」

 想像できないよどうしても!男子高校生の豊富な妄想力を駆使してもまったく思い浮かばないよ!

 奈央さんはといえば、ばつが悪いのか必死に目をそらしている。そして俺の影に隠れるな。

「はい。私がちょっと火遊びしまして。そのときに、奈央ちゃんのなけなしの千円札を燃やしたんですよ」

 どんだけ黒いんだこの娘は!?俺だったらぶつより泣くぞそれ!もうあらゆる意味でぶたれても文句言えない状態だよ!

「……だって、真央ちゃんにもしものことがあったら大変だし。それに、真央ちゃんにプレゼント買おうとして取っておいた千円だし」

 それは、うっかり弾みでぶっちゃうのも仕方ないのかもしれない。そんな真実を知り、逆に困ったのはむしろ真央さんだった。

「私、奈央ちゃんが私よりお金が大切なんだって勘違いして……あれからしばらく口聞かなかったっけ……」

 今初めて奈央さんが可哀想だと思った。幼い者にこそ、本当の愛情ってのは伝わり難いものである。

 そのときもし、俺がいたなら。うまく間を取り持って仲直りさせられたかもしれないのにな。そんな、意味のない後悔をしてみたり。

「でも結局、奈央ちゃんが本をプレゼントしてくれて仲直りしたんだよね。確かあれ、お気に入りの人形とかをリサイクルショップに売って作ったお金だったよ」

 子供は優しさに気づくのが下手だ。でも、気づいた優しさには全力で感謝できるのが子供でもある。

 当時を思い出し、少しうつむき加減に話す真央さん。その頃は単に感謝の気持ちが強かったのだろうけど、心に深く残るのはむしろ罪悪感の方。

 自分の悪戯で大切なものを消し去ってしまい、あげく自分が大切にされていないと勘違いしてしまったこと。

 そして今、その燃やしてしまったお金さえも真央さんのためのものだったと知った。何年もの時を経て、伝わる想い。

「あ……その、真央ちゃん?そんな昔のことだし、今さら私は何も気にしてないし……」

「嘘。だって、奈央ちゃんあのときお気に入りの人形泣く泣く売ったでしょ?あの毎日抱いて寝てたやつ」

 おいおい、なんか可愛いな。今はこんな片意地女でも、小さいときは普通に妹が大好きな女の子だったのか。

 この、恥ずかしさのあまり俺の背中に隠れているドシスコンが。

「それに、お気に入りの服も売ってた。買った日に何度も鏡の前に立ってはしゃいでた勝負服」

「真央ちゃんもうヤメテ!これ以上私の過去の過ちを掘り返さないで!」

 ごめん、抱き締めてもいいかな?可愛いよやることが。俺がそこにいたら確実に動画として焼き付けておいたのになぁ。

「あの本をプレゼントしてもらったとき、嬉しかったなぁ。思わず抱きついた記憶があるもん」

「うん、柔らかくて気持ち良かった!」

 そのセクハラチックな発言がなければ、そのまま今も抱きついてもらえただろうよ。しかし真央さん、今日はやけに素直なこって。

 何だかんだ言っても、お姉ちゃんが大好きなんだもんな。この娘は。

「後から秋隆に聞いた話によると、本をレジに通したときにほんの少しだけお金が足りなかったんだって」

「真央ちゃん本当にお願いだから、その話はしないで!」

 いや、もうそのときの光景が目に浮かぶ。あたふたと何度もポケットを探って、やがて泣きそうになりながらキャンセルしてもらうよう頼むんだろう。

 ……可愛いなぁ。子供好きを自負する俺としては、例え知り合いでなくてもお金を恵んであげたくなる。

 てか秋隆さんはその状況を傍観してたのか。さっきからのケンカの話にも出てこないし、そういうことには基本的に首を突っ込まないようにしていたのかな。

「で、結局どうやって買ったの?」

「店員さんがかなりいかした男だったらしいんです。密かに本のカバーをほんの少しだけ破いて、その傷を理由に値下げしたとか」

 か、格好いいなその店員さん!とりあえず、男として無条件で憧れてしまう。

「さらに詳しく言えば、奈央ちゃんの涙を拭いてあげながら事情を聞いたそうで。妹へのプレゼントだと知ったら可愛く包装までしてくれたそうです」

 かっけぇぇ!俺もう将来は本屋で働こうかな?なんだか医者並みに人を救えそうな気さえする。

「そのときの写真が今も秋隆の宝物なのは秘密です」

「秋隆……私を助けもせず呑気に写真撮ってたの!?」

 よし今度見せてもらおう。そして焼き増しだ。知り合い一同に配って布教してやる。

 てか、もしかして奈央さんが今写真撮影を趣味としてるのは当時の秋隆さんの影響なのか?

 なんにしろ、ものすごく可愛い一面を知ってしまったわけだ。とりあえず、なでなでしとこう。

「はぅっ……なんで急に撫でるんですか」

「「なんか可愛いもん」」

 真央さんと声が揃う。おぬしも好きですのう、などと言いたくなる。いや、なんかいい話聞いちゃったねコレ。

「最後におちをつけておきますと、そのときにもらった本が……」

「例の真央さんの宝物の本だね。そういえば、カバーがほんの少し破れてたから」

 真央さんがアパートに来て間もない頃に、俺に見せてくれた本。彼女の憧れた幸せな日常を綴った彼女の宝物の本。

 あれを大切にしているのは、こんな意味もあったのか。んー、なんか本格的に俺にも兄弟姉妹がいたらなって思う。

 もっと頑張れば良かったのにな、親父も母さんも。

「なんだろう?真央ちゃんが喜んでくれてたのがわかったのはすごく嬉しいんだけど。……それ以上に巨大な敗北感が」

 いや無理でしょ、この娘に勝つのは。結局、俺も奈央さんも真央さんが可愛いくてしょうがないんだから。

「さて、良い雰囲気になったところで……行きますか。本題のとこに」

「本題って、今までのは違ったんですか?」

「これでもまだ序の口とは……。いったいこれ以上どんな手で奈央ちゃんを辱しめると言うのですか?」

 真央さん、君はやっぱり奈央さんを弄ることしか頭にないんか?俺が言いたいのはそんなんじゃなくて!

「まぁ、ついてこいって」


 今日ここに来たの理由の一つは、新年度で自分自身が高校二年生になるのにあたって、いっぺん過去を見つめ直しておこうと思ったから。

 そして、ここからはもう一つの理由。姉妹とずっといられる春休みが終わるにあたっての、最後の思い出作りみたいなもの。

 夏のときは姉妹の方がそういうのを望んだけど、今回はそれを俺が望む。春といえばそう……桜、だろう。

 戸惑う姉妹を引き連れ俺がやってきたのは、家の裏庭へ続く窓がある部屋。窓を開け放ち、足を投げ出して腰かける。

 そこから見える小さな庭の真ん中には、大きな桃色の幻想。

「すごい……おっきな、桜」

 唖然としてそれを見つめる奈央さん。ニコリと笑った真央さんが俺の横に寄り添うように座る。

「家の裏にあるから気づきませんでしたよ。小さな庭の真ん中に、こんな立派な桜の木があったなんて」

 真央さんは嬉しそうに桜を見つめていた。そしてそれは、奈央さんも同じ。最初からずっと、花見をしたがっていた二人だ。

「こういうことだったんですか。にくい演出しますね」

 そんなことを言いながら、桜から目を離さずに然り気無く俺の隣に座った奈央さん。真央さんの隣じゃなくていいのかな?

「どうだ……きれいだろ?」

 何を思ったか、何年も前に親父がいきなり植えたもの。普通、庭を潰して一本ドンと木を植えるやつはいない。

 ほんとに、あの人は変わっていた。どことなくひねくれてるくせに、こういうものの美しさには誰より敏感で。

「風、気持ち良いですねー」

「桜の花火が舞ってますよ。きれい……」

 そんな、俺たちだけの空間。昔はよく、家族三人ここで花見をしながらお茶をしたものだが。

 今、両側に親はいなくなってしまったけど。目の前の花は今も美しく咲き誇り、俺の両手にも花がある。

 至れり尽くせりってやつですかね。姉妹も喜んでくれたみたいだけど、多分俺が一番幸せ。

 あとはそうだな。欲を言えば、飲み物とおつまみでもあればね。ついでにアパートのみんなもつれてきて、宴と行きたいところなんだけど。

「なに、成長期の男は花より団子だろう?」

 不意に、後ろから声がした。三人同時に振り向くと、仏頂面を笑顔に変えた秋隆さんが立っていた。

「わ、よくここがわかりましたね」

「ちょうど君たちを探しに来たら、声がしたからな。これ、昨日甲斐さんと会ったときにもらったものだ」

 これは……おつまみ!ナイス甲斐さん、たまには飲んだくれも役にたつね!そして、ちょうど秋隆さんも来てくれた。

「あとは……飲み物と二人が来れば」

「遥人くーん!」

「………」

 その声と無言の応酬は……。案の定、皆さん揃いも揃ってタイミングのよろしいことで。

「あ、さーちゃんだ!」

「真央ちゃん、やっぱり織崎さんは華麗にシカトなんだね」

 それより、いつの間に小夜ちゃんはそんなフレンドリーな呼び方になったんだろうか?いや、かなり良い傾向だけど。

「む?二人とも都合良く飲み物を持ってるな」

 秋隆さんの指摘に合わせ、両手にペットボトルを持った紫音さんが口を開く。

「……ちょうど、遥人さんが欲しがってた気がしたので」

 ありがとう紫音さん!普段はどんなに頑張ってもそんなにうまく意志疎通できないのにね!

「ちっ、わかったような口をききやがりますね」

「真央ちゃん、トゲを隠そうよ……」

 うん、全部揃った。場所と人とモノ。どれか一つでも欠けたら成り立たない、最上級の幸福時間。

 舞い散る花びらとともに消えてしまいそうなくらいの、夢みたいな時間を。幻想のような空間を。

 寝て見る夢が幻想ならば、起きて見る夢は理想。桃色の風は、優しくそよぐ。

「では、乾杯っ!」

 澄んだグラスの音が、今は住み人を持ち得ぬ旧邸に響く。それは一つの終着にして、一つの始まりの合図であった。

「まさか、遥人さんに先を越されるなんて」

「は?」

 奈央さんの呟きを、俺は聞き逃さなかった。先を越されるって何を?奈央さんは笑って誤魔化した。

「やっぱり遥人さん、サプライズは好きなんですねー」

 いつも通り、掴み所のない笑顔で言った真央さん。どうしてだろう?俺以外の全員が、その意味を知ってるみたいな。

「遥人くん。明日から私も君と同じ学校に通うことになる。よろしく頼むよ」

「あ、はい。用務員初出勤ですよね、頑張ってくださいよ」

 なんだろうなぁ……秋隆さんがわざわざこのタイミングで言ったのが気になるんだよなぁ。

(ついに、明日だね)

(うん。明日の朝は楽しくなるよ)

 それは、遥人にのみ晒されることなく。密かに密かに、進められた計画。明日、彼らの生活は、新しい形となるのだ。

「あーくそ。よくわかんないけど……みんな飲めよー!」

「「飲むぞーっ!」」

 桜の季節、桃色の幻想。彼らにとっての夢とは、その光景かこの日々か。それはきっと―――


『素直な気持ち、起きて見る夢』


 こんな一日
 そんな日常




なんとか、内容的には計画通りにここまでたどり着けました。さて、ここからは……


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