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  日常賛歌 作者:しろくろ
第五十五話 虹と宝と見えるもの
 三月中旬。咲き始めた草花の色さえも褪せる程の、大きな七色の幻想。

 ついさっきまで草木を濡らしていた雨はあがり、空には虹が架かっている。

 ベランダに出た遥人が見た七色の空は、彼が最近悩まされている慢性的な眠気を吹き飛ばすのに充分な輝きを放っていた。

 しばらく空を見つめていた遥人が一つ欠伸をすると、後ろから歩み寄る者の気配に気づく。

 不意に、背中に何かが覆い被さる。自分の腰に回された腕を見て、半ば呆れ気味にため息を吐く。

「どうしたの?真央さん」

 こんな風にじゃれてくる人間は、我が家には一人しかいない。いや、我が家でなくても彼女くらいのもので。

「んー、温かいですー」

 何とも安心しきった声。それはやはり彼女のもので、温かいのは俺の背中のことだろうか。

 遥人の背中に頬をあててしがみつく真央。たまに苦しそうに見える彼の背中も、何だか今は安らぎに浸っている様子だ。

「遥人さん。虹ですよ」

 依然、後ろから語りかける真央。遥人はと言えば、特に気にするでもなく再び空を見上げている。

「うん、虹だね」

 ただ、じっと空を見つめている遥人。どんな顔をしているのか、真央からは見えない。

 しかし、笑っているんじゃないかなと思った。背中で感じることができるのは、なにも体温だけじゃないから。

「……綺麗ですねぇ」

 今度は遥人の肩口からひょっこりと顔を出す。瞬き一つしない彼女の視線につられるように、こちらもひたすらに空を見上げる。

「そりゃあ綺麗だろ。根元には宝が埋まってるくらいだから」

「―――そういえば、そんな話がありますね」

 ほとんど、意識せずに出た言葉だった。しかし、虹の綺麗さすら微妙に皮肉ってしまう自分の性格はどうなんだろう。

 かつて、親父が話してくれたことがある。宝ってのは金銀財宝のことなんかじゃなく、そいつの大切なものを指すんだと。

 人一人がてめーの大切にしてるものを埋めていったのだから、虹があれくらい綺麗じゃなきゃ割に合わない。そんな話をしていた。

 確かその話を聞いてたときの俺は、幾分か呆れていた記憶がある。その宝を埋めた人に対して、だ。

「その宝を埋めた人、馬鹿だよなぁ」

 本音ってのはいつも『実家に帰らせていただきます』みたいな雰囲気で口から飛び出していく。

 もうおまえは奥さんかと。そして俺の口内ではあまり幸せな家庭が気づけていないのかと。

 しかし、そんな俺の本音に、真央さんは首を傾げこちらを向いた。いや、肩の位置に顔がある時点で近すぎます。

「馬鹿、ですか?むしろ私は、よく考えたなって思ってましたけど」

「……そうか?」

 なかなか興味深い。同じ話を聞きながら、俺とまったく逆の答えを出すとは。

 俺の問いに真央さんは、肩につけていた顔を背中に戻しつつ答えた。近すぎて恥ずかしかったのは、真央さんも同じらしい。

「だって、虹の根元なんてどれだけ進んでもたどり着けないでしょう?そこに隠しておけば、宝が他の手に渡ることもまずありませんし」

 俺の背中にぐりぐりと頭を押し付けながら、どことなく恥ずかしそうに答えた。

 発言するのが恥ずかしくて困ってる小学生みたいで、なんとなく可愛い。ただ、俺自身は発言自体に恥ずかしさを感じなかった。

 当たり前のことだろうと、そう思っていることだったから。

「宝を隠そうって発想が、まず変だと思うんだよなぁ」

 今は顔ごと俺の背中に密着中の真央さんを差し置き、未だに空から目を離さないでいる。いや、目を離させないんだ。

 なんかこう、こんな風に密着してると妙に恥ずかしいんだよね。いつもとはちょっと、違う感じ。

 照れ隠しにひたすら空を眺めているわけだが、思考の方は意外とスムーズだ。

「自分の大事なもんはさ。抱き抱えて包み込むか、背負って進むかのどっちかだろ。てめーの手から離してどすんのって」

 誰にも傷つけられない場所に置くのは間違ってない。でも、自分の手の届かない所じゃ。自分が見守ってやれない場所じゃ、意味がない。

「遥人さんは……背負って進む人ですね」

 背後から真央さんが言った。今の自分の位置からしても、守ってもらっている感のある真央。背負われているのは、おそらく自分。

「虹に隠す人はそう、奈央ちゃんあたりがそうですね。大事なものは遠くに置いて、自分は見えないところで戦うんですよ」

 それにしたって、隠されているのは自分だ。大切にされてるという事実は嬉しいけど、同時に情けなさも感じる。

「確かに、ぴったりだわ。俺なんか今まさに、背負ってるみたいだしね」

 そう言って笑った遥人だが、こちらも同時にあることに気づく。自分の小さな背中では、背負えるものなんか一つだけなんだってこと。

 それは何だか、酷く心を揺さぶる事実で。もっと、背負っていきたいものがたくさんあるから。

 せめて、あと一つ。虹から遠く離れたどこかで戦い続ける、彼女だけは。自分が背負っていかないといけないのに。

「やっぱ俺、間違ってんのかな?……自分の側に置き続けるなんて、できるもんじゃないのかね」

 大切なものだから。いっしょにいたい。背負ってでも抱き抱えてでも、いっしょに居続けたいけど。

 始めからそれができないとわかっていたなら、俺だって虹に隠そうとするさ。多分、彼女はそれがわかっているんだろう。

 それならいつか、絶対に何かを手放さなきゃならない日が来る。そんとき俺は、虹を見て何を思うやら。


「大丈夫、ですよ」

 来るのかもわからない未来に悩んでいる俺に、真央さんはやけに明確にそう言った。

 ずっと背中に張り付いていたのに、いつの間にかすぐ隣で俺の手を握っていた。

「ずっと背負われたままでいようなんて、思っていません。私は、このままではいない」

 唖然とする俺に微笑みかける彼女。おかしいな。この娘はいつから、こんな風に笑うようになったんだろう?

「いつか、こうやって。背負われるでも、抱かれるのでもなく。隣でいっしょに歩けたらいいなって」

 この娘の背中は、こんなに大きかったっけ?この瞳は、こんなにも遠くを見据えていたっけ?

 そっか。ずっと、背負ったままだから気づけなかった。この娘はきっと、気づかれぬよう声さえ出さずに背中で泣いてたんだ。

 泣いて泣いて、涙まみれのその瞳は、ついには一つの覚悟を決めた。

 俺が見てないその間に、歯を食い縛って決めたその覚悟。ずっと背中を見つめいたその瞳が、遠くを見据え始めた。

 そうだよ。こうやってだんだん、背負ったものは降りていく。そして、隣にきて支えてくれる。

 手を繋いで包み込むならば、護れるものだって増える。そしたらもう、虹なんていらない。

「――なら、背中が空くまで。もう少し頑張りますかね」

 本当は、頑張ってなんかいないけど。俺はただ、好きで背負ってるだけだから。苦しみなんか、ないわけで。

「はい。もう少しだけ、お願いしますねっ」

 そう言うと、真央さんは再び背中に飛び付いた。どうやら気に入ったらしく、またも頬をくっつけている。

 いや、真央さん落ち着け。何もくっついてるのは頬だけじゃないんだぞ?それはもう体のあらゆる所がだな……。

 いやいやいやいや、俺が落ち着け!純粋に甘えてきてくれるいたいけな女の子をそんな風にしか見れなくなったらお仕舞いだから!

「遥人さん……なかなか反応しませんねぇ」

「ちょっと待て。今の呟きはなんだ!?」

 なんか、なんかこう、とんでもない発言だった気がするぞ?反応って何が何にだよ!?

「本宮さんが、こうすると多分悦ぶよって」

 あんのアマぁぁぁぁ!いたいけな女の子に何を刷り込んでんだボケェェ!

「そして何気にその漢字の使い方もあぶないから、やめような?」

「……よくわかりませんけど、やめた方がいいんですか?」

「わからなくていいから。……あ、でもこうやってくっつくのは別に止めなくても」

 あ、今ちょっとよこしまな本音が実家に帰った。また俺の口内で一つの家庭が崩壊いたしました。

 てかとりあえず、今後本宮とは関わらせないようにしよう。あいつは駄目だ。なんかもうあらゆる意味で駄目だ。

「本当ですか?じゃあ今日は、もうしばらくこうしてましょうね」

「まじすか……」

 なんだろうこの、嬉しさと苦しさの二重奏は。もうしばらくってどれくらい?俺の理性は持つの?

 ちょっ、頬をすりすりしないで!それ案外、別の何かもすりすりとあれしてるからあれちょっとォォォ!

 とりあえず虹を見ろ!虹を見て心を清めるんだ!集中しろ、集中しろ集中しろ集中しろ集中しろ!

 あれ?なんかだんだん虹がバームクーヘンに見えてきた。なんか腹減ったな……ん?俺って意外と切り替え早いなオイ!


「遥人さん。私、まだしばらくは背中にいますからね」

「……わかってるよ」

 急に、なんとなく改まった声になったように思う。気のせいか、腰に回された腕にも力が加わったように感じる。

 今まではくっついていた彼女が、その言葉と同時に俺を抱き締めるような形になったのだ。背中に顔をうずめているのがわかる。

「真央さん……?いったいどうし」

「背中にいる間は。……あなたが泣いても、私は気づきませんよ」

 そんなことを言うもんだから、俺も体の密着度を気にしている場合じゃなくなった。目線を地面に落とす。

「涙で地面が濡れりゃ、気づいちゃうだろ」

「雨が降れば、濡れた地面が隠してくれますよ」

 地面を見た俺とは逆に、彼女がしたのは空の話。ただ、視界には未だに俺の背中しかないはずだ。

「でも俺は、一度泣いたらなかなか笑えない。空みたいに、雨の後にすぐ虹なんかでない」

「だったら、雨が止むまでに泣きつくせばいいんです」

 俺に気を遣ってくれるのはわかる。でも俺にとっては、やせ我慢するなって方がよっぽど難しいんだ。

「泣きつくしても。結局、また笑えるのはずっと先だよ」

 そんな風に。泣きはらした顔でときを過ごしたくなんかないから。だったら俺は、ずっと笑って……。

「笑えますよ、すぐに。だってそうでしょう?雨の後の空には」

 はっとして、再び空を見た。自然と、俺は笑っていた。空に架かる七色が、あまりにも綺麗すぎて。

 おかしいな。俺は、真央さんに説得されるために空を見てたんだっけ?まったく、相変わらずの策士なこって。

 でもまぁ、有難い話だ。こんな娘がいつも側にいてくれるんなら、我慢なんて必要ないのかもしれない。

「幸せですね。遥人さんと、あんな綺麗な虹を見ていられるんですから」

 また、恥ずかしいことを言ってくれる。顔が見えないから照れていても気づかれないもんな。

 しかし、何故だろう?密着していた彼女の頬が赤らんでいくのが、徐々に熱を帯びていくのがわかった気がした。

「てか、そんな背中に顔をくっつけてたら虹なんて見えないだろが」

 何だかんだ言って、さっきからずっとこうしたままだ。それじゃあ、見えるのは俺の背中くらいだよ?

 しかし、真央さんは笑った。見えないんだけど、今は確かに笑った。多分、ものすごい可愛らしい笑顔で。

「大丈夫、ですよ。もっと素敵なものが、見える気がしますから」

 ……いや、なんかロマンチックな感じの発言してるけどさ。それ、たかが俺の背中だからね?

 突っ込まないけどね!

 しかしながら、さすがにその発言で恥ずかしさが度を越えたらしい。真央さんはようやく俺の背中から離れた。

 振り返り彼女の様子を窺おうとする俺だが、彼女はすでに室内の方を向いてしまっているため表情すら見えない。

「もう、中に戻る?」

 微妙な間を取り繕うために、そう聞いてみることにした。彼女は答えなかったけど、代わりに不思議なことを言い始めた。

「遥人さん。サプライズは、好きですか?」

「サプライズ?」

 俺が返答する前に、真央さんは室内に向かって走り出してしまった。慌てて追いかける俺。

「ちょっ、真央さんそれってどういう……おぉっ!?」

 俺も走り出したのだけど、その途端になんと真央さんが足を滑らせた。さっきまでの雨で濡れていたところを急に走るから。

 しかし、俺も急には止まれない。結果、急停止に失敗した俺の体は、今まさに倒れようとしている真央さんの落下点に滑りこんだ。

 完全に倒れて地面でおねんね状態の俺。その上には、うまく俺の上に倒れた真央さんが尻餅をつく形で座っている。

「……これ、サプライズ?」

「あぁ、ごめんなさい!その、違うんですよー!」

 オイぃ!余程恥ずかしかったのはわかるけど、違うんですって言いながら逃げるなよ!

「真央さん待って!結局サプライズって何なんだよぉぉぉ!」

 しばらくの鬼ごっこの末捕まった真央。しかし、サプライズの真相が遥人に告げられることはなかったという。

(四月まで、待っててくださいよ。そうすれば……)

 そんな思惑も隠されながら、虹の一日は終わりを告げるのであった。


 こんな一日
 そんな日常


何を書けばいいやら。迷いながら進んだら、なんかこんな話になった。そんな第五十五話です。


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