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  日常賛歌 作者:しろくろ
第五十一話 ご招待は甘くない
 こんにちは、奈央です。

 と、いきなり挨拶してみたものの、気分はどちらかというとおやすみなさいしたい状態で、いやもうなんて言うか、人生さようならみたいな?

 ああもうなんて言うか、言葉にできない。らーらーらー、ららーらー言葉に、できなーい。日本生め……いやCMとかではなく。

 目の前の光景が信じられない。信じたくない。いろいろと、終わっちゃう気がするから。

 よし、とりあえず落ち着こう。落ち着くにはまず、生命保険。この書類にサインしてください。しましたね?

 ハイハイなるほどねー、確かに、本人の筆跡と見て間違いない。完璧だ。

 しかし、完璧過ぎる。故に私はたどり着く。幾重もの雲の向こうに隠れし真実という名の太陽に。

 そう、おまえがルパンだ!



 さて、深呼吸だ。深呼吸をしよう。それから死のう。世界の中心たる場所で愛というより哀を叫びながら死のう。

 もうなんなの?私は何?どうしてこんなにも奇妙な発言を繰り返しているの?

 とりあえず本当にまずは深呼吸だよね。はい、吸ってー、吐いてー吐いてー吐いてー吐いてーもう死ぬしかないよね……。

「……奈央さん。そろそろ現実逃避はやめましょうか」

 相変わらず抑揚もなく、淡々と発された言葉。しかし、私の傷んだ思考回路を元に戻す効果があったらしい。

 やっと、我に帰る。現実と現実とを直視し、それらと向き合って見る。

 結論を言おう。……帰っていいですか?土に。還りたいです、土に。

「なんでもいいですけど、姉の義務としてあっちでひたすら店の壁に頭を打ち付けている真央さんをどうにかしてください」

「真央ちゃん気を確かに!目に見えるものが真実ではないっていうか目に見えるものなんて信じないよね!」

「あなたもですよ。気を確かにお願いします」

「嫌ですよ!気を確かに持つと見えちゃいますもん。絶対に集中とかしませんからかね」

「あれ?奈央ちゃんコレ、コレもしかして幻覚なんじゃない?何だか意識を彼方にすっ飛ばすと眼球に写らなくなるし」

「人を幻覚扱いするのはやめてください。というか、そろそろ状況を説明しましょうよ」

 うん、これ以上ないくらいの正論でした。しかし、認めたくないものを説明するっていうのは軽い自己否定なわけでして。

「ゴタクはいいから、速く」

「真央ちゃんあなたは私の見方だったよね?」

「奈央ちゃんが説明しないと私がするはめになるでしょーが」

 それも正論なんだけど、限りなく納得できない。納得したら負けな気がする。

 まあもう面倒なんで、手っ取り早く説明しちゃいますとですね。

『働いたら負けな気がする。しかし、働かれたら負けな気もする』

 つまり、そういうこと。社会の歯車として際限なくでき損ないだった私たちの合い言葉は、そのまま地球を一周して私たちの後頭部に突き刺さったのだ。

「まさか、あなたが働くとは思いませんでしたよ。織崎さん」

 ここは喫茶店『ノワール』。紫音の奉公先であるこの店に姉妹がいるのには理由がある。

(バイトを初めて一週間。遥人さんを呼ぶにはまだ自信がないけど……)

「つまり、私たちがあなたのバイト先ご招待の実験台になったと」

「嫌ですか?」

「嫌ではないけど不愉快です♪」

 真央ちゃんそれはつまり嫌ってことだから!もうその笑顔はヤメテ!12禁だから!十二歳以下観覧禁止だから!

 もうそれ、子供が泡吹いて倒れるレベルだからね……。

「……いいじゃないですか。飲み物くらいは奢りますから」

「私コーヒーで」
「私もコーヒーで」

 すかさずコーヒーを注文した二人だが、別にコーヒーが飲みたかったわけではないらしい。

(こういうところってコーヒーを注文するものなんだよね?)

(うん。しないと多分なめられるもん)

 ただの壊滅的な無知故に、そして少しばかりの背伸び故に。本来あまり、好んでは飲まないのだが。

「かしこまりました。では真央さん。微糖でよろしいですか?」

「も、もちろん微糖でお願いします!」

 真央ちゃんあなた微糖なんて飲めないでしょーが。あまり無理すると余計に恥をかくに違いない。

 しかし、私は大丈夫。微糖くらいは飲めるもんね!余裕で微笑んでみたり。

「奈央さんも無糖でよろしいですね?」

「はいもちろん……へ?今なんて?」

「奈央ちゃんすごーい!無糖なんて飲めるの?」

「織崎さんちょっとォォォォ!それ絶対狙いましたよねぇ!?わざわざ『奈央さんも』って言いましたもんね?えぇちょっとどうなんですかコノヤロー!!」

「店長、微糖一つ無糖一つお願いします」

「待てェェェェ!!」

「……世の中そんなに甘くない」

「有難い訓辞ですけど、コーヒーと関連付ける必要はこれっぽっちもありませんからね?」

 甘くないのは世の中というよりあなたの態度だろうが、と胸に込み上げる思いをぐっと堪えた奈央。

 運ばれて来たコーヒーはこれでもかってくらい真っ黒で、人情の欠片も見出だすことのできぬ漆黒であった。

「コーヒーでございます」

 優雅な足取りでコーヒーを運んで来た紫音。これぞ店主の教育の賜物なのか、働き始めて僅か一週間とは思えぬ洗練された動きである。

「コーヒーでございます、じゃありませんよ!何ですかこの暗黒物質は!」

「コーヒーでございます」

「そんなことはわかってるんですよ!なんで本当に無糖なんですか?もうコレ私にとっては飲み物でも何でもないんですけどっ!」

「コーヒーでございます」

「悪魔かっ!いやむしろ九官鳥?」

「コーヒーでございます」

「あなたですよあなた!いったいなんなんで」

「コーヒーでございま」

「店長を出せェェェェ!」

 もてあそぶ紫音、キレる奈央。そして、事態を静観していた真央がおもむろに無糖コーヒーを手に取った。

「真央ちゃん?まさかそれ飲む気じゃ……」

 真央はぶんぶんと大きく首を振った。笑顔で。そして手に持ったコーヒーを奈央に差し出す。

「コーヒーでございます」

「真似してみたかっただけっ!?」

 可愛い。そのお茶目さと照れたようにはにかんだ表情。是非アルバムの一ページにしたい。

 でも、いくら真央ちゃんが勧めるとはいえ、無理。

「私の頼みを断るの?」

「真央ちゃん、そんな目で私を見ないで。無理なんだってば」

「私の嫌がらせを受け取ってくれないんですか?」

「アイロンかけて送り返したるわボケ」

 そろそろ対応に疲れ、そこはかとなくあばずれ始めた奈央。まだ温かいコーヒーは香ばし香りをたてている。

 ただまぁ、ここでようやく奈央にも助け船らしきものが来たようだ。

「あら、あまりお客様をいじめちゃダメよ?」

 紫音の行動を止め、戒めるように私たちの間に入りこんで来た女性。

 店主である黒は相変わらずの浮世離れしていると言える出で立ち。

 髪は自らの身長に近い長さ、服装は何故か店の雰囲気を損ねない着物姿。

 初見の姉妹がその存在に対し、唖然としてしばらく硬直したのも頷けると言えよう彼女の姿。

「あ……すみません、店長。つい、可愛かったから」

 紫音がそそくさと頭を下げる。ただ、店主自身も別段怒っている風ではないため、その謝罪に真剣味とか切迫感といったものはない。

「いいのよ。気持ちはわかるから」

 いいのかよ!と、ようやく状況を理解した奈央が突っ込んだのは心の中だけのことであった。

「ただ、勿体無いでしょう?自分が望んで手に入れたもの。大切にしなくちゃならないわ」

 そう言うと店主は無糖コーヒーをいっき飲みしてみせた。天然水じゃないんだから、と言いたくなる程の勢いである。

「それと、もう少ししたらお客を入れるから。話は早めに済ませなさいね」

 頷く紫音を横目に、首を傾げた奈央と真央の両者。コーヒーを飲んでくれたことに感謝しつつ、奈央は疑問を口にした。

「お客を入れるからって、今は準備中にでもしてあるんですか?」

 今は普通なら絶賛営業時間のはずなのに、さっきから私たち以外の客が一人もいない。

 まさか、紫音さんが招待した私たちに気を遣って店の前の看板を『準備中』にしてあるのだろうか?

「そんなことないわよ?ただ、そろそろ入れようかなって」

 さも当然であるかのように言うものだから、姉妹の混乱は尚更深まる。次に口を開いたのは真央だった。

「こうやって営業している以上、お客はお店の意思で入ったり入らなかったりするものではないでしょう?」

 それこそまっとうな意見なのに、店主と紫音は顔を見合わせて笑った。

「紫音ちゃんと同じことを聞くのね」

 もともとどこか締まりのないにやけた表情だった店主だが、今は明らかに愉快そうにしている。

「できるわよ。客の出入りを自分の意思通りコントロールすることくらい」

 幼子のぼくわたし魔法使えますとはわけが違った。いかにも怪しい女性が、いかにも実現できそうに言ったのだ。

「そんなこと」

「できるわよ。私の店だもの」

 納得できるようで、納得できない。それは当然といえば当然で、ついでに理解することさえできなかった。

「仮に、そんなことができるとして。どうしてわざわざ客を減らすんですか?」

 そんな魔法が使えたとするならば、客を増やして繁盛させるのが普通なのではないかと。

「だって、傲慢でしょう?手に入るもの全て、自分のものにしようだなんて」

 手に入るものなら、たくさんある。でも、その全てを受け入れて全部大切にするなんて。そんなこと、できるわけないから。

「ちなみに私がコントロールできるのは、最初から店に入る意思のある者だけ」

 最初から入る気のなかったものを客とすることはできない。私にできるのは、手に入れられるものの取捨選択である。

 そう、店主は言った。そうやって彼女は、今まで一人で店を切り盛りしてきた。自分が請け負える客だけを選んで店に入れて来た。

 だが、今は違う。紫音がいるから。二人なら、背負えるものだって増えるから。

「ま、そういうことよ」

 そう締め括られた話だが、正直なところ姉妹にはいまいち理解ができなかった。

 真央なんかは、途中から理解することを諦めて微糖コーヒーをちびちびと飲み始めていた。

 店主も店主で、これ以上説明する気はないらしい。ついでに話すことさえもうなかったらしく、さっさと奥に引っ込んでしまった。

「不思議な人、ですね」

 そんな感想を口にするのがやっと。どうも常識の範疇から逸脱した話だったせいか、奈央もついていくことができなかった。

 そんな奈央の状態に同じ質問をした日の自分を重ねつつ、紫音はやはり無表情のまま口を開いた。

「……もうすぐ、一般客が来るようになります。その前に、一応いっておきたいことがあるんです」

 コーヒーと格闘中の真央も、何やら話し始める紫音の方に目を向けた。

「あなたたちは、ニートです」

「もうそれはいったいなんの話しなんですか……」

「とりあえず、いきなり腹の立つ出だしですね」

 真顔で語られる第一声がそれでは、ほのかな緊張感を持っていた姉妹もただ文句を垂れるばかりである。

「だってそうでしょう?あなたたちは学校にも行ってない。悪く言えば現代日本負の象徴引きこもりニートです」

「この前まで間違いなくその引きこもりニートだった奴が言わないでください」

 あまりにも核心すぎて、奈央にはただ紫音の過去の汚点を突きつけることしかできない。

「ちなみに私は今、フリーターに昇格しました」

「だから何ですか?」

「私はフリーター。あなたたちはニート。ここに、大きな大きな壁が生まれたわけです」

 何とも誇らしげに、それでいて姉妹を蔑ましたような表情で言った紫音。そこには、普段ニートニートと虐められていた秋隆の復讐も兼ねられていた。

「だから、それがなんですか?そうやって優越感に浸りたいだけなんですか?」

 紫音の態度に外面笑顔で内面ぶちギレ状態の真央。それを見て恐怖から黙りこんでしまった奈央。

 しかし、紫音は首を横に振った。そして、ある意味決定的な一言を口にした。

「いいえ。ただ、あなたたちのような人間に、遥人さんは任せられないと。それだけのことです」

 その瞬間、漫画とかで大魔王が放ってるどす黒いオーラを、どう見ても笑顔の真央が放った。

「何を言ってるんですか?あなたはただ、社会の歯車に成り下がっただけでしょう?そんな人にこそ、遥人さんは任せられませんね」

「社会の歯車になれない人よりはいくらかマシかと」

「あんた輪廻転生の螺旋に叩きこんでやる」

 どこまでも正論であったため、反論することが叶わない。真央は悔しそうに拳を握る。

「……いえ、言いたかったのはそんなことじゃなくてですね」

「じゃあ今のは何?本心ですよね?隠しきれなかった本心ですよね?」

「まぁ、遥人さんはいずれいただくとして」

「野心を隠せ!」

 奈央がここぞとばかりに突っ込むも、紫音は全く動じない。その意思は確固たるものだから。

「私が言いたかったのは、そんなことじゃないんです」

 なら、何なんですか?と、痺れを切らした真央が言った。遥人を取られる心配からか、若干まだ苛立っている様子。

「あなたたちは言ったそうですね。普通の幸せが欲しいと」

 あの夏の日を思いだし、懐かしい気持ちになりながら頷く二人。紫音はさらに続けた。

「なら、普通でない生活に甘えないでください。普通の生活に立ち向かってください」

 先ほどの経過と会話の流れから、紫音が暗に言いたいことを同時に察知した二人。

「学校、どうして行かないんですか?それは、普通の幸せなはずでしょう?」

 ずっと、姉妹が逃げてきたこと。普通の生活を望みながら、学校に行くというごく当たり前な普通から逃げていたのだ。

「なかなか、きついことを言ってくれますね」

 奈央が動揺しながらもそう言った。まさか、遥人さえ言わなかったこの事実を、紫音が言うとは思わなかったのだ。

「はい。だって、あなたたちは言ってくれたから。私はそれが、すごく嬉しかったから」

 自分の間違いを、弱さを突きつけてくれた姉妹。その厳しさは、確かに紫音の心を動かした。だから。

「だから、私も言います。逃げないでって」

 そんなこと、奈央も真央もわかっていた。でも、踏み出せない一歩があって。

「わかりましたよ。あなたに言われて、黙っているわけにはいきませんから」

 彼女は強い。紫音は知っていた。自分の間違いを指摘してくれた彼女、奈央の強さを。

 ただ、もう一人の少女は。甘えることばかりが先行し、姉のような強さを持てずにいる彼女は。

 果たして、心を動かしてくれるのだろうか?

「……織崎さん」

 彼女、真央は堂々と、紫音の前に立った。そして言った。それはさしずめ、宣戦布告である。

「あなたに、あの人は譲りませんから」

 その言葉が、彼女の決意の現れだと悟った紫音。ある種の達成感を覚えた彼女も、やはり凛と立ち真央に向き合った。

「こちらこそ、渡しませんからね」

 二人はにこりと笑うと、互いに振り返り反対の道を歩き出した。

「奈央ちゃん、帰ろう」

「店長、そろそろ次のお客を入れましょう」

 互いに、もう一度振り返ることはない。ただ、一つの決意を胸に歩き出す。

 真央が店の扉を開け、外に出る。紫音が、コーヒーカップを下げカウンターの向こうに消える。

 その瞬間。同時だった。

「「望むところです」」

 不敵に笑う両者。戦いが始まったのだ。勝利条件は、自分が成長すること。

 互いに歩み行く先はそう、高みである。

 微妙に取り残され気味な奈央も、春休み明けに新生活を迎える覚悟を決めつつ、店を後にした。

 そんな、ある日の一幕。ある日の出来事。



 こんな一日
 そんな日常


なんだか久々にコメディに徹した気が。そして、一話ごとに長さの平均がどんどん上がっていったり。


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