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  日常賛歌 作者:しろくろ
第二十九話 強行手段とカウンター
 寒い。

 いつものように目を覚ました真央が感じたのは、いつもとは違う感覚。

 自分を包んでいたはずの布団はベッドからずり落ち、だらしなく垂れている。

 私には辛うじて毛布が一枚残ったのだけど、それもいくらか気休めになる程度。

 どうしようもない寒さ。それはいつかどこかで味わったようで、いつもどこでも感じていたことで。

 寒い。体なんかじゃない。もっと奥深く、私という人間の底の部分。

 いつも感じていたはずの、凍えるような寒さ。いつかそれを、苦しいと感じなくなってしまった。

 今、かじかんだ私の手がうまく動かないように。

 辛ささえも、うまく感じ取れなかったあの頃。

 でもね、今は感じるんだ。辛いって、苦しいって。

 それはきっと、暖かい光に出逢えたから。麻痺した感覚は、少しずつ元に戻っていった。

 感じ取れなくなっていたいろんなことが、溶けた氷のその水が、流れこんでくるようで。

「寒い……ストーブ……おこたつ…」

 おはようございます、真央です。寒いです。

 どれくらいの気温だとかはよくわからないけど、とにかく寒いです。

 ちなみに、今日は前回と時間軸が一緒らしいです。つまり、今は奈央ちゃんと織崎さんが買い物に行ってます。

 なぜそんなことを知っているのか?なぜでしょう、ふしぎですねー。


 さて、あまりの寒さにちょっと物思いに更けてしまったわけだが、要するに目的は暖をとること。

 やっぱり早く居間に行こう。居間にはストーブもあるしこたつもある。それに、遥人さんもきっとあそこにいる。

 うん、完璧。

 考えただけでも極上の空間。それに心を踊らせて、ついでにその身を震わせて、目指すは居間。あの人のもと。

 冷たいフローリングの床を爪先立ちでくぐり抜け、辿り着いたよドアの前。


 このドアの向こうでは、暖房器具がせっせと働いていることだろう。

 ただし、彼らの仕事は今より変わる。部屋を暖めることから、私を暖めることに変わる。

 ……はずだったんだけどなぁ。

 意気揚々とドアを開けた真央を包みこんだのは、予定通りの暖気ではなかった。

 風?私の期待を一瞬で打ち砕くがごとき冷気。明らかに外から吹いている風が真央を包んだ。

「………寒っ」

 辺りを見渡すと、最初に見えたのが窓。季節を勘違いしたように開け放たれている。

 真央を襲った冷風の発生源であろう窓。そして、当然稼働していない暖房器具たち。

 真央にとってその暖房器具の一つである遥人は、部屋の隅で布団を被って震えていた。

 一見何かに怯えているようにも見えるけど、あれは明らかに寒さに震えている。

「……何やってるんですか、遥人さん」

 窓を開けて暖房器具を止めた部屋にいるなんて、ちょっとMなんじゃないかってくらいの奇行だ。

「……あ、真央さん。おはよう」

「おはようっていうかもうおやすみしちゃいそうですよ」

 寝るなー。寝たら死ぬぞー、みたいな状態だよね、これは。

「窓開けたの遥人さんでしょう?掃除でもしたんですか?」

 これくらいしか理由が思いつかないのに、遥人は首を横に振った。

「いや、これには深いわけが」

 朝早くやって来た紫音に服屋に連れてかれた奈央。

 この寒い中外出させられる自分を横目に、こたつでぬくぬくと暖まる遥人。

 それがどうも納得いかなくて、奈央は遥人に一言残していくことにした。

「遥人さん」

「ん、何?出かけるなら早く行ったら?」

 このヤロー、他人事だと思ってよくもそんなことを。

 元を辿れば織崎さんをコンサートなんかに誘ったあんたのせいなのに。

「遥人さん。この部屋なんだかイカ臭いんですけど」

「はっ!?」

「朝から一人で何やってたんですか?」

「何もやってねぇよ!いやそれより、意味わかって言ってんのか?」

「きゃーふけつー」

「聞いてねぇし!てか何で棒読み?あと意味は的確に理解してるんだな」

「常識でしょう」

「嫌な常識だなぁ。え、本気で匂う?」

「匂いますよ。ついでに遥人さんから加齢臭」

「ふざけろ!絶対嘘だろーが!」

「きゃーふけつー。じゃあ行ってきまーす」

「おい!そこで行っちゃうのかよっ!」



「で、やましいことがあるんですか?」

 布団を被ってうずくまっている俺を見下ろして、真央さんは呆れたようにそう言った。

「あるわけないだろー」

「棒読みは微妙に怪しいんですけど。それに、だったら窓開ける必要ないでしょう」

 かなり的を得た意見なんだけど、さっきの話を『うわぁ、くだらねー』って顔して聞いていた真央さんにはわかるまい。

「大切なマイホームがイカ臭いだなんて言われたら、たとえ嘘っぽくても放置なんてできない」

 嘘っぽいって言うか全面的に、これでもかってくらい嘘だと思うのだけど。

 だいたいやましいことがない以上、うちからイカの匂いがするはずがない。

 そもそも遥人さんがイカ嫌いなため我が家では食卓にイカが並ぶことはないのだから。

 それに加齢臭って。遥人さんからそんな匂いがしたら、今頃私は彼を冷水の中に叩き混んで、なおかつファブ○ーズ漬けにしている。

「いい加減換気はすんだでしょう。窓、閉めますよ」

 せっかく極上のぬくもりの中に身を置けると思ったのに。

 奈央ちゃんがいないとなれば、申し訳ないけど随分気も楽だし。

「ダメだって。まだ布とかに匂いが染み付いてる」

 どれだけ潔癖症なの?しかし、自分で匂いはわからないのだろうか。

「布くらいファブ○ーズ使えば良いでしょう。てかまず自分で匂い嗅ぎましょう?」

「俺はリ○ッシュ派なんだよね。いやさ、ちょっと風邪気味で鼻の調子が」

 それ絶対風邪ですって!こんな寒い所にいれば当たり前でしょう。

「もう窓閉めなくてもいいから、とにかく部屋を移動してください。風邪が悪化しちゃいますよ」

 そんなにもマイホームが心配なのか、私にはちょっと理解できないけど。

 でも、この家は私にとっても大切な場所だから。やっぱり心配にはなるよね。

 だから、換気は勝手にすれば良い。ただ、遥人さんまでここにいなくても。

「ほら、早く移動しましょう」

 そう言って差し伸べた手を、握りかけてやめてしまった彼。どうして?

「……加齢臭…風にあたらないと……」

 それを気にしてたっ!?どうやら彼は、意外にもかなりデリケートらしい。

「俺まだ十六なのに……加齢臭とか……」

 ものすごく落ち込んでるらしい。まさか奈央ちゃんもここまで効果があるとは思わなかっただろう。

「そんなの気のせいですって。それに、ここにいたら寒いでしょう」

「寒くない」

「震えてるじゃないですか」

「武者震い」

 彼はいったい何に奮い立っているのだろう?正直私は寒いんですけど。

「遥人さん、奈央ちゃんがうつったんですか?」

「いや、俺は別に意地はってるわけじゃないから」

 それ自覚ありますよね?あと、奈央ちゃんの認識って見事に一致してるんだなぁ。

「寒いんでしょう」

「寒くない」

「毛布、何で被ってるんですか?やっぱり寒いんじゃ」

 そう言うと彼は、毛布を投げ捨てて空元気全開で立ち上がった。

「ほーら、全然寒くない!いやむしろなんとなく熱いくらいで」

 それ熱があるんじゃないんですか!?

 どこかいつもと違う反応をする彼はなかなか面白いが、そろそろ本気で移動させないとまずそう。

「とにかく、窓はまだ閉めないし俺もしばらく風にあたる!」

 いつもの柔軟でちょっとひねくれた対応と違う。やっぱり遥人さんらしくない。

 もしかして彼は密かに自分の体臭を気にしていたのだろうか。

 いや、ただ思ったよりデリケートで割と騙されやすいだけかもしれないけど。

 まぁ、どんな理由にしても今はどうでもいい。大事なのは遥人さんが風邪を悪化させる前に移動させること。

 しかたないから強行手段に出よう。そう決断すると、自然に笑みが溢れた。

「遥人さん」

「寒くない!って……え?」

 だきっ。

「え、その……奈央さん?」

 強行手段。私は彼に抱きついて胸に顔をうずめた。そして、匂いチェック。

 くんくん。

「ほら、全然臭くないじゃないですか」

 どうでもいいけど、あの洗濯用洗剤のCM。人様の亭主の布団嗅いで、さも意外そうに『臭くなーい』はないだろう。

 それに比べたら、今の私の場合は臭くないことは確信していたけど。

「臭くない?本当か!?」

 すごく嬉しそうに言ったあたり、本気で奈央ちゃんの言葉を信じていたらしい。

 ごめんなさい、遥人さん。今一瞬、本気で『こいつ馬鹿だろ』って思っちゃいました。

「本当ですよ。だからもう風にあたる必要もありません」

「……んー。でもほら、念のためもう少しさぁ」

 私の力強い断定をスルーして意地を張り続ける彼。疑心暗鬼ってやつだろうか?

 でもいいんだ。私は最後のひと押しを用意してあるから。

「別に、それならそれで良いですよ。私がこうして暖め続ければ良いだけの話ですから」

 そう言ってさらにぎゅっと抱きつくと、遥人さんが戸惑っているのがわかる。

「あのさ、真央さん。ちょっと抱きつかれるだけならいつものことだしもう慣れたけどさ、このまましばらく固定されてたら俺はちょっと耐えられないよ?」

 抱きつかれるのがいつものこと?私は普段そんなに抱きついているっけ?

 いや、考えないようにしよう。多分ものすごく恥ずかしいから。

「だったら早く移動しましょう」

 これで決まりだろう。遥人さんにこの状況から逆転する力はない。

「はいはい、わかったよ」

 ぎゅっ。

「ひゃ!?」

 いきなり抱き返されたから、びっくりしてへんな声を出してしまった。

 やっと納得してくれた遥人さんは一度私をぎゅっと抱きしめ、それから優しく頭を撫でた。

「ごめんね、変な心配させて」

「……いえ」

 突然いつもの彼に戻ったように私にそう言うと、いきなりお姫様だっこ。

「よいしょっと」

「な、何やってるんですか!?」

 ただでさえ赤くなっていた真央の顔は、そのお姫様だっこによって噴火した。

「大丈夫、軽いよ。……あと、柔らかい」

「そういう問題じゃなくて!あと今何かボソッと付け加えたでしょう!」

 こんなに取り乱すことこそ真央さんらしくないのだけど。それも奈央さんがうつったと言えそうだ。

「さて。じゃあとりあえず、俺の部屋で良いね。一応ヒーターあるし」

「普通に歩かせてくださいよぉ」

「ダメだって。このまま行く」

 さっきのお返しもあるし、思い切り恥ずかしい思いをしてもらおうと思う。



「真央さんさ、随分この生活にも慣れたんだね」

「はい?」

 遥人の部屋に向かう途中、顔を赤らめつつもなんとか落ち着いた真央。

 唐突に言葉を発した遥人を、普段ではありえない角度から見上げている。

「いやさ、随分『地』が出てきてる感じだから」

 そう言われて、彼が何を言いたいのかがなんとなくわかった。

「最初のころさ、ちょっと演技してたでしょう。今だからわかるけど」

 やっぱり。実はそれ、あまり掘り返してほしくない事実なんだけど。

 ここに来たばかりのころは、初対面の遥人さんを警戒して自分の『地』を出さないようにしていた。

 それは、私であって私でない誰か。相手、状況などによって、人はいくつかの自分を使い分ける。

 それはごく自然だし仕方のないことだけど、やっぱりそういうのって汚いと思う。

 相手は本当の自分自身で私と接してくれているのに、そんなの絶対失礼だ。

 まぁ、私のそれが改善されたのは遥人さんに甘えられるようになったからだけど。

「変わらない方が良かったですか?」

「まさか、今の方が全然可愛いしね」

 それは俺が甘えられるのが好きだということもあるけど。

 俺の言葉に照れて目線をそらした真央さん。もはやそんなやりとりにも壁はまったくない。

 そして、遥人が何よりも喜んだこと。それは、姉妹が喜怒哀楽を迷わず表してくれること。

 幸せになるためにうちに来た二人に対して、自分は役にたっているんだと思える瞬間。

 二人がどんどん、大切な存在になっていく。家族を失った俺の、その穴を埋めるように。

 この姉妹には何かある。俺はそれを知ることはできないけど。

 でもせめて、二人の笑顔を増やせたら。二人を幸せに導いてあげられたら。

 二人を、一緒に過ごすこんな時間を、日常を守れたら。

 そんなことを思いながらも、遥人は自室に到着した。そして、真央をそっとベッドの上に下ろした。

「さて、本でも読むか」

「そうですね」

 二人だけの部屋。ヒーターの温もり。ゆっくりと流れる時間。

「真央さん、寒くない?」
 部屋は明らかに暖かいのに、私を心配する遥人さん。その言葉が、暖かい。

「はい、大丈夫です」

 寒くなんてない。実際、しばらくはあの寒さを感じていない。あの、心の底の寒さ。

 たとえ体が冷たくったって、私は大丈夫。こんなふうに、いつもあなたが私の横にいてくれるなら。

 ヒーターはいらない。必要なのは、きっとあなた。



 こんな一日。
 そんな日常。




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