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  日常賛歌 作者:しろくろ
第二十二話 予兆
 ある休日の午後、氷名御遥人は困った様な顔で頭をかいた。

「俺、なんかまずいことしたか?」

 言葉の先にいるのはどこか意味あり気に微笑む女、本宮日和という魔女。

「さぁ?私にはさっばりです」

 そう言って小首を傾げる日和を可愛いとは思えないのは、やはりその性格故だろう。

 俺が今悩んでいることはというと、要するに先程本宮邸を飛び出して行った少女のことである。

「せっかく俺を心配してついてきてくれたのに、突然出て行っちゃうんだもんなぁ」

 本宮邸に足を踏み入れた俺と真央さんは、とりあえず何事もなくお茶を飲んでいた。

 しかしこれは俺にとって意外な展開だった。

 この家に入ることをラスボスの城に足を踏み入れることと考えていた俺は、無意識にセーブポイントを探していたくらいだ。
 無論人生にセーブポイントなど存在しないので、やっぱり覚悟を決めなければならないのだが。

 その覚悟というのが意外と大変。何しろ足を踏み入れたが最後、一生奴隷として人間以下の生活を強要される可能性すらあるのだ。

 その覚悟を唇を噛みながらなんとか決めて、いざ魔王の元へってテンションでいた俺はかなり肩透かしを食らった。

 最初はとりあえず靴を磨くよう命令されると思いきや、日和は俺と真央さんにお茶を出すとそのままお喋りモードに。

 俺もほっとして他愛もない話をして、それがお昼まで続いていた。

 事態が急変したのはつい先程。
 おもむろに立ち上がった真央さんが『私、帰りますね』と消え入りそうな声で言って出て行ってしまったのだ。

「止める間すらなかったぞ。なんか泣きそうな声してたし、やっぱり追った方が良かったんじゃないか?」

 当然すぐに追おうとしたのだが、そこで日和に止められた。

「氷名御さんは今日一日、私といる約束でしょう?」

「そんな約束した覚えはねぇよ!てかそんなこと言ってる場合じゃないし」

 とにかく早く追わないと、と焦っていた俺だが、日和の言葉で少し落ち着きを取り戻した。

「追うと言っても彼女は家に帰るわけだしそこまで心配する必要はないですよ。それより、彼女を泣かせた原因が何なのかです」

 うん、確かに。泣きそうな声だったのがかなり不安だったのだが、原因がわからなければどうしていいのかわからない。

 そんなわけで、俺なんかまずいことしたか?って状態が続いていた。

「うーん。もしかし、てあんまり構ってあげられなかったのがまずかったのかなぁ?」

 さっきわかったのだが、残念ながら俺と日和は割と仲が良いらしい。
 根底に恐怖心こそあるものの、実際日和とはよく一緒にいるため会話も弾む。

 そうするとやはり真央さんをないがしろにしてしまい、それが彼女を傷着けてしまったのかもしれない。

「それじゃあ、いじけちゃったんですね。(近い……けど、もう一歩ですね)」

 悩みに悩む遥人だが、実はというかやっぱりというか、原因は日和にある。

 日和は『意図的に』真央を帰りたいと思う状況に追い込んだのだ。

 理由はちょっとした独占欲と、彼女がいてはできない話をするため。

 しかし彼女の思惑とは関係なく、その行為は運命の歯車を動かすこととなったのだ。



 こんにちは、真央です。今は街をテキトーにぶらついてるところです。

 遥人さんが心配で彼のお友達?の家までついて行った私ですが、おかげさまでかなりブルーだったりします。

 結局、私は邪魔だったのだろう。私が思っている以上に、二人は親密だった。

 笑いあったり罵りあったり、たまに慰めあったり。さんざん彼女を悪く言っていた遥人さんも、いつの間にか二人での会話を楽しんでいた。

 学校の話。授業や周りの人たちの話題。そんなの、私についていけるわけがない。

 いつの間にか一言も喋らないまま数時間が過ぎてお昼になっていた。

 私のことを忘れたように会話を楽しむ遥人さんに腹をたてていた私だが、やがて悲しくなってきた。

 あぁ。私、いらないんだ。そんなことを思ってしまったから。

 やっぱり邪魔をしているのだろう。ちょっと泣きそうになるのをなんとか堪えて、私は一人帰路についた。

 そう、帰路についた。だから当然、あのアパートに向かうはずなのだけど。

 帰ったらきっと、奈央ちゃんが慰めてくれる。一緒にいてくれる。私は、無意識にそんなことを期待していた。

 ダメ、それはまずいよ。奈央ちゃんに頼るのは、絶対ダメ。
 私がそんなふうに頼り続けたら、潰してしまう。

 自分で決めたこと。大好きな姉のために、頼らないって決めたんだから。

 家には帰れない。今更遥人さんのところに戻れるわけもない。
 少しだけ私を追って来てくれることを期待していたけど、やっぱりそんなに都合よくいかないみたいだ。

 さて、いったいどうすればいいのやら。どうやら私は独りになってしまったらしい。

 帰る所がない。遥人さんは私を必要としていないし、奈央ちゃんには私がいてはいけない。

 涙が一粒、頬を伝った気がした。声が出そうになるのを必死で堪えて、私はとりあえず街をぶらつくことにした。



 目が赤くなっているのを他人に見られるのは恥ずかしいので、人気の少ない路地裏に入った。

 どこかに向かっているわけでもないのに、私はひたすら歩き続けていた。

 多分、立ち止まったら崩れ落ちてしまうから。こんな不安を感じるのはおそらく初めて。

 今までも不安になることはたくさんあったけど、そんな時は必ず奈央ちゃんがそばにいてくれた。

 でも、今はいない。だから不安。すごく、すごく不安。

「お孃さん、迷子かい?」

 放心状態の私は、かけられた声にすぐに反応できなかった。

一瞬間をおいて顔をあげると、そこには紳士的な笑顔で立っている初老の男がいた。

「こんな路地裏に迷い込んでしまうとはね。良ければ人通りの多いところまで先導しましょうか?」

 男に言われて気がついたが、今私はかなり危険な香りのする路地裏にいた。

 道は狭いしなんだか薄暗い。そのうえ人通りはほとんど皆無である。そう、この男を除いては。

「親切に有難うございます。でも……お断りします」

 本来なら大変有難い申し出なのだが、この場合はちょっと良くない。
 だって、どう見たってあの笑顔はニセモノだ。そんな笑顔を向ける相手を、信用できるわけがない。

 『知らないおじさんに声かけられてもついて行っちゃ行けませんよ』

 そんなことを普通子供ははよく言われるんだろうけど、私はそんなふうに言われた記憶がない。

 それが別に大切に思われていないからではないことはわかっている。

 私を大切にしてくれた人は僅かながら確かにいた。しかし、その誰もがそんなことを言わなかった。

 だって、その人達は常に私の側にいてくれた。私になにかあったら、身を呈して守ってくれた。

 だからこそ、初めての体験。男は感心するほど巧く笑顔をつくっていたのだが、私には通用しなかった。

 当たり前でしょう。私は、本物の笑顔をちゃんと知っているんだから。

 奈央ちゃんや遥人さんがいつも私に向けてくれる、とてもあたたかい笑顔を。

 二人の笑顔を思い浮かべたら、いろんなことがどうでも良くなった。

 とりあえず今は、あの笑顔が見たい。そうすればきっと、暗い気持ちなんて消えてなくなるから。

 男に拒絶の意思を告げると進路変更、私は後ろを向くとすぐに逃走を開始した。

 勢いよくスタートダッシュを決めた私だったが、いきなり何かにぶつかってしまった。

 黒いコートを着た大男が、無表情で立っていた。そう、挟み撃ちだ。

 気づいた時には既に手遅れ。初老の男は私の口を塞ぐと、力任せに抵抗する私を抑えつけた。

 私、どうなるんだろう?こんなことなら、意地を張らずにまっすぐ家に帰れば良かった。

 奈央ちゃんの笑顔。愛し気に私を呼ぶ声。思い出してこんどこそ涙が流れた。
 助けて。そう叫びたい。でも、奈央ちゃんにそれを願ったらきっと、壊れてしまう。

 なら遥人さんは?私のことなんか、忘れているかもしれない。

 そっか。私は独りなんだ。今は亡き『もう一人』にも助けを乞うが、やっぱり助けられるはずがない。

 諦めよう。もう私を助けてくれる人なんていない。私は、抵抗を止めた。願うことを、止めた。


 なのに、助けは現れた。私が想像もしなかった四人目の男は、大男を拳一つで捩じ伏せた。

 そのまま初老の男にゆっくりと歩み寄ると、光の速さで拳を繰り出した。
 拳をまともに顔面に食らった初老の男はその場に倒れ込み気絶した。

「女の子が一人でこんなところに来たら危ないだろう」

 私を助けた男はそう言って手を差し伸べた。
 整えられた黒髪。一見険しそうな表情に変化はなく、鍛えられた肉体をスーツが包んでいる。
 年齢は二十代後半といったところだろうが、なにか年齢以上に風格のある男。

 私はこの人を、知っている。忘れるわけもない。

「……秋……隆?」

「なっ……お嬢様!?」

 何かを変える出会い。いや、再会が一つ。



「では、本当に良いんですね?」

「ああ。気を遣ってもらえるのは有難いけど、俺たちは今のままで充分だから」

 真央がいてはできない話。それは日和が自分なりに考えた配慮だったが、遥人はそれを拒否した。

 その選択が正しいのかどうかは、やはりまだわからない。

 わからないけど、正しいと信じよう。そう心に決めて、遥人は携帯を開いた。
 真央さんが戻って来たことを、奈央さんの方から連絡があるはずだ。むしろ怒っているに違いない。

 だが、そこに予想通りのメールはなかった。代わりに、なんとも厄介なメールが一通。

『今からおまえんち行くから』

 送信者、桐原疾風。

「ままままままずい!」

「どうしてこれがまずいんですか?」

 流石は情報通らしく、さも当たり前のように人のメールを覗き見た日和が言った。

「……今、家は奈央さんが一人なんだよ……」

 バレる。絶対バレる。俺が女の子と同居してることが、疾風にバレる。

「いや、今ならまだ間に合う!うちに来るのをやめさせれば!」

「このメール、一時間位前に届いてますよ?」

 どうせ疾風はイエスもノーも聞かないうちにやってくる。そうなると………。

「手遅れ?」

「でしょうね♪」

 その瞬間遥人は駆け出した。そして、ろくにさよならも言わずに本宮邸を出て行った。

 無理ですよ、氷名御さん。止められません。
 出会いは必然、だから出会うものはどうしたって出会います。
 そして、出会いは何かを変えてしまうんです。貴方が充分だと言った、今の日々さえも。

 その時日和は彼の『間違い』を確信したのだった。



 遥人と真央が二人で出かけてしまったため、奈央は暇を持て余し家でゴロゴロしていた。

 そして今、右手には携帯電話。遥人が姉妹用に一つ用意したものだ。

 基本的に奈央が管理しているため、今も彼女が持っている。

 アドレス帳にはただ一人、氷名御遥人の名前。余りに暇なので、メールでも送ってみようと思う。

 せっかくだから、普段言えないことをガンガン言ってやろう。

 そう思った奈央だが、どうも話題が浮かばない。

「よし、とりあえず……『いつも私を放置してくな!』っと」

 いや待てよ?これだとなんか私が寂しいみたいじゃないか?

 いやいやいやいや、何を勘違いしてるんですかまったく。寂しいわけないでしょうが。うん、全っ然、寂しくなんかないっ!!


 ぴーんぽーん。

 奈央が意味不明な葛藤をしていると、来客を報せるチャイムが鳴った。
 普段なら多少警戒するのだが、偶然このときの奈央には余裕がなかった。

 無警戒にドアを開けると、そこにいたのは小麦色の肌の少年。

「よっ!遊びに来た……ぜ?」

 奈央を見て固まる疾風。同時に頭を抱える奈央。

(やっちゃった……遥人さんの友達に、バレちゃったよ……)

 出会いは、必然。



 こんな一日
 そんな日常。



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