1:高神千歳
高宮学園高校。
県内有数の進学校にして、私立の男子高校である。県内1、2を争う学力があり、あらゆる運動部が全国で名を知られている。
そんな文武両道の校風から、近県でも有名で、遠い地からそこに志望する生徒も少なくない。そのため、全校生徒が宿泊可能な、大きく立派な寮も完備してある。
当然倍率は高く、生徒は金持または能力ある人物に限られている。編入できる者など、なおさら絞られてしまう。
そんな学校に、今日から高神千歳は転入することになった。
ある大きな秘密を抱えて。
(うわ、大きいなー……)
車の窓ガラス越しに高宮学園高校の校舎を見て、そこに今日から通う、高神千歳はぽかんと口を開けていた。
自分の実家も屋敷と評されるほど大きなものであるが、何百人が通うお金持高校はスケールが大きい。わかっていたとはいえ、千歳が想像していた以上に。
車の運転手は、そんな千歳の様子に気付いたらしい。彼は、眼前に広がる高校の駐車場に向かいながら、暖かい苦笑を持った声をかけた。
「千歳さま。そんなに驚いていて大丈夫ですか?今日から在学することになるのですよ」
バックミラーを通して穏やかな黒い瞳と自分の目が合い、千歳は不意に恥ずかしくなった。半開きの口を閉じ、静かに座席に座り直す。
「うん。わかってるんだけど、初めて見たから、つい。
手続きは全部お祖父さまにしてもらったし……」
言い訳じみた言葉が、千歳の口をついて出た。
自分の立場を考えると、そうせずにはいられなかったからだ。
仮にも、千歳は“良家の子”。本人がどんな人物であれ、それは変わらない立場だ。まして、これからそのような人が多い学校に行くとなると、礼儀正しくしなければならない。
それなのに、早速注意されるとは。
「千歳さまは自然のままで十分だとは思いますけれどね。気を張りすぎるのもよくないですし。あなたは正真正銘“お嬢様”なのですから、礼儀作法も心得ていらっしゃいます。心配しなくても大丈夫ですよ」
穏やかな、それこそ見習いたい物腰を持つ運転手・畠山は、千歳を励ました。
ありがとう、畠山、と青年に返すと、千歳はシートにもたれかかり、目を閉じた。無意識に、長かった髪をばっさり切り落とし、短髪になった頭を撫でる。
(礼儀作法は確かにどうにかなるとしても。問題は“お嬢様”なことを隠して“良家の子息”として男子高に通うことだよね)
男子高校に通う女である自分の身を思い返し、溜息をつきながら、千歳はこれまでの経過を思い返した。
―――
そう、こんな事態になったきっかけは。
16歳の誕生日に、千歳が祖父・高神宮蔵に放った爆弾発言だった。
「一世一大のお願いです。今年の誕生日プレゼントとして、高宮学園高校に通わせて下さい!」
自分がそう言ったときの、あんぐりと大口を開けた祖父の顔を、千歳は一生忘れないだろう。あんな祖父の顔を見たのは、初めてかもしれない。
彼は滅多に驚かないのだ。変わったものが大好きで、ちょっとやそっとのことでは揺らがない精神の持ち主だから。
でも、今回はさすがの祖父だって驚くだろうなとは思っていた。いや、祖父でなくても、誰だって驚くだろう。
孫“娘”が“男子高”に入りたいと言いだしたら。
口を開けたままの祖父を見上げながら、千歳は静かに返事を待った。
常識では考えられない願いに、祖父はどう思うのだろうか。世間知らずの箱入り孫娘が無茶なわがままを言っただけ、と捉えるかもしれない。
沈黙に満たされた時間は、彼女の不安を募らせた。だが、それでも、と千歳はすぐに暗い気持ちを打ち消す。
それでも、決めたのだ。絶対これだけは他人に否定されてもあきらめない、と……。
この屋敷でこんなことを相談できる人は祖父しか考えられない。
何より、高宮学園高校は祖父が経営しているのだ。あながち不可能ではないはず。
ロングスカートの裾を握り締めて、不安げに見上げる孫娘の姿を捉え、高神宮蔵は言った。その顔に、柔らかい笑顔をのせて。
「……よく、考えて決めたことだね?」
「もちろんです」
「なら、いいんじゃないか」
「え?」
望んでいた返事が返ってきたにもかかわらず、その呆気なさに思わず聞き返す千歳。
その様子を見ながら、祖父は繰り返した。
「いいんじゃないか。お前のことだから、悩んで悩んで悩みまくった末だろう。おもしろくて一番いい誕生日プレゼントじゃないか」
そう言って、彼はいたずらっこのような笑顔を浮かべた。あっさり許されたことに驚いたままの千歳に、宮蔵はにこやかに続けた。
「第一、滅多にお前はわがままを言わないじゃないか。ちょっとおじいちゃんは寂しかったぞ。
絶対叶えてやるから、安心しなさい」
―――
……それが、高神千歳が男子として高宮学園高校に転入することになった始めの一歩である。
ゆえに、千歳はある秘密、本当は“女”であることを隠しながら転入することとなった。
もちろん、転入にこぎつけるまでには、たくさんの障害はあった。
幸い、学力には問題がなかったが、中学・高校と女子だけに囲まれて育ったため、男子と接することができるか。
家族にどう説明するのか。
極めつけはやはり、女であることをバレないように、どうすればいいか。
祖父と相談し、寮には入るが理事長である祖父の親戚という設定で、一人部屋にしてもらうことになった。
期間は、長くても今年いっぱいが限界だと言われた。すまなそうに言う祖父に、こんなにまでしてもらったのだから、と千歳が申し訳なくなる。
そして、すでに高宮学園高校に勤務・在学中の、祖父が信頼できる二人が千歳のクラスに回るよう手配された。
一人は祖父いわく彼の友人で、教師。
もう一人は高神家の屋敷で働く運転手の弟。
どちらも面識があり、千歳のことを始めから知っているため、フォローしてくれる。かなり気が楽になるはずだった。特に後者は、小さい頃よく遊んでいたので、精神的にもありがたい。
(かなり不安だけど、自分で決めたことだし。やらなくちゃ)
「本当におひとりで大丈夫ですか?せめて職員のところまでは、私が……」
「大丈夫。それくらい、一人で行けるから。下手に目立ちたくないし」
「……そうですか。では、本当に本当にお気をつけて。
宮蔵様のご友人も私のいたらない弟もいますけれど、何かあったらすぐに!屋敷に連絡して下さいね……。
それから……」
「わかってる、大丈夫だから。
無理はしないし、できるだけ連絡はとる。何かある前に逃げるか、なりふり構わずに大声で助けを呼ぶ。だよね?」
いささか過保護すぎる畠山に、千歳は苦笑した。
ありがたいが、そろそろ耳にタコができそうだ。
けれど、畠山の暖かすぎる気遣いで、千歳はいくらか心がほぐれたのを感じた。
「ええ、ええ、そうです。お気をつけて、頑張って下さいね……」
「ありがとう。……そろそろ行くね」
その言葉を最後に、校舎に向かうことにした千歳。
本当にありがとう、屋敷のみんなにもよろしく、との彼女の言葉に、畠山青年は深く深く礼をした。
歩く途中、一度だけちらと振り返った彼女の目に、同じ姿勢でそこに立つ彼の姿が映った。
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