褐色ドラマチック
◆
二月も半ばが近づくと、学園の空気は急に騒がしいものに変化する。
バレンタインデーなる、チョコレート会社による陰謀の日が刻一刻と近づいてきているのだ。
これはもはや、戦争と言っても過言ではないだろう。
例えば廊下を歩いている時。
「き、桐山くん!」
「ん?」
不意に呼び止められる。
声のした方に目をやれば、知らない女の子。しかもかなり可愛い。色白の肌と漆黒の髪が素晴らしいコントラストを生み出している。
「ちょっと話があるんですけど…いいですか?」
頬を染めてそんなことを言うじゃありませんか。
これは、ひょっとしてひょっとしちゃうのか!?などと甘い希望が不意に顔を出すのだが。
「ちょっと待ったぁ!!」
廊下に轟く透き通った声。
全力疾走で現れたのは陽だった。
すごい形相で、僕と女の子の間に割って入る。
「…アキトに何の用?事と次第によっちゃあ、地獄を見ることになるよ?」
言葉にするにもおぞましい、ドロリとした目つきで女の子を睨みつける陽。
「え、あ、あの…」
もちろん相手の娘はビビリまくり。
「行くよっ!アキト」
彼女を完全に黙らせると、陽は僕の手を取りグイグイと引いていく。
階段近くまで来たところで、ようやく陽の歩みも止まる。
「あのなヒナ。お前は何を考えているんだ」
「アキトこそっ!警戒が足りないよ!いい?この時期の女の子はケダモノなの!迂闊に優しさを見せたら、有無を言わさず食べられちゃうんだからねっ!!」
ずい、と顔を寄せて叫ぶ陽。
近いぞ。そして声が大きい。更に言うなら唾を飛ばすな。
「そうか。この時期の女の子は危険か。なら仕方ない、お前とも距離を取らざるを得ないな」
僕は三歩くらい陽から離れる。
つまりはそういうことだろう。
お前だって「一応」女の子だし。
「!?そ、それは違うよ!」
「どう違うんだ」
「私は安全な動物だから!牙も爪も無くした、穏やかで心優しいアキトの守護獣なの♪」
そんな胡散臭い動物を守護獣にした覚えはないぞ。
大体、牙も爪も無くしてどうやって守るんだ。
「いらねぇ。超いらねぇ。言葉を話すような動物は無駄に賢い分、いらない知恵ばかりつけるから嫌いだ」
「私は無害だよぅ。今ならお試し期間として、アナタのお家に出張サービス!!」
「いや、だからいらんて」
「首輪と鎖が付いてきます!!サブタイトルは『〜アナタの言いなり〜』!!」
「事実無根の空想話を大声で語るんじゃねぇぇぇ!!!」
今現在、昼休み真っ最中。
冷ややかな視線が集中する。
「首輪と鎖だってよ」 「サイテー」 「真鳥さんに何てことしやがる」 「鬼畜」 「桐山くんって…」 「マジかよ」 「ちょっと羨ましいけど」 「許せねぇ」 「ド変態」 「死すべし」
ああ…不穏な呟きが聞こえる。
こ、これはマズイ…!
僕はダッシュでその場から逃げ出すのだった。
◆
いつもの事ながら、放課後ともなると僕はグッタリモードのグロッキー状態。
トイレから教室に戻る途中、声をかけられる。
「桐山くん」
聞き覚えのある声だなぁとボンヤリ思っていたら、案の定。昼休みに話しかけてきた女の子だった。
「今度こそ、ちゃんと話を聞いてください」
「うん。昼間はゴメンね」
「いえ…ここじゃアレなので、場所を変えましょうか」
僕は頷いて、中庭にあるベンチへと向かった。
もちろん内心はドキドキだ。
とうとう僕にも、遅延気味の春が!?
冬の夕暮れに目をやりながら、女の子が口を開く。
「えと、私…二年D組の神坂彩音って言います」
D組と言えば、友絵のクラスか。そう言われてみれば、学園祭で見かけたような気がしないでもない。
「今日は、桐山くんにお話したいことがあって。少しの間、お時間よろしいですか?」
「大丈夫だよ。僕なんぞでよければ」
さてさて…サイコロの目は一体どう出る?
「実は、桐山くんにお願いしたいことがあって」
ん?
お願いしたいこと?
何だかおかしな流れになってきたな。
「ふむふむ。そのお願いって?」
神坂さんは顔を真っ赤にする。
そして絞り出すようにして言う。
「―――ぇと、相良航平くんって知ってますよね?」
「え、航平?うん…知ってるけど」
どうして航平の名前が出てくる?
あれ。何故だろう、嫌な予感がするよ?
「お二人は、仲良いですよね?」
「ん。まぁ、ね」
素直に頷くのは躊躇われるが。
「も、もうすぐバレンタインじゃないですか?そ、それで…桐山くんにお願いがありまして…」
あれ。
ちょっと待って。
もしかして―――――
「聞いていいかな?神坂さんって、航平のこと…」
神坂さんは、顔を更に赤くすることで僕の質問を肯定した。
マジで?
え、ちょ、マジで?
どうしてこんな可愛い娘が航平なんかに惚れるんだ!?
アイツの…つーか、え?は、はぁ!?
だんだん混乱してきたぞ。
「アイツなんかのどこが良いの?」
「えっとですね…私、喫茶店でアルバイトしてた頃がありまして。そこで先輩店員だったのが相良くんなんです。優しくて…仕事も丁寧に教えてくれて…でも、相良くんはすぐにバイトを辞めちゃったんです。辞める前に気持ちを伝えようと思ったんですけど―――その頃は自分に自信が持てなくて。それから頑張って自分を磨いて。相良くんに相応しい女になろうって決めたんです。それからというもの―――――」
途中から僕は話を聞くどころではなくなっていた。
何故って。
こんな健気な娘、久しぶりに見たよ!
僕の周りにいるのはアブノーマルな娘ばっかりだから(奈月ちゃん除く)。
本当、航平には勿体ないくらい良い娘だ。
言われてみれば、学祭で二年D組を襲撃した際、やたら相良くん相良くん言ってる娘がいたなぁ。
「―――という訳です。で、桐山くんに是非ともキューピッドになってもらいたく…」
「もちろん!航平はどうなろうと知ったことじゃないけど、僕は神坂さんの健気さに心を打たれた!喜んでキューピッドになろう!具体的にはどうすればいい?」
「え?」
「いや、具体的に僕はどうすれば」
「う…そこまで考えてませんでした」
しまった!的な表情で神坂さん。
いやいやいや、そのぐらい考えておこうよ。
大丈夫なのかこの娘。もしかして、以外とおバカさんなんじゃなかろうか。
「例えば手紙―――はマズイな」
「どうしてですか?」
「いやね、航平のヤツ、散々女の子に振られまくってて、それをネタにされてる所もあるからさ。安易に手紙を書くと、悪戯だと思って本気にしない。そして間接的に僕が神坂さんの気持ちを代弁するってのもNG。絶対本気にしない。だから告白は、神坂さんが自分の口から言わなきゃダメ」
「う…そうなんですか…」
予想外の展開に絶句する神坂さん。
「心配しないで。僕がアイツを連れて行くから。神坂さんはキッチリと想いを伝える。オーケー?」
「は、はい!」
「それじゃバレンタイン当日。時刻は午後5時。場所は―――――」
そんなこんなで、僕は唐突に恋のキューピッドになってしまった。
よりにもよって航平の。
まぁ、神坂さんのためだ。べ、別に航平のためじゃないんだからねっ!!
◆
そしてやってきたバレンタイン当日。
「おはようアキトっ!そしてハッピーバレンタインっ!!」
我が家の玄関で声を張り上げる陽。
そして突き出されるは、色鮮やかにラッピングされた、畳半畳分はあろうかという巨大な包み。
「おう、ありがと。つーか、デカすぎじゃね?」
「そんなことないよぅ。私の愛情の大きさだもん♪」
とろけそうな笑みを浮かべる陽。
デカイだけでなく重いな、コイツの愛情とやらは。
「帰ってきたらじっくり食べてねっ。もちろん手作り!味は保障するからねぃ」
「そこは分かってるよ」
陽の料理の腕はよく理解してるつもりだ。手作りという所が少し引っかかるが、美味しくいただける事に変わりは無い。
一度家に戻って巨大なチョコを置く。
置いたはいいが、もの凄い威圧感だった。
ま、いいか。
気を取り直して、僕は陽と一緒に学園へ向かった。
学園に到着し、下駄箱を開ける。中にはチラホラと小奇麗な包み。
おぉ。僕もなかなかやるじゃないか。
「―――――ちっ」
背後で聞こえる陽の舌打ち。
すると陽は僕を押しのけ、即座にチョコの回収に入る。手にしたビニール袋に次々と消えていくチョコレートたち。
「おい、ヒナ!お前は馬鹿か!!」
「いいもん!馬鹿でいいもん!これは私が回収して、一人ずつ制裁を下すんだからっ!私のアキトに手ぇ出そうとするクズどもに!!」
鬼のような形相で陽は回収を終えると、僕の制止を振り切って逃亡してしまった。
やれやれ…
「あ、アキト先輩」
消え入りそうな声が聞こえる。
「お、奈月ちゃん。おはよ」
コソコソと、陽の影に怯えるように僕へと近づいてくる。
「おはようございます!あ、ああああの、これ、受け取ってくださいっ!!」
そう言って差し出された可愛らしいピンクの包み。
奈月ちゃんらしい小ぢんまりした造りだ。
「僕に?ありがとね」
優しく微笑んで、奈月ちゃんの頭を撫でてあげる。
「えへへ…あの、手作りなんで味は保障しかねますが…」
人差し指を合わせて、奈月ちゃんは照れる。
ノープロブレム。味なんて二の次だよ。奈月ちゃんの作ったものなら、例え目も当てられないような料理だって皿ごと食い尽くしてあげよう。
「…ふぅん…朝から良い雰囲気だね、二人とも」
不意に聞こえる甘い声。
声の主を発見した奈月ちゃんは、「失礼しますっ!」と言い残し、風のように去っていった。
「…逃げちゃった。せっかく可愛がってあげようとしたのに」
「あのな友絵。何度も言っているように、もっと優しく接しろって」
あんなに怯えて、可哀想に。
「…十分優しいよ?私が本気になったら、奈月は登校拒否か自主退学、もしくは自ら命を―――」
「はいストップ。そこまで」
危うくとんでもない発言が飛び出しそうになった。
触らぬ友絵に崇りなし、だな。
「…触るってどこを?アキトなら特別に、いくら触っても崇りは無しだよ?」
心を読むな!そして危うい発言もやめろ!!
「…オープニングトークは置いといて…はい、アキト」
友絵の手から渡されたのは、重厚な黒い包み。
「これ、安全なのか?」
「…もちろん。美味しいよ?でも出来れば、私の前で食べて欲しいな。特に夜」
「何を入れた!?なぁ、何を入れたんだ!?」
「…疑い深いなぁ。だったら、私が毒見をしてあげようか?」
耳元で友絵が囁く。
あの、体を寄せないでいただきたい。アナタ絶対に確信犯でしょ?
「…あ。それとも、食べて欲しいのはアキト自身だったりして」
「何を言って―――――っ!?」
僕は思わず飛び上がる。
耳に感じた感触は、あまりにリアル。
友絵の艶かしい舌の感触が、まだ耳に残っている。
「…ふふふ…アキトは可愛いなぁ♪」
舌を覗かせながら微笑む友絵。
ダメだ。友絵には勝てる気がしない。
「もう降参です…許してください…」
「…そ。じゃ、続きは部室でね」
続きあるの!?
僕は背筋が寒くなっていくのを感じていたのだった。
◆
「アキト、正直に吐けよ?お前、現時点での収穫は何個だ?」
教室に入ってきた僕に、真剣そのものの表情で聞いてくる航平。
「お前には教えねぇよ」
「くっ!でも、そうだよな…長い目で見れば、普通に考えて三個は確実だよな…いいなぁ…俺なんて、俺なんて…」
自分で話を振ってきておいて、自分でへこんでいる航平。世話ねぇな。
「俺は今年もゼロなのか!?誰か義理でもいいからプリーズ!!」
教室内の視線は冷たい。
まぁ、何だ。
放課後までの我慢だぞ、航平。
あんなに可愛い娘がお前に告白する時を待ちわびているんだからな。
時間は矢のように過ぎ去って、あっという間に放課後。
僕は適当な理由をつけて陽を撒き、未練がましく教室に居残っている航平の後頭部に一撃を入れる。
短い悲鳴と共に意識を失う航平。
僕はロープで拘束した航平をズルズルと引きずりながら、神坂さんの待つ講堂の裏へと向かう。
神坂さんは僕の姿を見て安心したものの、航平を見た途端、顔を赤くして押し黙ってしまう。
「大丈夫?」
「ぃえ…あまり…」
「念のためにロープで拘束しておいたよ。女の子の言葉が信じられないヤツだから。特に今日は。耐えかねて逃げ出すといけない」
言いながら、僕は柱に航平を括り付ける。
「よし、と。それじゃ、僕はそろそろ」
「ああっ!待ってください!もうちょっといてください!むしろ告白が終わるまで!!」
目をグルグルと回しながら神坂さんが懇願する。
「じゃあとっとと済ませようか。こういうのは勢いが大事だから。―――おい航平、起きろ!」
「え、あ、ちょ…」
戸惑う神坂さん。ガンバ!!
「―――――ん…?あ?ここ、どこだ?」
寝ぼけたような声の航平。
「ん?アキト?で、この可愛い娘は誰だ?てか、俺は何で縛られてる?」
次々と疑問を口にする航平。でも、今は後回し。
「いいか航平、よく聞けよ。ここにいる神坂さんが、お前に大事な話があるそうだ。これは、夢でも悪戯でもドッキリでも何でもないぞ。全部本当だ。それを忘れるなよ」
航平はポカンとしている。
無理もないか。いきなり言われたって何のことか分からないだろうし。
「それじゃ、頑張って。神坂さん」
僕は神坂さんの肩を叩き、その場を去る。
「う…は、はい…」
震えながらも、決意のこもった声で神坂さんは頷いた。
僕が講堂を後にして、学園内に戻ろうとした時、どこからともなく馬鹿な男の叫び声が聞こえたような気がした。
◆
その日の夜。
僕は自室で苦いコーヒーを片手に、甘いチョコレートを食していた。
陽のチョコは、味だけは素晴らしいのだが、幅も厚みもバケモノのようにあって、ハンマーで砕きつつ食べるしかない。口で直接食べれば、顎と歯が使い物にならなくなるだろう。完食には、確実に一週間は必要である。
そして奈月ちゃんのチョコ。小さく形作られた球形のチョコに、これまた細かいデコレーション。手間も暇も恐ろしいほどかかっているだろう。言うまでもなく美味である。ありがとう奈月ちゃん。美味しくいただきました。
友絵のチョコは、個包装のチョコ。見た目は美味そうで、口に入れたい衝動に駆られたが、さすがに怖い。未だ味わうには至っていない。
そんな訳で、陽のチョコをボリボリと食べていたら、テーブルの上の携帯が鳴る。
ディスプレイに表示されているのは『相良航平』の文字。
携帯を手に取り、通話ボタンを押そうとして指を止める。
もし、いきなりノロケだしたらどうしよう。僕は絶対キレる自信がる。
数瞬迷ったが、僕は電話に出る。
「おう」
『―――アキト…』
完全に予想外のローテンション。何だ?
「何でそんなにテンションが低い。神坂さんはどうした?」
『…ああ…告白されたさ。生まれて始めて、あんな可愛い娘に』
「良かったじゃねぇか。で、お前の返答は?」
『一応な、オーケーしたんだよ。そしたらさ、彼女、すげぇ喜んで。デートの約束もしたさ。でもさ…』
ブツブツと、まるでお経でも唱えるかのような航平の声。
「でも、何だよ」
『俺、不安なんだよ。自分に自信がねぇんだよ。俺なんかで、彼女を幸せにできるのか?こんなダメ男に、彼女と一緒にいる資格はあるのか?俺なんかが、幸せになっていいのかよ?』
電話口で、僕は絶句する。
コイツ…とんだチキン野郎だな。
今まで散々彼女が欲しいと喚いてやがったくせに、いざ彼女が出来た途端にビビるのかよ。本当にどうしようもねぇな。
「あのな航平。彼女はな、お前が好きなんだ。他の誰でも無いお前が好きなんだ。お前より格好いいヤツなんて星の数ほどいるぞ?それでも彼女はお前を選んだ。お前が好きだから。そうだろ?恋愛なんて、単純なもんだぜ」
『単純、か…振られたら、どうしような』
「どこの世界に、付き合い始めた途端に終わりを考えるカップルがいる?終わりなんて考えるなよ。考えるなら、終わらせない方法を考えろ。彼女を、幸せにする方法だけ考えてろ」
『…アキト…』
「じゃあな、もう切るぞ」
ブツッ。
ツー。ツー。ツー。
やれやれ。どこまでも手間のかかるヤツだ。
そこでふと考える。
何で僕は航平なんかの心配をしてるんだ?
あぁ、クソ。無性に腹が立ってきた。
僕はチョコを掴んで口に放り込む。
ボリボリ…ガリ。
―――――硬い。
今年はとんだサプライズのバレンタインだった。
とにもかくにも、ハッピーバレンタイン。
言いたかないけど、おめでとう。お幸せに。
そしてチョコレートに彩られたドラマが終わっていく。
まぁ、ドラマなんて大それたものじゃないのも確かだが。
残ったのは甘さと余韻。
僕の場合、硬いチョコと可愛いチョコと危険なチョコだけれど。
それもまた、ひとつのドラマなのだった。
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