白色ミルキーウェイ
◆
七月。
六月が過ぎたとは言え、まだ梅雨は居座るつもりのようで、ジメジメした陽気は健在だ。
しかしながら本日は七月の七日。七夕なのである。
さすがに今日ぐらいは梅雨前線も雰囲気を察したようで、朝から青空の覗く快晴となっていた。その分暑くて困り者ではあるが。
そこまで考えたところで、僕は思考を現在に引き戻す。
騒がしい教室。
今は授業時間なのだが、本日は七夕ということで授業は中断され、皆思い思いに短冊に願いを書き込んでいる。古典や歴史ならまだギリギリで分からなくもないが、全力で数学の時間なんだがな、今は。
担当の教師まで楽しそうに願い事を検討している。童心に戻るのもたまにはいいと思うけれど、授業中の教師がそれでいいんですかい。
小学生ぶりだぞ、こんなことするの。
などと心の中で突っ込んでおく。
教卓脇に置かれたほど良いサイズの竹には、早くも願い事が吊り下げられている。誰が準備したかは知らないが、盗品ではないことを祈ろう。
僕は、隣の席で凄まじい音を立ててペンを走らせる陽の短冊を覗き見る。
アキトといつまでも一緒にいれますように。いつまでもアキトが私を愛してくれますように。二人の愛が強固で頑丈で何があっても決して壊れず、誰にも邪魔されず永遠に甘い時を一緒に刻めますように。二人仲良く幸せで笑顔の絶えない家庭が築けますように。そして出来れば―――
細長い短冊に、米粒みたいな大きさの文字で、般若心経のように延々と書き連ねている。何か悪いものでも憑いているんじゃないかと疑いたくなるほどに病的な姿だった。
流し読みだったが、僕はふと気にかかる一文を見つける。
「おい、ヒナ」
「うにゃ?何?全身全霊で願い事を書いてる時に」
今まで見たことも無い位に真面目な顔で陽が振り向く。
「そこの…十七行目くらいの一文なんだが。『アキトが私のカラダ無しには生きていくのが困難になりますように』って、何じゃそりゃ」
想像するのも恐ろしいような願い事をするな。
「私の願い事を素直に正直に、そして忠実に書いてるんだけど?」
可愛らしく微笑むんじゃねぇよ。腹立たしい。
「そんな鳥肌ものの願い事をするな!」
「むぅ…そう言うアキトはどうなのさ」
「僕は、その…秘密だ」
僕は自分の短冊を隠すように抱え込む。
「自分ばっかりズルイよぉ!見せなさい!」
陽が叫び声と共に、僕の背中にまとわりついてくる。
「離れろ!」
「見せてくれるまで離れないもんっ!…れろれろ♪」
「うおい!やめろおぉぉ!!」
あろうことか陽は、僕の耳の後ろ辺りに舌を這わせやがった。異常な生暖かさが気色悪い。
予想外の攻撃により、僕の短冊は宙を舞う。ヒラヒラと漂った後、ある人物の足元に落ちる。
「お、おい和哉。返せ!!」
僕の短冊を拾い上げ、和哉は目を走らせ、そしてニンマリと笑う。
「ほう、これはこれは。愛されてるな、陽」
僕は強引に陽を振り落とし、乱暴な仕草で和哉から短冊を奪い取る。
「そんなに怖い顔すんなよ。俺のも見るか?ほれ」
別に見たくも何とも無かったが、とりあえず目の前に突き出された短冊を見る。
とりあえず、金で買えないモノ全部欲しい。つーかよこせ。 新藤和哉
ゆ、夢が無い…!
こんな汚れきった願い事は永久に叶えられることは無いだろう。
「和哉らしいっちゃ和哉らしいねぃ」
思わず陽も苦笑している。
僕も似たような苦笑いを浮かべ、自分の―――あれ?
「…えっと…『これからもずっと―――』」
「瞬間的にスリの才能を開花させるな友絵!!」
声で音読を止めさせ、短冊を奪い返す。気付かぬ内に近づいてきていた友絵にビックリ。いつの間に盗った?
「…相変わらずラブラブで羨ましいね」
小馬鹿にしたような表情で友絵が笑う。
「気のせいだ、気のせい。ちょっと怖いような気もするが…友絵のお願いは?」
禁断の扉をノックしてしまったかもしれない。
僕は恐る恐る、友絵の差し出した短冊を見る。
略奪愛成就希望 高峰友絵
いやあぁぁ!!この娘、怖いよ!
その嫌らしい笑みを止めなさい!!
陽…友絵は危険だ。
あれ。陽?
……あ。
僕の視線の先には、またもや所有者の手を離れたマイ・短冊。
そんな僕の短冊を見ながら、照れた笑みを浮かべている陽の姿があった。
◆
それから何のトラブルもなく放課後になり、飾り付けられた竹は中庭に設置された。学校全体での行事だったことに、今更気付いた僕は愕然とした。
更に時間は流れて、今は夜の八時。
僕と陽は中庭にいた。他にも結構な数の生徒がいる。九割強でカップルばかりだが。
中庭に置かれたベンチに腰を下ろして、夜空を見上げてみる。
雲は見当たらず、吸い込まれそうな漆黒の夜空が広がっていて、そこに真っ白な光の帯が散りばめられている。淡く儚く、それでもしっかりと力強く、光り輝く星たち。
七夕。
織姫と彦星の恋物語。
逢えるのは一年に一度だけ。
悲しい運命だと、思う。
「キレイだねぇ…織姫と彦星は逢えたかな?」
「逢えたんじゃないか?これだけ星も祝福してるんだし」
柄にも無く恥ずかしいセリフを吐いてしまう。これが七夕マジックなのだろうか。
それに乗じてイチャつくカップルたち。何だか場違いの気がする、僕。
キョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡す。
おや。数メートル先にいるのは航平と神坂さんじゃないか。随分とアツアツの密度で寄り添っている。
何だろう、この気持ち。航平の方に言いようの無い殺意が湧いてきた。
陽も前の二人に気付いたようで、口を開く。
「どうしたのアキト?前の二人が気になってる?」
「まぁ、な」
「この前初めて彩音と話したけどさ、良い娘だねぇ。航平には勿体ないよ。ホント」
そう言って、しきりに頷く陽。どうやら僕と同じような感情を抱いたようだ。
世の中、分からないことばかりだよな。
僕が視線を夜空に逃がすと、人の気配。
「よぉ。今日も仲良しさんだな」
気だるげな声が聞こえる。声の主は塚田先生だった。
「む。何さ塚っち。私たちのラブラブタイムを邪魔しようっての?プンプン!」
塚田先生の登場で、陽は頬を膨らませる。
つーか、ラブラブタイムって。そんな赤面ものの呼び名がついてたのか。この時間は。
「そういう訳じゃねぇよ。今日は遅い時間まで生徒を残してるからな。見回りだ」
「裏では色々面倒なんですね。ご苦労様です」
大変だな、教師って。
「塚っちは彼女いないの?」
「彼女かぁ。随分昔にな、いたにはいたぞ。あれは確か…俺が教師になりたての頃だった
な」
おお。謎に包まれた塚田先生のプライベートなお話。嫌でも耳が大きくなる。
「―――運命ってヤツをな、少しだけ信じても良い気がしてた。結婚も考えた。でもな…俺の転勤が決まって、引っ越さなきゃいけなくなったんだ。一緒に行ければ良かったんだが、相手の親御さんが病気でな。地元から離れる訳にはいかなかったらしい。それで、泣く泣くサヨナラだ。当時の俺に、転勤話を蹴れる勇気があればな…。ずっと繋がってると信じてた手も、未来も、全部置き去りにしちまった」
自嘲気味の苦笑を浮かべる塚田先生。
「…って。何でこんな話をお前らにしなきゃいけねぇんだ。せっかくの七夕なのにな」
「その人とは、それっきりなの?やり直そうとは思わないの?」
やや涙ぐんだ顔で陽が聞く。
「そう思った時期もあった。この前な、久しぶりに連絡したんだよ。そしたら、別の相手と結婚したそうだ。二人目のガキが生まれるんだと」
「塚田先生…」
「何だ桐山。そんな憐れむような目で見るんじゃねぇよ。別にもう未練は無いし、後悔もしてない。良かったと思ってる。幸せにしてくれるヤツがいてくれて。俺には、出来なかったことだからな」
塚田先生は僕らに背を向けて、歩き出す。
その背中は、とてもスッキリとしていた。
「そうそう、真鳥」
足を止め、振り向いた塚田先生が陽に言う。
それは、授業中の塚田先生とは違う、真面目で真剣な声。
「何?」
陽も、その口調に戸惑いながら次の言葉を待つ。
「桐山を、何があっても逃がすなよ。お前を受け止めてくれるのは、世界中探しても桐山だけだ」
「…塚っち……うん!分かった!!」
明るい声で陽が叫ぶ。
「それから桐山」
「はい」
「お前は、何があっても真鳥の手を離すなよ。真鳥に必要なのは他の誰でも無い、お前だ。もちろん、その逆もな」
「…はい。肝に銘じておきます」
自分自身に言い聞かせるように、僕はその言葉を心に刻み込む。
「じゃな、気をつけて帰れよ」
塚田先生は、いつもの口調に戻ってそう言い残し、フラフラと去っていった。
「…アキト」
ベンチの右隣に座る陽が不安そうな声で呟く。
「どうした」
「…私たちは、ずっと一緒だよね?アキトは、どこにも行かないで私の隣にいてくれるよ
ね?」
僕の制服の右袖を掴む、弱々しい力。泣き出しそうな声が、僕を不安にさせる。
そんな声で、そんなこと言うなよ。そんなこと、聞くなよ。
そんな…お前らしくない声で。
一瞬、ほんの一瞬だけ躊躇したが、僕はもう決めたんだ。
自分に正直になるって。
いつもより小さく見える陽を、僕は思い切り抱きしめる。不安を、心配を、全部吹き飛ばすように。
「大丈夫に決まってるだろ。お前の彦星はな、織姫を悲しませるようなことは絶対にしない。約束する」
「……うん…うん…」
ついに陽は僕の腕の中で泣き出してしまった。
うわぁ…これ、周りから見たら結構ヤバめの光景じゃね?
ま、いいか。
七月七日の恋物語。
空に輝くは星たちの声。
どこまでも広がる、真っ白に煌めく天の川。
誰かが誰かの織姫で。
誰かが誰かの彦星で。
大切な人がいるから、頑張れる。必死になれる。
一年に、一度だけだって。
そんな七夕に、あやかってやろうじゃないか。
不意に、夏色へと染まり始めた風が頬を撫でていった。
そして、各々の願い事も揺らしていった。
これからもずっと陽と一緒に、陽の隣で、笑い合えていますように。 桐山空斗
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