茜色サンセット
◆
薄くて淡い睡眠が、軽やかなチャイムの音で打ち破られる。
ぼんやりとした瞳で前を見据えれば、頭の禿げ上がった世界史教師が教室から立ち去るところだった。
視線を上に上げると、飾り気の無い時計が目に入る。針は本日最後の授業が終了したことを知らせている。教室内には放課後特有の開放感が漂い始めていた。
それはともかく。
………また居眠りか。
ここ最近ずっとである。
睡眠時間に大幅な変動があったわけではない。ただ単に、一日分の疲労が大きすぎるせいだ。
「いやいや、今日も終わったね〜!!」
どこまでも突き抜けていきそうな、清涼感抜群の声が聞こえた。顔を向ければ、一人の少女が視界に入る。
「ああ……」
僕の日常のウェイトを、とことん重くしてくれやがる張本人のご登場だ。
真鳥陽。
いつもどこでも、明るく元気で騒がしいハイテンションキャラ。
肩にかかる色素の薄い髪は、地毛だが相当赤っぽい。前髪に付けた濃紺の髪留めが映えている。
身長は平均的で、全体的に華奢な印象。
そして僕のご近所さん。我が家の正面が真鳥家である。
僕はこの学園に入学する前は、違う地区に住んでいて、中学卒業と同時に学園の近くにある住宅街に引っ越してきた。
越してきて始めてできた友人が陽だ。
初対面の感想は、軽い衝撃。
陽は(少なくとも見た目は)もの凄い可愛くて、引越しバンザイ!と僕は心の中でガッツポーズ。しかも話を聞けば、高校も僕と一緒。これは楽しい学園生活になりそうだと淡い希望を抱いていた。
のだが。
同じ時間を共有し、次第に真鳥陽という人間の全貌が見えてきたのだ。
例を挙げさせていただくと、コイツはどうにも悪ノリの過ぎるところがある。
一人で暴走する分には一向に構わないのだが、僕を巻き込むのだけはやめてほしい。
本人に自覚が無いのも困りもの。
それは最近も同じで、むしろ悪化の一途を辿っている。
テンションがマッハで落ちていく僕を見て、陽が心配そうに顔を覗き込んできた。
その顔がやけに可愛くて、悔しさを覚える。
「元気ないよぉ、アキト?何かあったの?」
アナタのせいですよ、陽さん。
昨日の夜も無駄話に延々と付き合わされましたから。
「別に何もないよ。強いて言うなら、夏休みボケが長引いてるのかもしれない。頭がボーっとしてる」
無意識のうちに嘘をつく。
何をやっているのかな、僕。
「だから、今日は部活不参加。真っ直ぐ帰るとするよ」
そう言って僕は立ち上がり、鞄を手にする。
「じゃあ私も帰る!」
手を突き出して、声高に宣言する陽。
「え…いや、何で?」
「何でって、アキトがいないんだったら部活行く意味無いし」
さも当然のように陽は言う。
曇りの無い笑顔だ。
「僕のことは放っておいていいから、部活行けよ」
「行ったって別に何をするわけでもないじゃん」
痛い所をついてくるねぇ。
確かにその通りだ。
集まって、適当にダベって、解散。その繰り返しでしかない我が部。
僕の把握している部員は七名。我らが二年生は四人、一年生が一人、三年生は僕の知り合いの二人。三年生はもっといるのかもしれないが、存在は確認していない。
しかも三年生は顔出さないからなぁ。きっと会わないまま卒業を迎えるのだろう。
「…わかったよ。じゃあ帰るか」
「うんっ!」
僕は教室内を見渡して、同じクラスに所属する我が部活動の部長である友人を探したが、姿は見えず、諦めることにした。
わざわざ部室に顔を出すのも面倒だし。後でメールでも送っておこう。
何故だかニコニコと嬉しそうな笑顔の陽を連れ、僕は教室を後にした。
◆
外は綺麗な夕暮れで、タチの悪い残暑のモヤモヤした蒸し暑さは和らいでいた。
陽と並んで、通学路である商店街を歩く。
今は九月。
夏休みが明けて日数が経過したが、相変わらず授業はマッタリ感あふれるテイスト。
僕らの通う学園は一応有名な私立で、レベルもそれなりに高い。しかし学園全体に漂うお気楽ムードは無視できないものがある。
ま、どうでもいい話だけれど。
「吹く風が涼しいねぇ。もうすっかり秋だよ秋。楽しみな季節だぁ!」
「お前は色気より食い気だからな」
「ぅぐ…否定はできないけど……そうじゃなくて!来月は年間で最大の行事、学園祭だよ!?」
ほっそりとした人差し指を、僕の眼前に突きつける陽。
「今年もやって来たか…最も過酷でヘビーな行事が…」
ウチの学園祭と言えば、そこそこ有名で、ここら辺の高校でも一番大規模な学園祭だ。
もう動き出しているクラスもあるよな、確か。
その分、毎年かなりの盛り上がりを見せ、僕のように祭りが苦手な人間は非常に場違いである。
「ウチのクラス、今年はお化けの仮装をするらしいよぉ。仮装して何するかは知らないけど」
お化けの仮装?
お化け屋敷か何かだろうか。
どちらにせよ、面倒に変わりはない。
裏方希望で。
「アキトは何かなぁ…やっぱり容姿的にドラキュラかな!?…あぅ…アキトのドラキュラ…似合うよぉ!血ぃ吸われた〜い!!」
顔を赤らめて身をよじり、妄想全開の陽。
みっともないからやめろ。
「僕は裏方がいいんだが…」
「結婚を約束した男女…しかし突然、花婿が自分は吸血鬼であると告白!…花嫁(私)の体を前にして、自分を抑えきれなくなった吸血鬼(アキト)…そしてとうとう―――!!」
聞いちゃいねぇ。
恍惚の表情のまま、陽の一人芝居は続く。
「首筋に突き立てられる欲望の牙…美しくも残酷で、血塗られた愛のカタチ…あぁ…素敵すぎる…そしてそのままベッドイン!!」
おい!!
僕は耐え切れずに突っ込みを入れる。
「あのなぁ!僕は仮装もしないし、血も吸わないし、ベッドインもしねぇよ!タチの悪い妄想はやめろ!!」
僕の言葉に陽は不満げな表情になる。
「むぅ…でも仮装くらいはしようよ。クラスの雰囲気ってもんがあるでしょーよ」
ぬ。
陽にしては珍しく正論である。
まぁ、いくら僕がイベント嫌悪症候群だとしても、自分のワガママでクラスの輪を乱すようなお馬鹿さんではないつもりだ。
「一応、考えとく」
念のため、否定も肯定もしないでおく。
「……ドラキュラかぁ…」
何やら、陽がボソボソと呟いている。
聞き取ろうとした僕が体を傾けると、いきなり陽が抱きついてきた。
「は!?」
次いで、首筋に甘噛みの感触。
何をされたのか、瞬時に理解。そして驚愕。
商店街のど真ん中だっての!
しかも超地元!
ほら、顔見知りのオジちゃんオバちゃんばっかり!
『今日も仲が良いねぇ』的な視線がやけに痛い!!
このままではマズイと直感で悟る。
「何しやがるヒナ!」
僕は強引に陽を引き離す。
あ、ちなみにヒナってのは陽の略称です。説明するまでもないか。
そして、一目散にここから退避を試みる。
ギアを思い切って6速まで上げて、走り出す。
そんな僕の後ろを、陽は笑顔のまま追いかけてくる。
怖い怖い!!
「もう…そんなに急いでどうしたのアキト?……あ、分かった。『家に帰って続きを早くやろうぜ!』ってことね!合点だぃ!!」
「ちげぇ!!」
季節は秋。
風が香る夕暮れ。
走る僕。
空は、とても綺麗な茜色だった。
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