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組曲〜移し身の双子〜
作:マオ



弐・アスリート〜狂想曲(カプリッチオ)・4


 パァン!
 スタートを告げる音。一斉に走り出す選手たち。
 その中に、どうして自分が加わっているのか。
 明彦は苦く思いながらも走っている。ぐんぐんと風を切り、ほかの選手を抜かしながら。
 他より遥かに早くゴールラインを越える。脇でタイムを計っていた女子が歓声を上げた。
 予想を上回るタイムだったのだろう。ほかの部員たちも走り寄ってきてストップウォッチを覗き込んでいる。
 そんなに速かったのだろうか。ただ思い切り走ってくれと頼まれたから走っただけだ。
 ざわざわしている部員たちの中から、嬉しそうな声が上がる。
「ほーら見ろ! 俺の目に狂いはなかったっしょ!? 確かでしょ!? スカウトした甲斐があったでしょ!?」
 大声を上げているのは、奴だ。
 蛍光灯に頭を一撃されても、残念なことに阿呆具合は変わらなかった。
 そして、明彦をかばった奴の右耳はなくなっている。あの後救急車で病院に運ばれ、奴の右耳が根元から千切れてしまっていたことが知れた。鼓膜には異常はなく、音を聞くことは出来るが、ホコリやゴミが入りやすくなっているので注意が必要とのこと。
「まいったよ、蛍光灯に耳喰われちゃったー。病院で先生が度肝抜いてたさ。千切れてるーって」
 退院してから、右側頭部にガーゼを貼って登校した奴を見て、明彦は自分をかばって負った怪我だということを忌々しく思った。
 これではもう、断れない。大きな借りができてしまった。
 そして、明彦は陸上部に入部した。するしかなかったのだ。奴は気にすんなよと言ったが、気にしないほうが無理な話である。
 息を整えて、周りを見た。口々に凄い、速いと部員たちは騒いでいる。
 確かに奴の目に狂いはなかった。明彦は短距離のスプリンターとして、類まれなほどの足力(そくりょく)を持っていたのだ。
「俺を褒め称えなさーい。特に女子! 惚れてもいいよ!」
 明彦のタイムが速くてどうして奴がはしゃぐのか。走った当人でもない奴に、女子が惚れる理由などないだろう。
「阿呆だろ、お前」
 心の底から言ってやる。
「ま! ひどいわ!? あなたっていつもそう! そういう男よね」
「それ、前にも聞いた」
「うぉお!? 皆瀬が……皆瀬がツッコミをっ!! お兄さん嬉しいっ! 成長したのねっ」
「……何秒だったんです?」
 感涙にむせぶフリをしている奴は放っておいて、タイムを計っていた先輩女子に話しかける。
 女子ははしゃぎながら見せてくれた。高校生男子の百メートル平均タイムを知らないので、このタイムが速いのか遅いのかの判断がつかない。周りで速いとか騒いでいるところから考えると、速いのだろうか。一応訊いてみる。
「これ、速いんですか? 遅いんですか?」
 速いよ! 全員に凄い勢いで即答された。思わずのけぞる。その反応に、嬉しそうに奴が明彦の肩を叩いた。
「ほら、言ったでしょ。天然なんだよ、皆瀬は。超のつく天然。すごいでしょ? 天然記念物級の天然よ?」
「……意味が分からんぞ」
「ほら天然だ」
 笑い声が上がった。部員全員が明彦を見て笑っている。笑う意味が分からない。眉を寄せる明彦はため息をつきたい心境だった。
 こんなところでこんなことをしているヒマなどないのに。
「まぁまぁ、そんなに嫌そうな顔するなよ。これから俺と一緒に全国を目指そうぜ!」
 明彦の憂鬱ゆううつも知らずに、奴は嬉しそうに言い切った。


 一年が過ぎる頃、明彦は県大会で優勝した。全国大会にも出たが、そのときは五位だった。
 奴は県大会までは一緒だったが、全国までは行けなかった。実力の差が出始めたのだ。
 一度やると決めた以上、明彦は真面目に部活に出た。練習量は奴と同じ。でも、タイムの差は広がるばかりだ。そして、学力でも明確に差があった。
 遥かに高いレベルの高校にも行けたが、体調不良のせいで落ちた明彦と、運動しか出来ない奴。
 どうしようもない、差。
「何でも出来ていいな」
 最近奴はそう言うようになった。走る明彦とのタイムが広がれば広がるほど、奴の目はどんどんすさんでいったように思う。
 それでも、走っている間は楽しそうだった。
 いやそうな明彦と違って奴はいつでも楽しそうだったように思う。
「楽しいか?」
 一度訊いた明彦に、奴は即答した。
「楽しいよ。楽しいだろ?」
 どこがだ。言ってやりたかった。お前の怪我さえなければ部活なんて入らなかった。今でも勉強はしている。だが、ほかの高校に移ることはあきらめた。あきらめるしかない。こいつに借りを作ったまま編入するのはイヤだった。全国全国とうるさいので、せめて全国大会で優勝してやるまでは辞められないだろう。
 このままの練習量でいけばそう遠くないうちに優勝できると思う。そのときこそ胸を張って辞めてやる。
 右耳を失った奴にどれだけ頼まれても辞めてやる。
 全国で優勝してしまえば、陸上部に在籍する理由がなくなるはずだ。まぁ、県大会で優勝し、全国でも五位に入ったことで、アチコチでかなり印象が良くなったようだが。
 勉強でも校内トップを突っ走る明彦である。まさにどこに出しても恥ずかしくないような生徒だろう。
 やらないよりはマシだったかな。最近ちょっと思うようになったが、それでもやっぱり早く辞めたい。ため息をつくことが多くなったように思う。
 目指すことでないことをやらされていると思うからだろう。
 その日も、いつものように練習を終え、着替えて出てきたところを顧問の教師に捕まった。
 次の大会も期待しているから、体調に気をつけろよとか言われた。言われなくても気をつけている。早く優勝して辞めたいのだから。
 体調不良で一度受験に失敗しているので、風邪などには人一倍気をつけるようになっていた。特に大会前は余計だ。
 咳のせいで最下位だったなんて結果は目も当てられない。次こそ全国で優勝しなければ。
 顧問と別れ、校内を出た。帰り道はすでに暗い。
 早く帰って勉強しよう。思いながら足を速めたときだった。

「もう片方の耳もやるよ! だから!!」

 声がした。奴の声だ。
 物騒な単語が聞こえたような気がして、明彦はそちらに足を向けた。
 もう片方。
 耳。
 やる。
 ――どういう意味だ!?

            ***

 手を繋いだ双子がいる。同じ顔、同じ長さの髪、同じ服、同じ靴。
 違うのは表情があるかないか。
 片方は笑っていた。片方は何の表情も浮かべない。
 双子に、少年が叫んでいる。
「もう片方の耳もやるよ! だから!!」
 必死に、少年は叫んでいる。
「あいつと同じくらい……いや、あいつより速く走れるようにしてくれ!!」
 最初は勝てると思っていた。自分より下だと思っていた。どれだけ手を抜いて走っていようと、あいつは自分より遅い。
 勉強ばかりしているあいつに負けるはずがない。運動神経には自信があったから。
 自分より遅くても、陸上部部員の中では速いだろう。充分戦力になると思ったからしつこく勧誘した。
 でも、結果は。
「あいつより速く走りたいんだ!! それが駄目ならあいつを俺より遅くしてくれ!! 陸上部にいられなくなるくらいに!! 足折るなりなんなりしてくれよ!!」
 自尊心は吹き飛んだ。勉強だけでなく、あいつは運動も堪能だったのだ。
 ずるいと思った。勉強も出来て運動も出来て、自分の望むもの全てを持っているあいつ。
 羨ましい。妬ましい。誘わなければ良かった。
 片方の耳を差し出してまで勧誘したことを、少年は忘れている。
 一年前、少年は双子に言った。
『そうだなぁ、要らないトコっていえば耳かなぁ。あ、鼓膜じゃなくて、耳。聞こえなくなったら困るし……本当にかなうかどうか分からないから、耳の片方かな。それであいつが陸上部に入ってくれればいいけど』
 一年前、少年は片耳を失った。ひきかえのようにあいつは陸上部に入った。
 少年の望みはかなったのだ。
 でも。
 くすくす。音亜が笑っている。必死な様子の少年を笑っている。
 優亜が首をかしげた。可愛らしい顔に表情のないまま。
「貴方のはもう要らない」
 宣告のように言う。
「駄目だったから、要らない」
「ダメ? ダメだったって、何が!? 何で!」
 少年の声に、笑いながら音亜が告げる。
「だって、駄目だったんだもの。だから、要らないの」
 くすくす。楽しそうに笑いながら。無表情な優亜と手を繋ぎながら。
「ばいばい」
「ばいばい」
 さよならと、双子は言う。
「ま、待ってくれよ、頼むよ! なぁ!」
 びゅう。勢いよく風が吹き、目をつぶった一瞬に双子の姿が消える。
「待ってくれよぉっ!!」
 答える声はない……。

          ***

 どういうことだ。
 今聞いたことは何だ。
 明彦は壁に背を預け、地面を睨みつけるようにうつむいた。
 あの双子。見覚えがある。わけの分からないことを明彦に言ってきた双子だ。
 奴と知り合いだったのか? そのわりには会話がおかしかったような気がする。
 耳。もう片方もやると言った奴。要らないと言った双子。
 何を言っているんだ? 奴の耳は事故でなくなった。爆発事故で落ちてきた蛍光灯でちぎり飛ばされたはず。
 そうだ、奴は明彦をかばって蛍光灯を頭に。
 血まみれになった奴を見ている。ずっと上着で傷を抑えてやっていたのは明彦だ。
 思い返して、ハッとした。
 右耳。
 血まみれだった顔。抑えていた自分。血のしみこむ感触まで覚えている。
 明確に覚えている。抑えていたのは奴の右側頭部。手に当たる感触は、確かに耳だった。
 あのとき、奴の頭には耳がついていたのだ。
 でも、退院してきた奴は言っていなかったか?
『病院で先生が度肝抜いてたさ。千切れてるーって』
 病院で切断されたのではないのか。
 では、あったはずの耳はいつ、どこで千切れたのだろう?
 救急車の中か? それとも乗る前か? 救急隊員が来て、明彦の手が離れるまでは、確かに奴の耳はついていたはず。

「貰ったの」

 声に明彦はハッとして振り返った。












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