狼少年見つけました
「彼の耳はうさぎの耳」と同じ世界観ですが、未読でも問題ありません。
そう、思えばあの日からだ。思い返すのはひと月ほど前の昼休みのことである。
お弁当を食べ終えて、あたしは何となく甘いものが食べたくなって購買に買いに行くことにした。それを一緒にお弁当を食べていた友人たちに告げると、同じクラスの直人が一緒に行くというので二人で購買に向かった。直人は口数の多いタイプではないし、むすっとしていることが多いので誤解されがちだけれど優しい。きっとその日も一人で行かせるのもなんだとかそんなことを思って着いて来てくれたに違いない。
「――いったー!」
「……何もないところで転ぶか?普通」
「うう。ありがと。ほんと、なんでこんなところで転んじゃったんだか。……あれ?直人、なに猫耳なんて着けてんの?」
直人がそう言った通り、あたしは何の凹凸もない平らな廊下で足を滑らせて転んだ。強かにお尻を打って、その衝撃がぐわんぐわんと波打つように体に巡る。頭は打っていないはずだったが、何となく目眩にも似た余韻がある。
差し出してくれた直人の手を有難く思いながら掴んで立ち上がり、パンパンとスカートに付いた砂や埃を両手で払い落とす。そして何気なく直人の顔を見ると、その頭部に見慣れないものがついている。ツンと尖って柔らかそうな毛並みのそれが直人の黒髪の紛れるように前頭部についているのだ。
「バッ……!これは狼――じゃねーよ!彩子、頭でも打ったんじゃねーの」
「え?直人、どこ行くの?」
「購買。彩子はプリンだろ。買ってきてやるから、さっさと教室戻ってろ。――それから。次、変なこと言ったら絶交だからな!」
直人は顔を真っ赤にして言い切ると、そのままあたしに背を向けて足早に歩いて行ってしまった。そして私に背を向けたその姿を見て気付いたことがある。
「直人……尻尾もついてるんだけど」
ふさふさと豊かな毛並みが靡くそれは確かに猫というよりかは狼のものだろうと思われた。しかし、それにしてもだ。
「あれ?今日ってハロウィンだっけ?」
思わず独り言を漏らしてしまったが、今日の日付は十一月に入ったところ。ハロウィンは二週間ほど前に終わっていた。
そもそも、グループの中でもあまり騒いだりしない彼がハロウィンの仮装をすることに違和感がある。そんなもやもやを抱えながら教室に戻ると、彼は平然とクラスに馴染んでいた。
――彼一人だけ、狼の仮装をしたままで。
あれから一月ほど経った。初めはクラス、学校総出でどっきりか何かを仕掛けているのではと疑ったあたしもいた。だが、一日が経ち、二日が経ち、一週間が経ってもどっきり!とでかでかと書かれたお決まりのプラカードがいっこうに現れないのである。それどころか、私語や授業中にふざけると怒り狂うと有名な真面目な先生の前でも直人は耳と尻尾を着けたまま。
――というか、常に着用しているのである。直人の頭の上についた耳は先生の方向を向いているかと思えば、時折こちらの方を向いたりもする。直人は平然としているし、彼のそれを不躾に見るような視線も感じられない。普段そういうことをしなそうな直人がそれを着けることによって、不自然さをアピールしているのかと思ったが、何だかそれにしては平然としすぎているのだ。
そこであたしは思い至る。
もしかして、「アレ」はあたしにしか見えていない?……なんて、そんなわけないか!
ぐるぐると思いつめたあたしは手っ取り早く直人に直接聞くことにした。そもそも、こうやって何かに思い悩むことすらあたしらしくない。
いつまで経ってもネタ明かしをしてくれないし、いい加減どっきりならどっきりで終わりにして欲しい。そもそも、こんなに長いことみんなでどっきりを仕掛けるなんてそろそろ酷い。
「ちょっと、直人。話があるんだけど」
「え?」
「きゃー!告白?告白?」
「お前らようやくくっ付くの?」
戸惑った顔の直人の横で騒ぎ立てるのは同じグループの友人たちだ。仲が良いはずの桃や、大地がにやにやとからかうような笑みをあからさまに浮かべてあたしたちを見ている。
「うーるーさーいー!直人、こいつらうるさいから早く来て」
「お、おう」
そしてあたしは黙って着いてくる直人を人気の無い理科棟の廊下の突き当たりまで連れて行った。
「――それで?いい加減それの説明して欲しいんだけど?」
「そ、それ?」
「だから、その耳と尻尾!ふざけるのも大概にしてよね」
あたしよりも頭一つ分背の高い直人を睨みつけるものの、背の高さがあまりに違うので直人は聞いている様子もない。だけど気まずそうにあたしから目を逸らし、余裕たっぷりな様子でゆっくりと瞬きをしながら廊下の隅の方を見ている。
「……やっぱり、彩子に視えてるのか?」
「見えてるよ。だって直人のキャラにコスプレって合ってないじゃん」
直人の声色はまるで思いつめた人のようだ。そんな直人に向かってあたしは当然のように言い放つ。
面白キャラでグループのムードメーカー的な大地がコスプレしてふざけているなら、まだ話は分かる。しかし、それをしているのはみんながふざけているのをどこか冷めたような目で見ている直人である。クールキャラとでも言うのか、それが他の女子たちには格好良いらしいけれど。とにかく、あたしの意表を突くためにそれをしているなら大成功だが、いい加減からかうのも終わりにして欲しいというわけだ。
「これ、実は……本物」
「確かに偽者にしては作りが精巧だけ、ど?え?何?」
神妙な顔で言うものだから聞いてみれば、彼は着けているそれが本物だとのたまった。まさかとは思うが、剥製でも着けてるとでも言うのだろうか。それはそれで大層趣味が悪い。……というか、結構引く。
「……手、貸して」
「え?はい?」
「触れば分かる」
そう言った直人は半ば無理やりにあたしの右手を取って、それを彼の前頭部についているもふもふの耳に触れさせた。
「……あの、これ、温かいんですけど!」
「だから本物だって言ったじゃねーか」
直人はそう言ってムスッとした顔でまたそっぽを向いた。そう言いながら、彼の顔は違う方を見ているのに耳だけはあたしの方を向いたままの状態である。
「いやいや、そうですけど!」
「うるさい。そんなに声出さなくても聞こえてる」
「え?何、これ?っていうか、直人って何?誰?」
「誰って何だよ、月原直人。分かりやすい言い方するんなら、狼人間」
混乱と書いてパニックと読む状態にいるあたしを一瞥して、直人はおかしそうに笑った。
「狼人間?」
「そういうこと。言っとくけど、耳も尻尾も彩子にしか見えてない。誰に言ってもいいけど、頭おかしいと思われるのは彩子だからな」
「何であたしにだけ見えてるの?」
「知るか。俺だってお前が初めてだし。じゃ、話がそれだけならそういうことだから」
「え!ちょっと待って!」
そう言ってそこから去ろうとする直人の腕をぎゅっと掴んで引き止める。あたしよりも力の強い直人がその気になれば簡単に振り払えるであろうと思われるのに、彼はそれをせずに掴まれたところをじっと見ていた。
「……何だよ」
「尻尾も触らないと信じられない」
「別に俺はお前が信じようと信じまいとどっちでもいいんだけど」
「信じられない!」
「……分かったよ。ったく、触りたきゃ触ればいーだろ」
大切なことなので二度言います、を実践すると直人は呆れたようにため息を吐いて、大人しくあたしに尻尾を差し出してきた。目の前にはふわふわ、ふさふさの豊かな毛並みに包まれた尻尾。あたしは壊れ物でも触るような気持ちでそれに手を伸ばす。
「きゃー!ふわふわ!何これ、超気持ちいいんだけど!」
「フン、当然だろ」
興奮気味に直人を見れば、彼は当然のように頷いてその尻尾をゆらりと揺らす。
「ねね、他にもいるの?狼人間って」
「学校にはいねーけど、いることにはいる。あー、……そういえば二年のサッカー部のエース、あれは兎だろ」
「兎?なにそれ、毛が柔らかそう……。桃がイケメンって騒いでた人か。触らせてくれるかな?」
「ばっ……!彩子には俺がいるだろ!」
何となく興味を持って聞いてみれば、直人は少しだけ考える素振りをして二年のサッカー部のエースの名を上げた。確か桃がイケメンだと騒いでて、何度か遠目には見たことがある。それを思い返していると、直人が少しだけ苛立ったような様子で尻尾を立てた。
「え?だって、狼と兎って結構違うんじゃない?ラビットファーってめっちゃ柔らかいじゃん」
「兎は動物園にでも行けば大抵触れるだろ!触れる狼なんて俺しかいねーんだからな」
「確かにそれはそうかも」
子供の頃にふれあい動物園で触れたした兎のことを思い浮かべる。人によく慣れ、餌を与えながら撫でた兎はとても柔らかい毛並みをしていた。しかし、直人が言うことも尤もである。兎には触ろうと思えば触れるけれど、狼は日本では絶滅してしまって動物園の檻越しにしか見られない存在。確かに触れる狼というのは直人だけだろう。
「だろ?だから、彩子は俺に触っとけばいーんだよ!分かったか」
「はーい」
「だから、他の男には触るなよ」
そう言って直人はいつになく真剣な顔をしてあたしの手をぎゅっと握った。彼の言葉どことなく熱を含んで、先ほどまでのトーンと違う。
「あれ?それは何か違わない?」
「違わない。彩子、俺の事嫌いか?」
「や。嫌いじゃないけど」
「だろ?だから、俺の女になれよ」
「ん?え?」
「嫌か?俺の彼女になってよ」
直人の声があたしの耳元で響く。あたしは直人の尻尾を撫でながら、俯いてそれを聞いていた。
「……嫌じゃない。――直人も、他の子に尻尾触らせちゃだめだよ?」
「お前にしか視えてねーよ。……それでも、お前にしか触らせねーよ。そんなとこ」
直人の言葉がじわじわとあたしの胸に広がる。今はとにかく照れくさいけれど、でも、彼氏、彼女という関係がくすぐったくも嬉しく感じるのもまた事実なのだった。
関連作「彼の耳はうさぎの耳」
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ちなみに狼の生態を私が調べた中から簡単に。
目を逸らしたり、目を閉じたりするのは信頼している相手に警戒していないという意思を伝えているのだそうです。そんな妄想の結果でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!