「ほんとに、こっちで合ってるのか?」
ブレーキを引いて自転車を止め、ぼくは、後ろをふり返った。
「たぶん」
答える涼香は、どこか自信無さげ。
「健斗、いじめんなー!」
「そうだ、そうだ!」
ハンドルに寄り掛かって、右手をふり上げて、健史と香住がこうぎして来た。
地図を広げた涼香の、左右に並んで自転車を止め、のぞき込む二人。
「目印になりそうなモノ、少ないよね」
と、涼香。
「田んぼばっかり」
「夏だと、涼しそうだよね」
「カブトムシ、取れるかも」
近くにあった、枝のたれている、細い木のみきをけとばしながら、健史がそう言った。
あたりを見わたせば、水のぬかれた田んぼが一面に広がっていて、ボロッちい小屋や、電柱、小さな家が、ちらほらと見えるだけ。
すれちがう車も、ほとんど無かった。
一つ向こうの山の先が、こんなけしきだったなんて初めて知った。
「クヌギじゃ無いって、それ」
ぼくは、健史に向かって、そう言った。
「ヤナギの木にも集まるらしいよ」
そう答えたのは、いがいにも涼香。
「初めて聞いた」
「オレも」
思わず見つめ返す、ぼくたち。
「ちょっと意外だなぁ」
涼香を後ろからつっつきながら、香住が、いじわるく笑う。
「うん?」
涼香は、ふりかえりながら、小首をかしげる。そういうしぐさに、いっしゅん見えた横顔も、かわいいと思う。
「涼香がそゆこと、知ってるのって」
そう言って、背中から抱きついた香住を、よろめきながら、受け止めている。
そういう事が出来る、女子同士って、少し、うらやましい。
「みんなのせいだよ」
涼香は、はにかみながら、そう照れくさそうに言った。
ぼくたちの、ほんのちっぽけなロスタイム。
とつぜんクラスメイトになった涼香は、来た時と同じくらいとつぜんに、遠くへ行ってしまう。
そして、そんなちょっとのフコウは続いているみたいで、涼香のひっこし先は、二つとなりの学区だそうだ。
直線で結べば、十キロのきょり。
『自転車で行けないきょりじゃないわよ』
大人のダレかが言った一言が、この旅の始まりだった。
「もうすこし、先にいってみようよ」
きゅうはっしんした自転車、その背中を追いかける。ペダルをこぐ足に、力をこめて。流れていく風は、冷たいのとふつうの間くらいの温度だった。
ほそうされていないあぜ道を、ガタガタゆれながら走っていく。
つき進むぼくたちを、よけていく風の道。
目の前の背中、後ろからついて来る車輪のひびき、風の音、鳥の声、草のざわめき、速まる息によっつのしんぞうの音が重なった気がした。とても、とても高いどこかから、ぼくたちを見下ろしたのなら、夕ぐれをとぶ鳥に見えると思う。
まっすぐに、空を切りさくように、地平線へまっすぐにとんでいるすがたは、きっと、にているのだと思う。
ふいに止まった、涼香。
あんまり急だったから、つんのめりそうになりながら、こらえて持ち直す。
「どうかし……」
そう言いかけて、言いおえることができなかった。
くるぶしに手を伸ばしていたので、しせんで追ってみたら、白いくつしたに、紅く血がにじんでいたから。
「だいじょうぶか? いたく無い?」
あわてて自転車からとびおりて、かけよる。
「ごめん」
いたいとも、つらいとも言わずに、ただあやまった涼香。泣きそうな横顔が、いっしゅん見えた。
だから、言葉が続かない。
「気にするなよ」
「そうそう、わるいのは、道と自転車とくつなんだから」
そう言いながら、かけよる二人。
「……ごめん」
もう一回、涼香はそう言った。
その声は、むねがおしつぶれされそうなほどに、ぼくを悲しくさせた。
もともと、涼香は、そんなに運動が出来る方じゃない。
それでも、こんかいばかりは、四人いっしょにと、車で横を走る案も、後ろに乗っかっていくことも、がんとして聞き入れなかった。
口では、せっとくしていながらも、ぼくたちは、それをよろこんでいた。
「サドルの上、乗ってろよ。引っぱってく」
涼香の自転車のハンドルを、手に取る。
「でも、さ」
すまなそうに指差した先には、たおれているぼくの自転車。
「あ……」
手の中の、涼香の自転車のハンドルと、自分の自転車を見くらべて、少しなやんでしまう。
「バーカ、バーカ」
指差して、笑いながら、それを拾い上げたのは、香住。
そして、そのハンドルをぼくに押し付けて、涼香をはさんで、反対側のハンドルをつかむ。
「そっち、引きなさいよ」
ぼくの右手に涼香のハンドル、左手に自分の自転車。何とかバランスをとりながら、かなりゆっくりと動き出す自転車。
「手が、空いてしまった」
後ろから、三人の列に健史が入って、四人が列になる。
ゴール出来ないことは、もうみんなわかっていた。
それでも、そうわるい気はしなかった。
とりあえず、ダメならダメで、れんらくをしないといけない。
「ケイタイ欲しいよね」
香住の横の健史がそう言った。
「アンタは、悪さするからダメでしょう」
ベッと、舌を出してからかう香住。
「ひでーの」
香住のまねして、舌を出してから「健史よりは、マシだって」と、しつれいなことを言い出す健史。
「そうそう」
と、うなずいたのは、涼香。
「いきなり、ぼくか!」
すかさず、つっこみを入れて、じょうだんだよな? というしせんで、見回す。
目をあわさないのも、じょうだんだと思っておこう。
「お! あそこ、コンビニっぽくない?」
見えてきた、平らな屋根のたてもの。
でも……。
「名前、変だぞ」
いかがわしげなひらがなで、どこかのパクリの店名がかかれている。マークもびみょうにちがっているし。
「だいじょうぶだって、電話ボックスあるし、中には入らないもん」
自信満々な香住は、電話番号をしらなくて、けっきょく、涼香にバトンタッチ。
「近くまで来てたみたい、五分もしないでお父さん来るって」
じゅわきを降ろした涼香は、そう言った。
聞き終えるころには、ざんねんさも少しまじってきていた。
さいだいの山場であった自転車旅行は、ここでしゅうてんになったから?
理由は、多すぎて、わからない。
それでも、目の前に止まったワゴンが、ずいぶん安心させてくれる。
とにかく、長かった、つかれた……そして、楽しかった。
おこられるかと思ったけど、ポンポンと背中を押されて、車に乗せられただけだった。
だって、けがもしてるし、ちゃんと着けなかったし。
バックミラーに、涼香の父さんと、母さんの顔が見えた。
その笑い顔に、すごく、たくさん、かんしゃした。
ひそひそとだった車での話し声は、いつのまにか大きくなっていて、ぼくたちの、このぼうけんのいぎょうについて、おたがいに語り合っていた。
そして、夕ごはんを食べながらも、たくさんのことを話した。
見てきたもの、聞こえたもの、ちょっとしたしっぱい、思ったこと、感じたこと……。
そして、ぼくたち四人は客間のソファーで、初めての夜更かしと、てつやにちょうせんしていた。
明日までの、帰る時間までを、ちょっともムダにしないように。
そして、それを、だれにもおこられなかった。
だれの両親にも。
それは、夜ふかしをおこられない、初めてのことだった。
時計の針は、昼間にしか見たことの無い位置に届いていたけど、話し終えるけはいは、ゼンゼンなかった。
いがいなことだったけど、元々のおさななじみの健史と香住のことで、知らなかったことも多くて、一年分しか知らない涼香はなおさらだった。
「そういえば、健斗ってようちえんのころ、しょうらいの夢に、ハカセって書いたんだよ」
よけいなことを言い出すのは、決まって香住。
「なんで? いがい」
「あれは……ウケたなぁ」
にやけ顔の健史にチョップして「そういうお前らは、何て書いたんだよ」と、聞き返す。
「しょうぼうし」
「およめさん」
まがおで答えた香住に、ちょっと、だまってしまう。
いがいだし、なんか……なんて言ったらいいんだろう?
「泣くぞ、このやろー」
コメントにこまっている内に、あばれだした香住。
「涼香は、なんて書いた?」
香住をなだめるのを、健史にまるなげして、そう涼香と向かい合うぼく。
「おぼえてないなぁ」
考える仕草をしてから、そういたずらっぽい笑顔で返されてしまった。
「それは、ずるいな」
「ズルー」
けっきょく、教えてはもらえなかったけど、なんとなく、おぼろげながら、その表情から、ちょっとだけよそうできた。
それが、どこかぼくをうれしくさせた。
初めて知った、たくさんのこと……。
こんな風に、じっくりと話すのはなかったから、とうぜんだったのかも知れないけれど。
ぜったいに、忘れたくないな、と、強く思った。
ずっと、ずっと。
「明日で、さよならかぁ」
ふけていく夜に、涼香の話す横顔が大人に見えて、悲しくなる。
「でも、これで、道をおぼえたから、また来られるよ」
と、早口でまくしたてたのは、健史。
それを「電話ボックスの場所も分かったしね」と、からかって、皆で笑い合った。
ソファーに座って、ずっとずっと話して、そのまま、つかれ果てて、眠ってしまったぼくたち。
掛けられた毛布に、気が付いたのは次の日の朝。
夢の中でも、ぼくたちは、四人でどこかを目指してかけていた。
ぼくたちの小さな世界の果てには、大人のてのひらがあった。
ぼくたちは、大きな何かに、守られていることに気がついた。
優しい、囲いの中の世界。
まだ先は長いけれど、いつかその守られている世界の外へ出た時に、こんなにも走った事が、頑張った記憶が、――そうした挑戦や無茶から、自分がどれだけ出来るのかを知るという事が、大切な力になると、気付いていなかった少年時代。
これは青春の一歩前の一日、自分と世界を知る第一歩。
その、小さな物語。
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