第六話(前編) そのままで。
受験直前まで、放課後と休日は一緒に勉強することを舞子と約束した。
放課後は学校の図書館で。
休日は弁当を持って、近くにある区立の図書館で。
受験日まで一月もない。とにかく基礎の基礎から叩きこまなければ。
そう思って練りに練って計画をたてた。にも係わらず、いきなり最初の土曜日でつまづいた。書庫の整理の関係で、土曜日から月曜日まで、休館という知らせが正面のガラス扉に張られていたのだ。
勉強の計画をたてるのに精一杯で、図書館の運営日まで確認していなかった。きちんとネットで検索しておけばよかった。いくら後悔したところで今更遅い。
近くに机と椅子の置かれた、大きな東屋のある公園があるのを思い出した。だが、いくら晴れているとはいえ、この寒空の下、風邪でもひかせてしまったら大変だ。
一体どうしたらいいんだ。
「あの……」
ためらいがちにかけられた声に顔を上げた。
「よかったら、うちに来ない」
どこか気恥ずかしげな表情で舞子が尋ねてきた。
「でも、急に行ったりしたら迷惑だろう」
「そんなことないよ! 迷惑どころかママ、凄く喜ぶと思う。優希君とお話してみたいって、ずっと言ってたから」
「お母さんいるのか」
決まった休みを持たない共働きの両親を持つ俺にとって、土曜日に母親がいるというのは、なんだか不思議な感覚だった。最もそれが、世間では一般的なのだろうが。
「いっ、いやだよね。舞子のうちなんかに来るの」
沈黙を否定と受け取ったのだろう。
「いやじゃないよ。お邪魔させてもらう」
焦ったように言葉を紡ぐ舞子を安心させようと小さく微笑む。
「よかった」
返答に舞子はフワリとした笑みを浮かべた。
舞子の家は、図書館から十分ほど東へ歩いた住宅街の一角にあった。日本でも有数の高級住宅地で、一区画が異常なまでに広い。その中でも舞子の家は群を抜いた広さだった。
そこら辺の幼稚園なんかより、ずっと広い庭は青々とした芝生の絨毯で埋め尽くされていた。冬だというのに至る所に見たことのない花が咲き乱れ、きつすぎない甘い香りが胸に心地よかった。
きっと母親の趣味はガーデニングなのだろう。仕事一筋で、庭いじりなどしたくないからと、マンションを購入した俺の母親とは正反対のタイプに違いない。会ったことがなくても、この手入れをされた庭を見ればわかる。
まてよ。俺、舞子のお母さんに会うの、初めてだよな。まずい。何だか緊張してきた。なんて挨拶すればいいんだ。しかも、手ぶらだし。
半分パニック状態に陥った俺をよそに、舞子は「ただいま」という明るい声と共に、玄関のドアを開けた。
軽やかなスリッパの音が徐々に近付いてくる。
「どうしたの、舞子。何か忘れ物」
「ううん。図書館が閉まってたから、うちで勉強することにしたの」
「あらあら」
「優希君、入って」
「お邪魔します」
舞子の言葉に身体が跳ね上がりそうになりながらも、冷静を装い玄関へと入った。
「あなたが優希君!?」
名乗るより先に嬉々とした声で名前を呼ばれ、驚きに視線を上げた。目の前に上品なピンクのワンピースに真っ白なエプロンを身に着け、満面の笑みを浮かべる小柄な女性の姿があった。きっちりと編みこまれた艶やかな黒髪に、薄化粧を施した少女のような顔立ちに、一瞬、お姉さんかと思った。だが、すぐに舞子が一人っ子であることを思い出した。
「舞子がね、優希君が、優希君がって、あなたのことばかり話すから、ずっと会いたいと思っていたの」
「お母さん! 余計なこと言わないで!」
真っ赤な顔をして、舞子は母親の言葉を遮った。
「あら、だって本当のことじゃない」
穏やかな笑みが舞子の言葉を受け止める。
美人というよりは、可愛らしいという表現の方がぴったりだ。背だって既に舞子の方が高い。パッと見、とても親子には見えない。
でも、包みこむような微笑みや柔らかな仕種は、いつもふんわりとした空気を纏う舞子に、とてもよく似ていた。
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