第十二話(後編) 今日という日。
感謝の気持ちをこめたカードを沿え、手提げを片手に家を飛び出したのは、三時を少し回った頃だった。
ランチの約束をドタキャンして、優希君怒ってないかな。
不安がないわけではない。でも、考えていてもしかたがない。とにかく会って、きちんと謝らないと。
はやる気持ちに勢い良く鉄製の門扉を開けた瞬間、驚く声が聞こえた。歩道を歩く人に当たってしまったのだろうか。
「ごめんなさい!」
謝罪の言葉と共に慌てて外に飛び出す。そこで私が目にしたものは、携帯電話を耳に当て、呆然と見上げる優希君の姿だった。
「どうしたの、優希君。こんな所で!」
「いや……えっと……舞子、突然帰っちゃったから、具合でも悪くなったのかと思って、心配で携帯に電話したんだけど、全然出ないし」
そういえば携帯、マナーモードにしたままだっけ。
「どうしても気になって、家まで来たんだけど。もしかしたら、舞子の気に障るようなこと言ったのかもしれないと思ったら、インターホン押せなくて、それで……」
小さくなる声と共に、徐々に視線が落ちてゆく。握り締めた拳が微かに震えていた。
ああ、そうか。
優希君も不安なんだ。
こんなにかっこよくて、勉強ができて、スポーツでもなんでも上手にこなせるのに。それでも、不安になるんだ。
私が優希君に嫌われないか不安なように。
「ごめんなさい。心配かけて」
「いいや、俺の方こそ、勝手に押しかけてごめん。どこか行く用事があるんだろう。俺、帰るから」
「あっ、待って!」
顔を真っ赤にして、慌てて立ち去ろうとする優希君の右腕をとっさにつかんだ。驚きの表情で振り返った優希君に、チョコレートブラウニー入りの手提げを差し出す。
「これ、バレンタイン」
「えっ?」
「ごめんなさい、優希君」
目を瞬かせる優希君に、私は深々と頭を下げた。
「舞子、今日がバレンタインだって忘れていて。ランチに行く途中で気付いたの」
「それで慌てて帰ったのか」
「うん。優希君には、いっぱいいっぱい迷惑かけたのに、バレンタイ忘れるなんて、本当にごめんなさい!」
「よかったのに」
深いため息の後、ゆっくりと紡ぎ出された言葉に顔を上げた。困惑した表情の優希君と目が合う。
「それだけ舞子が受験勉強に必死だったってことだろう。逆に朝会ってすぐに、チョコレート渡された方がショックだよ」
そう言って笑う優希君の姿に、張り詰めていた心と身体が、スッと軽くなるのを感じた。
ママの言うとおり。
優希君は全てをわかっていてくれた。
「ありがとう、優希君」
「俺の方こそ、ありがとう。これ、手作りなんだろう」
ラッピングでわかったのだろう。手提げの中をのぞきこみながら、嬉しそうに優希君は言った。
「うん。チョコレートブラウニー。おいしく焼けたと思うんだけど」
「くるみ入ってる?」
「あっ、うん」
「やった。くるみ入りのやつ、好きなんだ。ありがとう、舞子」
「私の方こそ」
突然帰った私を怒ることなく心配してくれて。バレンタインを忘れた私を許してくれて。なにより、今日という特別な日を一緒にいてくれて。
「ありがとう」
今日という日を、私は一生忘れないだろうと思った。同時に、今この瞬間のこの気持ちを、いつまでも忘れず大切にしたいと思った。
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