第十二話(中編) 今日という日。
玄関に入ると同時に、大粒の涙が溢れ出した。
優希君の前から逃げたところで、後悔も罪の意識も消えることはなかった。それどころか胸の痛みは増すばかりで、堪えきれずその場に泣き崩れた。
「どうしたの、舞子!?」
号泣する私に、ママがスリッパのまま駆け寄ってきた。
「どうしよう……ママ」
零れ落ちる涙に、うまく言葉を口にすることができなかった。
「舞子……舞子……」
「大丈夫よ、舞子」
柔らかな匂いと共に、優しい腕がふわりと私の身体を抱いた。宥めるように背中を掌が叩く。
「大丈夫」
大丈夫というママの声に、優希君の声が重なり、新たな涙が頬を伝った。
「大丈夫じゃ……ないの……舞子……今日……バレンタインだって……忘れてて……どうしよう……優希君に……嫌われちゃう」
チョコを渡すとか渡さないとかじゃない。嫌われることが怖かったのだ。口に出してみて、初めて自分の本当の気持ちに気付いた。
「どうしよう」
やっと仲良くなれたのに。
傍にいることを許されたのに。
「舞子」
温かな掌に両頬を包み込まれ、そっと顔を上げさせられた。涙で霞む視界に、深く澄んだ眼差しのママの姿があった。
「大丈夫よ、舞子」
「でも―」
「舞子は受験勉強に必死で、バレンタインのことを忘れていたのでしょう? そんな一生懸命な舞子を、優希君が嫌いになると思う?」
「でも……優希君は……」
舞子のために、お守りを買ってきてくれた。それだけじゃない。この一ヶ月間、舞子のことをなによりも優先させてくれた。
それなのに、私は―。
「何も優希君に……返せてない」
勉強をたくさん教えてもらった。お守りを買ってきてくれた。学校以外のほとんどの時間を、舞子のために使ってくれた。それなのに、私はなに一つ返せていない。自分のことに精一杯で、なに一つ返そうとしなかったことが悲しくて、膝の上に置いた手を強く握り締めた。
「ちゃんと返しているじゃない」
言葉の意味がわからず、涙で濡れた目を瞬かせる。そんな私に、ママは大きく微笑んでくれた。
「優希君は、舞子と同じ中学に行くことを望んだ。それに応えようとして、舞子は頑張った」
「それは、舞子の成績が悪かったせいで……」
「でも、優希君は嬉しかったはずよ」
思いも寄らぬ一言に、私は目を見開いた。
「自分のために好きな人が頑張ってくれる。こんなに嬉しいことはないわ」
「本当……に?」
「勿論よ。だって舞子は、自分のために優希君が頑張って勉強を教えてくれたこと、嬉しかったでしょう」
「うん」
「だったら優希君も同じはずよ」
そう言ってママは柔らかく笑った。花のような笑みに、波立った心が穏やかになってゆく。
「ありがとう、ママ」
ママはいつだって、私の欲しい言葉を与えてくれる。元気をくれる。抱えきれないほどの愛情を示してくれる。
大好きな大好きなママ。
「さあ、いつまでもそんな所に座ってないで。早くしましょう」
「えっ?」
先に立ち上がったママが、戸惑う私の腕を引いた。
「チョコレートブラウニーなら、舞子も作ったことあるでしょう。甘さも控えめだし、優希君、きっと喜ぶと思うわ」
「うん!」
ウィンクするママの姿に、言葉の意味を理解した私は、大きく頷き急いで立ち上がった。
|