65:星空と花火
七筋の光が、刃と化して襲いかかる。
「……乱心したか! 瞬刃!」
血に濡れた匕首を翻し、猟犬のような獣の動きで刃先を突き刺す。
光が五筋、同時に煌いた。
ミハイル・アレンスキー・ナザーロフは割かれた左肩を見下ろした。
「おっかねえ魔法だな」
「そうでもないさ、『北欧の守護者』」
滝川隆太は匕首の血を振り落とし、
「それで、校長はどこにいる?」
「……会ってどうする?」
「殺す」
隆太はごく自然に、昨日見たテレビ番組の内容を話すような気軽さで、そう言った。
国立魔術アカデミーの校長、弥栄玄一は校内のどこか――隠し部屋のような場所で日々を送っているらしい。しかし、それ以上探りを入れた情報屋は、ことごとく消されてしまった。隆太は校長の懐刀のミハイルを襲撃し、校長の居場所を吐かせようとしていた。
「アカデミーの校舎にいる。だが、それ以上は教えられねえ」
「……そうか」
やはり、悠斗を学外におびき出したのは間違いではなかったらしい。悠斗をアカデミーから遠ざけたのは、隆太は悠斗とだけは敵対したくなかったからである。
悠斗以外なら、どうにでもなる。健一郎や克己、クロードぐらいで退くような隆太ではない。
しかし、これからの行動次第では、せっかくお膳立てした今までの成果が水泡に帰してしまうこともある。
ミハイルは大型拳銃――デザートイーグルを構えた。
「で、お前はなぜ校長を殺したいんだ?」
「殺人に理由を求めるのか?」
ミハイルは意外そうに目を見張り、小さく笑った。
「それもそうだな。だが、今回ばかりは意味のない殺人じゃなさそうだと思ってな」
「……分かってるじゃないか。そう、今回の俺はただのシリアルキラーではない」
「………?」
「弥栄玄一の考えていることが分かってしまっただけだ」
どうしてアカデミーの校長が倉渕祐作を止めなかったのか――と考え始めたのが発端。
百人の学生が暴徒と化すのを、どうして黙って見ていたのか。どうして倉渕祐作の暴挙を黙認していたのか。どうして、たった十人の"生徒"にその鎮圧を任せたのか。
その答えは結果を見れば一目瞭然だ。
結果、悠斗たちはこの平和すぎる国で戦場を体験し、卓越した戦闘技術を身に付けた。一部の者はアカデミーを去ったが、支倉沙希や中島幽香のようにまだ悠斗と繋がっている者もいる。さらに、『嘲笑する虐殺者』の名前は海外の一部にも広まっている。アカデミーは過剰すぎる戦力を手に入れ、ネームバリューも高まった。
弥栄玄一はそこで魔法庁から横槍が入ることを予想した。これ以上、力を蓄えられると魔法庁の屋台骨が揺るがされる可能性があったからだ。そこで、事前に『黎明の魔石』という餌を用意し、草壁涼二を釣り上げて、さらに悠斗たちにぶつけた。これにより、悠斗たちはさらに戦闘経験を積み、魔術の技量を高めていく。
王聖魔術学園を吸収し発言力を高めたことも無視できない。
「草壁涼二が魔法庁に喧嘩を売ってるらしいな。それも、アンタたちの思惑にあるのか?」
「さあ、俺は何も知らないが」
「弥栄玄一は魔法庁を潰し、アカデミーをその後釜に据えるつもりだ。違うか?」
「………さあな」
ミハイルは黙り込んだ。
隆太は匕首を振るう。光が走り、闇夜を切り裂いた。
「えげつない魔法だ」
ミハイルの拳銃が火を噴く。魔力で構成された火焔弾が、隆太に襲いかかった。
引き金が引かれたとき、隆太の姿はもうそこにはない。
「――後ろか!」
ミハイルは背後に拳銃を向けた。
「逆だ、馬鹿」
隆太は最初から一歩も動いていない。トリックを使っているのだが、ミハイルにはそのことを看破するほどの器はない。
斬撃の光が、また煌いた。
ミハイルの肩に風穴が開く。
「止めだ!」
隆太は勝利を確信した。匕首を振りかぶり、背中を向けているミハイルに飛びかかる。
瞬間、ミハイルの口元が吊り上がった。
「―――!」
本能的な危機感を覚え、無意識の内に攻撃を止めてしまった。
ミハイルの身体から膨大なエネルギーが溢れ出している。
それは、純粋な電力。絶縁体のゴムさえも蒸発させてしまう熱量。
『雷槌砲車』の、戦車の砲撃。
圧倒的な力が、隆太に向けられた。
隆太は一目で理解した。おそらく、あれは幽香の炎のような、特殊な力が備わっていない代わりに、威力だけは馬鹿みたいに巨大な魔法だ。小細工を弄した卑怯な戦法を得意とする自分にとって、最も相性の悪い連中である。
判断は素早かった。
三十六計逃げるに如かず。
……失敗だ。
だが、確信は持てた。
弥栄玄一は――消さなければならない。
†
ウロボロスの輪。尾を食う蛇。
それは、自らの尾を食う一匹の蛇ではなく、お互いの尾を齧っている二匹の蛇だった。
「ふむ、ニーズヘッグの運命が変わったようじゃな」
漆黒の空を見上げていた老人が、低い声で呟いた。
都会のスモッグで夜空は薄汚れ、星を見ることすら叶わない。
それなのに、老人は星を読んでいた。
厳密には聞いてると言うべきか。
『星の声を受け取る御子』
老人を深く知る者は、その特異体質に畏敬の念を払い、そう呼んでいる。
この老人は教皇庁執政機関『長老会』の幹部である。
名前を知っている者は、どこにも存在しない。ただ、大老と呼ばれている。
「今までは食われているだけであった。内なる神から侵略され、自我を蹂躪され、やがて麻薬常習者のような有様になるだろうと思っておったが……」
朽葉悠斗は……ほんの少し、わずか一歩だけだが蛭子の侵略から抗った。
神憑きは神喰いとは異なる。神憑きはいつ爆発するか定かではない爆弾のようなものだ。手駒として扱っていても、いつ牙を剥いてくるか分かったものではない。
「そして、リリスと運命を繋げおったわ。……ホッホッホ」
老人は手帳を取り出した。
挟んであったペンで流麗なアルファベットを刻み込んでいく。
「これを、ミューゼルの兄に渡しておくれ」
すると、一陣の風が吹き抜け、老人の手から紙を奪い取っていった。
まるで風自らが進んで力を貸してきたような、奇妙な現象だった。
『速やかに日本から撤収し、本国に帰還せよ。その際に現地に滞在していた証拠は一切残さず抹消すること。なお、朽葉悠斗とクリス・リンディアに一名の監視を付けて置くこと』
†
焼け落ちる社殿を前にしながら、朽葉北斗は無言で腰を下ろした。
座禅を組み、読経でも始めるような落ち着き払った仕草で――刀を腹に当てた。
邪神の両目に射すくめられて、死ぬことに筆舌し難いほどの魅力を感じるのだ。今の北斗にとって"死"とは砂漠で見付けた一滴の水のようなものだった。北斗はそうすることが当然のように死に手を伸ばしていた。
――言葉も残さず逝こう。そう思っていた。
だが、血の繋がっていない息子の顔を見ていると、何とも言えない悲しみが込み上げてくる。
「……すまなかった」
厳格で通っていた朽葉家の当主が、初めて洩らした本音だった。
「お前は分家の者。朽葉本家のことさえ知らなかったな。魔術の才能があったのが不幸の始まりか、大人の勝手でお前のことを振り回してしまった。お前は何も言わなかったが、本当は幼馴染の女の子とずっと一緒に遊んでいたかっただろう」
邪神――朽葉悠斗は顔を背けた。
「お前の九歳の誕生日に、私はたしかこんなことを言った。『これで一人前の暗殺者だ。これからの朽葉家を裏側から支えてくれよ』とな。だが、忘れろ。もうお前は朽葉とは何の縁もない」
朽葉北斗は刀を腹に押し込んだ。
ぐっ、と声が零れる。だが、苦痛は表情に出さない。あくまで穏やかに微笑んでいた。
「この愚かな父を許してくれ。父親らしいことなんて、何一つできなかったが、いつか、お前に剣術を教えてやろうと思っていたのだが、それも叶わない…か……」
横一文字に腹が切り裂かれ、どろっとした臓腑が溢れ出す。前かがみになって動かなくなった朽葉北斗に、もう生命の炎は灯っていない。そこにあるのは、ただの物体。タンパク質などで構成された、魂の欠けた存在だった。
「――愚かな。貴様たちの教育でこやつの精神が蝕んでいなければ、この童が我が招きに応じることはなかったのだ。貴様たちがこやつを魔術師にしていなければ、この童に宿った我とてこれほどの力は発揮しなかっただろう」
邪神は苦笑した。
そして、新たな乱入者が現れる。
「――おのれ! よくも父上を!」
邪神は稲妻の太刀を奮う義兄を迎え撃った。
「久しいな、建御雷神! そうか! お主は朽葉に組したのか!」
邪神は両手を広げた。最早、度重なる戦闘で魔力が残っていなかった。
屠った数は百に上る。邪神に未練はない。今回の宴はいつもより楽しかった――。
それぐらいの感想しか抱けないのである。
「ハハハッ、ハハハッ、アーハッハッハ!」
朽ち果てる社殿。蛇の刃、朽葉。それは朽ち果ての朽果だった。
†
花火が打ちあがる。虹色の花弁が開花し、極彩色の調べを奏でている。絶妙なイルミネーションと、小気味の良い破裂音が、見た目の派手さとは裏腹に寂しさを彷彿させてくる。
「……綺麗」
そこは小高い丘だった。
神聖な空気が漂っている不思議な空間。
かつて、ここには神社が建っていた。今となっては鳥居しか残っておらず、付近の住民さえここに何があったのか魔術で忘れさせられている。もう、ここを訪れる者は自分たち以外に誰もいないはずだった。
この寺社仏閣にある独特の空気が、記憶の海に仕舞いこんだはずの悪夢を引き出してくる。
悠斗は花火に心を奪われている咲夜の横顔を眺めていた。
……お前の方が綺麗だけどな。
そのような、歯の浮くような台詞を悠斗は持ち合わせていない。
こう言うときはどうするべきなのだろう。モテる割には恋愛諸事情に疎い悠斗は、こんなときは困惑する一方だった。百戦錬磨の頭脳も、ここに至っては何の役にも立ちはしない。こんなことになるなら草壁から大人の口説き文句を教えて貰うべきだった。
……手を握っても良いのか?
悠斗の思考はグルグルと回転して、無限ループに突入する。
嫌がられないだろうか。でも、そこまで消極的だと……。でも、それだと逆に嫌われるかも……。
「どうしたんですか?」
「あっ、いや……えっと、そうだな……」
「………?」
咲夜は普段通りの無感動な瞳で、静かに悠斗を見つめている。
彼女は何も要求していない。だが、無言で、無表情で、でも心の奥底では悠斗に期待している。悠斗のことを想っている。自分には勿体ないほどの純粋な心を持っていて、見ているだけで眩しくなってくる。
だから、もう諦めた。
色々と、くだらないしがらみとか、隠していること。
「……なんかもう、泥沼だよな」
自嘲的に呟き、星空を見上げた。
「なあ、咲夜」
「はい、なんですか?」
「俺の手には一つだけ餌があるとしよう。で、俺の周りには何匹も犬がいるんだ。このとき、俺はどうするべきだろうな?」
咲夜たちのことを犬にたとえた酷い話だった。
ロクでもない男だな、俺って――と思い、もう苦笑いするしかなかった。
「……そうですね」
咲夜は数分ほど思案した。
悠斗にとっては数時間にも感じられる、地獄の時間である。
「悠斗さんの好きなようになされば良いと思います」
「本当にそれで良いのか? 犬が飢えることになっても、そう言えるのか?」
「その時はその時です。私たち与えられる側は、飼い主に過剰な要求を抱くべきではないですから。私たちは見返りを求めて、貴方を慕っている訳ではないんですよ?」
――たとえ話なのに見抜かれてる。
「そうか。お前は俺には勿体ないぐらい良い女だよ」
「それも今さらですね」
見くびらないで下さいと、咲夜はクスリと微笑んだ。
悪戯っぽい微笑みに、悠斗は堪らなく愛らしさを感じてしまう。
「ここで父親が死んだんだ。自慢ではないけど最低な父親だったよ」
「本当に自慢ではないですね」
「そう、本当に最低な奴だった。でも、死ぬときだけは立派な父親になりやがった。アイツはクソ兄貴だけを見ていたよ。血の繋がっていない養子のことなんて、目もくれなかった」
「嫌いなんですか? そのお父さんのこと」
「ああ、大嫌いだ」
悠斗はううんと背伸びした。空を見上げるのも飽きてしまった。
花火はすっかり終わっている。
「でも、責任があるからな。アイツは俺が殺した。せめて、あの夏の地獄の日に供養してやらないと、あの親父に呪い殺されてしまう」
悠斗は肩をすくめた。
その背後から細い腕が飛び付き、悠斗の首に巻き付いた。
咲夜が無表情を崩し、ムスッと頬を膨らませた。
「お互い因果なものを背負ったものよね」
「……父殺しのことか?」
クリスは返事をせず、悠斗の首筋に頬を擦り付けた。
その過剰すぎるスキンシップを見せられるたびに、咲夜の機嫌がどんどん悪化していく。
「マーキングのつもりですか、メス犬」
「あら、もしかして妬いてるの?」
「妬いてませんから! さっさと悠斗さんから離れなさい!」
「やだ。悔しかったら貴女も抱きついてみれば?」
クリスは挑発的に微笑むと、悠斗の耳に息を吹きかけた。ゾクゾクゾクッと背筋に快楽のような震えが走り抜ける。やばい。これはやばい。
……と言うか咲夜さん。貴女全然受け入れてないじゃないですか。
「まあ、貴女が後ろから抱き着いてもその胸だとね……」
「……一度死んでみますか」
「貴女にできるものなら、やってみなさい」
悠斗は二人の言い争いの間に立たされながら考えた。
……俺はどこで選択を誤った?
朽葉悠斗の人生の岐路は幾つも存在する。清水瑠璃との出会い。朽葉本家への養子縁組。神憑きの覚醒。朽葉家からの離反。川崎美野里との遭遇。そして、アカデミーへの入学。
清水瑠璃との出会いが悪夢の始まりなら、神憑きの覚醒は悪夢の佳境に入ったところだ。
あの地獄の日――。
人々の記憶から消え失せた、神社焼失の日に。
本来行われていなかったはずの夏祭りが行われるようになった。
「あの花火。まるで供養の花だな……」
「どうしたの、悠斗?」
咲夜とクリスが喧嘩を止めて、急に黙り込んだ悠斗を不思議そうに眺めている。
二人とも神妙な顔をしていて、悠斗は思わず苦笑した。ここで、二人とも同じ顔をしているぞと言えば、また喧嘩が始まってしまうのだろう。
「ああ、いや……。何でもない」
悠斗は花火が枯れた夜空を見上げた。 |