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LastDarkness
作:風美



58:奇襲と刺殺


 寝起きは最悪だった。夢見が悪すぎる。どうして今頃になってあの頃の夢を見たのだろう。あの悪夢は朽葉悠斗が人生を踏み外すことになった第一歩で、この身に焼き付けられた烙印を否が応でも思い知らされる。
 寝汗で服が気持ち悪いことになっている。
「……ここは」
 悠斗は上体を起こして視線をめぐらせた。明かりの灯っていない傘のあるランプがベッドの脇に立てられている。両開きのクローゼットがひとつ、丸テーブルの上にはピンク色の胡蝶蘭が花瓶に生けられている。
 そして、部屋に流れる旋律。
 ――パッフェルベルのカノン。
 穏やかな弦楽器の音色が、静謐な朝を演出している。
「目が覚めたようね。おはよう……いいえ、こんにちは。随分とうなされていたようだけど、どんな悪夢を見ていたのかしら?」
「自分が魔王になった夢」
「それはそれで面白そうじゃない。徹底的な悪の象徴たる魔王は、幻想と偽善だけの勇者よりよほど意義のある存在なのでしょうね」
 金髪の美女が、シャツにジーンズという飾り気のない格好をして悠斗を見下ろしていた。
 彼女は丸テーブルの傍に椅子を引き寄せ、湯気が揺れているカップを小さな口に運んだ。ポットから淹れていたので、飲んでいるのは紅茶のようだ。
 相変わらず冷たい目をしている。幽香のように感情を押し殺しているのではなく、あらゆるものを拒絶しているように感じた。
 悠斗のことなど意識の片隅にも置かれていないのだろう。
 軽口を叩きながらも、その視線は悠斗の刀に注がれている。
「強力な炎神の加護を受けた業物のようね。聞くまでもないことだけど、このような物は魔術師にしか持ち得ないものよ。昨晩はどうしてあんな所に倒れていたのか、私は追及するつもりはないけど、せめて厄介事には巻き込まないで欲しいわね」
「……善処する」
 取り付く島もない。悠斗は嘆息すると、ベッドから這い出た。
 何はともあれ助けてもらったのだ。
「まあ、何と言うか……ありがとう」
 慣れない感謝を苦笑いしながら告げると、彼女は目を点にした。ようやくこちらに振り向き、意外なものを見たかのように戸惑った。
「何だよ、その泡を食ったような態度は」
「い、いえ……ちょっと、その、あまりに意外だったから」
 そんなに意外な顔をされると、なぜか虚しくなる。そんなに自分に"ありがとう"の言葉は似合わないのだろうか。
「じゃあ、そろそろお暇させてもらう。邪魔したな」
「ええ。もう二度と私たちの運命が交わらないように祈っているわ」
「随分と嫌われたものだが、それには同意するよ」
 目元などの細かなところは異なるが、瑠璃と似た女といつまでも世間話ができるほど悠斗の心の傷は癒えていない。
 カノンも胡蝶蘭も――瑠璃が好んでいたものだ。
 悠斗は刀を引き寄せた。当面の問題は教皇庁の騎士だ。どうして悠斗が狙われるのか、まったく心当たりはないが、向こうは誤解だとしても一向に構わないと言った態度を取っている。
 どれだけ弁明しても、行き着くところは殺し合いになる。
「餞別代わりに教えておくわ。私はクリス・リンディアよ」
「朽葉悠斗」
 背中に視線を感じながら部屋を後にすると、どうやらここは十階建てマンションの九階だったらしい。ここからアカデミーまで結構距離がある。帰宅するのが面倒になってきた。
 エレベーターがちょうどこの階に昇ってくる。
「ビンゴ。当たりだったね。やっぱり君は彼女と繋がっていた」
「朝からテンションが高いな、教皇庁の犬」
 エレベーターから現れたヘルマン・ガーランドはレイピアの切っ先を悠斗に向けた。

 日本では魔法庁という組織が幅を利かせているが、西洋では独自の魔術組織が裏世界を統治している。日本の魔法庁は平安時代から形を変えて受け継がれてきた陰陽庁が組織の原型である。西洋ではヴァンパイアやワーウルフなどの、今となっては絶滅寸前の魔の者を狩ってきた、エクソシストたちが集まって組織を作り上げた。
 しかし、イタリア周辺だけは例外であった。そこはヴァチカンの教会によって統治されている。キリスト教の教義に則って、あらゆる魔を狩り滅ぼすのが彼らの使命だ。それは他国の神とて例外ではない。
 その尖兵となったのが教皇庁が抱える騎士たち――。
 指示を出すのは教会幹部の司祭たち長老会であった。


    †


 悠斗は刀を部屋に放り込み、小太刀を抜いた。それを見たヘルマンは愚か者を見るように嘲笑する。短刀ごときでは自分には敵わないと誇示しているようだった。
 ――朽葉流殺法、華月。
 しかし、今の悠斗は剣士ではない。暗殺者だ。
 その歩法から間積もり、攻め込み方まですべてが異なる。悠斗は細剣を振りかぶって突撃するヘルマンの右側に身体を潜り込ませ、小太刀の切っ先を跳ね上げる。
 ――朽葉流殺法、禍月。
 流れる動作で太刀を返し、正面から腹部を抉る。
「ぐっ――斬斬――」
「日の出ている内から魔術か」
 その言葉がヘルマンの判断を迷わせた。
 実践的な魔術を習ったものは本能的に魔術を使うのは夜だと覚え込まされている。これはそれを利用した下策だ。
 ――朽葉流殺法、闇月。
 背面に周り込み、心の臓を貫いた。
 すると、ヘルマンの身体が消滅しチェスの駒が廊下に落下する。またポーンだった。将棋の歩と同価値の駒だが、最初だけニマス働ける。
 もしかすると、あまり手応えを感じなかったのは、この駒の動きに影響しているのかもしれない。
 幸い目撃者はいないようだ。
 悠斗は刀を回収するために部屋に戻ろうとした。
 瞬間、扉から灼熱の炎があふれ出した。
「――しまった!」
 さっきのヘルマンは囮。本命はこっちだ。悠斗に力を回す必要がなかったから、形代の性能が低く設定されていたのだ。
「クリス!」
 悠斗は火の手が収まるのを待ち、部屋に飛び込んだ。
 まだ焦げ臭い異臭が残っている。家具はほとんど炭になっていた。
 そんな中、クリスは炎を上げるブロードソードを片手に、三人の刺客と剣舞を踊っていた。
 投擲されるダークナイフを紙一重で見切り、一気に踏み込んで刺客の一人と鍔迫り合いに持ち込むと、開いた左手を刺客の腹に当てる。
「燃えなさい」
 ドンッと左手から炎が奔出する。刺客は火勢に押されて吹き飛ばされた。
 その隙に別の刺客がダガーで斬りかかる。
 クリスは剣を合わせ、ダガーを弾き飛ばすと剣を横薙ぎに払った。
 最後の一人も同様に斬り殺される。
 圧倒的だった。ヘルマンには及ばないが、それぞれ一流の実力を持つ刺客たちが、一分に満たない時間で全滅させられた。
「……私は厄介事に巻き込まないでと言ったはずだけど」
「どちらかと言えば、俺が巻き込まれたみたいだけどな」
「巻き込まれた?」
 悠斗は刀を拾い上げた。
 クリスはそれを見ると、二歩下がって間合いを取った。
「貴方も敵の一味なの?」
「まさか。自分より強いと分かっている相手に挑むほど、俺は愚かじゃない」
「それは賢明ね。それなら、さっきの話をもう少し聞かせて欲しいんだけど」
「簡単なことだ。俺には教皇庁の騎士に狙われる理由がない」
 狙われる理由があるならクリスの方だ。
 クリスは剣を降ろした。納得していない顔だが、とりあえず悠斗に剣を向ける気はなくなったらしい。疑われるのは良い気分ではないから、とりあえず良かった。
「ごめんなさい、疑ったりし――」
 その声が途中で途切れる。
 クリスの左胸から――刃が飛び出していた。ヘルマン・ガーランドがクリスの背後で嬉しそうに微笑んでいる。
 何てことだ。あの刺客たちも囮なのだろう。彼らは形代になるチェスの駒をこの部屋に運び込むための鉄砲玉だ。
「死ね! 悪魔リリスの烙印を押された娼婦!」
「――貴様!」
 瞬間、脳が沸騰した。
 ヘルマンに刀を抜いて斬りかかる。だが、騎士の少年はそれに見向きもせずにベランダから飛び降りた。階下を見下ろすと、ヘルマンは空挺部隊のような着地術を見せていた。
「くそっ!」
 追いかけるのを諦め、急いで左胸を貫かれたクリスに駆け寄る。
 出血がおびただしい。心臓を貫かれればもう助からない。悠斗は肩を落とした。ここでは現代医療も魔術的な治療もできない。絶望的な結末しか見えなかった。
 ――また、守れなかった。
 悠斗はクリスのことを大切に思っていなかった。だが、目の前でみすみす殺されたのは事実だ。己の力不足が、またこの結果を呼び込んだ。
「……なんて顔してるのよ。私たち、さっき会ったばかりじゃない」
「――! 大丈夫なのか!」
 クリスは苦笑しながら身体を起こした。
「私の心臓は右にあるの。特殊な体質ってこと。すべての臓器が普通の人と対照的になってるのよ」
「生きてる?」
「……だから、私ぐらいの命でそんなに泣きそうな顔をしない。いつ死んでても誰も悲しむことなんてないんだから、私もこの世に未練なんかないわよ。まあ、結局は生き残ることになりそうだけど、ね」
 クリスは傷口を片手で押さえ、顔をしかめた。
 悠斗はようやく我に返った。これが致命傷ではなくても、急いで治療する必要があるのは確かだ。放っておけば出血多量で危なくなる。
 それに――。
 派手に焼かれたこの部屋で暮らすのはもう無理だろう。さっさと撤退しないと警察や消防車が駆けつけてしまう。
 悠斗は急いで応急処置を施すと、クリスを背負った。服を脱がせることになったが、男として意識されていないのか、それとも自分に無頓着なのか、クリスは顔色ひとつ変えなかった。
「ちょ、ちょっと! 何をするのよ!」
「黙ってろ。走るから舌を噛むなよ」
 悠斗はクリスを背負ったままベランダに出た。
「まさか、飛び降りる気じゃないわよね!?」
「さあ、どうだろ?」
 悪戯っぽく微笑むと、悠斗はベランダの柵に手をかける。クリスが背中で抵抗を始めた。まだ死にたくないと騒いでいる。さっきこの世に未練はないと言っていたのは何だったのだろう。
 そして、壁を足蹴りに、一気に飛び降りた。
「きゃあああああああ―――!」
「るせえよ――っと、『跳躍せよ、色欲の王アスモデウス』」
 瞬間移動の魔術を使用し、マンションの駐車場に降り立った。
 思いっきり悲鳴を上げていたことを嘲笑ってやると、クリスは顔をうつむかせて赤面した。







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