52:黙示の闇
茜坂克己は鼻につく消毒液の臭いに顔をしかめた。薄く目を開くと、蛍光灯の白い灯りが普段よりも眩しく感じ、次に襲いかかる全身の激痛にこれが夢ではないのだと思い知らされる。
つまるところ。
「まーた生き残ったのかにゃー」
どうやらアカデミーの保健室のようだが……。
身体を起こしてみると、ベッドの周囲に朱色の線で魔方陣が描かれていた。
医療技術の発達ではなく、魔術的な蘇生術を施されたのだろう。本当に、技術の発展に泣きたくなってくる。
魂留の秘術。一回につき250万円かかると言われている魔術だった。
「ようやくお目覚めか、少年」
首をめぐらせ、思いもよらない人物に目を瞬く。
どうしてアンタが、の言葉を呑み込み、
「朽葉海斗は?」
と確認を取る。
現状、最も優先すべきなのは倉渕祐作の排除だった。しかし、海斗や美野里が祐作を護衛しているので、祐作一人を誘き寄せるのは難しい。克己と健一郎で二人を誘き寄せ、あわよくば排除してしまおうと言う作戦だった。
力不足で失敗したのだが。
「俺はその場に居合わせていなかったが、多分アイツも無事じゃないだろ。つーか、最初に言うことがそれか? ったく、ふざけんなっての。若者は自分のことだけを考えてろよボケ」
御剣蒼夜は肩をすくめ、克己が横たわるベッドの足を蹴飛ばした。
傍らに控えている佐々木流水が視線で嗜めた。
「草壁が大泉大悟、悠斗が倉渕祐作と戦ってるってのにグースカ寝やがって。しかも女連れだと? ふざけんなっての」
「でも、これは……」
克己が頬を引き攣らせて腹部に感じる圧迫感を確かめてみると――。
山岸雪子が寝息を立てているではないか。
寝ずの看病と思えてくるが、時間的にそれはない。
「この魔術、まさか雪子が?」
魂留の秘術はそれほど難しいものではない。倦厭される理由は、朱色の線が五百年物の人の血液を粉末にしたもので、それが目が飛び出るほど高価だからだった。
しかし、難しくないと言っても、アカデミーの学生が使えるような難易度ではない。この魔術だけでアカデミーの卒業論文が書けるはずだ。
「魔力の過剰消費でちょっと危なくなっておりましたので、坊ちゃんと私めで影ながら多少は手助けしましたが……」
と控えめに話す佐々木の言葉に、克己は頷くしかなかった。
†
数え切れない弾丸が音速となって襲いかかった――はずだった。
弾丸でむしり取られたアスファルトの粉塵の中から現れた草壁涼二は、衣服こそ無事ではなかったが、その身はまったくの無傷。
足元には大量の銃弾が散らばっているのに――。
一切の外傷は見られなかった。
「なん……だと?」
喉の奥から搾り出すような声だった。
大泉大悟の驚愕を、草壁は腹の底から笑ってやりたい衝動に駆られる。
「貴方は一つ、思い違いをしているようです。物理的な攻撃が有効――だから、槍や銃弾なら私を殺せると思ったのですね?」
「違うの、か?」
「当たり前でしょう」
草壁は肩をすくめた。失望しているという態度を、これ見よがしにアピールする。それがさらに、大泉大悟の冷静さを奪うと分かっていてやっていることだった。
「考えてもみなさい。『神域汚辱』はどんな魔術を使われても"その全て"を無効化するのですよ。例えば炎の魔術を身体で受け止めたとします。すると、無効化されるのは"熱"、"衝撃"、"燃焼(現象)"ですね」
"衝撃"とは運動エネルギーの消去である。
水の魔術なら"衝撃"を無効化し、さらに水を消滅。土の魔術ならやはり"衝撃"を無効化し、土や石を解体して大地に返す。
肌に触れた魔法を無効化するとは、そう言うことだ。
言わば、『神域汚辱』はあらゆる分野に精通した解体者だった。
「貴方が作ったのは、たしかに物理法則に従っています。ですが、生み出したのは魔法であり、根本的には魔法から離れられないのですよ。つまり私は、銃弾の運動エネルギーを消し去ることが可能なのです。まあ、流石に鉄を消し去るのはできないらしいのですが」
草壁は右腕を構えた。
すべてを凍て付かせる絶対零度、『アールヴの魔剣』が牙を剥く。喰らえば生体活動が停止するだろう、必殺の拳。それを向けられた大泉大悟は唇を奮わせた。
「……ククッ」
絶望の笑いではない。なぜなら彼はもう死んでいるのだから、今さら恐怖することはないのだ。
「神なんてクソ喰らえだと思っていたが、今回ばかりは感謝するぜ。もう一度、この俺に最後の勝負をさせてくれるってことか。これほど素晴らしい一世一代の見せ場ってのは、生きていた頃に経験できなかったんだよな」
大悟は右手を広げた。
「さて、アンタの魔法はどれだけ俺の攻撃を凌げるのか、試してみるのもまた一興。……そう簡単に壊れるなよ」
「――なっ!」
刹那に大悟が地を弾き、一瞬で草壁に肉薄し、広げた右手で草壁の顔面を捉えた。
草壁は反射的に大悟の右手を掴み――。
「ぐっ、あああああああああああああッ!!」
喉の奥から絶叫した。
大悟は小さく微笑み、回し蹴りで草壁を蹴り飛ばす。
「ハッ、何が起こったのか不思議そうだな」
その顔に浮かぶのは強者の余裕だった。
「言ったよな? 俺はこの世に存在する全ての物質を創造できると」
「今のは……電気ですか?」
電池とは……分かり易いようにレモン電池で説明すると、正極の銅版と負極の亜鉛版、レモンの酸を組み合わせることにより亜鉛がイオン化して電流が流れる――と言う装置だ。
大悟は自己の体内に、電池を作り上げたのだった。
「正気じゃないと思うか? だが、俺の身体はすでに俺の物ではないからな」
「どのように使っても、身体が壊れても平気と言うことですか」
草壁は歯噛みする。
創造した物質で直接触れれば無効化できるが、創造した物質から生み出した物質は無効化できないらしい。
「これが、セキュリティホールって奴だ!」
大悟の恫喝と一緒に、両拳が迫っていた。
……しかし、それでも足りないのだ。
「――えっ?」
草壁の左拳が、大悟の腹に風穴を開けていた。
電撃という攻撃手段を手に入れたとしても、それは子どもがナイフを持って大人に立ち向かうことと大差ない。
大局に影響を及ぼすほどの力にはなれないのだ。
大悟は最初、自分と草壁との相性は最悪と言ったが、それは大悟がアドバンテージを握っていると言う意味での最悪ではない。
「クハッ……なるほど……俺じゃ足りなかったか……」
「いえ、貴方は強い。それは保証します。悠斗君ならもっと苦戦していたでしょう。ただ、貴方の魔法より私の魔法の方が、運命に選ばれていたと言うだけの話です」
「同情までされてやがる。ったく、やってられねえな」
大悟の身体が崩れ落ちる。
身体は腐食して悪臭を放っていた。しかし、大悟の嗅覚はすでに失われ、視力や聴力もかなり低下している。
「はぁ……隆太、聖のこと、頼んだぜ……」
アイツは元から、死にたがりだからな……。
そして、この世の理に逆らっていた生が、あるべき形に戻った。
草壁は動かぬ屍に目を落とし、溜息を吐く。そしてビルの屋上を見上げ、ひとりごちた。
「本当に、この世界は残酷だ……」
悠斗君……貴方はどこまで戦い続ける気持ちなのですか?
†
衝撃波が全身を突き抜け、幾つかの臓器が破損する。朽葉悠斗は口の端から血を流しながらも、刀を手放さなかった。
『爆ぜよ、破砕の力』
瞬時に接近し、
『斬斬斬、ダークブリンガー』
三重詠唱の魔術を放つ。
「―――はぁっ!」
だが、ただの拳の一振りですべてが壊される。
「往生際が悪いですね。いつまでも隠しておけるものではないでしょう。ほら、前回のように『嘲笑する虐殺者』を身体に宿せばどうですか?」
左右のコンビネーションに悠斗は翻弄されていた。
ボクシングのワンツー。それが、遠距離から放たれるのだ。
「出し惜しみしていては、また彼女のように手遅れになるかもしれませんよ」
「―――言うなっ!」
悠斗はわが身を省みず、物体破壊の魔術を用い、倉渕祐作に高速で斬りかかる。だが、その言葉は止まらない。
「清水瑠璃は貴方が殺した」
「倉渕ぃぃぃ―――っ!!」
「それが貴方のブロックワードですか、悠斗君」
†
「これでラスト!」
最後のナイフが投げ撃たれる。
死体が弾け、血潮がアスファルトを染めた。
「こっちは終わりましたよ、先輩」
「うん、私の方も終了。思ったよりも楽だったわね」
支倉沙希は手を団扇にして顔を扇ぎ、クロードの方に振り返った。
「しかし、やっぱりアンタの魔法は派手よねー」
片方は地獄。血液と言う名の破壊によって生み出された世界。
片方は虚無。重力と言う名の暴力によって生み出された世界。
「さて、悠斗の方はもう終わったかしら?」
倉渕祐作はかつてない強敵だ。単純すぎるがための最強。戦闘用ではない魔法に絶望せず、健気に肉体を信じ続けた結果だった。あれほど完成された肉体は、沙希は生まれてこの方、他に見たことがない。
「大丈夫なんですかね? 悠斗が魔法を使っているところを見たことがないんですけど……」
「そう言えば、クロードはまだ悠斗の魔法を見たことがないのよね? まあ、私も話にしか聞いてないんだけど」
「おい、ちょっと待て」
その時、二人の戦いを観戦していた緋芽が口を挟んだ。
「悠斗の魔法は『刃桜繚乱』ではないのか?」
「……たしか、『嘲笑する虐殺者』の状態の時に使っている?」
「ああ、そうだ。あの魔法と『魂滅』の剣の組み合わせが悠斗の最強なのではないのか?」
「……あのねぇ」
沙希は緋芽の目を見ながら嘆息した。
「そっち方面の話は貴女の方が詳しいでしょう? あの魔法は、あくまでも穢れた神の魔法なのよ」
「悠斗が朽葉家に引き取られることになった経緯に、朽葉家が悠斗の魔法に目を付けたからと聞いたことがあります。三大魔法一族の一つが目をかけるほどの魔法を、悠斗が持っていると言うことですね」
†
「さあ、早く! 『嘲笑する虐殺者』を呼んで下さい!」
「……倉渕祐作」
悠斗は刀から手を離した。
胸のポケットに手を突っ込み、新たに取り出したのは小太刀。
「それほど死にたいなら、さっさと逝け」
――朽葉流殺法、破月。
悠斗の身体が闇に解けた。
次、現れたのは祐作の正面。
小太刀をただ、その心臓に突き刺した。
「――ガッ、こ、これは……!」
「蛭子の瞬間移動の魔術ではない」
「では何故、このようなことに」
――朽葉流殺法、華月。
再び悠斗の身体が闇に解ける。
祐作の右側に現れ、小太刀で頚動脈を絶つ。
「俺は朽葉に引き取られてから、ひたすら暗殺術を叩き込まれてきた。剣術の才能が伸びなかったのではない。剣術の才能は伸ばす暇がなかっただけだ」
「そんな馬鹿なことが……!」
祐作は驚愕しながらも、右腕を振りぬく。
だが、そこに悠斗の姿はない。
「前回、お前と戦ったのは昼間だったよな?」
――朽葉流殺法、禍月。
再び、正面からの斬り落としが、倉渕祐作の左肩を浅く裂いた。
気配など、微塵もない。そこにあるのは、身も凍えそうな殺意である。
「三重詠唱の『三重詠唱』、『嘲笑する虐殺者』蛭子の『刃桜繚乱』。それが俺の全てだと思っていたのか?」
「その言葉……貴方に返しましょう!!」
祐作は両手を広げた。
自分が世界の中心であると、神に知らしめようとしているようだった。
『斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬……!!』
それは倉渕祐作の全力。言葉を発する余裕すら失われた状態――100%の力である。
そしてそれは、太古の神でも為しえぬ偉業、十三重詠唱だった。
天を覆い尽くす光の剣が、悠斗に狙いを定める。
「『十三の神剣』、受けてみろ!」
祐作の一声で剣が落下した。眩い光輪が螺旋状に回転しながら、コンクリートと鉄筋の足場を紙切れのように切り裂いていく。ビルが崩壊するのは、誰の目から見ても明らかだった。
「よし、これで――!」
勝ち誇った顔をして、鼻で笑おうとした刹那。
――朽葉流殺法、闇月。
背後から両肩にかけて、刃が突き抜ける。ゴトリ、と音を立てて崩壊寸前のビルの亀裂から、死蝋のような二本の物体が落下していく。倉渕祐作の両肩から赤黒い鮮血が吹き出す音色は、夕暮れに現れる野鳥の鳴き声のようだった。
「なぜだぁぁぁぁあああああああああああ!! なぜお前がそこにいる!!」
一切の死角を取り払った十三重詠唱。超弩級魔術を掻い潜り、悠斗は生きていた。
悠斗は血に濡れた小太刀をダラリと構え、幽鬼のように不気味に接近する。倉渕祐作は蒼紫色に変色した唇を震わせながら後退した。
「……これで終わりだ」
――朽葉流殺法、終月。
闇の魔法『黙示の闇』。
その謎は、祐作が命を落としても明かされることはなかった。 |