47:触れられない世界
立花健一郎は剣を振り下ろした。
激しい剣圧が唸り声を上げ、荒々しく大気を震わせる。日本刀では出せない、重量を上乗せした威力が川崎美野里に襲いかかった。
「流石だな、立花。剣士であることを隠していたとは、大した策士だ」
健一郎の受動的な魔法は、仕掛けられなければ反撃できない、言わばカウンターの魔法だと考えていた。そこが盲点。攻撃手段は魔法だけとは限らない。
風が啼き、美野里の髪が一房、根元からごっそりと奪われる。
アカデミーの教員棟の入口で待ち構え、出会い頭に切りかかったのは五分前。
辺りは薄暗く、表情さえ窺うことはできない闇。時刻は午後七時。刀身が怪しく輝くときだけ明かりが灯る。
「……策士ですか。これは、痛烈な皮肉ですね」
吐き捨てる健一郎に、美野里は微笑む。
アカデミーでは成績優秀の健一郎だが、その智謀は大したものではない。暗記力と実践力が別物だ。暗記力が優秀=天才という短絡的思考は、発想力が乏しい者の妄言である。
――知恵と知識。
健一郎に期待できるのは知識だけだ。
「しかし解せないな。どうして今頃になって私に牙を向ける?」
「……もう、これ以上見ていられないからですよ」
みっともない。醜態を晒す。
美野里は平気でこれをやってくる。
「克己が海斗さんから黎明の魔石を回収し、貴女をアカデミーから追放する。これが、最も理想的な終わり方です」
「どうやら、私の見込み違いだったようだな。貴様の智謀など、所詮はこの程度のものだ。まさか、私の魔法に敵うとは考えてはいないだろうに」
所詮は理想論。それは健一郎にも分かっている。
しかし、美野里の次の言葉が健一郎を動揺させた。
「朽葉悠斗が可哀想だ」
健一郎は眦を吊り上げた。
「茜崎克己と立花健一郎の敗退。応援に駆けつけた支倉沙希を私と海斗の二人で迎撃し、やがて倉渕祐作がアカデミーに到着する。後はやってきた朽葉悠斗を中心とする連中を全員で葬ると言うわけだ」
単純に考えるなら、倉渕祐作と立花美野里の方が、戦力に乏しい。
アカデミーは粒揃いだし、悠斗は草壁や蒼夜を引き入れて戦力を増強している。
後は組み合わせの問題。
「朽葉海斗には遠距離での攻撃手段が存在しない。私に草壁をぶち当てることによって、二十四時間以上の足止めが可能となる。つまりだ。海斗に狙撃兵を二名ほど差し向けて時間を稼ぎ、草壁で私を止めている間に残った戦力で倉渕祐作を迎撃することができる」
これが、悠斗の描いた将棋盤の模様。
限りなく被害を抑えながら敵方を殲滅する方法。
「しかし、貴様らが先走った結果、朽葉悠斗は持ち駒を減らす。倉渕祐作を相手に、ハンデを背負わされるのだ。それはすべて、貴様の責任だ」
「……戯言だ!」
まだ健一郎は倒れていない。
現時点で美野里の言葉を受け止めることこそ、早計だと言えるだろう。
……しかし、まさか。
これが健一郎の心に不安と言うなの楔が差し込まれた瞬間だった。
「――ッ、これ以上喋るな!」
健一郎は周囲に泥の壁を展開した。
ドーム状の土壁。それはまるで世界を拒絶する殻のようである。
立花健一郎は優秀な生徒会長である。
生徒には分け隔てなく接し、教職員の覚えも良い。社交的でもあるし、健一郎という人間が純粋に好意を抱ける人物だったのだろう。
……しかし、逆に言うなら。
健一郎の魅力は情に厚いという一言で表される。
冷徹な判断を下し、時に味方に"死んでこい"と言える策士ではないのである。美野里が自分の教師で、多少なりとも恩義を感じているからこそ彼自身で止めを刺そうとした。
それが誤り。克己と海斗を戦わせることの愚かしさにも気付かぬ愚鈍な会長。
健一郎の土壁が展開し、触手のように広がりながら美野里に襲いかかる。先端は槍のように鋭利に尖り、紙のように地面に穴を穿つ。
「『岩窟魔獣』か」
たしかに、大した威力だろう。
しかし、使い方を誤っている。
この魔法は防御に使ってこそ真価を発揮するのである。
「馬鹿者が」
美野里は舌打ちした。教え子が牙を剥くことに苛立っていることもある。だが、それ以上に情けなかった。自分の指導はこの程度のものだったのだろうか。
『絶望魔界』
彼女は泥炭を認識する。色形から質量まで、大半をイメージで補いながら情報の欠損を埋めていく。
そして、泥を対象に設定した。
「せいっ!」
健一郎が剣を振りかぶる。美野里はついでに剣も脳内にインプットしておく。形や色を頭に留めておき、常に戦闘中意識しておくのである。
「私の魔法は、1対1ではほぼ無敵だ」
淡々と語りながら――。
美野里は健一郎の剣に身体を投げ出した。
「なにっ!?」
自殺行為にしか見えない暴挙に健一郎の剣筋が鈍る。だが、超重の剣は多少の勢いを失っただけで、風を切りながら地面に落下する。
――落下……する?
美野里は剣を受け止めていなかった。回避もしていない。
――刀身が、美野里の身体をすり抜けたのだ。
美野里は憮然と言い放つ。
「私の魔法は、対象物の限定的消失だ」
その言葉が、嫌に耳に残った。
|