39:彼女の本音
温泉旅館がパトカーに囲まれていた。あまりにも無残な死体の群隊に警官の中には嘔吐する者も出てくるほどである。しかし、彼らは死体より五メートル以内には踏み込めない。
本来ならロープの内側では自分たちが証拠集めに奮闘するはずである。
だがそれも、叶わない。黒スーツの男たちが現場を封鎖し、現場の司法をことごとく排除しているのだ。
警察のほとんどの者は彼らのことを知るよしもない。警視正クラスになってようやく風の噂で聞いたことがある――というほどの知名度である。
――魔法庁。
茜崎克己は川崎美野里に「魔法庁からお呼びがかかったぞ」と伝言を受け、温泉旅館の近くまでタクシーを走らせた。運転手に現場を見せないため、山奥で下車した訳だ。
魔法庁から名指しで指名されることは――光栄なことなのだろう。魔法使いという狭い世界では、魔法や魔術という才能を生かした仕事に就くことが非常に難しいのである。大抵は研究者か教師。そこから溢れた者が魔術カルテルに流れ込むこともある。
旅館入口で硬直している間抜けな警察たちを横目にロープを踏み越えた。その様子を咎めようと黒スーツが手を伸ばす。話し合いをするのではなく、強制排除である。
「――やめろ」
横合いからかけられた声。黒スーツは振り返り、了解した。
「やあ、御剣さん。元気かにゃー?」
「連日徹夜なのにまだ生きてるんだ。元気だぞ」
青年は口元を月弧に歪めた。
金髪に銀のイアリング、ドクロのネックレスをしてボタンを外した黒スーツを肩にひっかけている――どこか"ちぐはぐ"な格好の青年だった。まだ二十代前半で、少年っぽい顔付きをしている。
「皮肉っすかねぇ?」
「ああ、皮肉だ。ったく、学生ってのは暇で良いよな。平日に温泉か?」
「こんな殺伐とした現場で営業なんてしてないのねん。死体を見ながら温泉だなんて御剣さんも趣味が悪いにゃー」
「そうとも限らないぞ。俺は今晩、ここに泊まるから」
御剣蒼夜――日本の三大魔法一族の一角を担う、御剣家の次男坊である。
この青年の実力は草壁涼二か朽葉海斗、あるいはそれ以上のものだと克己は予想していた。克己程度の実力では刺し違えるのも難しいだろう。魔法庁にいる人材では、最高峰の戦闘力だと言える。
「で、この死体はなんですかねん?」
克己は周囲を見回して言った。銀色の鎧をまとった兵隊たち――魔法庁の聖騎士たちが百人、物言わぬ屍と化した風景である。
「おそらく、倉渕にぶっ殺された雑魚共だろう。分をわきまえない上司の被害者ってところだな。可哀想に。俺の部下ならむざむざ殺させはしなかっただろうに」
と言いながら、煙草を咥えて死体を踏みながらどこかへ足を向ける蒼夜。
「まったく同情していないでしょ」とツッコミながら、克己も後を追った。しばらく歩いていると、湯気が立ち上っている温泉が見える。
『梅の湯』と書かれている立て札がある。旅館の温泉なのだろう。
蒼夜は「うーん、この辺りだったはずなんだが」と周囲を見回した。
その前に、ふとそれに気付いた克己が指を差す。
「あれじゃないですかぜよ?」
全身が破裂し、固体化した血液で針鼠と化した死体である。大柄な身体つきをした男で、頭髪は血に染まっているが黄金のようである。
……クロードか。
『串刺し公の処刑』。キリングゲート家の当主だけに伝えられる秘法だ。他者の肉体に自らの血を流し込み、その肉体が所有する血液の支配権を奪い取る。そして、末路は血液の暴走で締め括られる。
「ああ、そうそう。あれだよ、あれ。すっげえ死体だろ?」
蒼夜は玩具を与えられた子どものように嬉々として話す。ひとしきり一人で笑い続け、やがて笑い飽きたのか退屈そうな顔をした。
「あれ、クロードってガキの仕業だろ」
ゾクリ――克己の背筋が震えた。その声はごく普通の日常会話的なニュアンスである。しかし、全身から滲み出る圧力が変わっていた。
「どうして」と口に出す前に、蒼夜は話し出す。
「魔法庁の情報収集能力を舐めるなっつーの。俺はな、『黎明の魔石』のことや『草壁涼二の襲撃事件』、『倉渕祐作の革命』、『朽葉悠斗の離反』まで、テメエらのことはほとんど知ってるんだよ。そうだな……『中島幽香との決闘』でさえ、俺の耳に入ってくるんだぜ」
「………へぇ……そうなのかにゃー」
「たがな、上司に報告してもマトモな対応はしてくれねえからな。だから草壁の考えも分からないことはない。俺だって魔法庁なんてぶっ潰れてしまえば良いんじゃねえかと思うこともある」
蒼夜はチッと舌打ちした。
「話が逸れたな。だから、クロードってガキがアレク・キリングゲートを殺したことも知ってるんだ。だが、これは追求しねえ。下手したらドイツの魔術カルテルが出てきて戦争になるからな。だが違う。入口の聖騎士どもの死体は、違うんだ」
「……どう違う?」
急に真顔になった克己に、蒼夜がククッと笑う。
悪戯っ子が浮かべる笑みである。
「どうした? 俺が朽葉悠斗に手を出すと思ったか?」
「………いえ」
ハッタリだったのだろう。上手いことハメられた訳だ。
「心配するな。俺の方針では朽葉悠斗は泳がせることになってる。あれは、色々と面白い物を呼び込んでくれるからな。その内、倉渕も釣り上げてくれるだろうよ」
克己は舌打ちし、踵を返した。背中にかけられた「今日はここに泊まっていきな」という言葉に抗うことはできなかった。
†
純白のリノリウムをスニーカーが叩いている。
地上十階建ての私立病院ではあるが、そこは市民に隠された地下空間だった。窓が見当たらないので多少薄暗く、空気も若干濁っているような気がする。無論、空気清浄機がフル稼働しているので感染症の予防には余念がない。
アリス・キリングゲートは静寂に包まれた病室で意識を取り戻した。
「……ここは」
一輪の花も生けられていない花瓶が右横の戸棚に置かれている。一言でも声を出せば、途端に不安になりそうなほど静かな部屋だった。
そのとき、絶妙のタイミングでドアが開け放たれる。
「悠斗……先輩か……」
「先輩? ああ、そう言えば名前で呼ばれるのは初めてだったか」
悠斗とアリスは苦笑した。初対面の頃から『お前』や『貴様』としか呼んでいなかったので、二人とも違和感があったのだ。
「無理して先輩って呼ばなくても良いぞ。元より尊称を使われるほど俺は出来た人間じゃないからな。それに、お前に敬語は似合わない」
「どう言うことだ、それは」
アリスはムスッと頬を膨らませる。それを見て、悠斗が「だから、その話し方が似合ってるってことだ」と気障っぽく微笑み、アリスの額を小突いた。
恥ずかしくて頬が熱くなるアリスである。
ふと、悠斗は真顔に戻った。
「……傷は、まだ痛むか?」
「いや、それほどでもないが」
痛み止めが効いているからだ、と悠斗は半ば脅迫するように釘を刺し、くれぐれも出回らないようにと伝えた。まるで看護師のようである。笑いそうになったアリスだったが、悠斗の真剣な剣幕に押されて黙り込む。
「腹部に貫通痕、全治二ヶ月ってところか。肝臓に裂傷が見られたが肝臓は自己再生するから問題ないそうだ。破れた腸は縫合してある」
「重症だな」
「一歩間違えば死んでたらしいぞ」
「だろうな。しかし、全治二ヶ月か……」
アリスは自嘲的に笑う。まだ命があるだけ救いがある。しかし、己の無能が招き寄せたことだ。一族の者たちに申し分が立たないし、兄にはどのような顔をして会えば良いのか分からない。
「ところで、ここはどこだ?」
「郊外にある私立病院の地下だ。沙希先輩のツテで紹介して貰ったんだが、ここはいわゆる『訳アリ』の患者を治療するための施設らしい。闇医者に診てもらったってことだよ」
「……そう……か」
興味なさそうに呟くアリスに、悠斗は「あのなあ……」と嘆息した。
「折角拾った命じゃないか。もっと嬉しそうな顔をしろ。それでは助けに入ったクロードも浮かばれないぞ」
「……馬鹿兄が?」
「緋芽に聞いたが、あのヘタレ、珍しくキレてたらしいぞ。お前もアイツの戦い方を見ておけば良かったのにな」
「アレクを倒した?」
悠斗は頷いた。信じられない、とアリスは瞬きを繰り返す。
以前戦ったとき、アリスは兄の実力は己と同格だと確信した。それだけの手応えがあったのだ。お互い全力を出して、僅かの差でアリスが敗北したのである。
それだけに、アリスたちを赤子のように翻弄したアレクを倒したと言うことが信じられなかった。
「アイツと和解するのも、そう先のことではないかもしれないな」
悠斗は踵を返すと「気落ちしていたら治る怪我も治らないぞ」とアリスを労わる言葉を投げかけてから退室した。手土産の一つも持ってこないことに苦笑しながら、同時にあの少年らしいなと納得する。
「……鈍感」
アリスは天井を見上げ溜息を吐いた。
敗北したから気落ちしている――と悠斗は考えている。
……離れ離れになりたくない。
本当に、自分は本心を隠すのが上手くて困る。 |