36:血液水晶
悠斗は小一時間ほど温泉を楽しみ、旅館の一室に戻ってきた。
畳敷きの十畳一間で、これを悠斗と草壁の二人で使用するのだから、中々に贅沢なものである。旅館入口のみやげ物やで購入した温泉饅頭と水羊羹を開封し、冷たい麦茶と一緒に並べてみた。
「うん、良い感じだ」
精神的に回復してきたような気がする。女性陣とは別室というだけで、これほど落ち着くのである。草壁の提案も、案外悪いものではなかった。
「悪くない……か」
水羊羹を切り分け、窓際にある小さなテーブルの上に置いた。向かい側で座布団に腰を下ろしている男が、興味深げに手を伸ばす。
「ふむ、たしかに悪くない。日本の菓子ってのはかなり特殊なんだよな。しかし、ロシアほど酷くはない。知ってるか? ロシア人ってのは毎日毎日ソフトクリームばかり食ってるんだぜ」
「聞いたことがある。トルコ、イタリア、ロシア――世界三大アイスか。と言うか、ロシア人は美味いと思ってソフトクリームを食ってるんだよ。アンタは寒い国でわざわざアイスを食うなんて正気だとは思えない――と考えているんだろうが、ロシア人にとって正気だとは思えないのがアンタなんだからな」
「少数派ってのは、いつも風当たりが強いのさ」
巨大な重圧を発している男だった。全身から溢れんばかりのエネルギーが迸っている。筋肉が唸り声を上げているのである。似合わないスーツの内側はかなり鍛え上げられていて、拳一つが凶器のようだった。
しかしながら、懐が不自然に膨らんでいて凶器を携帯しているのが分かる。
凶器の肉体を保有しながら、鉄塊の凶器に頼っている。これほど滑稽なことがあるだろうか。
「で、どうしてアンタが日本にいる?」
険悪な口調で火蓋を切った悠斗に、巨漢は悠然と答えた。
「そう口を尖らせるなよ。『嘲笑する虐殺者』。いや、『三重詠唱』か」
「どちらでも同じだ、『北欧の守護者』。いや、『雷槌砲車』だったか」
「それこそ、どちらでも構わないさ」
「なるほど。今となってはどうでも良いことだな」
二人は「違いない」と苦笑した。両者とも油断ならない目付きをしていた。
「……歓迎はしない、ミハイル・アレンスキー・ナザーロフ」
「久しぶりに再会したと言うのに随分な挨拶だな、朽葉悠斗」
悠斗は袖口に仕込んでいた小刀を抜き出し、ミハイルの喉元に突き付けた。
それと同時、ミハイルは懐から拳銃を取り出し、銃口を悠斗の額に当てる。
「……腕は鈍っていないようだな。まあ、これなら心配はいらねえだろ」
ミハイルは微笑み、おもむろに腰を上げた。
「帰るのか?」
「ああ、そうするさ。あまり歓迎されていないようなんでな。俺はただ、弥栄玄一――お前の学校の校長に様子を見て来いと言われただけだよ」
倉渕祐作の動きが活発になってきたので、その抑えに悠斗たちを使おうという魂胆なのだろう。結局、アカデミーを出ても利用されると言う訳だ。
「あと、暫くはアカデミーに戻らない方が良いんじゃないか? これは、まあお前だからもう予想しているんだろうけどな。あの場所はもう、マトモじゃねえ。弥栄の爺さんには可哀想だが、一度潰して立て直さなければやってられないだろ」
「魔法庁からの横槍もあるだろうし、教育機関というには戦力を持ちすぎた。それも今さらだな」
目的を持たない力は、警戒されて然るべきものだ。
「最終手段は魔法庁に一度取り込まれ、戦力だけを吸収させてから、新たに教育機関として発足させる――だな」
「だが、川崎美野里は黙ってないだろうよ」
ミハイルは吐き捨てると、今度こそ踵を返した。
「まあ、お前の知恵は弥栄の爺さんに伝えておくぜ。じゃ、またな」
「戦場で再会しないことを祈ってるよ」
悠斗の皮肉に、ミハイルはクツクツと笑いながら姿を消した。
……本当に、いつまで経っても平和にならないものだ。
†
四人は湯上りの火照った顔を冷ましながら、旅館までの帰路に着いていた。徒歩で時間がかかるのが問題で、それをどうにかすればこの旅館ももっと流行るだろうに、と咲夜は勿体なく思った。
まあ、流行ってしまったらそれはそれで嫌なのだが。
咲夜は流行から逆進したくなるような性格をしている。多数派より少数派を愛する傾向にある――と言うのだろうか。人が多い場所は嫌いだし、誰もが持っている者に価値があるとは思えない。
自分だけの物――それこそが、真に価値のあるものだと思っていた。
脈絡もないことを訥々と考えていたところだった。緋芽が突然立ち止まり、片手を咲夜たちの進路上に置いて大声を発したのは。
「……止まれ!」
見ると、前方にはスーツを着た男性の姿が。
まるで、化物のような男だ。筋骨隆々と言うのだろう。2メートルの長身をプロレスラーのように鍛え上げている。小脇にスーツケースを抱えた金髪碧眼の西洋人で、その双眸は冷たい光を放っていた。
「お前は――っ!」
叫び声を上げたのはアリスである。
すると、この男がアリスを追ってきた刺客なのだろう。キリングゲート一族の分家出身で、その血系魔法を受け継ぐ使い手である。
「アレク・キリングゲートか!?」
「久しいな、次期当主。よもや日本まで逃げてくるとは思わなかったぞ」
「黙れ! 私は逃げてなどいない!」
緋芽は小さく舌打ちした。
かなり取り乱しているアリスに苛立ちを感じたようである。
「逃げて、兄に泣き付いたのだろうと推測していたが、とんだ予想外だ。手間をかけさせる。わざわざアカデミーまで足を運んだ私の苦労はどう償ってくれるのだ?」
「まあ待て。そう殺気を放つでない」
「黙れ、黄色い猿人。貴様に発言を許した覚えはない」
咲夜は頬を引きつらせた。この男、人種差別主義者のようだった。問答無用とはこのことだ。答弁さえ許さないほどの、徹底した差別である。
アリスはこの無法を見て、少しばかり頭を冷やしたようである。
「相変わらずのようだな、アレク。少しは変わったと思っていたが、日本では周囲の目も憚らずにこの暴言か。しかも、お前はこれから何をしようとしているのか、自分で理解しているのか?」
「次期当主を始末し、積年の恨みを晴らす」
「……もう、語るべきこともないようだな」
アリスは溜息を吐いた。
ナイフを取り出し、右腕に当てる。
「魔法を使うか。だが、次期当主はまだ『血液水晶』の真の使い方を理解していないのだろう?」
アレクは地面にスーツケースを落とし、片足で蹴り上げた。
「私の『血液水晶』を見せてやろう!」
刹那、スーツケースが爆発する。どうやら血液を携帯していたようだ。
真紅の血液が周囲に散乱し、数え切れない水滴が幾筋もの槍に変貌した。
「――ッ、盾よ!」
咄嗟に、右腕の動脈から直接血液を取り出して盾を形成する。
槍は盾に突撃した。ここからは崩壊と再構成の速度勝負になる。
――その槍たちに、灼熱の業火が襲いかかった。
1万度の火炎の嵐である。固体化した血液でさえ、瞬時に蒸発させる熱量だった。
しかし槍は即座に液体化。触手のように曲がりくねって後退。火炎を回避する。
「……気持ち悪いね。これが真の使い方なの?」
中島幽香が毅然と立ち向かう。アレクは若干怯んだ。
「黙れ、日本人! 『激流よ、すべてを薙ぎ払え!』」
水の奔流が爆炎を鎮火せんと襲いかかる。
『怨、黄龍』
『黒炎弐式、黒死蝶』
しかし、緋芽の陰陽術が地面から突起を生み出し水を遮った。そして、石柱の隙間を小さな蝶々たちがすり抜けていく。水流と激突し、蝶々は爆発。水の勢いを押し戻した。
4対1、数の暴力である。
「……ククッ、かかったな」
しかし、この状況で不敵に笑うアレクの横顔を見て、咲夜は危機感を覚えた。
「退がって下さい!」
「言われずとも分かっておる!」
緋芽が舌打ちし、着物を翻す。
「もう遅い!」
その言葉が発動の合図だったのか、果たして咲夜たちには分からない。
石柱の合間を潜り抜けた少量の水たちが、まるで生き物のように蠢き出したのだ。『血液水晶』で操る血液と、同じような動きである。さらに、透明な水が固体化して襲いかかった。
氷ではない。水なのに、個体の状態なのだ。
「――ッ、間に合え!」
アリスが叫び、血液を使用する。瞬時に形成された盾が砕け散った。
だが、水は盾の数倍の質量を保有している。アリス一人が気絶しない程度に削り出した量と、魔術で呼び出した水の量では歴然の差がある。
「これが『血液水晶』の二つ目の使い方だ! 次期当主なのに知らなかったようだな! この魔法は血液を水に溶かすことで、その水を自由自在に操ることができるようになるのだ!」
驚愕に目を見開くアリスを横目に、幽香が火炎の壁をアレクに突撃させた。
『赤く赤く、燦々と』
前方からと上方からの二つの攻撃に、アレクは攻撃を止めざるを得なくなる。
その間に、アリスが体勢を立て直した。
「4対1でこのザマか……。なんて奴だ」
緋芽は呼吸を整え、炎の向こうを狙うように片手を突き出した。
これは光線の魔法を使う体勢である。咲夜は頷き、いつでもフォローに回れるように姿勢を整えた。
ここで、予想外の事態が起こった。
「無駄だ! その程度の炎、温すぎる!」
炎壁を突き抜けて、アレクが現れたのである。下手をすれば全身大火傷で死に至るはずなのに――西洋人の巨漢はまるで無傷だった。
アレク・キリングゲートは朱色の鎧を全身に装着していた。
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