34:温泉に行こう
朽ち果てた廃墟のようだな――。
アリス・キリングゲートは姫川神社の離れにある茶の間に案内され、まずそう言いやがった。客観的には同意なのだが、もう二週間も滞在しているから我が家のようなもので、それなりに愛着がある。
「客人にも客人の礼儀があると思うんだけどな」
悠斗がムッとしたのは、仕方がないことだろう。
「いや、私のことは客とは思わないでくれ。これからこの家に厄介になるのだからな。腹を割って話しがしたい」
「お前、意外と厚かましいのな」
こちらが舌を巻くほどの落ち着きっぷりだった。さっきのは絶対演技だろうと思わせるほどである。しかし、友人の妹なのだから追い返す訳にもいかないし、実際に問題を抱えているのは間違いない。
「で、何があったんだ?」
「ああ……、それはだな」
アリスが口を開こうとした矢先、咲夜がお盆で熱い緑茶を運んできた。アリスの前に湯のみを置く時にはドン、と音を立てるほどである。
「昨日のことだ。実家に置いておいた部下から連絡があったのは」
そんな咲夜の嫌味にも、アリスはまったくの無視を決め込んでいた。何事もなかったかのように、咲夜の存在をスルーしている。幽香はまだ大人しいのでそれほど波風は立たないが、この二人は倦厭の仲と言っても良いほど険悪だった。
「実家……キリングゲートファミリーのことか?」
アリスは頷いた。
「一家を継ぐのは馬鹿兄だったのだがな」
「でも、逃げ出した。お前の所為らしいじゃないか」
出会ったときのクロードは、今の奴を見ると想像もできないほど荒れていた。元々温厚だったのだが、アリスにされた仕打ちのためか狂犬のようになっていたのだ。しかし、性格に似合わないことをすると無理がくる。精神的に弱っていくのは時間の問題だった。
「あれは……仕方がなかった」
「仕方がないとは?」
川崎美野里が集めてきた仲間たち――克己(今よりはマトモだったが)と悠斗(あの頃は殺人鬼だったが)、真治や百合――まあ、全員荒れていた訳だが、この五人が助け合わなければ今の自分たちはなかっただろう。
「そもそも、魔術カルテルをたった一つの血族が牛耳るなんて不可能だとは思わないか? ドイツの三分の一の市場を手中に収めるキリングゲートファミリーの仕組みには大きな矛盾があるのだ」
アリスは一つ、呼吸を置いた。
「一つの血族だけではやっていけない世界なのに、一つの血族だけで支配している」
「それが矛盾か」
「ああ、決定的な矛盾だ。そして、今のキリングゲート家に起こっているのは日本で言うお家騒動だ。分かるか? 宗家やら分家やらがあって、当主が存在する。嫡男が次期当主、次男やら三男、従兄やら叔父やらが当主や幹部の椅子を狙っている」
「……ああ」
その説明は、分かりやすい。
つまり、クロードは……。
「暗殺か」
「計画だけだったがな。次女の私を次期当主に祭り上げる魂胆が見え透いていた。だから、従うフリをして実行日に摘発、一網打尽にしてやった」
「クロードは?」
「邪魔だったから日本に追放した」
アリスの頭の良さ窺い知れる話しぶりだ。まだ年若く感情的になりやすいのを除けば、彼女ほど優秀な人材はいないだろう。なるほど、草壁が重用した訳である。
「……話は分かった。で、そんな昔の話がどうしたんだ?」
「一網打尽にしたつもりだった。だが、一人だけ生き残っていたらしい」
「良くある話だな。……大体は読めたよ。つまり、その死に損ないがお前の命を狙っていると言う訳か」
頼ろうにも兄は勘当されたような立場だ。
今さら助力を請うのは厚かましすぎる。
「ああ、そうだ。今年の四月、一家に乗り込んできて、過去の過ちを濯いでまたやり直したいと嘘八百を並べ立て、しかも誰もそれを疑わなかったのだ。今では客分として収まっている。私だけ、命を狙われていると感じて逃げてきた訳だよ。つまり、私も馬鹿兄と同じと言う訳だ」
アリスは自嘲的に笑った。
なるほど。それが日本留学の理由か。
「しかも、分家とはいえ『血液水晶』の使い手でな」
「強いのか?」
「私やクロードでは話にならん。草壁なら"どうにか"倒せるかもしれないな」
草壁で"どうにか"と言うほどなのか。
悠斗は湯のみの茶を飲み干し、溜息を吐いた。
†
六人分の昼食を仕度していると。
「そろそろ庶民の料理も飽きたのですが」
台所に入ってきた草壁が辟易とした顔で言った。人の苦労も知らないで、なんて我が侭な野郎だと思ったので「なら食うな」と、どこぞの母親のようなことを言うことになる。
「つまりだ、アンタは食事一つで俺たちの関係を悪化させようと目論んでいる訳だ。とんだ裏切り者だな。ああ、この神社で酒池肉林の宴を開くのは不可能さ。だがな、庶民の料理には庶民の料理の良い所があるんだ」
「貴方、かなり混乱していますね……?」
草壁は鬼気迫る迫力の悠斗に怯え、顔を引きつらせた。
「最近は朝から晩まで心休まる暇がないんだ。昨晩なんて俺の部屋で咲夜とアリスが睨み合いだぞ。そんな中、平然とした顔で幽香が布団に潜り込んでくるんだ。緋芽は愉快そうに笑っているだけだし……もう助けてください」
唯一、心休まるのが食事を用意しているときだとは――。
草壁はかなり同情してくれているようである。だが、この状況を打開する策は持っていないだろう。ああ、悲しいかな。神を退けたら女難の相が出てくるなんて、とんだやぶ蛇だ。
「なら、温泉でも行きますか?」
「………は?」
「だから、温泉ですよ。身体は休まる、メシは美味い。いわゆる湯滋ですね」
それは分かる。だが、なぜ? いきなり温泉なのだ?
突然の言動に、悠斗は混乱した。
「今朝、ドイツ人のお嬢さんが訪ねてきましたよね。多分、この場所はもう割れているのでしょう。これからもっと人数が増えるかもしれませんよ?」
たしかに、アカデミー側の連中には悠斗がこの村に滞在していることを知られているようだった。幽香か沙希辺りが口を割ったのだろうが、このまま滞在し続けるのが果たして正解なのだろうか。
いつまでも同じ場所に留まるのは、良くない傾向だ。
「……温泉か」
「決まりですね」
草壁は満足気に頷くと、携帯電話を取り出してどこかに連絡した。
……この男って、こんな奴だったんだな。
今さらながらにそう思わされる悠斗である。
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