28:忠臣落命
レンタカーが最低限の舗装をされた悪路を進んでいく。
燃え盛る夕日と田園風景。バックミュージックはラジオから流れてくるキンクスの一曲である。煙草の煙が運転席側で開けられたウインドウから逃げていく。
姫川咲夜は自動車の振動で目を覚ました。火照る身体を起こし、周囲を見回す。
運転席に座っている男は、咲夜のことに気付いても視線を動かさなかった。落ち窪んだ眼窩と狂気を湛えた口元から放たれる殺気が尋常ではない男だ。こちらに無関心なのは幸いだった。
助手席で寝息を立てているのは、咲夜と同年代の少年だった。
伸ばした前髪が目元を覆っている。凛々しい少年である。こちらも陰りのある顔をしているが、寝顔はあどけない子どものようにも見えた。
しかし、どうして自分はこんな場所にいるのだろう。
たしか、帰宅途中だったはずだ。いつものように、退屈な学校に行き、退屈な日常を消化する。それが、咲夜の日常である。普通に帰宅し、一人だけの夕食を済ませるはずなのだ。
……またか。
また意識を失っていたのか。
「……起きましたか?」
運転席の男が声をかけた。咲夜は弾かれたように男に目を向ける。
「時間にして二十分。貴方にしては珍しく憔悴していますね」
「……うるさい」
どうやら、咲夜に声をかけた訳ではないらしい。
助手席の少年は両目を擦ると、まだ疲れの残る顔で咲夜を振り返った。
「俺だって火之迦具土の巫女とやり合えば疲労するさ」
男は肩をすくめ、運転に戻った。
少年は男に舌打ちを送ると、両目を閉じた。
「……随分と落ち着いたものだな、姫川咲夜」
「ええ、そうかもしれません。良くあることですので」
実際、意識を失うことは良くあった。学校にいるときではなく、帰宅中に意識を失い、気付いたら家に到着している。最近はそんなことばかりなので、驚くほどのことでもない。
とは言え、見知らぬ者たちに車内に押し込まれていたのは初めてだが。
「覚えていないようだな」
少年は瞑目しながら話し始める。
「なら言っておく。俺とお前は殺し合い、お前は敗北した。今回はたまたま死人はいないが、前回のことは知らない。お前が誰かを殺していたとしても、あまり興味はないな」
「……貴方は」
「殺人の善悪については、どこかの思想家か宗教家にでも語ってやれ」
「いえ……」
咲夜は小さく息を吸った。
「貴方は、優しいのですね」
「……………まさか」
少年は一瞬だけ息を呑み、咲夜を馬鹿にするように嘲笑した。
だが、咲夜は何とも思わなかった。『興味がない』とは一見突き放すような言葉だが、その真意は咲夜が人殺しであっても許容すると言うことである。それに、今の反応。あれは、自分を悪役にすることに慣れているようだった。
「いえ、貴方は優しい人ですよ」
だから、咲夜は安心した。多分、この人に任せていれば良いのではないか。
「……俺が教えられることはあまりない。聞きたいことも、もうどうでも良くなった。勝手に学生生活を送るなりしてくれ」
「そうですか」
「でも、一つだけ」
少年は頭を窓の外に向けた。
「俺は朽葉悠斗。どんな運命の悪戯か、姫川咲美にお前のことを守ってくれって頼まれた、ただのしがない魔術師だ」
「お姉ちゃんのことを知っているんですか!?」
咲夜は声を荒げた。流石に今の言葉は聞き逃せなかった。
朽葉悠斗と名乗った少年は目を開ける。
その瞬間、男が車に急ブレーキをかけて停車させた。
「どうやら、先客のようですね」
「敵か?」
男と悠斗がドアを開け、車外に躍り出た。
†
暗闇を切り裂く真紅のレーザーには見覚えがあった。
悠斗は縁側から転がり出る少女を抱きとめる。全身傷だらけだが、致命傷は見当たらなかった。
「……悠斗…遅い」
「何が起こった?」
緋芽は無言で土間を指差した。闇夜の慣れない両目を凝らすと、抜き身の真剣を携えた女性がこちらを嘗め回すように見ていた。
狂気が溢れ出した瞳である。口元は耳まで裂け、伸びきった犬歯が下あごまで垂れている。長い舌から唾液が零れ落ち、木製の床が蒸気を上げた。
……あれは、燃えているのか?
女性の周囲の空気が陽炎のように揺らめいている。
「お前の考えている通り、あれは火之迦具土神だ」
緋芽の声が、遠くから聞こえていた。
穢れた神に完全に呑み込まれた存在。
今の消耗した悠斗に、勝ち目はない。
「しかも、あの刀は」
「火之迦具土の力に良く馴染んだ刀だ。斬った物を焼く性質を持っているようだな。おかげで出血量は大したことはないのだが……」
緋芽は苦々しそうに溜息を吐くと、悠斗から離れた。悠斗も頷き、二人は距離を取る。可燃物の多い室内ではこちらが不利だ。
「ここに居ましたか」
草壁が縁側から現れ、女性の姿を見て眉をひそめた。
「堕ちて……いや、穢れていますね。しかも手遅れになっている」
しかし、彼女は何者なのだろう。
予想は出来る。選択肢は少ない。次女が死んでいるのは間違いないし、三女は生存している。すると、母か長女と言うことになる。
「厄介な神社ですね」
草壁の言葉に、緋芽が頷いた。
「ああ、まったくだ。神の末席が手向かうにしては、相手が悪すぎる」
火之迦具土――伊邪那岐と伊邪那美の神生みによって誕生し、母を殺して父に殺された神。この神を斬った十拳剣でもあれば、楽なのだろうが。
悠斗は緋芽と目配せした。
『刺突、闇の矢』
『哀、黒龍』
二人の魔術が、女性に降り注いだ。
おそらく、これでは通じない。だが、時間稼ぎにはなる。悠斗と緋芽は全力で後転し、走り出した。
女性は濁流と槍を"片手"で薙ぎ払うと、小さく笑った。
「………………………………ケハッ」
穢れた神の左手が、緋芽の背中に向けられる。
「緋芽!」
悠斗は声を張り上げて叫んだ。自分も草壁も、間に合わない。どう考えても、これは絶望的すぎる。何より今まで己の窮地を救ってきた頭脳が、未来を先読みしてしまう。
明確なビジョン。緋芽の背中を一万度を超えた灼熱が焼き払い、彼女は跡形もなく蒸発する。
「……僕のことを、忘れないで欲しいな」
その災厄の主砲が唐突に、爆発した。
奥の間から、仙石和希が姿を現した。到底無事とは言えない姿である。左腕の肘から先を失っている。その断面は焼き焦げていた。想像を絶する痛みが彼に襲いかかったことだろう。
「よくも、僕の左腕を殺してくれたね。まったく、最近の神様は手癖が悪い。下々の人間のことも考えてくれよ。救いなんて馬鹿馬鹿しく感じるじゃないか。まるで神様は人間に恨まれるために存在しているようだよ」
和希は憔悴した顔で、壁に肩を預けている。
「もうね、限界なんだよ。片腕を斬られている間にさ、この家中に爆弾を仕掛けた訳。だからさ、朽葉悠斗。全部、ぶっ壊しちゃうよ」
「……出世払いだ」
「……左腕代で勘弁してくれ」
「分かった、それでチャラだ。だから死ぬな」
「ははっ、優しいな。唯一の逃げ場所を僕が壊すんだぜ? それを無料だなんて、アンタは優しすぎるな」
「俺は優しくなんか……!」
「仙石君、私は貴方のことを誇りに思います。ですが、早まらないで欲しい。貴方の命はここで落とすべきものではありません。それほどの価値が、貴方にはある」
「いやあ、草壁さんにそう言って貰えると本望ですよ」
「仙石君!」
二人の悲痛な声は、最後まで届かない。
「僕は『不視爆殺』! 草壁涼二の忠臣だ!」
和希は清々しい顔でゆっくりと頷き、両手を広げて天空を見上げた。そこには天井しか見えないはずなのに、まるで楽園でも見ているようだった。
「Good bye ,My dirty world―じゃあな、僕の腐った世界―」
「……あ」
目の前の、たかが数千万しか価値がない家が爆発する。
文字通り、崩壊する。材木が飛び散り、破片が大地に突き刺さる。
「……ああ」
しかし、死体は残らない。どこを探しても見当たらない。
ただ一人、腐った神が嗤っている。こちらを見て、嗤っている。
「ああああああああああ――っ!」
また、死んだ。
また、誰かが死んだ。
また、自分の所為で。
また、誰かが死んだ。
また、死んだ。
これで何人目だ?
―――もう、数え切れない。
もう、良いだろう?
―――もう、十分頑張った。
もう、疲れただろう?
―――もう、我慢するなよ。
――後は、我に任せて休め。
――汝が敵は、我が虐殺する。 |