23:火水の均衡
何人であろうと、その光景に目を奪われなかった者はいないに違いない。木材の枠組みに、朱色や黄色などの飾布で地味になるように彩った舞台に、一人の少女が悠然と歩み出た。
一瞬、百合原綾香と似ている――と思ったが、やはり別人だった。
長い黒髪の少女である。巫女のような、穢れから隔絶された気配を感じた。
シャン――と鈴の音が、神聖な空気を揺らす。
太鼓が一度、鳴らされる。笛の音が止まった。
「……あれは」
白い狩衣風の衣装である。緋袴の巫女服とは異なり、白地に青色を織り交ぜた色合いをしている。これから夏が始まることを考えれば、清涼感のある衣装を選ぶのは間違いではない。
赤青白黒。そして黄。
赤は朱雀、青は青龍、白は白虎、黒は玄武。そして黄は天帝。
この五色が、古来より人々に特別視されてきた色なのである。赤色や青色、白色や黒色、そして黄色。これらの単語には形容詞に赤い、青い、白い、黒い、黄色いがある。しかし、緑色や紫色には形容詞が存在しない。
「ふむ……。たしかに素晴らしい。あれこそが神に捧げる神舞だと言えるだろうな」
緋芽は難しそうな顔をしていた。
その理由は、悠斗には何となくだが分かっていた。
――あの舞は……どこか……歪んでいる。
「色だな。おそらく、これは豊作を祈願しているんだろう。形骸化して本来の目的は忘れ去られているようだが、この祭事は雨乞いの儀式だ」
「そうだ。火の気を追い払い、水の気を召集する儀式。どうやら、数百年ほど前までは人柱が立てられていたようだな」
「人柱? ……ああ、なるほど。本当の巫女の役割か」
雨乞いの儀式を成功させるため、この祭りの舞姫(つまり巫女だ)を儀式の後に殺害していたのだろう。残酷なことだが、時代によっては仕方がないことだ。
「あれは、本来の色彩から外れておる」
舞台で舞っている少女は、白と青の衣装を着ている。
「――火之迦具土」
「知っておったのか? そう、あれは赤の神だ。暴虐なる火神にして母殺しの神。よくあれほどの神に呑まれて耐えておる」
関心している緋芽に目を向けながら、悠斗は推測していた。
あの舞は火を退け、水を呼び込む意味がある。現代では失われて久しいが、祭りは無意識の信仰を利用した魔術だ。形骸化したとはいえ〈意味〉だけは残っているのではないだろうか。
あの少女は舞姫を演じるのは今年で三年目である。
「……火を退ける祭り」
偶然にも舞姫になることにより、少女は己の内側の神を退けていたのだろう。
突けばすぐに崩壊するダムのようなものだ。悠斗は姫川咲美の依頼の意味が、ようやく理解できた。
……もう、限界なのか。
この祭りでも、気休めにしかならないと言うことなのだろう。元々無理な話だったのだ。いくら村に若者が少ないとはいえ、そう毎年舞姫を勤めれるものではないだろう。そろそろ代変わりしても良い頃だ。
「姫川咲夜を守ってくれ……か」
悠斗は厳しい視線を舞台に向けた。
†
青年会のオッサンたちに酒席に誘われたが、悠斗は「妹がいるので……」と丁重にお断りし、夜十一時に帰宅した。緋芽はしきりに「吾は妹ではない!」と講義したが、取り合っても時間を浪費するだけである。
ペンライトで夜道を照らしながら、慎重に自宅への帰路を進む。迂闊に足を滑らせれば、田んぼに真っ逆さまである。まあ、悠斗はそれなりに夜目が効くので、明かりは緋芽のためなのだが。
「で、これからどうする?」
「どうする……とは?」
緋芽の質問を質問で返す。少し苛立った様子で、緋芽は言い直した。
「火之迦具土の巫女のこともある。あかでみーのこともある。出る前に言っただろう。このまま平穏を満喫するのは結構だが、気付いていたら死んでいた――のような事態にならないとは限らない」
要領を得ない語り口だったが、何となく言いたいことは分かった。
能動的に行動しろ、と言うことなのだろう。受動的に構えているのは、万事において最悪である。自らの手で選択肢を狭めるだけだ。
しかし――
「当分はこの村からは離れないつもりだぞ」
「………正気か?」
悠斗は返事をしない。
前方に、二つの人影が――待っていた。
一人は黒スーツの男性である。痩せ窪んだ眼窩と、長身が印象的で、全身からじっとりとした殺気を放っている。もう一人は背の低い、茶髪の小学生だった。
道化と爆弾魔が、悠斗に向かって歩き始める。
「こんにちは。いいえ、こんばんわでしたね。私、挨拶をするのは久しぶりなので失礼があったら申し訳ない。最近までずっと地下室に篭っていたので、時間の感覚がどうも曖昧でしてね。いえ、別に大した問題ではないのですよ」
「……草壁涼二」
「しかし、相変わらず陰鬱な顔をしていますね。この私が言うのも何ですがね。せめて口調だけは私のようにしてみたらどうですか? 人生をほどほどに楽しく生きるには、ほどほどに言葉遊びをするものです」
「……目的は何だ?」
草壁は両手を広げた。そして気付いた。克己に切り落とされた右腕が、義手になって復活している。鉛色の指先が、こちらに向けられた。
「やる気か!?」
「いえ、別に私たちは貴方と敵対するつもりはないのですよ。"現在"の貴方は、さして脅威ではありませんからね。自分よりも弱い相手を潰すときは、無駄事を言わずに殺してしまうものです。とは言え、私、対話というものが大好きですから地面の蟻さんにも話しかけてしまうんですよね」
悠斗は草壁が自分を蟻扱いしているのか、判断できなかった。
本当に、ただ話をしにきただけかもしれない。だが、常時殺気を醸し出しているこの危険な男と普通の話し合いができるとは思えない。
「心配はいりませんよ。別に、貴方に死んで下さいと言いにきたのではないのですから」
草壁は広げた両腕を背広のポケットに戻した。
「前回の敗北で戦力の大半が削られてしまいましたからね。こうして私のところに残ってくれたのは仙石和希君だけでして。と言う訳で、これからのために戦力を補充することにしたんです」
そう言って、隣の少年を見る草壁。少年は無言で頷いた。
「ああ、そうか。戦力補充でも何でも良いから勝手にしろ」
「そうつれないことを言わないで下さいよ。私、魔法庁と魔術カルテルから追われているんですよ。それは、最初は一秒で殺せる雑魚ばかりでしたけど、最近は魔術師ではなく魔法使いが向かってくるようになりました。このままでは異名持ちが派遣されるでしょう。流石の私もそれは厳しい。いえ、決して負けるつもりはないんですがね」
連日戦闘を繰り広げているのか、憔悴しているのかもしれなかった。先ほどから一言も発しない仙石和希といい、どうも疲労が色濃いようである。
「で、田舎の方面まで逃げてきたと言う訳です。ここまでは探索が入らないのでね。と言うことで、この辺りで腰を落ち着けて魔術師や魔法使いを探すことにしたのですが、私、宿無しの身分でして……」
嫌な予感がした。草壁は引きつった笑みを浮かべ、両手を広げ親愛の情を示す。
「いえ、私、貴方のことが嫌いなんですよ? ですが、背に腹は変えられないとでも言いますか」
「………帰れ」
悠斗の返答はにべもない。予想通りと言うべきか、草壁は苦笑して頷いた。
殺し合いをした奴と一つ屋根の下で生活しようと、誰が思うのだ。アカデミーで克己やクロードと殺し合いに近い喧嘩をしたことがあるが、彼らは一応は仲間である。しかし、目の前の男はどこからどう見ても敵である。
「なら、取引しませんか?」
「………………………言ってみろ」
かなり悩み、とりあえず話を聞いてみることにする。
草壁は満足気な顔になると、
「貴方が私の甥と戦うとき、私が加勢しましょう」
と言い放った。
「………………なるほどな」
悠斗はしばし呆気に取られ、二秒間の思考で納得した。
――つまり、最初からこれが目的だったのだ。
田舎まで逃げてきたのは偶然ではない。逃げる必要はあったのだろうが、その目的地を選んだ理由はこの地に悠斗が滞在しているからである。
戦力補充は必要条件ではない。補充できれば言うことはないのだろうが、最悪草壁なら一人でも問題ないはずだ。一匹狼なのである。
それに、悠斗の家を拠点にするのも納得できない。簡単な結界は張られているのだが、そんなものは一定クラスの魔術師には意味を成さない。理由としては弱すぎる。
この思考が、二秒間の間に行われた。
「一緒に倉渕祐作を倒しましょう……ってことか?」
「どうせ、貴方の中で結論は出されているのでしょう? 私が頷いても頷かなくても、嘘とその意味と真実について、貴方の頭脳は簡単に答えをはじき出してしまうのです。なら、あえて私は頷かせてもらう」
「倉渕祐作を殺すつもりなのか」
「ほら、いいえと答えても貴方の返答は変わらないでしょう?」
一緒に倒しましょう――いいえ――嘘を見抜く。そして殺すつもりなのかと訊ねる。
なるほど。言いえて妙である。
悠斗は苦笑した。草壁も中々に頭が良い。
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