19:堕ち神、穢れ神
コンビニで暇つぶし用の雑誌を買い込むと、そのまま自宅とは逆方向に足を運んだ。装備も持たずに真夜中に山林に踏み込むのを散歩というのは、少し危険にすぎるだろう。
だが、さほど気にはならなかった。
この辺りの地形もまだ把握し切れていないし、山奥で遭難しても一週間ぐらいならサバイバル生活を送れる自信がある。食用の山菜を見分ける知識があるし、実戦したこともある。水流の探し方も覚えている。
緋芽は布団で寝ているのだろう。
神様とは怠惰なものだと相場が決まっているものだ。
悠斗は立ち止まった。
……神社か。
こんな山奥に、塗りの剥げた鳥居が見えた。周囲に人気が感じられないが、野犬などの気配がしている。しかし、寂れたとはいえ神域に踏み込もうとはしないらしい。
悠斗は拍手を打ちながら、適当に踏み込んだ。この手の場所には不慣れである。神道についての書物を読んだことがあったが、実戦で役に立ちそうにないので忘れることにしたのだった。
そのところも、美野里は気に入らないのかもしれない。神に対する不信仰とでも言うのだろうか。あれで神主の家柄に生まれた美野里である。神喰いの海斗よりも、神堕としの悠斗の方が気に食わないのだろう。
……同属嫌悪だろうか。
まあ、好かれたいとは思わないので、別に構わないのだが。
「しかし、随分と穢れた場所だな」
神域が穢れているとは、間違った表現かもしれない。しかし、神様のすべてが清純潔白ではない。怨念を鎮めるために神様にされた菅原道真しかり。
「知っているか? 伊邪那美命は死して黄泉国で腐り果てた。あれが穢れだ」
「ええ、勿論です」
「なら、国生みとは伊邪那岐命と伊邪那美命がセックスして行われた――と言うことは知っているか?」
失敗して生まれたのが蛭子神である。
「………………いえ」
神社の鳥居の前に座っていた巫女は、顔を赤らめた。
美野里は「知っているが、それがどうした?」と悠斗を睨みながら答えたものだが、この巫女は随分と初心なようである。
「なんだ、巫女なのに情けない。記紀ぐらい読んでおけよ」
悠斗は巫女の隣を、早足で通り抜けた。
……と言うか、お前、死んでるぞ。
言うべきだろうかと迷ったが、やめておいた。もし自分が死んでいると自覚していたら、多分キレる。幽霊とはそんなものだ。
悠斗は賽銭箱を踏み越え、ご神体のある祭壇を開け放った。
「……なるほど」
神社には奉納されるために刀が打たれることがある。本来なら一度も使われず、神に捧げられた清い刀なのだが、ここにあるのは血のりで汚れ切っていた。
悠斗はその刀を手に、先ほどの巫女のところまで戻った。
「つまりアンタはこれで斬られた訳だ?」
巫女は首を横に振った。
「いいえ、神主たちをこの刀で斬ったのが私なのです」
……つまり、この巫女が殺人鬼だったというオチか。
†
五年ほど前のことだ。
朽葉家は剣術と魔術を取り入れた総合格闘術を持つものの、その実体は神を祭る神主家であった。しかし、普通の神主家と違うのは、奉るべき神を取り込んで一族の活性を望んでいるところである。
一族の当主となる者は、成年となる年齢に神を身体に取り込み、多大なる戦闘能力を得ることができる。それが、朽葉海斗である。
故あって養子として迎え入れられた悠斗は、海斗に何かがあったときのための代用品だった。一族の当主候補は神を迎え入れるために独自の修行が行われる。悠斗も海斗と同じように修行を強要されていた。
神を取り込めば、強くなれる。
その情報がどこから漏れたのか分からない。朽葉家から漏れた可能性もあるし、同じようなことをしていた他家から漏れた可能性もある。
ただ、それは事実だった。
力を求める魔術師たちが神社を襲撃し、ご神体を奪い取り、神々を己に取り込もうとした。そのときに穢れた神社もある。神に捧げられた乙女を蹂躪すれば、神も汚れるのだ。
人間を守護してくれているのが神である。
傲慢で欲深く、罪深い人間に、神々は怒りの鉄槌を落とした。
そのときに神を返り討ちにしたのが草薙涼二であり、神を穢してしまったのが川崎美野里である。
「わたしはこの神社の次女でした」
巫女は訥々と語りだした。
「しかし、長女の姉さんはこの神社の巫女であることを拒否し、ある男と結婚していました。その姉さんが、ここの境内で数十人の男たちに穢された」
悠斗は頷いた。神を穢すなら、その程度で十分なのだ。
「神は穢れ、怒り狂いました。姉が出て行き、この神社は私が継ぐかと思われていたのです。神の代弁者たる私が、その怒りの吐け口になりました。私は神に命令されるままに、すべてを虐殺していったのです」
「まあ、堕ちた神は殺すだけだからな」
「気付いたときにはもうすべてが終わっていました。罪の意識を感じたわたしは、井戸に身を投げました。………これが、ここで起こった悲劇の顛末です」
悲しそうに言う巫女に、悠斗は溜息を吐いた。
この巫女は穢れた神を取り込んでしまったのだ。堕ちた神と穢れた神は根本的に異なる。緋芽のような神は堕ち神で、海斗が取り込んだのもこれだ。だが、穢れた神は違う。
「貴方も同じなのですね……。しかし、なぜ取り込まれていないのですか?」
「まあ俺は、堕ちた神を招き入れる準備をしていたからな。条件付きで理性を許されているだけだ。きっかけさえあれば、アンタみたいにみんな殺してしまうだろうよ」
「……貴方は、強いお方ですね」
悠斗は首を横に振る。強いどころか、弱すぎて自己嫌悪していると言うのに、どうして彼女は悠斗のことを強いと言うのだろう。
「一つ、お願いしても構わないですか?」
「内容によるが……」
「姫川咲夜のことを、守ってくれませんか? お礼はできませんが、その刀を差し上げますから」
巫女の姿が薄くなっていく。
「姫川? っておい、勝手にお願いされても……」
悠斗は舌打ちした。
「分かったよ。引き受けてやる。だが、俺はまだアンタの名前を聞いていないぞ」
「姫川咲美です。どうか、妹を……あの子は自分が穢れた神の巫女であることを自覚していません。手遅れになると、穢れた神を取り込んで周囲の人間を虐殺するだけの殺人鬼と化してしまう」
そう言うと、姫川咲美は完全に姿を消した。
もう朝日が上り始めていた。夜明けである。 |