01:国立魔術アカデミー
「ぎゃあああああああああああああ!!」
国立魔術アカデミーの男子寮に、あられもない悲鳴が響き渡った。
時刻は深夜帯。もし悲鳴が『アーッ!』とかだったなら、男子全員が色めき立ったはずだ。……自分の尻を隠しながら、自室に逃げ帰ったことだろう。
この男子寮の学生たちが飢えているのは間違いないが、衆道(男色のこと)に走るほどプライドを捨てていない。女子寮への潜入作戦を試みているのは、プライドを投げ捨てていると言えるのだが。
四月十日、午後三時。だが、ここにいる奴らは口を揃えてこう言うだろう。
『四月九日、午後二十七時』と。
娯楽室のテレビの周りに集まるのはアニメオタクたち。
部屋の片隅では麻雀が繰り広げられている。イカサマをしていた奴が素っ裸にされ、身動きができないように全身をロープで縛られ(なぜか亀甲縛りだった)、女子寮の玄関に運び出されている。
小腹が空いた奴らは食堂に集まり、その場で酒盛りを始めてしまった。酒に酔った奴らは娯楽室に雪崩れ込み、さらなる酔っ払いを量産する。
さらば、我らの麗しき春休み。
生徒たちは別れを惜しんで最後の盛り上がりを見せている。
「ぎゃあああああああああああああ!!」
盛り上がりの最たるものは時折響いてくる男子の絶叫だ。
女子寮の方角から『薙ぎ払え、真空の刃!』と呪文を唱える声がする。また女子寮に侵入しようとした生徒が撃退されているようだ。
朽葉悠斗はこの世の終わりのような光景から目を逸らすと、何事もなかったかのように入り口の広間に移動した。ソファに腰を下ろすと、小脇に抱えていた魔導書を開く。
「ひぃぇええええええええ!!」
この阿鼻叫喚の地獄の中、熟睡できる者がいるなら見てみたい。
今年で二年生になる悠斗は、初めての春休みを経験している。それももう終わりなのだが、夏休みや冬休みの終わりのときも、これと同じかそれ以上の地獄絵図が繰り広げられてきた。
男子寮には神話が残されている。過去五十年、女子寮への侵入を成し遂げた者はいない――と。『なら最初に女子寮の純潔を汚すのは俺だぜ!』と考えるほど悠斗は馬鹿ではない。見ている分には面白いので、勝手に続けてくれれば最高である。
「人生とはかくも無常なものなのか……by.悠斗」
「人の台詞を勝手に捏造しないでくれ」
「つれないなぁ……それよりも、服はないかい?」
バタン、と閉じた魔導書の角で、突然目の前に現れた少年の額を打つ。
金髪に碧眼、スマートで長身。無駄に整った容姿の少年は、名をクロード・キリングゲートと言う。不吉すぎる名前のため、友達はあまりいない。全裸かつ亀甲縛りなのでかなり目の毒だ。早く消えて欲しい。
ちなみに、先ほど裸にされて運び出されていたイカサマ野郎である。
「自業自得だな」
「そうなんだけどさ、僕は悠斗が羽織っている上着が欲しいんだよ。春先だというのにやはり夜は冷え込むからね」
ただの『ちゃんちゃんこ』に、懇願するほどの価値はないだろうに。
悠斗の哀れむ目付きに気付いたクロードが誤魔化すように咳払いする。普段はもっと気弱な性格だったような気がする。どうもクロードは酔っているらしい。
「いや、そのだね……外国暮らしが長かった僕としては、一度は日本の文化に触れてみたかったり」
とは言いつつ、もう日本生活は十年に達しようとしている西洋人である。
「ここは日本だ。良かったな、好きなだけ触れていろ」
「悠斗の上着が欲しいんだよ!」
「黙れ、酔っ払い」
裸じゃなかったら着せてやったのだが、とは言葉にせずに悠斗は自室に戻ることにした。
†
国立魔術アカデミーの学生寮は、本校舎から徒歩五分の距離にある。四方を強力な結界で覆っているのはアカデミーと同じである。
結界は防御効果もさることながら、領域に特殊効果を付与することも見逃すことはできない。寮長曰く、『魔力を持たない一般人には見えない領域』を作り出しているとのこと。
……今年こそは平和な学生生活を送りたいものだ。
校門を横切った朽葉悠斗はしみじみとそう思う。厄介事を嫌うなら、そもそも魔術なんて世界に首を突っ込むべきではなかったのだが、すぎたことを言っても仕方がない。
視線を背後の校門に戻せば、生徒会の腕章を付けた者たちが、真新しい制服を着た者たちに色取り取りの造花を配っている。生徒会の連中も朝から大変だな、と苦笑してクラス表が張り出されている掲示板へと足を運ぶ。
掲示場所に、人の影はほとんどなかった。
込み合うことを予想して早めに登校したのは正解だったらしい。これから入学式を行うので通学路は新入生ばかりで、私服の自分は少しばかり目立っているのだが、周囲から浮いても気にしないことにしている。どうせ、この学校には自分よりも目立つ連中が腐るほどいるのだから。
「……あの、すいません」
新入生と在校生の見分け方は、そう難しくはない。
この学校には規定の制服と言うものがあり、男子は濃紺のブレザーにグレーのスラックス、女子はベージュに赤のチェックが入ったスカートを穿いている。私服を着ているのは新二年生か三年生だ。
悠斗に声をかけたのは、制服を着た少女だった。
新入生だ。
「入学式ってどこで行われるのでしょうか?」
「あ〜、結構ややこしいぞ」
「道順が、ですか?」
「いや、そうじゃなくてだな……」
少女の雰囲気は純和風で、着物が良く似合いそうだった。
髪型は背中の中ほどまで伸ばされた黒髪のロングストレート。物腰は落ち着いていて育ちの良さを感じさせる。性格は大人しそうだが、芯が強そうだ。ここぞと言うときに自分の主張を曲げたりしないタイプのように見える。
「とりあえず、ついて来て」
「……あっ、はい。よろしくお願いします」
校門で生徒会に引き渡した方が楽だろう。これから彼女に降りかかることを考えると、気の毒に思わなくもないが、苦労するのはすべての新入生に言えることだ。
と言うのも、国立魔術アカデミーの入学式は……。
「あの、お名前をお聞きしても良いでしょうか?」
「朽葉悠斗、今年から二年だ」
「朽葉さん……ですね。あっ、私の名前は百合原綾香です」
悠斗が振り返ると、綾香はにっこりと微笑んだ。
二人は校門までたどり着く。生徒会の連中は大忙しで二人に気付かない。昨年、生徒会の手足となっていた執行部が廃部されたので、今年は多めに手伝いを用意していたようだが、このような仕事に不慣れなようで、かえって邪魔になっていた。
「茜崎、こっちにも花をくれないか?」
「――ッ! ……なんだ、朽葉か。脅かさないでくれよにゃー」
大方生徒会の連中に怒鳴られていたのだろう。ビクリと震えた金髪の少年は、悠斗の顔を見ると安堵の息をする。
素行不良のため、生徒会(の副会長)に弱みを握られている少年は、こんなときに助っ人に引き出される。
「まあ、とにかく助かったぜよ。人手は多いに越したことはないからにゃー」
「誰が手伝ってやると言った? 俺はその造花をくれと言っているんだ」
「……マジ?」
少年は涙目で悠斗にすがり付く。
「嘘を言っても仕方がない」
「ええっ!? この最悪な空気を見て少しは同情したくならないのかにゃー!? 貴様は鬼か!? それとも悪魔なのかにゃー!?」
「今年から平和に生きることに決めたんだ」
波乱の中心にある生徒会にはもう近付きたくない。
溜息を吐きながら、少年の手から造花を分捕る。
父の日に送られるカーネーション。花弁は開いていない。今は蕾の状態である。
「ほら、百合原」
「あっ、ありがとうございます。でも、これは?」
「新入生全員に配られているものだからな。本来なら生徒会が渡すべきなのだが、見逃してしまったのだろう。許してやってくれ」
「それは構わないのですが……この花に何かの意味があるのでしょうか? あと百合原ではなく綾香と呼んで下さい」
悠斗は困惑した。百合原の苗字に何かあるのだろうか。
話が進まないのでとりあえず頷いておく。
「では綾香、この学校の入試ってどんなものだったか覚えているか?」
「はい、もちろんです。筆記テストと実技テストで、筆記は魔術理論の初歩を、実技は魔術理論の実践を確かめるものでした」
「簡単だったか?」
「……あまり偉そうなことは言いたくないんですけどね」
綾香は微妙そうな顔をした。あまりに入試が簡単なために『国立魔術アカデミーもこの程度か』と慢心する者がいるため、謙虚になるのは悪いことではない。それを思い知らされるのがこの入学式である。
「そう、あんなテストで実力順にクラス編成を組める訳がない。死にかけないと発動しない魔法もあるからな。だから、この入学式は新入生の潜在能力がどれだけのものか確かめるためにある」
「で、ここで出てくる造花が第二の入試って訳だにゃー」
「……人の台詞を取るな」
横から乱入して綾香の手にある造花を奪い取った少年は「あっ、俺は茜崎克己ね。よろしくぅ!」と自己紹介している。綾香は「はい、こちらこそ」と真面目に頭を下げていた。
「俺は悠斗みたいに頭でっかちじゃないからにゃー。要点だけを説明するよん」
「あの……『にゃー』とは?」
「気にしないでやってくれ。ちょっと病気なんだ」
悠斗の言葉に綾香は可哀想なものを見る目をした。
それには気付かず、克己は説明を続ける。
「まずはこの造花に開錠の魔術を使うにゃー。んで、中に入っていた課題をこなすと入学式の会場が判明するのだね。ちなみに、この造花には映像記録魔術が使われているから気を抜かないことだよん」
「で、記録された映像を見てクラスを分ける――と」
「でも、毎年無事に課題を達成できるのは数人だけなんだけどにゃー」
ちなみに去年は三人だった、と悠斗は補足する。
綾香はゴクリと生唾を飲んだ。たかが入学式にそこまでの仕掛けをするのかと、今さらになってアカデミーの特殊性を実感している様子だった。
だが、大変なのは新入生だけではない。
入学式なのに、どうして上級生が登校しているのか。
始業式は明日である。クラス編成を確かめるためではない。
では、なぜなのか。
「開錠の魔術ですね……」
綾香は克己が手にしていた造花に右手を向けた。
『真実を開け、開錠の光!』
唱えられる呪文に反応し、カーネーションの蕾が開いた。
中にはトランプサイズのカードが一枚。朱色の文字で書かれた課題に、悠斗は思わず眩暈を感じた。
『新入生を二十人以上倒せ』
それは昨年悠斗が引いたカードとまったく同じものだった。 |