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竜姫の翼 ‐北極航路邀撃戦隊‐ 作者:北原樹恒
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五章 ジェット・ボーイ

『スワン04よりリリィ01、敵編隊は進路そのまま、高度一二〇〇〇からさらに上昇中』
『上昇中?』
 わずかに語尾を上げた、怪訝そうな声が聞こえてくる。シェルシィも首を傾げた。
 アルキアが誇る重爆撃機ペリュトンは、優れた高々度性能が売り物だが、それでも一二〇〇〇m以上というのは実用上昇限度を超えている。しかも、さらに上昇中とは。
『……ふぅん、いよいよ来たか』
 ソニアの声音が変化する。どこか楽しそうな声。舌なめずりしている顔が目に浮かぶようだ。
『自慢の空の要塞がぽろぽろ墜とされるんで、堪忍袋の緒が切れたようだな』
 初陣以来、クリューカ基地は三度の実戦を経験していた。北極航路から襲来するアルキアの爆撃機隊に壊滅的な損害を与え、これまで味方の被害はない。
 もちろん、北の空を護っているのは九〇七飛行隊の一二機だけではない。初空襲の後、近隣のティアサーク、カランティ両基地の飛行隊は大幅に増強され、六式戦闘機〈旋風〉や七式戦闘機〈颶風〉、四式ジェット戦闘機〈飛竜〉といった最新鋭機が配備されている。
 度重なる敵爆撃機の侵入を、迎撃隊はよく食い止めていた。これまでのところ、カランティ市を中心とする北部工業地帯は大きな被害を被ることなく、マイカラスの工業生産を支え続けている。
 アルキア軍にとっては、これは大きな誤算だったはずだ。しかし、そろそろ〈竜姫〉の実力を思い知ったことだろう。実戦経験豊富なソニアやサラーナにしてみれば、アルキアの新戦術は十分に予想の範囲内だった。
『敵編隊、高度一三〇〇〇m』
「いちまんさんぜんっ?」
 爆装したペリュトンには不可能な数字だ。
『ケツァルコアトルス、だな』
「――っ」
 独り言のようにつぶやいたソニアの言葉に、思わず息を呑んだ。
 名前だけは聞いたことがある。
 ケツァルコアトルス。
 古代の巨大な翼竜の名を持つ、アルキア空軍の新型爆撃機。
 ペリュトンを超える超重爆撃機が開発中だという噂は聞いていたが、まさか、こんなに早くに実戦投入されるとは予想していなかった。なにしろ、六発のエンジンを装備して航続距離は八〇〇〇km以上、最大一二トン以上の爆弾を搭載して長距離爆撃を行えるという、これまで常識を遙かに超えた大型機なのだ。
『いいねぇ。初物と聞くとわくわくするな』
 想像を絶する巨大な敵を前に、ソニアの声にはまるで緊張感がない。
『スワン04よりリリィ01、それだけじゃありません。護衛戦闘機がいます。一〇~一五機、爆撃隊から離れてそちらに接近中』
「戦闘機?」
 これまで北極航路からの爆撃は、護衛戦闘機を伴わずに爆撃機のみで行われていた。戦闘機では航続距離が足りないことが一番の理由だろうが、アルキアがマイカラスの防空能力を過小評価していたこともある。
 それで爆撃機隊の損害が膨らんでいる以上、護衛戦闘機を同行させてくることは新型機の投入以上に当然のことだった。
「でも、どこから?」
 アルキアの最北にある基地からでも、戦闘機ではわずかに航続距離が足りない。まさか、自殺覚悟の片道飛行ではあるまい。
『これまでよりも北に、新たな基地でも建設したかな? 戦闘機だけの小さな基地なら、どこにでも造れるからな』
「もっと北って……海に出ちゃいますよ。それに、一年中雪と氷の世界ですよ?」
『極端な話、上面が平らな大きな氷山にちょっと手を加えただけでも、滑走路代わりに使えるさ。あるいはアルキア空軍も空中給油を実用化させたのかもしれない』
 なんにせよ、敵戦闘機が迫っているのは事実だ。それが迎撃隊の進路上に立ち塞がっている以上、交戦しなければならない。
 〈白鳥〉が、刻々と変化する敵編隊との距離を伝えてくる。やがて、肉眼でもその姿を捉えられるところまで近づいた。
『各機、一撃喰らわしたらさっさと離脱して本命に向かえ。シェル、ついてこい。空戦の真髄ってもんを見せてやる』
 編隊の先頭を切って、ソニアが敵戦闘機に襲いかかった。指示通り、シェルシィはぴったりと後についていく。
 敵は、アルキア空軍の単座戦闘機〈ハーピー〉だった。長い主翼が特徴の、高々度性能と航続距離に優れた機種で、長距離爆撃機の護衛には最適だ。
 敵編隊との距離が詰まると、ソニアは機を急上昇させた。敵も追ってこようとするが、〈竜姫〉とハーピーでは上昇力に天地の差がある。距離が開いたところでいきなり反転降下。たちまち敵の背後についた。機関砲が火を噴く。最後尾のハーピーが火だるまになって四散する。
 そのまま加速して、再び距離を取る。速度で劣るハーピーは追いつけない。速度を保ったまま大きく旋回して敵の側面を衝く。敵も急旋回してくるが、うち一機の反応が遅れた。横腹をさらしている。
 発砲、命中。
 訓練でもこれほど上手くはいかないだろうと思うほどの、完璧な射撃だった。
『シェル、後ろは任せた』
「え?」
 離脱するソニアを追って旋回する敵機が視界に入ってきた。後方のシェルシィには気づいていないのか、無防備に背中を見せている。絶好の射撃位置だ。敵機を照準器の中心に収め、トリガーを引く。四門の一六mm機関砲が火を噴く。
 シェルシィが放った砲弾は、狙い違わず敵機のエンジンを撃ち抜いた。たちまち炎に包まれる。一機撃墜。
 戦闘機を撃墜したのは初めてだった。あまりにも簡単なことに拍子抜けしてしまう。
 しかし、それが空戦というものだった。エースパイロット同士が死力を尽くして背後を取り合うような格闘戦は、戦争映画の題材にはいいかもしれないが、実際には滅多にあることではない。戦闘機同士の空戦の大半は、死角から迫ってきた敵に気づかないうちに撃たれて決着がつく。
 今回は、ソニアが手柄を立てさせてくれたのだろう。自分を追ってくる敵がいることを知っていて、ちょうど自分とシェルシィの間に来るように誘導したのだ。
 それがソニアの才能だった。めまぐるしい空戦機動の最中でも、どこに敵がいて、どのように動くのかを完全に把握している。並はずれた空間認識能力の持ち主なのだ。
『よーし、これ以上雑魚にかまうな』
 敵の戦闘機隊は、たちまちのうちに半数以下に撃ち減らされていた。穴の開いた防衛線を〈竜姫〉が次々と突破していく。
 圧倒的優位にあるにも関わらず、ソニアは目の前の獲物には固執しなかった。迎撃任務の妨げにならない限り、敵戦闘機など放っておいても構わない。アルキアの重爆撃機こそが九〇七飛行隊の目標なのだ。
 いい加減に見えるソニアだが、戦闘時には恐ろしく冷静だった。戦いに夢中になって自分のするべき事の優先順位を違えることなど絶対にない。今の最優先の任務は、敵爆撃機を迎撃してカランティ市を護ることだ。
 敵の爆撃機隊が迫ってくる。
 それは、信じられないくらいに巨大な機体だった。
 空の要塞といわれたペリュトンのものよりも大きなエンジンが、両翼に計六機。そして太い胴体。あの中に収められた爆弾は、いったい地上にどれだけの損害を与えられるのだろう。
『まずはロケット弾だ。今日の敵はデカブツだからな。遠慮なしにぶっといのをケツからぶち込んでヒィヒィ言わせてやれ』
「隊長ってば、相変わらず下品ですねぇ」
 いつものこととはいえ、思わず溜息が出る。シェルシィは一応仮にも良家のひとり娘であり、士官学校に入学する前はずっとお嬢様学校の寄宿舎にいたのだ。こうした、男性的な乱暴な言葉遣いには慣れていない。
『お上品で戦闘機パイロットが務まるかよ』
「憧れの白百合飛行隊の実態がこれとは……ショック」
『なにか言ったか?』
「なにも。無線のノイズでは?」
 シェルシィは白々しくとぼけた。部下の暴言くらいで本気で怒るソニアではないが、後で、それを口実に苛められてしまう。先の発言についてこれ以上突っ込まれないうちに、てきぱきと作業を進めた。
「ロケット弾、安全装置解除。敵機捕捉……発射!」
 敵機のやや前方を狙って、ロケット弾の発射スイッチを押す。もう慣れたものだ。矢のように飛んでいくロケット弾は、巨大な敵機を直撃する――はずだった。
 しかし。
 シェルシィが放った二発のロケット弾は、目標の遙か下で時限信管が作動して爆発する。
「な、なんでぇ? 不良品?」
『下手くそ、なにやってんだバカ! 照準設定を間違えたな』
「あっ!」
 ロケット弾も機関砲も、あるいは地上の野砲や軍艦の艦砲も、正確な射撃のためには目標までの正確な距離を求めることがなによりも重要だ。これまでの戦闘機ではパイロットの経験と勘に依存する部分が大きかったが〈竜姫〉の照準器は違う。調整つまみを回して、照準器に映し出される環と目標の大きさとを一致させると、横のメーターに正確な距離が表示される仕組みだった。
 しかしそれには、目標の実際の大きさがわかっていることが前提である。〈竜姫〉の照準器には、アルキア軍の主要な機種の大きさが登録されていて、交戦中でも簡単に切り替えられるようになっていた。
 シェルシィは照準器を確認した。なんということだろう。ペリュトンの設定になっている。ハーピーとの空戦で照準器の設定を変更した後、いつもの癖でペリュトン用の設定に戻してしまったのだ。これでは、ペリュトンよりひと回り以上も大きなケツァルコアトルスを狙っても当たるはずがない。
「いっけない!」
 慌てて照準器の調整つまみに手を伸ばす。そこに一瞬の隙が生じた。
『バカッ!』
 容赦ない罵声に、はっと顔を上げる。思っていた以上に敵機との距離が詰まっていた。
 機体上部の旋回銃座がこちらを向いている。朱色の閃光が走る。
「――っ!」
 ハンマーでガンガンと叩かれたような衝撃。
 機体が震える。
 灼けるような痛みが身体を貫く。
 視界が一回転し、上下の感覚が失われる。
 計器盤にいくつか赤いランプが灯り、別ないくつかのランプがふっと消える。
 薄れていく意識の中で、撃たれたのだと気づいた。

* * *

『……バカ野郎っ! 寝てるのか? 起きろ、操縦桿を引け!』
 遠くから声が聞こえてくる。
 毎日毎日、シェルシィを怒鳴っている声。だけどどこか憎めない声。
 今日はどうして、こんなにひどく怒っているのだろう。なにか、へまをしでかしただろうか。ちゃんと、敵の戦闘機だって撃墜したはずなのに。
 考えがまとまらない。頭が痛い。
『こら! 返事しろ! 死んでんのかっ!』
 声が一段と大きくなる。そこでようやく目が開いた。
 機体が不気味に振動している。
 身体に染みついた習性で、瞬時にいくつかの計器を読み取る。高度計、速度計、水平儀。かなりの速度で降下中だった。このままでは地面に激突するか、あるいはその前に空中分解してしまう。
 まだ意識がはっきりしない。夢を見ていたような気がする。どうしてこんな状況になっているのだろう。
 計器盤に、見慣れない赤いランプが灯っていた。逆に、普段は灯っているはずのランプで消えているものがある。燃料計の他、いくつかの計器が割れている。
(……っ!)
 不意に、記憶が甦ってきた。
 そうだ、撃たれたのだ。
 一瞬、意識を失っていたのだろう。危ないところだった。ソニアの声で目を覚まさなければ、このまま墜落していたかもしれない。早く機の姿勢を立て直さなければ。
 右手に力を込め、操縦桿を握った。
 ズキン!
 骨に響くような痛みが走る。一瞬、力が抜ける。
 もう一度しっかりと握り直し、機体に負担をかけないようにゆっくりと引いた。急降下していた機体が徐々に水平に戻り、速度が下がっていく。
 それでもまだ、機体はがたがたと震えていた。頭の後ろから、耳障りなノイズが響いてくる。
 意識がはっきりしてきたところで、もう一度計器盤を確認した。いくつかの計器が壊れているようだが、致命的な問題ではない。
 いちばん大きな問題は、右エンジンだった。回転数と圧力が下がっているのに、温度が危険なレベルまで上昇している。右後方を見ると、不気味な黒煙が上がっていた。エンジンに被弾して火災が発生しているらしい。
 出力を絞り、右エンジンへの燃料供給を停止。手動で緊急消火装置を作動させる。ボンベから炭酸ガスが噴き出す音を聞いて、ほっと安堵の息を漏らした。回転計と温度計の針が急激に下がっていく。消火成功だ。
『シェル、無事か?』
 機の姿勢を立て直したので、ソニアの声もいくぶんボリュームが下がっている。すぐ横の、手を伸ばせば届きそうな距離に並んで飛行していた。
「はい、えーと……」
 もう一度、現状を確認する。
 まだ飛べるか? それは大丈夫。
 怪我はないか? それが問題だ。
 右腕と脇腹、そして右脚に鋭い痛みがあった。怖くて見ないようにしていたのだが、いつまでも放っておくわけにはいかない。恐る恐る自分の身体を見おろして、息を呑んだ。
 飛行服の右半身が真っ赤に染まっていた。右肘の少し上あたり、右の脇腹、そして太腿。血の染みがどんどん広がっている。
(撃たれた……!)
 一瞬、視界が暗くなった。機体が損傷しただけではなく、かなりひどい怪我を負ってしまったようだ。
 ズキン、ズキン。
 心臓の鼓動が傷に響く。どのくらいの傷なのだろう。このまま死んでしまうのだろうか。
『シェル?』
「あ、……えーと。右エンジンに被弾、火災が発生したので緊急停止しました。左は正常です。あと、機首にも被弾したのか、計器がいくつか破損していますが、飛ぶだけなら大きな支障はありません」
『怪我は?』
「……かすり傷が二、三カ所」
 嘘をついた。レシーバーに、微かな安堵の声が入ってくる。
「すみません。戦闘の継続は不可能です。単独で基地に戻ります」
『そうだな。だったらティアサーク基地へ向かえ。進路二〇五。ここからなら、クリューカへ戻るよりも一〇〇km以上近い』
「了解」
 コンパスを見ながら進路を修正する。幸い、操縦装置にこれといった損傷はないようだ。
『一人で大丈夫か?』
「……はい」
 また、嘘をついた。
『危ないと思ったら無理するな。機体を捨てて脱出していいぞ』
「後で弁償しろ、なんて言いません?」
『機体とパイロットの両方を失うくらいなら、機体だけの方がまだましだ。減俸で許してやるから安心しろ』
「そんなぁ! ただでさえお給料安いのに」
『それはアタシのせいじゃない。文句は政治家に言いな。じゃ、気をつけろよ』
 ソニアの機が旋回、上昇して離れていく。
 これで、一人きりになった。
 急に心細くなる。
 寒い。
 ひどく寒く感じる。高空服のヒーターが切れているのだろうか。
 高度を下げて雲の下に出る。見渡す限りのツンドラの大地には、これといった目標物もない。もう一度コンパスを確認。進路は間違いない。
(大丈夫……だよね)
 右エンジンが停まっている以外は、機体に大きな問題はない。燃料計が壊れていたが、ティアサークへ向かうだけの量は充分残っているはずだ。
 むしろ問題は、シェルシィの側にあった。
 出血はまだ止まっていない。被弾した直後に比べると痛みは鈍くなっていたが、それは必ずしもいい兆候とは限らなかった。神経が麻痺するほどの大怪我の可能性もある。
 なんとなく、頭がぼんやりする。右手が思うように動かない。
 右腕を負傷すると〈竜姫〉はひどく操縦しにくくなると気がついた。普通の戦闘機は両脚の間に操縦桿があるから、いざという時には左手でも操縦できるし、短い時間ならば太腿で固定して手を離すこともできる。しかしコクピット右端にある操縦桿は、左手で操作するのは困難だ。
 基地に戻ったら、報告書に書かなければならない。九〇七飛行隊の本来の任務は〈竜姫〉という新型機の様々な試験だ。訓練飛行で不具合や気がついたことがあれば、どんな些細なことでも報告書を提出することになっている。
(ま、それは無事に帰れたらの話……か)
 ふと、そんなことを思った。
 はたして帰れるのだろうか。ティアサーク基地に辿り着く前に、失血で死んでしまうのではないだろうか。考えたくもないことだが、嫌な考えが頭を離れない。
 どうして嘘をついたのだろう。怪我はないかと訊くソニアに対して「かすり傷だ」なんて。
 知られたくないと思ったのだ、あの時は。
 今、そのことを少し後悔していた。
 一人でいるのが心細い。ソニアかサラーナが傍にいてくれたらいいのに。傍にいて「大丈夫だ」と励ましてくれたらいいのに。
 ひどく静かだった。そのことが孤独感をいや増していた。
 〈竜姫〉のコクピットは普段、エンジンの轟音で耳が痛いほどなのに。
 エンジンが一基停止しているだけで、こんなにも変わるものなのだろうか。それとも怪我の影響で、聴覚まで鈍くなっているのだろうか。
「戦闘機パイロットが死ぬ時はひとり……か」
 新米のシェルシィであっても、そのことを本能的に知っていたのだろう。
 だから嘘をついた。
 ソニアが見ている前では死にたくなかった。「もう二度と僚機を失いはしない」と言っていたソニアの前では。
 ソニアと別れてから、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。そういえば、地図の確認を忘れていた。自機の正確な位置がわからない。
 不安になってきた。
 本当に進路は正しいのだろうか。それにしては時間がかかりすぎてはいないだろうか。もう、ティアサーク基地に着いてもいい頃ではないのか。
 下を見ても、だだっ広い荒野しか目に入らなかった。靄がかかっていて視界もよくない。
 ティアサーク基地へは訓練で何度も飛んだことがあるが、その時はソニアやサラーナの後をついていっただけだし〈白鳥〉の誘導もあった。まったくの単独飛行は初めてだ。
(そうだ、白鳥)
 スワン04が、レーダーで戦場を監視しているはず。当然、離脱したシェルシィも捉えていることだろう。
(……いや、だめか)
 ここがティアサーク基地の近くであれば、もうスワン04のレーダーの有効範囲からは外れている。溜息混じりに首を振ったところで、あることに気づいて苦笑した。
 そう、レーダーだ。〈白鳥〉に頼るまでもない。ティアサーク基地のレーダーが、接近するシェルシィを捉えているだろう。いまごろ、何者かと首を傾げているに違いない。
 無線の送信ボタンを押す。
「リリィ12よりティアサーク・コントロール、緊急事態」
 応答はない。数秒待って、もう一度繰り返す。
「リリィ12より、ティアサーク・コントロール。こちらリリィ12、ティアサーク基地応答願います!」
 不安のあまり、最後は金切り声になっていた。
 レシーバーから聞こえてくる微かなホワイトノイズ。永遠に続くかと思われたそれが、不意に変化する。
『……ティアサーク・コントロールより、リリィ12』
 ノイズ混じりに聞こえてくる、落ち着いた声。何度も聞いたことのあるティアサーク基地の管制官の声が、これほど頼もしく感じたことはなかった。
 大きく安堵の息をつく。自然と口元がほころんでいた。
「こちらリリィ12。被弾してエンジンを損傷しています。緊急着陸を許可願います」
 今度はすぐに応答があった。
『……ティアサーク・コントロールよりリリィ12、緊急着陸を許可する。現在の進路を維持し、二番滑走路へ着陸せよ』
「リリィ12、了解」
 とりあえず、これでひと安心。どうやら助かりそうだ。
 ところが――
「……あれ?」
 安心して緊張の糸が切れたのか、身体から力が抜けていく。また、意識がぼやけてきた。
「あ……まずい」
 視界が暗くなってきた。意識が途切れそうになる。
 血が滲むほどに強く唇を噛みしめて、その痛みで意識を保とうとする。しかし少しでも気を抜くと、顎の力を維持することさえ困難だった。
『ティアサーク・コントロールよりリリィ12、火災は発生しているか? ……リリィ12?』
 管制官の声で意識が戻る。
「……リリィ12。被弾直後は火が出ましたが、現在は消火しています」
『負傷しているか? 医療班の用意はいるか?』
「あ、えーと……一応、お願いします」
 一応どころではない。今もっとも必要なのは医師の治療だ。しかしそれは、無事に着陸した後のこと。
 自信がなくなってきた。この朦朧とした頭で、うまく動かない右腕で、浅からぬ傷を受けた機体を無事に着陸させることができるのだろうか。
 航空機の操縦で、もっとも難しくて微妙な操作が要求されるのが着陸なのだ。ティアサーク基地の滑走路に大穴を開けることになる可能性もある。
 機体を捨てて、パラシュートで脱出した方がいいだろうか。その方が、万が一にも基地の施設に被害を与えずにすむかもしれない。
 いいや、駄目だ。
 少し考えて、その考えを却下した。脱出も、相当に神経を使う作業なのだ。〈竜姫〉の狭いコクピットからの脱出はなおさらのこと。今の体調では、コクピットから飛び出した直後に垂直尾翼に激突する危険が大きい。
(……機を捨てる時って、自分も負傷していることが多いはずだから……うまく動かない身体でも安全に脱出できるようなコクピット……これも報告書に書いておこう。今度の報告書は長くなるなぁ……ユーウツ。ああ、きっと隊長に始末書も書かせられるに決まってる。やだなぁ……)
 また、思考が迷走しはじめていた。ほんの数分の距離のはずなのに、いつまで経っても着かないように感じる。世界一速い飛行機である〈竜姫〉が、どうしてこんなにのろのろとしか進まないのだろう。
 また不安が頭をもたげようとする頃、ようやく原野の中に人工物が見えてきた。この戦区では最大の空軍基地ティアサークと、その近くの村だ。
 ぎりぎりまで速度を落とし、ゆっくりと高度を下げていく。
 危険な着陸になりそうだった。被弾した衝撃のためだろうか、高度計が狂っているような気がする。計器の数字と、自分の目で判断した高度が一致しない。今は視力の方もあてにならないので、どちらか一方だけを信用することはできなかった。
 機を早めに降下させ、本来の進入コースよりもかなり浅い角度で滑走路へと向かった。これなら地面で反射するエンジン音でおおよその高度が判断できるし、万が一地面に激突しても、少しは衝撃を減らすことができるだろう。
 じりじりと高度を下げていく。
 一〇m……五m……。
 滑走路手前に設置された誘導灯の上をかすめるように過ぎたところで、出力をぎりぎりまで絞って機首を水平に戻す。
 接地の衝撃は、ほとんど感じなかった。ただ、タイヤが鳴る甲高い音で着陸したのだとわかった。
 エンジンを停止。エアブレーキを全開にしてドラッグシュートを展開。機体尾部から大きなパラシュートが飛び出す。
 急な減速で、シートベルトが身体に喰い込む。ドラッグシュートが切り離されたところで、フットブレーキを踏み込んだ。頭で考えるまでもなく、身体は訓練で何百回と繰り返した操作を勝手に行っていた。
 しばらくのろのろと動いていた機体が静止すると、一瞬、意識が遠くなった。
 気がつくと、視界が真っ白になっていた。雲の中を飛行している時のように、白一色でなにも見えない。
(あれぇ、確かに着陸したと思ったのに……夢? まだ雲の中?)
 そんなはずはない。エンジンの轟音は止んでいる。
(てことは、あたしはやっぱり死んで、雲の中にある天国に着陸しちゃったのかなぁ。天国ってどのくらいの高度にあるんだろう)
 ぼんやりとそんなことを考える。〈竜姫〉が到達できる高度だったら、ソニアが「高い機体を弁償しろ」とか言って追ってくるかもしれない。
 眠たくて仕方がない。面倒なことになりそうだから、今のうちに眠っておこう。
 目を閉じてうとうとしかけたところで、はっと気がついた。ここは間違いなくティアサーク基地の滑走路だ。キャノピーを覆っているのは、白い泡状の消火剤なのだ。着陸時に炎上した場合に備えて、地上要員が待機していたのだろう。
 そのことに気づいて安心したシェルシィは、今度こそ眠るように意識を失った。

* * *

「よぉ、調子はどうだい?」
 アルキア空軍の士官用バーでグラスを傾けていたランディ・コンコード少佐は、声をかけられても顔を上げもしなかった。
 素っ気ない態度に気を悪くした様子もなく、声の主は隣の席に腰を下ろした。その男、ニックル・カードとは士官学校以来十数年の付き合いだ。お互いに遠慮はない。
「駄目だな、俺も歳を取ったよ」
「狼王ともあろう者が、なにを弱気な」
「いや、本当に。この程度の怪我が、こんなに長引くとは思わなかった」
 ランディは一八〇機以上の撃墜数を誇る『天空の狼王』の異名を持つエースパイロットだった。世界最高の戦闘機パイロットは誰か――そんな話題で真っ先に名前の挙がる一人である。
 しかし現在は負傷のために療養中だ。
 これまで数え切れないほどの戦闘に参加した。負傷したことも一度や二度ではないが、三十代も後半となると、二十代の頃に比べて、明らかに怪我の治りが遅くなっていることを自覚せずにはいられなかった。
「それでも復帰は近いんだろ?」
「当たり前だ。これ以上時間がかかるようなら、医者を締め上げてでも前線に戻る」
「そうしてもらえると助かるな」
 ランディは微かに眉を動かした。どうやら、単なる無駄話をしに来たのではなさそうだ。
「なにか、あったのか?」
 参謀本部に所属するニックルは、現場には知らされていない情報にも通じている。どこかの戦線で戦況に変化があったのだろうとランディは推測した。
「戦略爆撃軍団の連中が痛い目に遭わされてる」
「戦爆が? どこで?」
「北、さ」
「北?」
「北極航路だよ」
「……なんと、まあ」
 驚くよりも先に呆れてしまった。北極航路を横断してマイカラス北部の工業地帯を直接攻撃――その構想は以前にも聞いたことがあるが、途方もない与太話と笑い飛ばしたものだ。
「笑うなよ。防御が手薄なところを衝いて敵の生命線を叩く。戦略としては間違っちゃいない」
「だが、実現可能かどうかとなると別問題だ。飛行距離の長い北極航路爆撃を護衛するには、主力戦闘機では航続距離が足りない。戦爆のお偉いさん連中は、まさかいまだに戦闘機不要論を信奉してるわけじゃないだろうな?」
「いや、さすがに今回のことで目を覚ましたようだ」
 ニックルが苦笑する。
 迎撃不可能な高性能爆撃機があれば、戦闘機など不要――以前、空軍の上層部にはそうした考えがあった。
 当時は連合軍戦闘機の性能が低く、アルキアの爆撃隊は大きな戦果を挙げていたので、その意見は広く受けいれられた。重爆撃機の開発・生産の予算は倍増され、当然の反動で新型戦闘機の開発と量産は後回しにされた。そのため現在でも、戦闘機隊と戦略爆撃軍団の間には確執が残っている。
 ランディもニックルも、戦闘機不要論など信じてはいなかった。航空機開発に関してはアルキアが先行していたが、本来アルキアとマイカラスの技術力に大きな差はない。アルキアが高性能の重爆撃機を開発できるのであれば、マイカラスはそれを迎撃可能な戦闘機を開発できるはずだった。爆撃機の性能がどれほど向上しようとも、大空の戦いにおいては戦闘機こそが最強の存在なのだ。
 そして事実、マイカラスはアルキアの主力戦闘機にも劣らない性能の六式戦闘機〈旋風〉や七式戦闘機〈颶風〉といった新型機を生み出してきた。空の要塞といわれたペリュトンですら、今日では無敵の存在ではなくなっている。
「さすがに、マイカラスの戦闘機は手強いと認める気になったようだ。ペリュトンだけならまだしも、絶対の自信を持って送り出したケツァルコアトルスがやられたからな」
「ケツァルコアトルスを実戦投入したのか?」
「で、四分の三が未帰還だ。ついでに護衛機の半数も」
「…………おい」
 さすがに驚きの声を上げた。開発中のケツァルコアトルスはランディも見たことがある。目を見張るような巨人機だった。こんな化物の相手をしなければならないマイカラスの戦闘機パイロットたちに、少しばかり同情したくなったものだ。
「気にくわんが、ケツァルコアトルスがすごい機であることは俺も認める。機銃に死角はないし防弾性能も高い。いくらなんでも、マイカラスの六式戦や七式戦にぽろぽろ墜とされることはないはずだぞ?」
「ずっと病院にいて、ニュースにまで疎くなったか?」
「……新型機か?」
「マイカラスは、すげぇ戦闘機を北極航路の出口に配備したんだ」
「もったいつけるなよ」
「零式……ジェットだよ」
「ジェット、だって?」
 プロペラを使わない、まったく新しい推進装置。アルキアで開発中のジェット戦闘機の試作機には、ランディも乗ったことがある。しかしジェット機の開発競争では、どうやらマイカラスが先行したらしい。
「高度一三〇〇〇mを我が物顔で飛び回り、最高速度は時速九〇〇km以上。三二mm砲と恐ろしく精度の高いロケット弾で武装した、対重爆用のとんでもないヤツだ」
「時速九〇〇km?」
「運良く生き残った連中の話ではな。眉唾だが」
 それでは、動きの鈍い爆撃機などひとたまりもない。どれだけ対空機銃を増やしたところで、人間の反射神経で捉えられる速度には限界がある。
「コードネームは〈リュウキ〉、プリンセス・オブ・ドラゴンという意味だ」
「プリンセス? プリンスじゃなく?」
「プリンセスでいいだろう。パイロットが女だからな」
「女、だって?」
 世界初のジェット戦闘機よりも、こちらの方が驚いた。女性軍人が比較的多いマイカラスと違い、アルキア空軍には女性パイロットなど存在しない。ましてや最新鋭機に乗せるだなんて、冗談のような話だ。しかし現実に、ケツァルコアトルスが手ひどい損害を受けているという。
 ふと、ひとつの名前を思い出した。
「ソニア・ハイダー……とかいったか」
「さすがに知ってるか。なんと、その女が世界初のジェット戦闘機隊の隊長だというぞ」
「旧式の三式戦に乗っていたって、油断できない相手だ」
「空戦の神様がそこまで褒めるってことは、本物か」
「本物中の本物だ。とんでもなくホットでタフな奴だよ。本物のファイターパイロットと呼べる奴は世界中捜してもひと握りしかいないが、間違いなくその一人だ」
 熱のこもった口調で語りながら、ランディは昔を思い出していた。彼も参加していた、ソニア・ハイダーの最後の空戦の光景を。
 戦闘そのものは、アルキア軍の圧勝だった。数でも機体の性能でも、連合軍を圧倒していた。その中でソニア・ハイダーは、七対一という絶望的な劣勢の中で戦い続け、三機を撃墜し、二機に損害を与えたところで自身も被弾して墜ちていったのだ。
「あの小娘が飛行隊を率いてるというのなら、手強いのは当然だな。それがジェットならなおさらだ」
「手強いどころじゃない。たかが一個飛行隊相手に、重爆だけでも一〇〇機の損害を出している」
「で、向こうの損害は?」
「軽微な損害を与えたのが一機。撃墜には至ってない」
「話にならんな」
「だから、早くお前が復帰してくれないと困るのさ」
 ニックルは子供っぽい笑みを浮かべてグラスを掲げた。ランディの口元にも笑みが浮かぶ。
「お前に、特効薬を持ってきてやった。これを聞けば、怪我の治りが三倍くらい早くなるぞ」
「聞くまでもなさそうだな」
 もう、なにを言わんとしているのか見当はつく。
「北に、新しい基地が建設中だ。怪我が治ったら、お前は新しい飛行隊を率いて、新しい機体で飛ぶことになる。隊員は空軍中から集めた精鋭揃い。そして機体は……」
「ジェット、だな?」
 それしか考えられない。相手は時速九〇〇kmを超えるという超高速機。七〇〇kmが精一杯のレシプロ機では戦いにならない。
「そうだ、ワイバーンを急遽実戦配備することになった。ジェット対ジェットの戦いが始まる。新しい時代の幕開けだ」
 その言葉を聞くランディの瞳に、子供のような輝きが戻っていた。

* * *

 目を覚ましたシェルシィは、まず違和感を覚えた。
 ここはどこだろう。
 クリューカ基地の自分の寝室ではない。雰囲気は似ているが、なにかが違う。
 室内の匂い。天井の微妙な色合い。空調や暖房の雑音。なにもかもが少しずつ違っていた。
(……そっか、ティアサーク基地だっけ)
 しばらく考えて、ようやく答えに辿り着いた。昨日の戦闘で被弾して、ティアサーク基地に緊急着陸したのだ。
 ベッドから身体を起こし、大きく伸びをする。同時に、微かな痛みに顔をしかめた。
 右腕に巻かれた包帯に、うっすらと血が滲んでいた。包帯の上から触れてみる。痛みはごく小さなものだ。
 シェルシィの怪我は、自分で思っていたよりもはるかに軽傷だった。機銃弾の直撃を受けたわけではなく、被弾の衝撃で割れた計器盤の破片が、いくつか刺さっただけだったのだ。
 気圧の低い高空だったから、傷の大きさの割に出血が多く見えたに過ぎない。基地の医務室で傷口を消毒し、ほんの数針縫って治療は終わりだった。
 昨日のことを思い出すと、赤面してしまう。被弾直後の狼狽えぶりが恥ずかしい。負傷したことをソニアに言わなくて本当によかった。こんなかすり傷で大騒ぎしていたら、後で思いっきり馬鹿にされていたことだろう。
 ベッドから出て服を着る。血で汚れた自分の飛行服の代わりに貸してもらった、空軍の標準的な女性用制服だ。スカートなんて久しぶりで戸惑ってしまう。ティアサーク基地の女性は数名のレーダー員や通信員や調理師、看護師だけで、パイロットはいない。
 着替えて簡単に顔を洗うと、朝食の前に格納庫へ向かった。そこで愛機が修理中なのだ。
 機体の方は、その主よりも遙かに重傷だった。右エンジンのタービンが大破していて、交換しなければ飛ぶことはできない。
 幸いこの基地には、四式ジェット戦闘機〈飛竜〉が配備されていた。〈竜姫〉のエンジンは飛竜のそれの改良型で、タービン部分はほぼ共通である。〈竜姫〉専用の部品はないものの、この基地でも一応の修理は可能だ。機体を分解して運んだり、部品が届くのを待っているよりも、なんとか飛べる程度に修理して自力でクリューカ基地に戻った方が早い。
 昨日シェルシィが急かしておいたせいか、整備員たちは朝から作業をはじめてくれていた。コクピット前部の被弾孔は既に塞がれ、今はエンジンを機体から降ろしているところだ。
「おはよう、リースリング少尉」
 整備員たちにねぎらいの言葉をかけようとしたところで、背後から名前を呼ばれた。振り返ると、シェルシィよりも少し年上の青年が笑みを浮かべている。この基地に所属する五一八飛行隊の記章をつけた中尉だ。
「あ、おはようございます……えっと」
「アルケイド、アルケイド・ダイアン」
「おはようございます、ダイアン中尉」
 思い出した。アルケイド・ダイアン中尉。
 五一八飛行隊のパイロットで、昨日もいろいろと世話を焼いてくれた人だ。明るく人懐っこい笑みが印象的だった。
「食堂で待っていたんだけど来ないから、こっちかなって。朝食よりも先に機体の様子を見に来るなんて、よっぽど大切にしてるんだね。ま、貴重な最新鋭機だし」
「あたしのミスでこの子を傷つけちゃったんだもの。やっぱり気になりますよ」
「ミス?」
「あ……いえ、なんでもありません」
 恥ずかしくて、他の隊のパイロットに話せることではない。敵機の大きさに距離判断を誤り、慌てたところを撃たれたなんて。自分のみならず、九〇七飛行隊の恥になってしまう。
「そんなに卑下することはないだろう? ケツァルコアトルスの武装はペリュトン以上のハリネズミだっていうじゃないか。一発や二発、喰らっても不可抗力だよ」
「あ、はは……そ、そうかもしれませんね」
 笑って誤魔化そうとするが、やや引きつった笑顔になるのはいかんともしがたい。
「それにしても零式は格好いいな。比べると、僕の四式が一世代前の旧式機に見える。あれだって、実戦配備が始まったばかりの最新鋭機なのに」
「そうですね」
「でも、実際は逆なんだよな。零式が、一世代も二世代も進んだ機体なんだ」
 マイカラスの技術で開発された四式ジェット戦闘機〈飛竜〉に対し、〈竜姫〉はリカード・ブロックという一人の天才が生みだした機だ。その設計思想は、マイカラスはもちろん、アルキアの最新鋭機と比べても五年から十年は進んでいるといわれている。
「まったく。男に生まれたことを、これほど悔やんだことはないね」
「はは……」
 アルケイドが〈竜姫〉に乗ることはできない。彼の体格は成人男性としては平均的なものだが、〈竜姫〉のコクピットは小柄なシェルシィにとっても窮屈なのだ。
 二人で話をしていると、整備員の一人が近づいてきた。シェルシィが機体の状況を訊ねるよりも先に、向こうから話しかけてくる。
「リースリング少尉、お願いがあるのですが……」
「はい?」
「写真を撮らせていただけませんか?」
「え?」
 見ると、手には大きなカメラを持っている。
「写真、って?」
「せっかく、評判の九〇七飛行隊のパイロットがこの基地にいるんですから。ブロマイドを手に入れるチャンスは今しかないな、と」
「は? あの、いったい……?」
 わけがわからない。助けを求めるように隣を見ると、アルケイドが苦笑していた。
「君、新聞はあまり読まない方?」
「え?」
 シェルシィが首を傾げる。アルケイドはズボンの尻ポケットから、折り畳んだ新聞を取り出した。受け取って広げてみると、一面を飾る大きな見出しが目に入った。
『天翔る乙女たち、アルキアの飛行要塞を一蹴!』
 必要以上に大きな活字で、そう印刷されている。記事は、昨日の九〇七飛行隊とケツァルコアトルスとの戦闘についてのものだった。
「君たちの活躍は、いつもトップ記事で載ってるよ。そのくせ隊員の写真はほとんど表に出ないから、噂ばかりがひとり歩きしてる」
 確かに。記事の大きさに比べて、望遠レンズで撮影したと思われるソニアの写真は不鮮明だ。それも、最近のものではなさそうである。
 仕方がないだろう。クリューカ基地は表向き、開発中の試作機の実験場だ。記者の立ち入りは厳しく制限されているし、間近で〈竜姫〉や〈白鳥〉の写真を撮ることも禁じられている。空軍のエースといえば普通は国の英雄だが、九〇七飛行隊の写真が少ないのはそのためだ。
「今じゃ巷では、クリューカの九〇七飛行隊といえば、謎の美女エース軍団として大評判だよ」
「……全然、知りませんでした」
 クリューカ基地に来てからは訓練が忙しくて、ゆっくり新聞など読む暇はなかった。それに、辺境のクリューカ基地には新聞も遅れて届くことが多いので、あまり熱心に読む気も起こらないのだ。
「でも……美女軍団? えへへ、照れちゃうなぁ」
 容姿を褒められて嬉しくない女の子はいない。マスコミはこうしたことを大げさに書き立てるのだとわかっていても、つい頬が緩んでしまう。
「君たちは訓練でこの基地に降りても、あまり長居しないからね。この機会にブロマイドの一枚でも欲しいと思う彼らの気持ちもわかってやってくれないか?」
「ええ、いいですよ、写真くらい何枚でも。ちょっと照れますけどね」
「やった!」
 すかさず、整備員がカメラを構える。
「じゃ、まず一枚撮ってもらおうか」
「え?」
 いきなり、アルケイドに肩を抱かれた。カメラに向かってVサインを出している。しかし、整備員はしかめっ面でカメラを下ろした。
「中尉、邪魔しないでくださいよ」
「邪魔ってことはないだろう?」
「オレらは別に、中尉のブロマイドは欲しくないですから」
「ちぇ、わかったよ」
 アルケイドは渋い顔で、カメラのフレームに入らない程度にシェルシィから離れた。すかさず、シャッターが続けて切られる。シェルシィは笑顔を作ろうとしたが、カメラを向けられることに慣れていないので、どうしてもぎこちない表情になってしまう。
「後で、ちゃんと二人一緒の写真も撮ってくれよ」
「抜け駆けすると、他のパイロットたちに恨まれますよ」
「獲物は、先に捕捉したパイロットのものさ。もたもたしてる奴らが悪い」
「獲物って……なんですか?」
 二人の会話の意味がつかめずに、シェルシィは首を傾げた。そんな表情が気に入ったのか、またシャッターが切られる。
「ところでリースリング少尉、君、肉料理は好きかな?」
「え? ええ……」
「カランティ市はトナカイ料理が名物なんだよ。郊外に美味い店があってね」
「トナカイ? 美味しそうですねぇ」
 戦闘機パイロットとはいえ女の子、美味しいものには目がない。
「じゃ、決まりだ。次の休暇はいつだい?」
「え?」
 ここに至ってようやく、状況が見えてきた。どうやらアルケイドは、シェルシィを誘っているらしい。
「朝食も食べずに朝早くからナンパかね? 熱心なことだな、ジェットボーイ」
 背後からの声に、アルケイドの身体が強張った。ぴんと背筋を伸ばし、気をつけの姿勢を取る。
 シェルシィが振り返ると、三十代半ばくらいの落ち着いた雰囲気の男性が、皮肉っぽい笑みを浮かべて近づいてくる。アルケイドが所属する五一八飛行隊の隊長、エリック・エスカータ少佐だ。
「ジェットボーイ?」
「その坊やのあだ名さ」
 エリックはアルケイドを指差して笑った。
「ちょっと前までは、毒にも薬にもならない並のパイロットだったのに、うちの隊が四式ジェットに乗り換えてから突然スコアを稼ぎ出してね。それで、ついたあだ名がジェットの申し子、ジェットボーイってわけだ」
「毒にも薬にもならないってのはひどいなぁ。要するに、旧式機の性能では僕の才能を引き出せなかっただけのことですよ」
「単に、相性の問題だと思うがな」
 エリックはにべもなく切り捨てる。
 高性能の新型機だからといって、必ずしも自分にとって最高の機体とは限らない。パイロットにはパイロットの、機体には機体の個性というものがあり、その相性がぴったり合ってこそ、パイロットにとって最高の機体といえる。
 運良く、シェルシィにとっては〈竜姫〉がそれだった。士官学校時代に訓練で乗ったどんな機種よりも身体に馴染む。乗る前はかなりくせの強い機体と聞かされていたが、それがシェルシィにはぴったりだった。そしてアルケイドにとっては、四式ジェット戦闘機〈飛竜〉がそんな機体だったのだろう。
「で、ジェットボーイ。君の小隊は今日、朝食後すぐに会議を行うと言ってなかったかな? ヒロ大尉が捜していたが」
「いや、……まあ、あれですよ。今日の議題はケツアルコアトルスへの対抗策でしょう? 実際に奴らと闘ったパイロットと、情報交換をしようかと……」
「カランティ名物のトナカイを食べながら、か?」
「いや……それは……まぁ、ねぇ?」
「言い訳はいいから、さっさと行ったらどうかね? ヒロ大尉の堪忍袋の緒が切れないうちに」
「……はっ!」
 姿勢を正して敬礼をし、そそくさと退散するアルケイド。シェルシィの横を通る時に、小さな声で「今度、手紙書くからね」とささやいていった。
「それにしても人気者だね、リースリング少尉」
 エリックは周囲を見回して言った。いつの間にか三人に増えていたカメラマンが、エリックに睨まれて視線を逸らす。
「……あの、エスカータ少佐。ひょっとしてあたし、ダイアン中尉に口説かれていたんでしょうか?」
「気づいてなかったのかい?」
「はあ、慣れてませんので」
 士官学校では学生同士の恋愛なんて御法度だったし、そもそも限られた時間で一人前のパイロットになることに夢中で、男子学生はすべて、腕を競うライバルとしか映らなかった。
 士官学校に入学する前はお嬢様学校の寄宿舎暮らしだから、これまでの人生で身近に同世代の異性がいたことはほとんどない。
 男性と交際したことがまったくないわけではないが、慣れていないのは事実だ。
「そういえば、少尉はリースリング家のお嬢様だったな。箱入り娘ってわけだ」
「いえ、箱入りってほどでは」
「考えてみれば、よくご両親が軍人になることを許したものだ。息子ならそれもありだろうが、ひとり娘が戦闘機パイロットとは……」
「それが……」
 シェルシィは言いにくそうに苦笑した。あまり外聞のいい話ではない。
「実は、父には許してもらってないんです。今は勘当同然の身でして」
「おやおや」
 エリックも苦笑する。
「だが、父親としては無理もない。俺も、自分の娘が戦闘機パイロットになりたいなんて言い出したら、素直に賛成はできないだろうな」
「娘さんがいらっしゃるんですか?」
「ああ。まあ、まだ五歳だから、当分そんな心配はないのが救いか。この戦争は長くてもせいぜいあと二、三年だろう」
「ですね。私もつくづく思いました。やっぱり、撃たれる心配なしに飛ぶ方が好きです」
 うなずきながら、シェルシィは両親のことを思い出していた。
 最後までパイロットになることに反対していた父は、どうしているだろう。母親には士官学校時代にも手紙を書いていたし、当然その内容は父にも伝わっているだろうが、直に連絡を取ったことはない。
 ふと、手の中の新聞のことを思い出した。
 シェルシィがクリューカ基地の戦闘機隊に配属されていることは、両親も知っている。こうした、九〇七飛行隊の活躍を伝える記事を読んでくれているだろうか。「女が戦闘機パイロットになどなれるわけがない」と頑固に言い続けていた父も、少しはシェルシィのことを見直してくれているだろうか。
 先刻のアルケイドの言葉で、いいことを思いついた。
 クリューカ基地に戻ったら、一度、家に手紙を書いてみよう。
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