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一枝


 黄昏時の生國魂神社で織田作之助の銅像に追いかけられた。誰そ彼と思う暇はあっただろうか、ブロンズオダサクが台座から下りて一目散に向かってきたのだ。
 夕暮れの天王寺七坂を必死に走る。織田作之助ならここしかないと、口縄坂の石段を駆け上がった。「木の都」の叙情詩的な末尾が記された文学碑に辿り着く。荒い息を吐いて振り返ると、どことなく愛嬌がある能面のオダサクが、環境にやさしい銅と錫の合金製煙草をふかしていた。白黒写真で見た印象深い帽子とマントが風になびいて硬質の音色をかなでる。冗談としか思えない異常な事態に冷や汗がにじんだ。どうしてこんなことになったのか、あれこれ考えているうち、可能性の騎手たる銅像が文学碑には目もくれず向かってきた。逃げないと!
 どこをどう走りまわったのかおぼえていない。法善寺横丁が目の前にあった。してみると地下鉄に乗って逃げのびたのだろう。ようやくにして一息つくと、大阪の喜劇王の筆による法善寺横丁の看板をながめる。それから西口の敷居を一歩またいだ瞬間、にわかに地面がずり落ちたような錯覚、法善寺の魔法のマントにふわりとくるまれたという随筆の……ややこしい夜の帳。
 ひたひたと、息をひそめて歩いた。不気味な予感がした。おそるおそる背後をちらりみると、赤提灯がぼんやりオダサクを出迎えた。きゃっと甲高い悲鳴をあげて石畳を蹴った。割烹の店前を過ぎるとき、俳句が視界の隅に残った。
 行き暮れて ここが思案の 善哉かな
 路地を抜けてぜんざい屋が目にはいった。青銅の靴音が迫る。水掛け不動か、夫婦善哉か。ままよとばかり、ぜんざい屋を選んだ。店内に足を踏みいれると、いまは富山の百河豚美術館で休んでいるはずの初代お多福人形が歓迎の笑みを浮かべた。

 私は夕焼けに染まる生國魂神社の境内で目を覚ました。好きな文豪の銅像を見るため学校帰りに足をのばしたはいいが、いつの間に眠ってしまったのだろう。中学生にもなって恥ずかしい。こんなところをクラスメイトに見られたら、東京者の文学女子は居眠りだとからかわれてしまう。周囲を見まわし、そそくさと学生鞄を拾って帰路についた。
 その夜、織田作之助の最愛の妻が自分と同じ名前だということを思い出して、私はひとりごちた。
「となりに奥さんの銅像もつくってあげればいいのに」


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