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063 闖入者

 物言わぬ少女の亡骸に寄り添う影がひとつ。それは起伏に富んだ女のものだった。女は少女の鼓動を確かめると、


「……サスティ……ッ!!」


 涙を拭うように服の裾を目許に当てる。女は嗚咽を噛み殺して少女の顔を覗き込んだ。


「ところで、何時まで其の様に倒れているお心算(つもり)なのでしょうか?」


「うるさいわね。すこしくらい悲しみなさいよ」


「悲しんで差し上げましたよ? ふふ、お茶目でしょう?」


「素振りだけね。ま、別にあなたに悲しまれたところで嬉しくなんてないけど」


 サスティが女の顔に向かって唾を吐く。


 しかし女は避けず、甘んじてその唾液を受け入れた。うふふふ、と(あで)やかな魔性の笑みを浮かべる女を見て、サスティはますます嫌そうな渋面になる。


「気持ち悪いわ。近寄らないで」


「其の様な事を仰らないで下さいませ。ワタクシは貴女の事が愛おしくて堪らないのですから」


「そういうところが気持ち悪いのよ、フィア」


 目の前の女──フィアと言う女はこういうやつなのだ。他人から向けられる悪意さえも喜んで受け入れる、サスティに言わせてみれば変態の一言に尽きる女である。


「あらあら、ワタクシは貴女の(すべ)てを愛していると言いますのに」


 ヘッドドレスを乗せたロングストレートの髪を肩から胸に流している女。艶やかな顔は万人にひとつの欠点もないと言わしめるほどの美しさを持っている。金銀の糸を使ったレースなど、意匠を凝らしたドレスを着こなすフィアの姿は、傍目からすれば婚礼前の花嫁とも見えるだろう。そんな彼女は慈愛の微笑みを湛えていた。


「何が『慈愛』かしら。さっさと助けに来ればあのお姉さんを解体(バラ)せたっていうのに」


「今、何と仰いましたの?」


「『慈愛』なんて要らないって言ったのよ」


 直後、サスティはすべてを覆い尽くすような怖気に襲われた。サスティのたった一言で、フィアの纏う雰囲気が変貌したのだ。その、禍々しく濃密な殺意(慈愛)が脳を侵すように雪崩れると、


「…………黙れ、吹けば飛ぶような塵芥が」


 フィアの双眸がきつく絞られ、瞬間、サスティの喉がヒュッと呼気を漏らす。フィアの顔面は苛烈な怒りを秘めていたが、すぐに気を取り戻した彼女は再び微笑を貼り付けた。


「其の発言、訂正してくださる? 世界は『慈愛』に満ちているのですよ。貴女が今、こうして生きているのもワタクシの『慈愛』があればこそなのです。其れを理解しておいでですか?」


 呼吸が出来ずに首を抑えてもがくサスティに、フィアの冷徹な眼差しが杭のごとく突き刺さる。強がって笑いながら、サスティは自らの失言を激しく後悔した。


 そう、この女はそういう女なのだ。


「ワタクシの『慈愛』が貴女を生かしていたのです。ああ、此れが貴女の命! 心臓を失くしてなお活動を止めない生命の輝きなのですね!!」


 頬に手を添え、フィアは恍惚とした表情で悦びを示す。いま、彼女はサスティに『慈愛』を注いでいないのだ。たったそれだけで、サスティの喉が潰れ、呼吸ができなくなっている。


 『慈愛』のフィア。それがこの女の仲間内での呼ばれ方だった。


「ぎっ、いぃ……」


 サスティが空気を求めて喉を掻きむしる。充血した眼球に走る毛細血管が破裂し、サスティの双眸が血で赤く染め上げられた。


「貴女の生命は、今一度、強く輝いています! ああ、なんて素敵なのでしょう!!」


 瞬きをすることもなく、焦点を失った二つの眼球が向けられる。いまや血に濁った昏い金色の双眸は、フィアの持つ琥珀色の瞳と目が合うと、ぐるんと上を向いて、


「、ァ、……」


 断末魔の叫びを上げることもなく、サスティは白目を剥いて地に伏した。


「あら。死んでしまいましたの? 少々悪戯が過ぎましたわね」


 フィアはくすくすと笑い、すっかり息絶えた少女の身体を見据えた。


 苦悶に歪んだ顔、だらりと伸びた唾液塗れの舌。生の気配がない少女は、しかしフィアが『慈愛』に満ちた微笑みを向けるだけで、心臓が拍動を再開したかのように大きく痙攣した。


「……ブチ殺す……いつか絶対にぶち殺してやる……!!」


「あらあら。貴女の様な可憐な淑女の口から出る言葉にしては余りにも汚すぎますわよ? それに、ワタクシ達は同族ではありませんか。いえ、同じ主から生み出された同士、と言うべきなのでしょうか?」


 首を傾げたフィアが数秒の熟考ののち「まあ、どちらでも同じでしょう。仲良くしませんと」と手を打つ。サスティは汚物を見るような目で彼女の姿態を睥睨していた。


「それにしても、ああ、素敵な事です。ワタクシ達は生命とは無縁の存在であったと言うのに、現在(イマ)では生命があるのですから! 偉大なる我らが主に感謝を!!」


「食事を止めない限り、私は死なないわ。ていうか、そもそも私たちが生き物なのかもわからないじゃない」


「ええ、其のとおりです。しかし、苦しかったでしょう?」


 言いながら、フィアは妖艶に、舌なめずりをしながらサスティの肢体にねっとりとした視線を絡ませる。気色悪い感覚に身震いしつつ、サスティは渋面を浮かべて答える。


「だから、なに」


「悪寒。戦慄。苦渋。苦悶。辛苦。痛苦。疼痛。苦衷……まだまだ在りますが、ワタクシ達は痛みを、苦しみを、辛さを、得る事が出来る。瀕死の状況に追い込まれるまで、其の甘美な感動を味わい尽くす事が出来る。死にかけても、死にたくても、死ぬことが出来ないからこそ、其の果実を齧る事が出来る。其れは、ひどく素晴らしい事でしょう? 痛みが、苦しみが、辛さが、ある。だからこそ、『慈愛』を真摯に受け止める事が出来るのでしょう? ええ、ええ。素晴らしい事です。ワタクシ達は互いに同じ仕組みを持ちながらにして、互いに違いを持つ同士。しかしながら、痛みによる苦しみや辛さは共感出来る。たとえ哀しむ事が出来ずとも、憎悪を抱く事が出来ずとも、慈愛を与える事が出来ずとも、好奇心に悦びを見出す事が出来ずとも、信仰に篤く為れずとも、傲慢に在れずとも、ワタクシ達は等しく痛みを感じる事が出来る。ああ、ああ、ああ──なんと『慈愛』に満ちた事でしょう」


「……相変わらず頭のネジがぶっ飛んでるわね」


 フィアの無駄口にうんざりしつつ、サスティは立ち上がってワンピースの裾を叩いた。泥がついていてはイーナに申し訳が立たない。きっと待ってくれていることだろうから。


「待っててね……ふふっ」


 ぺろりと舌なめずりをするサスティの胸に湧いたのは、情欲か、それとも食欲か。


 サスティ自身には、情欲と食欲の二者の違いがわからない。わかるのは、ただ、食べたいという欲のみだ。だからこそ、サスティは自分が食べたいものはイコール自分が愛しているものだと考えている。


 花嫁衣裳を着たイーナを食べる姿を想像しながら涎を垂らすサスティ。フィアはどこからか取り出した(おうぎ)で口許を覆い隠し、


「貴女こそ、螺子が緩んでいるのではなくて?」


「殺すわよ」


「ええ、ええ。其れもいいかもしれません。ああ……苦痛の果てにある死を甘受する悦びを是非とも味わいたい……」


「あらそう。なら、死ね」


 言うと、サスティは一切のためらいもなくフィアの首を胴から切り離した。


 整った美麗な顔は微笑を繕ったまま宙を舞い、胴体ごと掻き消える。そのまま終わればサスティとしては満足なのだが、


「やっぱりアンタのそれが一番嫌な能力だわ」


「そんな事を仰らないでください、サスティ。ただ、ワタクシが世界の総てを愛しているが故に誰かがワタクシを愛してくれただけのことではありませんか。それに、ワタクシだって一度くらい死んでみたいのですよ? ですから、貴女が羨ましいのです」


 何時の間にか背後に立ち、耳元で囁くフィアを肩越しに睨みつけた。


 心にもないことを言ってのける目の前の女は心底気味悪い。何度殺そうとしてもこうなるから苛立つのだ。コンビネーションは最悪だと言うのに、どうしていつもこの女と組んで行動しなければいけないのか、サスティには毛頭わからなかった。


 血の一滴も付着していない自身の得物を収めると、サスティはすぐそばにあった頭蓋を踏みつぶし、苛立たしげに尋ねる。


「どうやったら殺せるのよ」


「さぁ? 世界中の生物を殺しつくせば良いのでは?」


「……チッ」


 不愉快そうに舌打ちし、サスティはイーナの匂いがする方角に目を向ける。


「行くわよ。さっさと終わらせてイーナを連れて帰るんだから」


 フィアの傷ひとつない肢体と顔を見て、サスティはゲテモノ料理を見たかのように舌を出して嫌そうな顔になった。フィアの身体が彼女のものであって彼女のものでないからだ。


「此れも『慈愛』が在ればこそ、なのですよ」


「あっそ。さっさとあの龍を調伏するわよ」


「そうですわね。何方(どちら)が上かを理解させませんと」


「アレを手駒にできればアイツも文句は言わないでしょ」


 言いながら、サスティはつい二、三日前のことを思い出す。


 あの赤焔龍には憎悪を植え付けてみたのだが、なかなかどうして抵抗力が強い。アレを完全に堕として、それから街に放つ予定だったのだが、不完全なまま逃げ出されてしまった。


「流石は古龍と言ったところでしょうか。未だに御しきれない、詰まりは其れだけの力を秘めていると言う事。しかし、そうなると益々楽しくなってきますわね」


「いいから行くわよ。さっきのお姉さんはあそこに行ったんだろうし、たぶん……イーナもあそこにいるわ……ふふふふふふ……あああ、早く一緒になりたいわぁ……」


 妖しい色香を漂わせる笑みに唇を吊り上げ、サスティは幾多の大輪の咲くその袂へと一歩を踏み出す。小さな後ろ姿に追従するフィアは、


「本当に、悪趣味ですわ」


 そこらじゅうに落ちている食べ残し(惨殺死体)を眺めながら、そう呟いたのだった。


    ×   ×   ×   ×


 同刻、日輪のごとく咲く大火に彩られた街を目指して荒野を駆ける一組の男女がいた。


「アイツ、あそこにいるんだ? つーか、生きてるってのがまず信じられないくらいだ」


 長身の男が息を切らしながらぼそりと呟く。それを耳にした少女は、極めて冷静な声音で、


「ああ。アタシが助けたからな」


「ふーん。ま、あり得なくもないか」


 興味を失ったように男は口を閉ざし、すると少女はわずか俯きがちになった。


 竜車もかくやと言う速度を維持する二人は、一見して対照的な風貌を取っている。


 男の方は、真っ黒の外套に身を包んでおり、また、長い前髪が目許を隠している。腰に提げている一対の刀剣は、片方が黒、もう片方が白の双剣であり、まるでピアノの黒鍵と白鍵のようだった。


 逆に少女の格好は開放的なものだった。白のチューブトップにホットパンツ、その上に毛皮のコートと、機動性を重視した軽装だ。顔は整っている方で、ぱっちりとした双眸に白皙とした肌、薄紅を塗ったような頬が綺麗であるが、全体的にやや幼げな印象を受ける。


 つかず離れずの距離を維持する二人の様子は、傍から見たら暢気なものである。男などは退屈だと言わんばかりに欠伸を噛みしめて眠そうな目を擦っていた。


「ここまで来るの、すげー疲れたんだけど。……前回みたいに退屈しないよね?」


 問いかける男に、女は冷静な声音で、


「退屈しのぎだと思ったら死ぬ。手を抜いて相手を挑発したりはするなよ?」


「はいはい、わかりましたよー」


 言いながら、男は拗ねた様子でちぇっと唇を尖らせた。肩越しに振り返った女は、呆れたように溜息を吐くと、もう一度街の内部の状況を視た。


「これは……」


 魔力の動きだけでもある程度の情報は得られる。特にこの少女は、他人の魔力を覚え、探す能力に長けていた。少女は一旦目を閉じて集中すると、


「かなりひどい状況になってる」


 一番遠くに視える、赤焔龍とひとりの青年との戦闘は、赤焔龍のほうに軍配が傾いている。もはや防戦一方となった青年はもうじき限界を迎えるだろう。


 だが、そこへ向かうのは初代勇者だ。少なくとも、青年が力尽きるまでには間に合うし、彼女であれば赤焔龍を抑えることができる。


「赤焔龍だけだったらアリス一人でもなんとかなっただろうけど……最悪の状況だ」


 問題は、初代勇者の後ろを尾行している二人組の女たちだ。女の目標(ターゲット)であるその二人組が加勢するとなると、戦況は一気に傾くだろう。


 少女が思わず苦い顔になると、片目を開けた男が崩れた時計台を指さして、


「俺が初代勇者と一緒にあの二人を抑えるから、そっちはよろしくー」


「なっ!? アレはお前が敵う相手じゃ──」


「けど、それしか選択肢がないじゃん。ならそうするしかないと思うけど?」


「……っ」


 男の片目が獲物を狙う猛禽類のごとく引き絞られ、その威圧に女が生唾を飲み込む。


「そうだね。赤焔龍とならアンタよりアタシのほうが相性がいい」


「話が早くて嬉しー。それじゃ、俺のクラスメイト(、、、、、、)を頼んだよ」


 邪魔な前髪をかきあげながら、男が鋭い目を女に向ける。しかしその目にあるのは単純な戦闘意欲と好奇心だけで、友を心配するような優しいものではなかった。


「任された。……本っ当に戦闘狂(バトルジャンキー)ね」


「別に戦闘が好きなわけじゃないって。死にそうな状況に居続けるのが好きなだけ。──じゃ、お先に行かせてもらうぜ?」


「それ、ほとんど変わらないじゃないか。──気をつけて、眞白」


 呆れながらも頬を緩めた笑顔のまま言うと、黒木場(くろきば)眞白(ましろ)は意外そうな顔になって、若干照れくさそうに頬を掻く。


「そういうの、いきなり言うなよな……魔神のくせに」


「魔神は関係ないと思うんだけどな」


 ううん、と魔神ノアは仄かに顔を赤らめる。しかしノアはすぐに気を切り替えて、自身が向かうべき場所──服部八雲の許へ目を向けた。位置を確認して魔力を漲らせると、一言。


「いま、行くから」


 かつて八雲の命を救った魔神──ノア=アークは、何の因果か、八雲の級友である黒木場眞白と行動を共にしていた。


「絶対に、間に合わせる──」


 そして、白銀の魔神は鬼気迫る表情でそう呟いた。


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