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062 異変4

 服部八雲は街をさまよっていた。目は虚ろで焦点が上手く合っていない。


 狂乱の大音声(だいおんじょう)の飛び交うさなか、ふらふらとした足取りで目的もなく歩き続ける。ただ、八雲の耳は外界の音に無頓着だった。


「おいアンタ! 何してんだ、早く逃げるぞ!!」


 ふと一人の青年が八雲の腕を掴んで引き寄せる。為すがままに引かれた八雲が顔を上げると、


「チッ……アンタも壊れちまってんのか。(わり)いな、生きる気力もねえ奴を連れて行くほど俺はお人好しじゃねえんだ」


 そう残して去っていく青年。八雲はぼうっと彼の背中を眺めていた。


 ──殺してやりたいなぁ……そうして……そうして?


 自分の考えにハッとしてかぶりを振る。そうしてって、その先に何があるんだ。


「何考えてるんだよ、俺……ッ!!」


 目覚めたときからずっと、同じ思考を繰り返している。内側に響く怨嗟の声、憎悪と殺意、それらの衝動に身を任せそうになっては、冷水を浴びたように意識が覚醒する。


 どうして、と八雲が苦悶に顔を歪ませる。


「なんでこんなふうになってんだよ……いつからこうなっちまったんだよ……」


 口ではそう言うが、原因自体はわからずとも発現時期は判明している。


 聖也の手によって地の底に落とされた、ちょうどあの日からだ。


 あのころの八雲は自暴自棄になっていて、何体もの魔物を殺していた。もしかすると、殺意が治まっていたのはそのおかげだったのかもしれない。


 殺意が一気に強まったのは、女神を名乗る少女と出会ったあの瞬間。


 怒りとともに湧いたのは、誰のものともわからない殺意。自分が自分でなくなる感覚だった。自分の後ろに誰かが立っていて、いますぐにでも身体を乗っ取ろうとしていた。


 ──俺は、いまこうしている俺は、本当に俺自身なのか……?


 はたして、自分は服部八雲だろうか。平和な現代に生まれ、転移後も上手くやっていた、あの頃の服部八雲自身なのだろうか。


 もしも、再会した幼馴染に別人だと言われたら。お前は八雲じゃないと言われたのなら。


 きっと、自分は壊れてしまう。本当に壊れてしまうだろう。


 殺戮を繰り返す、感情のない戦闘兵器に成り下がるかもしれない。自分では何もできない廃人になってしまうかもしれない。


 教えてくれないだろうか。自分がなんなのか。自分の後ろに立っているのは誰なのか。


「──あぁああああああぁ────」


 堂々巡りの思考。


 何を考えても最後には自分が本当に自分自身であるかという問いに帰結する。


 苦しくてたまらない。もがいてもあがいても抜け出せない思考の円環(ループ)


 ──俺は。


 いったい、なんなのだろうか。


 少しずつ、自分のなかの何かが壊れていく音がしていた。きっと、あの日から、ずっと。


 あたまを抱えながら、八雲はふらふらと街の中心部へと歩いていた。時計塔の見える通りに出た、ちょうどそのときだ。


「いやぁああああっ!!」


 耳朶を打つ、甲高い悲鳴。その瞬間、八雲の目が見開かれた。


 ──今のは?


「まさか……イーナ!?」


 八雲は考えることをやめて走り出した。


「くそっ……なんで俺は忘れてたんだ!?」


 街が襲撃されている、つまり仲間たちも危険な目に遭っているかもしれないということは充分わかっていたはずだ。


「間に合ってくれ……いや、間に合わせる!!」


 全身に魔力を循環させると、八雲は強化した筋肉を竹のようにしならせて駆ける。


「どこだ、どこに────」


 十字路を曲がったとき、見えた。八雲は歯を食い縛った。


 体表がすっかり黒ずんだ地竜と、彼の背に乗る宿屋の従業員。


 その奥──道を塞ぐように立つ赤い髪の少女と──咢を開く、焔を纏った紅の竜の姿──。


 眼前の光景を見て、八雲は体温が急激に下がった気がした。


 どうして、と考えるより先に身体が動いた。


 魔力を迸らせ、思い切り踏み込み──加速。地に足が着くより先に、空歩(エア)で魔法陣を編み、足場を作る。さらに加速。八雲の眼光が炯炯と輝く。


 あともう少し。手を伸ばせば、届く。前にもあった、世界がゆっくりと動く感覚。灰色の世界。恐怖との賭け合い。すぐそこにある死を回避するための、灰色の世界。


「諦めるな!! まだ、まだ何も終わっちゃいない!!」


 ふと口を突いて出た言葉。怒号に似た叱咤。自分を戒めるための絶叫。


 瞬間、触れる。彼女が驚愕に目を剥く。


 横合いから少女の身体を攫い、衝撃が彼女を傷つけないように調整してさらに加速。すぐそこにまで迫る凶刃のような鋭い牙から逃れ──、


 八雲は、ブーツの裏でブレーキを掛けながら緩やかに速度を落とす。


「おにい……ちゃん?」

「怪我はないみたいだな。……無事でよかった」


 イーナの身体に目立った外傷はない。ホッと一息ついて、八雲はイーナに微笑みかける。


「もう大丈夫だ」


 かつて自分も掛けられた言葉。自分よりも圧倒的に強い相手(クマ)と戦ったときに、兄のように慕っていた彼が掛けてくれた言葉だ。


 テグスは八雲を何度も助けてくれた。


 今度は、自分がそうあるべきなのだ。


「俺に任せとけ。兄貴ってのは妹よりも絶対に強いんだから」


 不調を悟らせない、力強い声音で八雲は言う。


「セタンタ、下がれ! お前なら、そんなもんは怪我にもならないよな?」


 八雲が不敵に笑うと、地竜が当たり前だと言いたげに唸った。地竜の返答に満足した八雲は、次に彼の背に乗る女性を一瞥した。


「それからそこのひと、名前は?」

「か、かたりなですっ」

「ならカタリナさんはこの子が無茶しないように見ててくれ!」

「あなたはどうするんですか!? 相手は赤焔竜ですよ!?」


 カタリナが唾を飛ばす勢いで食い掛かる。八雲は彼女の必死さに驚きながら、


「敵なら、戦うだけ」

「無茶です! 勝てるわけがない!」

「──勝てなくても、諦めるわけにはいかない!!」

「────」


 八雲が張り上げた大声にカタリナが目を見開き、絶句して俯く。


 カタリナの忠告は正論だ。それに、八雲とて彼我の力量差がわからないわけではない。赤焔龍は八雲の何倍もの魔力を有している上に、堅い龍鱗や鋭い牙などの基礎スペックが違いすぎる。たとえ赤焔龍が魔法の類を使わなかったとしても、八雲が勝てる見込みは少ないだろう。


 それでも戦うのは、八雲のなかにテグスの影があるからだ。彼の背を追いかけていると言ってもいい。


 ──お前なら、絶対にそうするよな。


 きっと、テグスならば命を失うリスクがあったとしてもそうするだろう。


 過去を振り返りながら腰の剣に手を伸ばす。その襟を小さな手が掴んだ。イーナは、泣きそうな顔で八雲を見上げていた。


「わたし、止められなかった……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「気にするな。イーナが謝ることじゃない」

「でも、わたしが止められればっ!」


 ぐすぐすと涙を零すイーナに対し、八雲は一瞬目を見張ってから朗らかに笑ってみせた。


「そっか……止められなかったか」

「わたし、わたしなら止められるって……そう思ったのに……」

「けどな、そういうときだってあるさ。だから、俺が止めてやる。イーナの代わりに俺が止めてみせる。心配しなくていい。俺が強いってことは知ってるだろ?」


 こくりと首肯するイーナ。八雲はそんな彼女を愛おしく思い、くすぐるようにあたまをなでた。それでも相変わらずイーナは不安そうに八雲の襟を掴んでいる。


「そんな顔するなって。俺は大丈夫だから、セタンタのところまで下がっててくれ」

「……うん」


 イーナが後退するのを見届けてから、八雲は一歩前に踏み出して剣を抜く。切っ先を向けた方向には、怒りをあらわにした赤焔龍がいる。


 ズキリと、鈍痛が頭蓋の内側をたたく。憎悪、殺意、怨嗟の声が渦を巻いて、八雲の意識を搦めとろうと亡者のように魔手を伸ばして掴もうとしてくる。きっと、抗うよりも渦の流れに身を任せた方が楽になれるのだろう。


 けれど、その先に待っているのは終わることなき辛苦だ。後悔の海に沈み、もがいてもあがいても決して悔恨に満ちた海中から出られなくなるのだろう。そんな予感があった。


 ──……勝てないだろうなぁ。


 このままでは絶対に勝てない。自分の力ではせいぜい何分かこの場を凌ぐくらいしかできないと八雲は推測している。

 内側で響く誘惑に耐えながら戦うよりかは、きっと憎悪と殺意だけを持つ殺人狂にでも身をやつしたほうが遥かに楽だと思う。


 その選択だけはしてはいけない。


 なぜなら──、八雲は救われたから。


 これまでの幾つもの出会いのなかで、八雲は幾度となく救われてきたからだ。世界で一番不幸だと思っていた時期もあったし、他人すべてを恨んでいたときもあった。


 だが、手は差し伸べられた。全員が全員、手を差し伸べてくれたかと言えば、そうではない。けれど確かに、手を伸ばしてくれた人たちがいる。八雲が拒絶しても、それでも自分を救おうとしてくれた人たちが、いるのだ。


 この命は、きっと、自分だけで背負うものじゃない。いろんな人に助けてもらって、救われて、そうして繋いできた命だから、きっと自分だけでなくみんなが一緒に背負ってくれている。


 だから、諦めない。


「来いよ、王様気取りの蜥蜴野郎」


 たとえ、それが虚勢でも、強がりでも。


 ──俺が諦めるわけには、いかないんだ!!


 明確な意志を宿した双眸が、仇敵を狙う弓のごとく引き絞られる。全身にみなぎらせた魔力を収斂し、即時行動を起こせるよう、自らの歯車を回していく。


「──────!!」


 赤焔竜が形容しがたい咆哮を放つ。同時に一帯の気温が上昇、真夏の茹だるような暑さが広がっていく。


「【賢者の(アナライズ)義眼(=アイズ)】」


 両瞳に白金の焔を灯し、赤焔龍を、その周囲の空間を強く睨みつけた。白金の焔が霧散、吸い込まれるようにして八雲の眼に機械的な魔法陣を描く。


 瞬きを一つ。周囲に漂う魔力が色づく。視界は澄み、情報量が増加。


 瞬きを二つ。色づいた魔力が大まかな情報となって脳に書き込まれる。目蓋を落とし、集中を高め、持ち上げる。分析はより精緻に。


 瞬きを三つ。魔力の動きがすべて、視界に映し出され、大まかなデータが脳に送り込まれていく。これが八雲の行使した魔法のすべて。


「よく、“視ろ”。何も視逃すな……」


 もとよりの頭痛に加え、目の周りが熱を持ち、痛む。


 魔力の動き、性質、質量……敵を分析するために行使した魔法。竜王から教わった、未知の敵を相手取るときに有用な術だ。


「お兄ちゃん!!」


 イーナが身体中から絞り出すように危険を知らせる。それだけの魔力が、明確な脅威となって赤焔龍の体内で蠢動していた。だが、


「心配するな、イーナ。全部、視えてるからさ」


 質量は、火口で煮えるマグマのごとく。性質は、風を受けて燃え盛る火焔のごとく。その動きは、蜃気楼を映す陽炎のごとく。


 ──こんなにも。


 増幅、増幅、増幅、増幅、増幅──まるで自爆装置の起動を報せるアラートのように、溜まっていた魔力が膨大な熱を持ち、荒ぶる敵意を露わにし、倍々と増え続け、揺らめく。


 属性は火の上位、焔。同じ系統でも、火と焔ではまったく威力が変わる。なにより、魔力の濃密さ、つまりは質が違う。色で表すのなら、『火は赤で焔は青』。


 その色を視て確かめ、予感を得た八雲は肩越しに後方へ叫ぶ。


「──もっと離れてろッ!!」


 もはや振り返る余裕も猶予もない。目の前の脅威を防ぐには他のことに意識を割く時間すらも惜しい。


「思い出せ、アリスの魔法を」


 瞳を閉じて記憶をさかのぼり、地の底で大蛇と対した一幕を脳裏に浮かべる。アリスの魔法(それ)は八雲の魔法(それ)などとは比べ物にならないほど凄まじかった。


 他でもなく、彼女の魔法に救われた八雲ならば。


 ──できないわけがない!!


 直後、赤焔龍の描く魔法陣から青い火球が放たれる。周辺の建物を食らう火よりもさらに高温を意味する青の焔。風を切るよりも風を食らいながらと言った方が適切だろう。


 が、八雲の詠唱のほうが早い──、


「【我が力を用いて絶対の盾と成す──】」


 魔力が抜き取られる感覚。知覚できなくとも、この瞬間に世界との契約が成った。


「【二重奏(デュオ)聖盾(アイギス)】!!」


 二枚の白金の魔法陣が中空に描かれ、重なる。


「もっと! もっと強く!!」


 八雲自身の魔力は限られている。常人と比べればそれなりの魔力量を有しているものの、アリスなどと比べればまだまだ少量だ。だから、工夫する。


 底から捻りだした魔力をそのまま注いでいく。


 八雲が取った方策は、数を減らして強度を高めることだ。対象の威力を削って周辺への被害を最小限に留めたいのならば、魔法陣の枚数を増やして火球を減速させるべきだろう。


 だが、威力を削りたいわけではない。完全に、一息で止めるのだ。


 注ぎ込まれる魔力に応じて白金の魔法陣が輝度を増す。迫る火球が、ぶつかった。


「ぐ、ぅうっ……!!」


 耳を劈く爆裂音。魔法陣にはまだ手応えがあった。


 八雲は渋面になりながら、明滅する視界の奥を覗き見る。苛立ちを隠せないと言うように、赤焔龍が一際大きな咆哮で天を裂いた。


「わかっちゃ、いたが……かなりきついな、これは」


 呼吸を荒げる八雲。その視界には無数の魔法陣が映し出されていた。


 夜空に咲いたいくつもの大輪。ひとつひとつが一個小隊を全滅させる威力を持つ魔法陣の数々。両端から中央にかけて一挙に魔法陣が綻び、煉獄の焔のごとき花弁を散らせる。


 零れ落ちるは烈火の花びら。咲き誇るは日輪のごとき大火。


 あえてその光景に名を与えるのならば──、


「──────」


 ──ヒトはそれを、絶望と呼ぶのだろう。



    ×   ×   ×   ×



 宵闇をものともしない光が街並みを煌煌と照らしだし、数コンマ遅れて一際大きな爆発音が鳴り響いた。少し遠くの空には、いくつもの紅い魔法陣が編み出されている。


 あれは危険だ。アリスの直感はかなりの威力を秘めている魔法陣の数々に戦慄を覚えていた。


「きっと、あそこに……ッ!!」


 確証はない。しかし、あそこにイーナと八雲が居るだろうとアリスは予測を立てている。だから、そこを目指して一直線に駆けつけようとした。が、


「お姉さん、どうして急いでいるの?」


 疾駆するアリスに声を掛けたのは、道端の竜車に腰掛ける少女だった。


 宵闇で融ける色合いの、ゆるくウェーブした髪を持つ少女。瞳は(くら)い金色で、見る者を(いざな)うがごとく。


「この先に面白いものでもあるのかしら。ね、どうなの?」


 少女の双眸が爛々と煌めく。口許に浮かべた薄い笑みはアリスを試すかのようだ。


 ──これは……。


 いくつもの命を奪ってきた者の目だ。それも、殺害に快楽さえ覚える殺人狂のもの。


「あなたこそ、どうしてこんなところで?」

「わかってるくせにぃ……随分と気を張るのね、お姉さん」

「一人旅を続けると誰もが敵に見えるんですよ。仕方がないでしょう?」


 少女はアリスの言葉を聞いてくすくすと笑う。もともとはまっさらな白色だったのであろうワンピースは、いまや返り血と思われる赤黒い液体に染まっていた。


「ふふふ。この色が気になるの?」

「よく見たことのある色彩ですから。つい見惚れてしまいました」

「へえ、お姉さんもこっち側のヒトなのかな?」

「人を殺めたことはありますが、殺人狂に成り下がった覚えはありませんね」


 言いながら、アリスが右手の空間に腕を差し込む。小指から順に握りしめた手のなかで、一振りの剣を形取る淡い光が漏れた。


「力を貸してください、《無銘(unknown)》」


 主の召喚へ呼応し、光が白鋼のきらめきを放つ。


 顕現するは、常人では扱うことすら困難なツーハンデッドソード。その刃の根本、柄に嵌め込まれた宝石は蒼穹のごとく澄んだ輝きを見せていた。


 よくなじんだ一振りの大剣の感触を確かめると、アリスはふっと唇を緩めた。


「真名を呼ぶのは久しぶりですね」


 一般的に、世に溢れる栄誉を持った剣には普通、製作者の手によって銘が彫られている。


 無論、アリスの半身とも呼べる聖剣にも銘は彫られている。が、その古代文字を読むことが出来る者は、アリスの知る限り今のところ誰一人としていない。


 故に《無銘(unknown)》。


 そして、この剣本来の力を引き出すために《無銘》の名を呼ぶのはこれまでを合わせても都合三度目である。つまりアリスは、それだけ急いでいるということだった。


「すみませんが、ここは通らせていただきますよ」


 焦燥を面に出さず、アリスは《無銘》の切っ先を路面に突き立てる。少女はアリスの面構えににこりと笑った。


「だーめ、って言ったら?」

「簡単です。──圧し斬るまでのこと」


 その瞬間、大気が爆発した。次いで、身を斬るような暴風が吹き荒ぶ。


「あはははははっ!! そう来なくっちゃ!!」


 哄笑しつつ、少女は自らの喉を掻き切って膨大な量の血を噴出させると、


「来なさい、《血吸いの首斬り刀》」


 足許に出来た血溜まりから、斬首に使われるギロチンに似た形状の刀を呼び寄せた。黒一色に染まるその刀の切っ先からは血液がしたたっている。


 主たる少女は表情に愉悦を滲ませて、言った。


「すぐにバラバラにして食べちゃうんだからァ!!」

「減らず口を」


 哄笑する少女の頭上から、アリスが渾身の力を以て《無銘》の刀身を落とす。


 ツーハンデッドソードは両刃の大剣であり、その名のとおり両手でしか扱えないほどの重量と刀身の長さを有している。だからこそ、アリスはこの一瞬で圧し斬るつもりだった。


「アハハハハハッ!!」

「その刀を見たときからもしやと思っていましたが……これほどとは」


 アリスは静かに驚嘆する。あろうことか少女は、アリスの一撃を防ぐだけでなく、弾き返したのだ。普通の少女では持ちえない力にアリスは驚きを禁じ得ない。


「ああ、はやく……はやくお姉さんも食べてみたい!!」


 重量級の一合だったと言うのに、少女はすでに刀を振るう姿勢に入っている。


 アリスは耽々とした目で少女を見据えた。たったの一合打ちあった程度ではあるが、それだけでも少女の膂力が人並み外れていることが知れた。


「変わった趣味をお持ちですね」

「自覚はあるわぁ。けれど、この快感を知ったからには止められないのよ!!」


 《無銘》が弾き返されたいま、アリスの身体は無防備な状態にある。そこへ、少女の刀が中空を斬りながら迫った。


「ぜんぶ、ちょうだい」


 両腕が上がりきった状態にして、足は地に着いていない。当然ながら、アリスは避ける動作に入ることが出来ない。少女はそれを見て取ると、快楽を得たように唇を歪ませた。


 この少女は自分に匹敵する力量の持ち主かもしれない、とアリスは思う。


「すみませんが、」


 しかし、この程度の状況はアリスからしてみればどうとでも(、、、、、)できる状況(、、、、、)でしかない。


「私からあげられるのはこれくらいです」


 無感情な面立ちで、アリスは《無銘》で少女の背を(、、)貫いた。


「え」


 呆然とした少女が振り返る。そこにいる、無傷のアリスに目を見開いた。


「どう、して……」

「これが《無銘》の力です。それ以上でもそれ以下でもありません」


 アリスの剣《無銘》に与えられた能力──“神隠し”。


 世界から一時的に存在を隠し、意図した場所に現れることができる。それが《無銘》の能力、“神隠し”だ。アリスは先の一瞬で、自らを世界から隠したということになる。その間はもちろん誰もが、言うなれば世界から忘れられることとなる。


 世界からの消失、そして出現。この二つをアリスが数秒の間で行っただけのことだ。


「では、私は先を急ぐので」


 《無銘》は少女の心臓の位置を僅かな誤差もなく正確に貫いていた。失血死するのは時間の問題、となればわざわざ止めを刺すのに時間を割く必要はない。


 アリスは少女に背を向けて走り出した。


「イーナちゃん……!!」


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