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ドアによる未来 作者:饗庭淵

二章 ドアを巡る諍い

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(2-2)

2.
「崎島彰博士ですね?」
 日本語こそ流暢だったが、ドア開発室を訪ねてきたその男は青い目をした白
人だった。背もすらりと伸び、シルエットだけで日本人離れしていることがわ
かる。
「少し、お話をよろしいですか」
「あなたは?」
「失礼。たしか、日本では商談の前に名刺をお渡しするのが慣習でしたね」
 手渡された英語の名刺には、所属・名前・連絡先が丁寧なレイアウトで記載
されていた。社の名前にも聞き覚えがなく、得体の知れない男だったが、その
丁寧な物腰に崎島も無下には断れなかった。商談というなら、なにか価値のあ
る話が聞けるかもしれない。崎島はTV放送に失敗し傷心していた。次善の策
として社の公式サイトで映像を公開したが、今度は情報工作によってトリック
と断ぜられ、ネット上は根も葉もない誹謗中傷や罵詈雑言で溢れかえった。結
果として、吉田製作所の信用は大きく損なわれることになる。動画サイトにア
ップロードしたものも不可解な権利申請でことごとく消されてしまった。八方
塞がりの状態に、藁にも縋るような気持ちがあった。
「話だけなら、お伺いしましょう」崎島は無難にそう返事をした。
「それでは」そういい、男はケースより資料を取り出した。「ここに、二つの
新聞記事があります。どちらも二年前のものです。一つ、どこからともなく女
湯に出現した謎ののぞき魔。衣服を着たまま湯船に浸かり、ずぶ濡れのなか路
上へ飛び出した。目撃者も多く、そしてあまりに目立つ姿にもかかわらず事件
は迷宮入り。突然現れ、突然消えた、という以上の証言は得られませんでし
た。そしてもう一つ、こちらは変わって英雄的だ。福岡大水害――避難場所に
届かず倉庫に燻っていた救援物資が、一晩で何者かの手によって届けられた。
当時、避難車のために交通網は麻痺、米軍はヘリによる輸送を提案していた。
ところが、この事件ではヘリの目撃例すらない。普通に考えるなら、正義感溢
れる匿名の一個人ではこの偉業はとても実現できない。両者とも実に奇怪な事
件だ」
 崎島は男に背を向け、額に滝のような汗を浮かべていた。
「ですが、同時期に起こったこの二つの事件はある一つのキーワードによって
説明できてしまうのです」
「回りくどいですね。いったいなにが仰りたいのです?」
「わかりませんか。ドアですよ」
 ごくりと、崎島は生唾を飲み込んだ。気持ちを落ち着け、できるだけ冷静な
口調で反論する。
「なにか勘違いしていらっしゃるようですね。ドアはまだ試作段階に過ぎない
のですよ。その二つの事件をドアで説明するには同時にタイムマシンも開発し
なくては。僕にはその方が驚きですね」
「タイムマシンなど必要ありません。必要なのはオリジナルドアです」
 偶然にも崎島とクリスによる呼称と一致し、動揺はさらに加速した。
「な、なにをいっているのか……」
「こういっては失礼ですが、あなたのような一介の准教授になぜあれほどの論
文を書くことができたのか。そしてなぜ、唐突にまったく新しい研究テーマに
鞍替えしたのか。我々には疑問でならなかった」
「そこは僕自身でも不思議なところですが、その、突然なにかが降ってきたよ
うな……」
「ところで話は変わりますが、博士。この研究所へはどういった通勤手段
を?」
 追い打ちをかけるように、男はさらなる状況証拠を突きつける。口の中がカ
ラカラに乾いていくのがわかった。
「それは私のプライベートに関わる質問です。あなたにそれを教える義務はな
い」
「なるほど。答えをはぐらかすお気持ちは察します。では、単刀直入に申し上
げましょう。オリジナルドアを我々に引き渡して頂きたい。もちろん、十分な
見返りは約束します。こんな企業の十倍は軽い」
「帰ってください」
「残念ですね。また、のちほどお伺いしたいのですがよろしいですか? 屋上
に設置された怪しい無線機のお話でも」
「二度と会いたくありません」
 完全にばれている。客人が去ると、崎島は息を切らしてコップいっぱいの水
を飲み干した。
 米国、中国、ロシア、イギリス、ドイツ、フランス。
 その後もあらゆる国家がオリジナルドアの存在に勘づき、崎島に接触してき
た。言葉こそ違うものの、内容は同じだ。各国それぞれ独自に同じ結論に行き
着いたのだ。多額の報酬と高待遇を餌にドアの引き渡しと崎島の引き抜きを打
算してきた。
 ドアの存在は隠さねばならない。彼らの目的は見え透いていた。各国が競い
合うようにドアを求める。軍事利用しか考えられなかった。名刺に記載された
企業名を調べると、どれも軍需企業だった。今まではぼんやりと危惧しつつも
楽観主義で蓋をしてきた不安が、一気に現実のものとして押し寄せてきた。
「俺の不在時にそんな客が来ていたのか」クリスはそういい、深いため息をつ
いた。
「どうすればいい。まさか、救援物資を届けたことだけじゃなく女湯の事件に
まで気づいているなんて。クリス、僕が間違っていたよ。甘く見すぎていた。
ドアによる通勤も、連中にさらなる状況証拠と確信を与えて裏目に出ている」
「いや、ドアで通勤していたからこそ今まで無事だったのかも知れない。だ
が、遠隔インターフェイスの無線機にまで気づいているのか。偵察衛星にも配
慮していたというのに、いったいどうやって……。わざわざそのことを知らせ
てきたのは、こちらの動きを見るためか。とにかく、狙われているのがわかっ
た以上もう後には引けないな。前々から注意しているが、今後はよりいっそう
外出は控えた方がよさそうだ。どこで狙われるかわかったものじゃない」
「狙われるって?」
「拉致されるってことだ」
「いくらなんでもそれは……さすがにちょっとスパイ映画の見過ぎなんじゃな
いのか?」
「おいおい。この期に及んでまだそんなことをいってるのか。いいな、今後は
一切外出するな。行動範囲はドアによる自宅と研究所の往復だけだ。窮屈な生
活にはなるだろうが、レプリカドアが実用レベルに達するまでの辛抱だ」
 崎島は、まだそこまでの危機意識は実感できていない。だが、二年前も同じ
だった。クリスの忠告を無視したためにこの結果だ。ならば、今度こそ従わな
ければならない。

 吉田製作所の研究施設は山口県の土地の安い田舎に建設されている。崎島も
転職に伴いこの場所へ引っ越してきた。実際にはドアがあるため引っ越す必要
はないのだが、体面上そういうわけにはいかない。というより、ドアがあれば
住む場所など問題ではないのだ。
 いつもどおり、午前四時に目覚めた崎島は顔を洗い、野菜ジュースを一杯飲
むと軽くストレッチをして出勤の準備を整える。だが、朝食の準備はしない。
崎島は朝食を含め、すべての食事を研究所内で済ませている。これは用心のた
めというより、自炊や買い出しをめんどくさがってのことだ。なにより、社内
食堂のメニューは安くてうまい。とりあえず日替わり定食を頼んでいれば外れ
はない。今日のメニューはなんだったかな、とクリス特製の携帯でドアを呼び
出し、第一開発室へ繋げる。
「主任、いったいどこから……」
 早朝出勤は誰からも出勤を見られないためのものだ。そのはずが、思っても
いないトラブルに見舞われた。開発メンバーの一人である松山が、ベンチで寝
そべっていたのだ。
「き、君こそどうして」
 松山は慌てて立ち上がる。
「いえ、実をいうと徹夜をしてしまいまして。今さら寝るのも寝坊の危険があ
るという時間でしたので、いっそ早めに出勤してここで横になっていた方が安
全かなあ、と……で、主任は?」
「ああ。僕も徹夜だよ。昨晩から第一研究室に泊まり込んでいたんだ」
「ずっとそこにいらっしゃったんですか。気づきませんでした。あれ、でも昨
日は定時に退社なさいませんでしたか? タイムカードの記録はそうなってい
たはずです」
「そのあとで少し気になることを思い出してね。Uターンしたんだよ。それか
ら第一開発室にこもりきりで、いろいろと調べものをね」
「はあ。そうでしたか。お疲れ様です」
 うまくごまかせたか。単に興味がないだけか。どちらにせよ、あともう一つ
念を押しておく必要がある。
「あ、それとすまないんだが、このことについては黙っておいてくれないか
な」
「? なぜですか」
「主任自ら一晩中残業していたなんて知ったらプレッシャーになるだろう? 
あくまでこれは私の自主的な残業だ。労働基準法に則った、ストレスのない職
場を維持したい」
 我ながら珍妙な理屈だとは思ったが、スパイの接触があった今となってはオ
リジナルドアの秘匿はより切実な問題だ。彼は納得していなかったようだが、
黙ってもらうしかない。少々気まずい思いを抱えながらも朝食にありつくこと
にした。
「試作機ができた今でも信じられないっすよ。僕の未来観なんて、せいぜい生
きてるうちに無重力体験でもできたらなあ、空飛ぶ自動車はまだかなあ、なん
て程度でしたが、まさかどこでもドアなんですから。主任はいったいどうやっ
てドア理論なんて思い至ったんです?」必然的に相席となった松山の眩しい視
線に、朝食の手が止まる。目が覚めたのか、彼のテンションは妙に高い。
「いや、知ってるとは思うが元ネタがあるんだよ。僕のオリジナルじゃない」
「ドイツのあの論文ですか? いやいや、あれを読んでも普通は書けませんっ
て。あれ自体はたまたま整合しただけってくらい雑じゃないですか。やっぱり
主任は天才ですよ」
 こうも手放しに褒めちぎられるとむず痒い。崎島のいった「元ネタ」にはオ
リジナルドアも含まれるが、もちろんそのこと話せない。なにも知らない松山
からすれば崎島が歴史上の偉人に匹敵して見えても不思議ではないだろう。確
かに賞賛は期待していたが、実際に直面してみるとなにか申し訳ないような気
がしてなんとも複雑な心地がする。そのせいで、崎島の態度は傍から見ると謙
虚そのものに映る。そしてさらに尊敬を集めるというジレンマだ。本当にこれ
が自分一人の功績なら、鼻高々に自慢したいところなのだが。
「さて、今日から本腰を入れるぞ」だが、悪い気はしない。ここは一つ、彼の
理想像を演じるとしよう。
 そして、今日も仕事が始まる。新しい試作機開発のための機材も届き、意気
も揚々だ。オリジナルドアには未知の技術が多く使われている。原理はわかっ
ているので再現はできるが、既知の技術ではどうしても大型化してしまう。オ
リジナルはリングだけで事足りるが、レプリカでは空間を安定させるために巨
大な制御装置が必要になる。レプリカにとっての本体はその制御装置であり、
リングは単なる出力装置に過ぎない。すなわち、オリジナルは小型化された制
御装置をリングに内蔵しているというわけだ。今の段階ではとてもその精度の
設計を再現できそうにはない。トランジスタしか知らない我々がICチップに
出会ったようなものだ。その差を埋めるために必要となる機材の量は膨大だ。
大型トラックが何台も研究所の前に停まる。一つ一つを指示して運び込ませ、
着々と準備を進める。これが完成すれば実用レベルは目の前だ。
「あ、社長。いらしてたんですか」
 奥から姿を現した社長は、妙に険しい表情をしていた。
「中止だ」
「え?」
「ドアの研究及び開発は中止とする」吉田社長は真剣な面持ちで、崎島の姿を
見るなりそう口にした。崎島はその言葉の意味を理解するまで、口をあんぐり
開けていた。
「いったいどういうことですか」
「とにかく中止だ。これは決定されたことだ」
「誰が決定を? まさか、社長のもとにも圧力が来たってことですか……?」
 社長は背を向け、なにも答えずに去って行った。
 理由の説明すらない。質問も許されない。納得などできるはずもない。やめ
ろといわれて大人しくやめるわけにはいかない。ドアの実用化はもうそこまで
来ているのだ。
 宣伝には失敗したが、開発そのものは順調に進んでいた。試作機二号の目標
は、人が通れるだけの口径と一〇m以上の接続距離。理論的にいって、距離を
広げる難度は径を広げるよりも低い。径さえ確保すれば、あとはその試作機を
ベースに改良と調整を加えれば距離を広げることは容易だ。ゆえに、まずは径
の大きさを第一目標とする。
 それだけのものをつくろうとすると、大広間が丸ごと埋まる。これでも考え
得る最大効率の設計だが、空調をフル稼働しても排熱でひどく蒸し暑い。実際
に組み上げていくうちに改善点や問題点は多く挙がったが、まだ手探りの段階
だ。
 命令を無視しての開発続行はチームのメンバーを戸惑わせたが、彼らとて理
不尽な中止命令などで内に灯った火を消せるものではなかった。ついには予算
を凍結されたが、インターフェイス部門をはじめとする他部門からの予算の流
用、あるいは個人資産を総動員して強引に研究を推し進めた。
「すごい……主任、ちょっと私も通ってみてもいいですか?」
「少し待ってくれ。まだ空間接続が不安定だ。パラメータを調整して……よ
し、これでいい」
 そうして、妨害を受けながらも試作機二号は完成した。直径はオリジナルド
アと同じフラフープ大の一m。大きな電力を食い、今のところ安定した接続距
離は開発室内がせいぜいだが、当初予定していたパフォーマンスは達成でき
た。
 心身共に疲れ果てていたはずなのに、開発チームは子供のようにはしゃいで
いた。かつてクリスがしたようにドレッドミルごっこ、あるいはくるくる回り
ながらの一人キャッチボールを楽しんでいた。
「開発は中止だと言ったはずだ」
 そこに、激しい剣幕で社長が進入してきた。
「社長、見てくださいよ!」
 崎島の目は輝いたままだった。この完成品を目の前にしたのなら、社長も考
えを改めざるを得ないだろう。社長の顔には一瞬だけ光が灯ったが、すぐに顔
を伏せ、拳を震わせていた。
「……機材も没収だ!」吉田社長は、搾り出すような声で告げた。

吉田も技術畑の人間、崎島の気持ちは痛いほどわかる。だが、これ以上開発
を続けさせるわけにはいかなかった。圧力は日々強くなっている。正式に命令
を出し、予算も凍結したが、実際に中止させなければもう誤魔化しきれないと
ころまで来ていた。
「ドアの法的扱いについてだが、方針が決定したよ。今後、ドア技術は新設さ
れた社団法人で管理されることになった。よって、吉田製作所はドア技術の一
切を我々に譲渡することになる」社長室に訪れた議員の言葉に、吉田は一瞬で
青ざめた。
「それでは話が違う! 法整備が完了するまで一時的に中止するだけでいいと
いう約束だったはずだ!」
「その法整備の結果だよ。君こそ、監督の不届きではないかね。研究開発は本
当に中止してあるのか? 約束を破ったというのなら君の方じゃないか。それ
に、これはもう決定事項だ」
「その決定に、十分な法的根拠はあるんですか」
「これ以上面倒ごとに巻き込まれたくなかったら早めに従った方がいい、とだ
けアドバイスしておく。無意味に時間と費用を浪費したくはないだろう。私が
君の立場ならならそうするね」
 技術をすべて取り押さえられるくらいなら一時中断を受け入れ、可能なかぎ
り早く再開できるよう手を尽くす。頭ごなしの中止命令もそのためだと心を鬼
にした。それが吉田にとっての最後の希望だった。それすらも易々と打ち砕か
れてしまう。
「準備をしておきたまえ。直に査察団をよこすことになる」
 あいかわらずの高圧的な態度で言い残し、議員は社長室を後にした。
 吉田は頭を抱えた。こうなることはもとより見えていたではないか。要は保
身のために都合よく思考を停止していただけだ。これでは崎島に合わせる顔が
ない。
 このまま終わらせてなるものか。吉田は崎島の提出した企画書を眺めた。こ
れほど壮大な夢が、既得権益などに潰されるなどあっていいはずがない。
「崎島くん、ちょっといいか」
 吉田は食堂へ行き、ちょうど定食の味噌汁を啜っていた崎島に声をかけた。
できるだけ穏やかな物腰で話しかけたものの、崎島の目には敵意がちらついて
いた。
「ドア技術による社会的影響は大きい。運送業者をはじめ、失業者も多く出る
だろう。だが、技術革新の過渡期というのはそういうものだ。彼らには新しい
仕事を探してもらうしかない。私はそう考える。過去のために未来を躊躇うべ
きではないのだ」その前置きで、吉田は崎島の興味を惹くことに成功したのを
確認した。
「私も我慢の限界だ。崎島くん、残念ながらもう我が社でドアの研究開発を続
けることは不可能だろう。だが、その程度のことでドアの開発はやめるべきで
はない。転職先を斡旋しよう」
 想定外の進言に、崎島の表情も変わった。
「吉田製作所を離れろと……?」目をぱちくりさせながら聞き返した。
「君のいうとおり、吉田製作所は政治的な圧力を受けていた。そして、彼らは
開発の中止のみならず技術のすべてを引き渡せと要求してきた。その先は、お
そらく無能な天下り団体かなにかだろう。そうなればドア技術は終わりだ。国
家全体にとっての損失になる。私としても君を失いたくはないが、なに、君が
他社に移ってもドアが実用化さえされればビジネスチャンスはある。どうか贔
屓に頼むよ」

 崎島も気が引けたが、吉田社長の推薦もあり、転職先の企業へ面接に向かっ
た。規模は吉田製作所と同程度か。競合企業ではあるが、ここの社長とは古い
友人とのことらしい。
「ここだな」
 本社ビルは大阪にある。遙々と二時間ほど新幹線に乗り、街中を迷いながら
もやっとのことで到着。地図と看板を確認して崎島はビルに入った。受付に到
着を伝え、時間までしばらく待つ。少しばかり出発が早すぎたかと思ったが、
もう三〇分もない。崎島は疲れて待合室の椅子に腰掛けた。
「おっと、ちょっとトイレに行ってくる」この面接にはクリスも同行してい
た。
 クリスのインターフェイス部門だけなら誤魔化しもききそうだったが、実際
にはこれもオリジナルドアに由来する技術だ。オリジナルを管理する崎島と離
れるのは都合が悪い。さらにいえば――吉田社長は惜しんでいたが――いっそ
のこと開発チームを丸ごと異動してしまった方がなにかと都合がいい。吉田製
作所としても強力なコネクションをつくることができる。
「あの、もしかして崎島彰博士ですかぁ?」
 黄色い声を上げて、一人でぼーっとしていた崎島に若い女性が近づいてき
た。
「はあ。たしかに私が崎島ですが」
「やっぱり! その、二年前に論文と写真を拝見してから、ちょっとしたファ
ンなんですよ」彼女はキラキラと目を輝かせながら、崎島の手を取った。
「え、ファン?」
「はい! わあ、やっぱり実際に目にすると知的な風格があって、素敵です」
「いや、そうですか……」女性慣れしていない崎島は少しどぎまぎしていた。
見れば顔立ちもいい。
「その、個人的に見てもらいたいものがあるんですけど、お時間よろしいです
か?」
 腕時計に目をやり、面接まではまだ時間があることを確認する。彼女もここ
の社員だろうか。いずれ付き合うことになるのだろうし、ここで交流を持って
おくのも悪くない。そうして、彼女は容易く崎島を人目につかない廊下に誘導
する。
「きゃ! や、やめてください!」
 急に態度が一転、彼女は手を振り払い、崎島のもとを離れて駆けていった。
呆然とする崎島に、周囲から疑いの目が刺さる。彼女は助けを求め、小声でな
にかを説明している。襲われた。まさぐられた。内容としてはそんなところ
だ。気づいたころにはもう遅い。
「冤罪だ!」叫ぶしかなかった。「誰か目撃者は! 僕はなにもしていな
い!」
「嘘は見苦しいぞ。私がその目撃者だ。たしかに見たよ。君が彼女の身体をい
やらしく撫でていたのを」
 そう証言するのは別の男だ。彼女は男に泣きつき、涙ぐんだ表情で崎島を睨
みつけている。
「馬鹿な……」罠だ。まさかここまで手段を選ばないとは。
 気が動転してなにを言えばいいのかもわからない。いや、この空気ではなに
を口にしても見苦しい言い訳にしか映らないだろう。だが、実際にはなにもし
ていないのだ。身分を証明し、弁護士を呼び、黙秘権を行使すれば――痴漢冤
罪対策マニュアルが頭をよぎるが、目撃者まで捏造されてしまっている。この
ケースはどうすればいいのか。
「君はたしか崎島彰だな。まったく、ドア論文だがなんだが知らないが、ちや
ほやされて少し思い上がっていたんじゃないか? そんなことで女性が身体を
許すと思ったら大きな間違いだ。ましてや平気で嘘までつく……」
 彼はわざと周りに聞こえるように大きな声で喚き散らした。ますます状況は
悪化、崎島はおろおろするほかない。さながら罪を咎められ慌てふためく小悪
党の様相だろう。そこまで状況を客観視しながらも頭はヒートアップし、打つ
べき手は見当たらない。
「嘘をついているのはあなたではないのか。私は見ていないぞ。彼はなにもし
ていない」九死に一生、援軍に現れたのはクリスだった。
「な、誰だ君は。私を嘘つき呼ばわりとは失礼な。そのうえ彼女も嘘をついて
いると? それともなにか、君も痴漢仲間かね」
 それからしばらく言い争いが続いたが、他に目撃者も現れず、事件は曖昧な
まま決着した。彼女が被害届を出さなかったため、警察沙汰にまでは発展しな
かった。あとで明らかになったことだが、女性も目撃者の男性も社員ではない
部外者だった。しかし、この騒動は社の人事部に知られ、不祥事を起こす危険
性を持った人材は要らないと、面接は中止になってしまった。

 吉田製作所に再び舞い戻るはめになった崎島は、どこか吹っ切れていた。T
V放送も妨害され、社にも圧力をかけられ、終いには痴漢冤罪だ。こうなれ
ば、こちらも強行手段に出るしかない。崎島はなにかに取り憑かれたかのよう
に急ピッチで作業を進めていた。
「崎島くん、君はいったいなにをしているんだ」吉田社長は圧倒されていた。
 開発室内には、今も業者によって多くの建材が運び込まれている。試作機開
発のときと様子は似ていたが、運び込まれるのは木材や鋼管など、ドアとは明
らかに関係がない。
「見てわかりませんか。やるべきことをやるんです。被災地では未だに復興の
ための建築資材の輸送が滞っている。それをドアを使って一気に運び込むんで
す。手始めに一〇tほど送ってやります。最高の宣伝になりますよ。これを何
度も繰り返せば、さすがに世間も無視できなくなるはずです」
 オリジナルドアとは異なり、試作機二号は開発室と一体化した巨大な装置で
あるため外へ出すことはできない。よって、まずは運ぶべき資材をいったん開
発室に運び込み、そのあとで被災地に繋げることになる。被災地でのニーズも
確認したうえで、この準備はすでに崎島の独断で完了している。
「この資材を福岡まで届けるつもりか……。しかし、まだ長距離輸送は信頼性
に問題があるのではなかったかね」
「あれからかなり改良を加えました。安定接続距離は加速度的に伸びていま
す。そうだ、ついでに福岡のラーメンでもいかかです? いい店を知ってます
よ」
「……クリスくん、本当か? 被災地までは百kmはあるぞ」
「さあ、どうでしょう。ですが、ああなっては止められませんからねえ」クリ
スは諦観を装って、にたにたしながら崎島に全面協力していた。
 たしかに、まだ長距離輸送には不安が伴う。実験でもまだ一kmを成功させ
たばかりだ。それを、四八時間以内に山口から福岡に届くまで延ばす。出力を
最大にし、研究所内のすべてのコンピュータを総動員して座標計算をはじめと
した調整処理を進めれば不可能ではない。そして世間に知らしめるのだ。ドア
がどれほど有用なのか。そして、実用化はもうそこまで来ていること。さらに
は、その研究開発を妨害しようとするものたちの愚かさを。
「社長も協力して頂けますよね?」崎島の眼光には有無をいわせぬ迫力があっ
た。
「……わかった。これは最後のチャンスだ。ただし、全面的な協力はできな
い。だが、見ないふりならできる。うっかり電力供給をドア開発室へ回してし
まうくらいのドジもな。記憶だって曖昧になるだろう」
 これは格好のデモンストレーションになる。少し勘の鋭いものなら過去の事
件との符号からオリジナルドアの存在に気づくだろうが、構うものか。すでに
隠すべき相手にはばれているのだ。むしろ、これは公表するチャンスだ。世間
的に広く認知されれば妨害どころではなくなるはずだ。
 開発室はかつてない熱気に包まれていた。社長の後押しもあり、気に病むこ
とはなにもない。チーム全体が神がかり的な集中力を発揮し、ドアの射程は瞬
く間に延びていった。
「よし! 繋がったぞ!」
 ドアの向こうには被災地の福岡が見える。ただ、まだ安定していない。ブラ
ウン管のノイズのように空間が歪んで見える。ここまで来ればあと一歩だ。急
いでパラメータを調整する。二〇分後、ようやく安定した空間接続が完成す
る。崎島をはじめ、メンバーは深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そして、
ついにその一歩を踏み出す。吉田製作所の社章を目立たせるよう帽子をかぶっ
て、開発チーム自ら荷車を引いて資材を運ぶ込む。
「なんだなんだ?」
 その一世一代の大事業に、福岡側には多くの野次馬が集まっていた。空間の
穴、としか呼びようのないものから、男たちが待ちに待った資材を運んでく
る。夢でも見ているかのようだった。
 ただし、群衆の中には警察も含まれていた。「どいてどいて」と人混みをか
き分けながら、彼らは崎島の前に現れた。
「崎島彰だな。道路交通法違反の疑いで逮捕する」
 思わぬ単語に、崎島は吹き出しそうになった。
「道路交通法ぉ? いったい私がいつ道路を通ったというんですか」
「署まで同行願おう。君には弁護士を呼ぶ権利と黙秘権がある」
「……馬鹿馬鹿しい」崎島は鼻で笑ったが、警官は大真面目だった。
「この先は吉田製作所の研究施設だね。ここから百数kmは離れている。君は
その距離の移動に数秒もかけていない。すなわち、ドアによる移動は明らかに
時速六〇kmを超えている。物理学博士にとっては実に単純な問題だね。違う
かい?」
「はあ。くわしいですね。台本を書いたのは誰です?」
「話を逸らすな。弁明があれば聞こう」
「すみませんね。腑に落ちないことばかりなものでつい。ところで、その最高
速度は歩行者にも適用されるのですか?」
 警官は資材を運ぶために使用した荷車を指をさした。
「荷車は軽車両扱いだ。第百十八条第一項、第二十二条の最高速度の規定に違
反、むろん軽車両も二十二条における車両に含まれる……」
「そういえば」崎島はイライラし、語気を強めて話を遮った。「僕は山口から
来たんですけど……つかぬ事をお伺いしますが、管轄は?」
「県境を越えれば捕まらないとでも思ったのか? それは昔の話だ。甘く見な
いでもらおう」
「はいはい、わかりました。身分と住所氏名を明らかにしますので、あとにし
てもらえませんか。見ての通り仕事の最中でして」
「普通ならそれで構わないが、君にはドアがある。逃亡のおそれがあるためそ
れは認められない。このまま同行願おう」
 人々のブーイングを受けながらも、警官は崎島を連行する。
 当然ながら不起訴処分となり、崎島は二四時間勾留されたのちに釈放され
た。
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