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ドアによる未来 作者:饗庭淵

四章 ドアによる戦争(下)

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(4-4)

4.
 北極海シベリア沿岸・流氷下二〇〇m。
 要人護衛専用原子力潜水艦――戦闘能力を排し、内部の居住環境と外部への
通信に重点を置いて設計された新しい概念の原潜である。本来なら艦長室とな
るであろうその部屋に、彼は一人佇んでいた。
 ロシア大統領アナトリエヴィチ・ナザレフ。ロシアもまた米国と同様に多く
の要人が原潜に逃げ込んでいた。潜水艦で個室を持てるのは普通は艦長、よく
て将校だけだ。そのうえ、艦長室も単に個室であるというだけで非常に狭い。
その部屋は大統領の個室であるため通常の二倍以上の広さを確保されていた
が、それでも一国の大統領としては考えられないような生活だった。窮屈で、
国民の前に姿を現すこともできない。シベリアの白樺を懐かしむも、趣味の狩
猟へ出かけることもできない。そのための別荘も燃やされてしまった。最高の
待遇が与えられてなお、ストレスに胃が痛む。これもすべてはドアという兵器
のためだ。
「たしかに、そろそろ頃合いだろうな……」
 この戦争はもう潮時に来ている。彼もまたそう考えていた。誰も戦争など望
んではいなかった。ロシアとしてはチェチェンを抑え、米中を牽制し、威厳あ
る独立を保てればそれでよかった。ドア戦争は失うものが多すぎる。わかって
いたことだ。
「大統領。お時間です」
 秘書に呼ばれ、ナザレフは立ち上がった。
 今日は珍しい日だ。この艦に客人が訪れる。最重要施設であるこの場所に部
外者は滅多なことでは立ち入りを許されず、多くの用件は通信で済まされる。
だが、今回にかぎってはそれで済ませることはできない。これは重大な転機だ
からだ。
「本当によろしいのですか。米国人をこの艦に案内するなど……」
「あの男なら信用できる」
 大統領はドアの前に立った。

 それは、ドア登場以来はじめてのドアによる公式な外交訪問だった。
 事前に連絡を取り、場所と日時を指定した上で米国のドアでロシアに繋ぐ。
それから先はロシア側の案内を受けて目的地へ向かう。ライマンは彼を迎えた
兵士たちにロシア語での丁重な挨拶と握手を交わした。
 時差半日以上。ロシアでは真昼である。季節も大きく異なり、窓の外では豪
雪が吹き荒れていた。空調の効いた屋内から屋内への移動とはいえ、清涼な地
下空間から生温い暖房への移動には得体の知れない気持ち悪さを感じた。
 ライマンは地下室へ案内された。コンクリートに覆われた殺風景な部屋だ。
そこで、ロシア兵は客人であるライマンに目隠しの着用を要求する素振りを見
せた。もう一人がそれを諫め、非礼を詫びた。本来ならば部外者は必ずその着
用を義務づけられるとのことらしい。当然のセキュリティだ。米国でも同じこ
とをしている。ただし、ライマンは外交官。信頼をアピールするための特例措
置として、兵士は目隠しをしまい込んだ。そもそも目隠しなどなくとも一切の
手掛かりを与えない設計がなされているだろうから、安い代償だ。そのあから
さまな演技にライマンは思わず笑みがこぼれた。
 そうして、ライマンは視覚を許された状態で二名のロシア兵に連れられドア
を潜った。直接目的地には繋がず経由を辿る。次こそが目的地だ。
「ようこそ。久しぶりだね、ジョニー」
「ナザレフ大統領。ご無沙汰しております」
 ドアの先にはロシア大統領ナザレフが待っていた。二人は外交上旧い交友関
係を持っている。今回の会談を成立させた大きな要因の一つだ。
「さて、本当ならここで長旅を労いたいところだが……ドアを通ったのだから
大して疲れてもいないかな?」
「いえいえ。それが意外にも緊張しまして」
「よし、それではバーニャに案内しよう」
 バーニャとはロシア式サウナである。ロシアの巨大原潜はドアを積んでなお
居住空間に余裕があり、サウナやプールまで備え付けられている。ましてや大
統領専用艦だ。この点について米国は圧倒的に負けているなと、ライマンは密
かに敗北感を覚えた。
 二人は裸になり、汗をかきながら他愛のない世間話をはじめた。これは互い
の親睦を深めると同時にちょっとした情報交換も兼ねている。双方とも把握し
ている範囲内の情報だったが、当事者の口から語られる具体的な言葉はそれだ
けで十分に価値があった。いずれにせよ信頼を確認し合うための儀式である。
 それが終わると、二人は昼食のテーブルを挟んで会談を始めた。ビーフスト
ロガノフをはじめとした高級ロシア料理が運び込まれる。
「さて、本題に移ろうか。我々も訪問の意図は把握しているつもりだが、君の
口から聞きたい」
「はい。我々米国は終戦を望んでいます。今回はそのことを話し合うために参
上しました」
 ナザレフは手を組み、その意味を吟味した上で一息ついて答えた。
「……終戦か。ロシアにとってもそれは望ましいことだ。だからこそ、こうし
て君を迎え入れた。しかし、当然ながらただでは終われない。我々はこの戦争
であまりに傷つきすぎた。これは終戦を望む理由であると同時に、終戦を妨げ
ている原因でもある」
「わかっております」
「提案は?」
「中国を敗戦国に」
「妥当だな。国境付近での施設建造というの条約違反。そして爆発事故。これ
がすべての発端だ。彼らには責任をとらせなければなるまい」
 ここでいう「責任をとる」とは、すなわち中国の資源地帯のことを指してい
る。
「はい。そのために米露で軍事同盟を結ぶのです」
「異論はない。だが、もう一つ明らかにしてもらいたいことがある」
「なんでしょう」
 ナザレフはライマンの目を深く見据えて続けた。
「オリジナルドアだ。同盟関係を結ぶなら、信頼の証としてこの点だけは明ら
かにしてもらおう」
「はい。我々米国はかつてオリジナルドアを保有し、それを隠していました」
 予想の範囲内だ。ライマンは堂々とした態度で答えた。
「よろしい。そして、オリジナルの保有は条約違反だ。そうだな?」
「その点も認めます」
「今回の戦争が始まってしまった原因の一端には米国の条約違反もある。もち
ろん実戦にも幾度となく使用しているはずだ。その身勝手な行動も問題を掻き
乱し情勢を悪化させた。この責任をとるつもりはあるのかね?」
「そうですね。ですが、一方で奇怪な原潜を製造し条約の趣旨に真っ向から反
した国もあったように思いますが」
「皮肉をいうためにここに来たのか?」
「米国が望むのはあくまで対等な同盟関係です」
 事実だけは認めつつも、ライマンの一歩も退かない態度に空気が強張る。互
いに互いの瞳の奥を覗き合い、沈黙のまま息詰まるやりとりが続いた。その結
果、退いたのはナザレフだった。
「わかった。細かな点についてはまだ話し合うことは多いが、同盟の方針には
賛同する。この戦争を終わらせるにはそれが必要だ」
 ひとまずの合意に達し、二人はウォッカを飲み干した。こうして、戦争終結
という共通の目的と中国という共通の敵を得て、冷戦時代にはとても考えられ
なかった二国間の同盟が成立した。

「なぜだ。なぜ中国は降伏しないんだ。もう結果は見えているだろう。米国と
ロシアが同盟を結んだというのに、彼らはまだ負けないと思っているのか?」
 その言葉は、日本人である崎島が発するには名状しがたい滑稽さを帯びてい
たが、ジョークのつもりでいってるようには見えなかったのでクリスは触れず
においた。
「地下軍事基地の多くが未発見のままなんだ。それらを叩かないかぎり中国は
反撃を続ける。人員と資源は豊富にあるしな」
 崎島とクリスはTVを通して戦況の激動を見守っていた。米国とロシアが同
盟を結んだことで膠着状況に大きな変化が訪れたのだ。戦力バランスは傾き、
中国は瞬く間に包囲された。中国海軍はほぼ無力化。米軍に侵攻していた中国
軍も撤退をはじめ、今度は米国とロシアが共同で大規模な歩兵部隊を送り込ん
だ。物量作戦と人海戦術の衝突。中国本土の占領は着々と進行していた。
 米露連合軍は降伏勧告を出したが、中国共産党は国民に向けて徹底抗戦を訴
える演説を行うことでこれを拒否。米露は勝利を確信していたが、不安材料は
まだいくつか残されていた。
 中国総人口一三億。中国人民解放軍二二四万人。
 中国本土の占領を進めるにつれ念入りな調査がなされたが、発見できた地下
基地は米露側の予想を遙かに下回った。民間人を装い潜伏している兵士も大勢
いると考えられるが、それを差し引いてなおあまりに少なすぎる。
 ならば答えは一つ。中国はまだどこか国外に大量の地下基地を隠し持ってい
る。それらを発見し撃滅しないかぎり、中国は決して折れないだろう。
「だが、それもドアによる戦略攻撃で失われつつあるはずだ。戦争を続ける体
力が残されているとはとても思えない」
「負けは決まっていても負けられないものさ。戦後処理を少しでも有利に運ぶ
ためにはな」
「……たしかに、太平洋戦争の日本がそうだったな」崎島はそういい顔を伏せ
た。
「はじめるのは簡単だが、終わらせるのは難しい。戦争ってのはいつだってそ
んなもんだ」
「しかし、あのときの日本と違い、中国は核を持っている。このまま追い詰め
てもいいものなのか」
「ドア防空でミサイル防衛は完璧だ。防ぎようがないのはドアと核の併用だ
が、これについてはさすがの中国も使用を躊躇っているのかもな。まだMAD
が機能しているということだろう。なんだかんだと核は危険すぎる」
「今まで使用してこなかったのは核攻撃が非効率だからだろう。無意味に敵も
増やす。一方、ドアを使えば技術や情報を丸ごと奪える。だが、追い詰められ
た場合はわからない」
「すでに核は押さえていると信じたいね。少なくとも位置の判明しているミサ
イルサイロはすべて攻撃対象になっている。それに、米国本土には多くの中国
捕虜もいる」
「相手は中国だぞ。そんなもの気にするのか?」
「さあな。しかし、核を使えば核で反撃される。この場合も中国に勝ち目はな
い」
「勝敗はすでに決しているが、もう一押しが足りないってとこか」
「わからないぞ。ドア戦争だからな。なにがあるかわからない。もしかした
ら、ドアがあれば一発逆転も不可能じゃない――そう考えているのかもな」
「は、一発逆転……」そんな馬鹿な、と一笑に付すつもりで発音したその響き
で、崎島は気づいてしまった。口元を手で塞ぎ、硬直した表情のまま考え込
む。
 ありうる。ドアを使えば不可能ではない。

「大統領に会いたい。連絡用にドアは使えるか?」
 崎島は大慌てでドア室に駆け込むなりそういった。
「大統領に? 所長、アポイントメントはとってるんですか」
「緊急の用件だ。とにかくドアを使わせてくれ」
「その、いくら所長でもドアを利用する場合は所定の手続きを経て規則を守っ
て頂かなくては――」
「いいからそこをどけ!」
 大統領は最高の警備で守られているが、同時に大統領は米軍最高司令官でも
ある。ゆえに、通信態勢は万全でなければならない。通信用に常時ドアを外に
開いているため、送信だけなら容易だ。返事があるかどうかは別である。
「こちら大統領艦。崎島彰博士? 用件があるならば簡潔にどうぞ」
「こちら崎島。通信では話せない内容だ。暗号化されているとはいえ傍受の危
険性がある」
「では、こちらから使いを派遣します。それでよろしいですね?」
「ダメだ。大統領と直接話がしたい」
「でしたら、相応の理由を述べてください」
「話せないといっているだろう。重要な案件だ」
「通信の相手は誰だ。崎島博士?」
「あ、はい。なんでも重要な案件だとか」乱入してきた声は大統領のものだっ
た。
「大統領。崎島です。今からお伺いたいのですがよろしいですか」
 応対していたシークレットサービスが当惑しているところ、大統領の一言で
崎島は大統領艦に案内された。
「私に直接話さなければならないほどのこととは、いったいなにかね。君だか
らこそ聞くのだが……」
崎島の要求通り人払いをし、部屋で二人きりになってから崎島は話をはじめ
た。
「戦争を終わらせるための提案、あるいは中国にとって最後の手段になり得る
兵器についての話です」
「続けたまえ」やはり予定を押してでも聞く価値はあった。大統領はそう確信
した。
「原理は至極単純です。地面にドアの入口を、その真上に出口を設定し、両者
を真空チューブで覆う。その中では質量物体を無限加速させることができま
す。そうして蓄えた運動エネルギーを、たとえば敵国の頭上にお見舞いする…
…」
「待ってくれ。無限といったな。文字通りに無限なのか?」早口で捲し立てる
崎島を一端制止し、大統領は自分にも理解できる言葉で説明してもらえるよう
促した。
「はい。仮に質量兵器と呼ばせてもらいますが、この兵器の利点は核と違い放
射能被害がないこと、そして威力を自由に調整できる点にあります。ただ、さ
じ加減を間違えれば巨大隕石のように粉塵を巻き上げ、暗雲となり地球規模の
被害を招く危険もあります」
「威力を自由に調整というのは……つまり無限に?」
「もちろん限界はありますが、原理的には亜光速まで加速することも可能で
す」
「馬鹿な。本当にそんな兵器が……私の記憶が正しければ永久機関は原理的に
不可能だと聞いていたが」
「実のところ可能です。それはエネルギーインフラとの衝突を避けるためにで
っち上げられた建前に過ぎません。もっとも、厳密にいえば永久機関ではな
く、地球の自転・公転エネルギーを利用するものではありますが」
「中国にとっても最後の手段になり得る、といったな」
「はい」
「話を聞くかぎりでは、ドアさえあればすぐにでも簡単に実現できそうだが…
…」
「その通りです。技術者の間では話題になることもありましたが、今までタブ
ー視されていました」
「わかった。その兵器を使えば戦争の早期終結も可能だということだな」
「それだけではありません。中国もすでに準備を整えている最中かも知れませ
ん。米国に侵攻していた中国軍の撤退もその布石とも考えられます」
「だが、それはまるで……核を使うようなものではないか」
「いいえ。核より遙かに強力な兵器です。ツァーリ・ボンバを超える破壊力で
すらも容易に実現できます」
 大統領は息を呑み、眼鏡を外して額の汗を拭いた。それから額を押さえ、目
を瞑って深く考え込んだ。そして深呼吸、崎島の目を見ず低い声で答えた。
「……最後の手段として考えておこう」
「できるだけ早いご決断を。戦争を終わらせるにはこれしかありません」
 崎島にも同じように迷いがあった。だが、やらねばやられる。気づいてしま
った以上は報告するしかない。崎島は大統領室をあとにした。
 迷いがあったというのも、ある連想のためだ。日本人である崎島は、そして
米国の立場にある崎島は、必然的に連想せざるを得なかった。太平洋戦争末
期、日本へ投下された二つの原子爆弾を。今回はその標的が中国。それだけの
違いだ。
 だが、崎島にとってそれはやはり大きな違いだった。

「質量兵器、か……」
 その兵器に関する議論はライマンの耳にも届いていた。
 かつて、イギリスがある新兵器を水槽タンクと偽って戦場に導入したよ
うに、崎島の発案した兵器はその概要を隠すため単に「質量兵器」と呼ばれて
いた。むろん、実際の概要にふさわしい名称ではない。崎島は隕石のような形
での使用例を挙げたが、質量兵器にはそれ以上に効果的な使用法があった。出
口を目標の頭上でなく、地中に九〇度傾けて質量物体を射出する方法である。
目標は地下施設であるためこの方が理に適っていた。シミュレーションの結
果、(射出する場所にもよるが)大規模な地盤沈下や地震が起こることが予測
された。すなわち、うまく使えば自然災害を装えるということである。
「ありました。すごい数ですよ。少なくとも二百の未確認地下空洞が発見でき
ました」
「やはり隠していたか……リストして地図上にプロットしてくれ」
 その報告には、温厚なライマンも舌打ちせざるを得なかった。
 CIA情報担当本部。そこは海底の岩盤を刳り抜いて建造された要塞であ
る。各国のあらゆる諜報が集積する米国情報戦の最先端だ。現在、彼らは国家
にとって最も重大な任務――質量兵器の標的とすべき場所を定めるための情報
収集をしている。ライマンはその場で指揮を執っていた。
 今や多くの軍事基地は地中にある。そのため、史上初めて軍用の地中レーダ
ーや地中ソナーが開発された。探査可能深度は最大出力で一〇〇m。ドアと合
わせることで地中探査はより効率化する。ただし、ドアを通しての地中探査
も、それに反応する起爆装置が仕掛けられたダミー空洞のためにリスクが伴
う。ゆえに、むやみに打ち放題とはいかず、慎重に運用せざるを得なかった。
 一方、地震は天然のアクティブソナーである。リスクを冒さずに地中の情報
を得ることができる。米軍は目標付近で起こった地震を抜け目なく利用し、多
くの情報を入手した。その結果、あるはずのない場所に大量の空洞が見つかっ
たのだ。
「副長官。日本に潜伏している諜報員から『地震兵器』なる単語を確認したと
の報告が……しかも現与党の議員の口から。まさか、我々のやろうとしている
ことに気づいているのでは」
「気にするな。ドア以前から盛んに囁かれていたオカルトだ」
 地震兵器。確かにその表現は的を射ている。
 気にするなと一蹴したものの、我々はそんなオカルトな領域に足を踏み入れ
てしまったのだと、ライマンは痛感せざるを得なかった。
 ドアを使うのだからもとより証拠は出ない。そのうえ攻撃するのは地下だ。
自然ではあり得ない奇妙な挙動を示すことにはなるが、表向きは単なる地震災
害で片付けられる。このあたりは、隠蔽と実効とを天秤にかけ、最適解を探る
ことになるだろう。
「我々は本当に、こんな兵器を使っていいのだろうか……」
「え?」ライマンの独り言に、傍の秘書が反応した。
「どう思う。本当にこんな兵器があっていいと思うか」
「さ、さあ……私にはなんとも」
 ライマンの良心は大きく揺さぶられていた。いや、これは単なる良心だけの
問題ではない。
 攻撃対象に問題はない。敵に大きな戦略的打撃を与えて終戦を早めるにはそ
うするしかない。反撃を封じるためにも技術中枢を叩くほかない。問題はその
方法だ。
 自然災害を模した兵器。それは越えてはいけない一線なのではないか。その
とき、人類の悪意に歯止めは効くのか。嘲笑すべき陰謀論を現実のものとして
真剣に議論せざるを得ない疑心暗鬼の渦。哲学者が夢想したことすらない世界
の夜明け。
 それ以上は、神の領域だ。

「……彼の様子はどうだね」
「先の報告書どおりです。表にこそ出ませんが、間違いなく悪化しています」
「やはりやめておこう。できれば専門家の彼に意見を聞きたいが、君の報告書
を参考にするかぎり黙っておいた方がいいだろうな。これまで通り、会話には
細心の注意を払うように」
 ドアによる有線通信。潜むような小声で彼は通話していた。その内容は特に
機密を要求されるものだ。受話器により聞こえる声は大統領のものである。
「それでは。引き続き任務を続行します」
「頼んだよ」
 米海軍所属技術者クリストファー・ハートレイ。
 ネイビーシールズの担当している工作任務の無人化を目的とした潜水ROV
シードッグの開発者としてもその名を知られるが、同時に彼は米国のドア技術
においても崎島に次ぐ功労者である。というのも、崎島を米国に亡命するよう
促したのが他ならぬ彼だからだ。そして、彼は技術者としての仕事の他にもう
一つ重大な任務を負っている。崎島の監視と精神面のメンテナンスだ。前者に
ついてはもう何年にもわたっている。吉田製作所への所属が決まってしばらく
したあとで彼の元へ米軍の接触があり、彼はそのときから国内を含めた他の組
織に警戒しつつ監視の任務を帯びていた。
 彼はかつて定期報告書にこう記した。「多くの天才がそうであるように、人
格的には問題あり。精神は不安定で躁鬱」そして、なにより問題なのは彼が
「リサ」と呼ぶ女性名である。彼女は実在しない。度重なる不幸と孤独感に苛
まれ、彼が生み出した架空の人格だ。彼はその女性を恋人のように語り、とき
には幻影に話しかける。他人と体面しているかぎり、彼のその本性はそうそう
現れることはない。崎島の脆さが垣間見えるのは、彼が一人でいるときだ。
「僕はただ、リサにもう一度会いたかっただけなのに……」
 今もまた、研究室からはそんな声が聞こえる。まるで誰かと話しているかの
ように、ぶつぶつと独り言を繰り返していた。
 観察するかぎり、彼は狂気と正気を意識的に演じ分けているわけではない。
解離性同一性障害の疑いがある。そして、ときおり人前でも狂気の側面が顔を
出す。その頻度は日に日に増えていた。
「や。アキラ。まだタートル級の仕様書と睨めっこしているのか?」
 クリスはできるだけ陽気を振るまい、崎島に声をかけた。
「ああ。それも大問題だよ。リッジウェイ提督はタートル級に原子炉を積めと
いうんだ。いくらなんでも無茶すぎる。アイソトープ式熱発電だとか、ドア地
熱発電だとか、いろいろ代案はあるんだが、どちらにせよ難しい」
 崎島はなにごともなかったかのように答えた。独り言を聞かれていたのかも
しれない、などと気にする様子もない。
「まったく、あの提督は物事が見えているんだか見えていないんだか……」
「でも、提督には悪いがいま悩んでいるのはそのことじゃないんだ」
「話には聞いてるよ」
「そう、質量兵器だ」
 二人はそれ以上言葉を発しなかった。議論のスケールが大きくなりすぎたた
めに、なにを話せばいいかわからなかったからだ。崎島の発案によるものでは
あるが、最大の機密事項として崎島の知らないところで計画は進行している。
崎島はそのために、クリスはそのことを知っていたために口をつぐんだ。
「アキラ。故郷を懐かしく思うことはあるか?」
「なんだ。藪から棒に」そういいつつ、崎島は顎に手を当てて考えた。
「故郷……日本か」
「もう何年になる。日本についてはどう思っているんだ」
「ハッキリ言って、僕はあの国のことが嫌いだった。政治もグダグダだし、議
論の通じる人間もいないし、とても窮屈だった」だが、崎島は寂しげな表情を
見せた。「それでもやはり故郷なんだろうな。今でもときどき夢を見る。米国
でも日本食はなくはないが、やはりなにかが違う。気候、風土、文化……意識
していなかったが、そういったものが身に染みているんだ」
 クリスはその胸中を察した。日本には家族も友人もいただろう。彼はそのす
べてを捨ててここに来た。すべてはドアのために。それを「リサ」と呼び、慕
う気持ちも理解できなくもない。
 彼を、これ以上一人にしていいのか。精神は確実に異常を来している。もは
や手遅れかも知れない。クリス自身も限界だった。ならば、せめて真摯な態度
で向かうべきだろう。
「……アキラ、やはり君に話しておくべきだと思う」
 彼は、長年従事してきたその任務を踏み越えた。

「大統領! いったいどういうことですか!」
 慌ただしい客の来訪をシークレットサービスが取り押さえたが、またしても
大統領の指示により解放された。だが、以前とは少しばかり様子が異なってい
た。
「崎島博士。いくら君とはいえ、アポイントもなしにそう何度も来られては困
る」
 大統領は呆れ果てた口調でいった。しかし崎島は意に介さず、謝罪もなく落
ち着きのない声で続けた。
「日本を攻撃するというのは本当ですか」
 それは、崎島の耳には飛び込んではならない情報だった。
「……しかも、質量兵器で!」
 大統領は嘆息を吐き、肩を落として崎島が落ち着くのを待って口を開いた。
「日本がなにをしているのか知らんのか? 彼らはそれだけのことをしたん
だ」
 崎島には初耳だった。目を丸くする崎島に、大統領は補足するように続け
た。
「日本は中国と非公式な同盟関係にある。恥知らずにもイージスシステムや無
人機をはじめとした最新軍事技術を中国に提供しているんだ。拿捕した原潜の
電子装備もこれで説明がつく。日本の技術提供を断ち切らないかぎり中国を抑
えることはできない」
「そんな……だって、日本は米国と同盟関係に……」
「だからこそ問題なのだよ。いっただろう、非公式と。いわば、日本は水面下
で武力行使もなく侵略され、国ごとスパイになっているようなものだ。日本政
府に問い合わせても民間企業が勝手にやってるだの、総理は知らなかっただ
の、話にならん」
「日本に質量兵器……大震災で壊滅的な被害があるかもしれないのに……」
「そのための質量兵器だ。技術提供だけではない。日本の地下には至る所に中
国の基地が建造されている。中国本土をいくら探しても見つからないと思って
いたらまさか日本だ! 我々は日本にも警戒を呼びかけていたのだぞ! ドア
を使えば無断で他国領土の地下に施設を建造できる。日本は中国のドア射程に
十分に収まっている。だから地下を警戒しろと! 隈無く調査しろと! その
結果報告を信用していたらこれだ!」
 声を荒げる大統領を前に、崎島は言葉を返せず顔を伏せた。しかし表情は硬
く、拳は強く握られていた。
「反対かね?」
「当然ですよ。日本は……僕の故郷なんですよ!」
「我々も悪魔ではない。地下に核を送り込み、核実験の嫌疑を被せる案もあっ
たのだ。それに比べればずいぶん良心的だろう?」
「し、しかし同盟国に対し戦略兵器を使用するというのはあまりに……」
「たしかに、君もいうよう仮にも日本は我が国の同盟国だ。できることなら兵
器使用は避けたい。だから我々は警告した。これ以上中国と関係を持つなら次
に地震が起きても支援はしない、とな」
大統領は間を置き、崎島の反応を見て続けた。
「それに対し、あの猿どもはなんと答えたと思う? 百年に一度の地震に備え
る意味はない、と来た! どうだ、これでも故郷を擁護するか? こんな国に
見逃してやる価値はあると思うか?」
 反論の言葉こそ出なかったが、わだかまりの炎がまるで消えていないのは大
統領の目にも明らかに見て取れた。大統領は落ち着きを待って、低い声で崎島
に呼びかけた。
「まだなにか反論があるのか? あるのなら聞こう。君はそれだけの功績を残
し、その資格を有している」
 崎島は頭を冷やして考えた。感情的な言葉は意味をなさない。それどころか
逆効果だ。しかし、反対理由の根本はそこにある。崎島はその気持ちを押し込
め、論理的に通用する反論を必死に模索した。
「質量兵器……これは、地球の公転エネルギーを奪うものです」
 それは、搾り出すような儚い声だった。
「知っている。だが、今回の使用では大した影響は出ない。環境変化もシミュ
レートさせたが人類にとって害を及ぼすようなレベルではない」
「一回で終わればそうでしょう。ですが、二回、三回と……何度も繰り返せば
いずれは……」
「一回で終わらせる。この戦争を終わらせるにはこれしかないといったのは君
だろう」
「中国も同じことができるんですよ。質量兵器の応酬になれば、核戦争どころ
の騒ぎではありません」
「だからこそ我々が先手を打つ。これも君のいったことだったな」
 なにを口に出しても墓穴を掘るばかりだった。やがて反論の言葉は枯れ果
て、胸の奥の痛みだけが残った。
「君は優秀な科学者だ。我々としても失いたくはない。だからこそ、これまで
特別に優遇してきた。だが、もし君が強硬な反対姿勢を貫くというのなら……
残念ながら一時的に身柄を拘束しなければならない。この作戦に失敗は許され
ない。君がいったいどこから標的の変更を知ったのかについても詳しく聞く必
要がある」

 後日、再三にわたる警告に応じない日本に対し、米国は質量兵器の使用を敢
行。それは日本列島を縦断する形で地中を刳り貫き、百年に二度目の大震災を
引き起こした。同時に中国の地下基地は根こそぎ壊滅。技術供給のラインも途
絶えた。
 かくして中国は降伏。長い悪夢は幕を閉じ、世界は目覚めの悪い朝を迎え
た。
誤字修正。
+注意+
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