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ドアによる未来 作者:饗庭淵

四章 ドアによる戦争(下)

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(4-2)

2.
「それにしても驚いたな。女性はサブマリナーにはなれないと聞いていたんだ
が」
「ああ、昔はな。前々から見直し案があって、あの人はその試金石を演じたん
だ。新タイフーン級に潜水艦が沈められまくったせいでサブマリナーが減っ
て、水上艦は係留中に沈められたからその海兵は仕事を失った。あの人も、も
とは巡洋艦の艦長だった」
「ん? 体力的な問題じゃなかったのか?」
「狭いからだよ。逆にいえば、個室のある艦長なら問題ないってわけさ。ま、
あの婆にかぎってそんな心配はないんだけどよ」
 原潜に乗り込んだ崎島はビルに案内され、寝室で話をしていた。寝室――確
かにベッドはある。しかし、同時に別の物も目に入った。
「魚雷と一緒に寝てるのか」
「狭いからな。それもベッドは使い回しだ。オハイオ級はそのへんだいぶ気を
遣って設計されてたはずなんだが、ドアの設置で一段と狭くなっちまった」
「魚雷か……素人考えですまないが、ドアがあるのに魚雷は必要なのか? 攻
撃手段は基本的にドアなんだろ?」
「たしかに、魚雷は使用頻度がだいぶ落ちたんで積載を減らす傾向にはある
な。代わりに積まなきゃいけない武器もあるし」
「それでも必要なのか?」
「さあねえ。しかし、ないとなんとなく安心できないって気持ちはあるな」
「進化的拘束……いまだにタイプライターの配置を引きずってるキーボードの
ようなものか」
「もちろん感情論だけじゃない。バックアップの観点もある。原潜の動力はい
うまでもなく原子炉だが、ディーゼルエンジンも積んでるんだぜ? 理由は簡
単、原子炉が壊れたときのためだ」
「そういうことならわからないでもないが……乗員の生活を犠牲にするほどな
のか?」
「慣れると魚雷と寝るのも悪くないもんだぜ」
「しかし、三ヶ月も潜りっ放しなんだろう?」
「ああ。原潜自体は耐用年数まで潜り続けられるんだが、人間の方が保たねえ
んだよ。ま、今はドアを通って陸に帰れるから浮上の必要もなくなっちまった
んだけどな」
 ドアを装備した原潜は母港に帰ることがない。もとよりサブマリナーにとっ
て母港に帰る途中というのは最も嫌われている時間だ。原潜は人目を引かない
ため、不注意な商船につっかける事故が起こりやすいからだ。そのため、帰港
の必要がないのは彼らにとっては好ましいことだった。もっとも、今となって
はつっかける商船もドアによって沈められてしまっているのだが。
「三ヶ月というのは昔からの慣習か?」
「そうだな。乗員の社会復帰を目安とした数字だ。あとは食糧だな」
「せっかくドアを積んだのに昔の方法を引きずってる部分が多いみたいだな。
浮上の必要がないなら、もっと頻繁に乗員を交替してもいいはずだ」
「ま、そのへんはおいおいな。時間をかけて積み上げたノウハウだから、それ
を変えるにも多少時間はかかる。だが、ドアの積載と同時に変わったこともあ
る。通信だよ。今まで原潜にとっては、通信ができないってのが大きな問題だ
った。場所の秘匿のためでもあるし、海中だから通常の短波・極超短波などの
通信はできない。可能なのは馬鹿みたいに遅い超長波通信……それも受信だけ
だ。それがなんだ、ドアがあれば普通の通信ができちまう。まあ、それでも危
険性はあるから最低限になるが、これは大きな変化だよ」
「なるほど。家族ともいつでも連絡できるわけだ」
「いや、そのへんはさすがに保安上許可されてない。ドアは一基しかないし
な」
「……それもそうか。難しいな」
「どうだい、参考になったかい。とっくに知ってる話だったかもしれないけど
よ」
「いや、実に興味深い話だったよ。特に魚雷については考えさせられる」
「そりゃよかった。そういや時間だな。ちょっと食堂に行こうか」
 思えば崎島も腹が減っていた。潜水艦内での食事がどのようなものなのか気
になっていたのもあり、ビルについていくことにした。

「平和なものね。戦争中だけど」
 同艦発令所では、艦長マルグルーが退屈そうな顔を見せていた。モニターに
映されているのはドア越しに見ている八〇〇km近く離れた世界だ。暗く、静
かで、なにもない。
 USS〈ハリソン・シアーズ〉の任務は平時と変わるものではない。定めら
れたコースを巡回しながら周囲に耳を澄ますと同時に、ドアによりその射程内
を索敵する。本土防衛のための対潜哨戒任務である。すなわち、通常のソナー
とドア越しのソナーと二つに気を配らなければならない。仕事量は単純計算で
二倍に増えたことになる。よって、ドアの設置により艦内は狭くなったが、弾
道ミサイルを撤去して要員に余裕ができたのでそのぶんソナー員を増員した。
ただ、新たにドア担当の要員も必要になり、結果としてはかつかつだった。
「あら。かわいいわね」
 索敵範囲は大幅に広がったが、海は広大だ。敵艦に遭遇することはそうそう
ない。見かけるのは鯨ばかりである。マルグルーはそのなかで鯨のある個体を
「マーク」と名づけ、気に入っていた。何度もドアの前に姿を現すからとのこ
とだったが、他の乗員には区別できなかった。
 そんなささやかな楽しみを見いだす一方で、艦長に気の緩みはない。マルグ
ルーは計器盤に目を光らせ、航海図を眺めた。そして現在位置を確認し、異常
がないことを再度確認すると次の針路を指示した。
「副長。後は任せます」
交代の時間が来たので、そう言い残してマルグルーは発令所をあとにし、食
堂へ向かった。すれ違う部下と挨拶を交わしながら階段を下りる。いい匂いが
漂ってきた。通常、オハイオ級は兵員食堂と士官食堂が別に用意されている
が、ドア室によって失われた空間を埋め合わせるために二つは統合された。よ
って、オフの周期が重なれば乗員とは誰とでも出会う可能性がある。食堂に着
くと、そこには似つかわしくない男が一人。崎島彰だ。
「博士。当艦〈ハリソン・シアーズ〉の乗り心地はいかがかしら?」そうい
い、マルグルーは崎島の正面に腰掛けた。
「思ったより空気はいいですね」崎島は少し考えたあとでそう答えた。
「当然よ。原潜では海水を電気分解して常時新鮮な酸素を循環させているか
ら。むしろ原潜内の空気は世界一綺麗だといわれているわ」
「なるほど。煙草を吸ってる人まで見かけましたが、そういうことですか」
「そういうことね」一息つき、話題を変える。「ところで、リッジウェイ提督
はどう? あなたにとっても上官よね。彼、最近ますます威張り散らして抑え
が効かなくなってるみたいだけど……ここは閉ざされた空間。率直な意見は聞
きたいわね」
「でも、ドアに覗き穴を開けられているかも」崎島は笑みを含みながら答え
た。
「あなたがそのドア?」
「まさか。ですが、提督は尊敬できる方ですよ」
「あらやだ。上官の悪口は結束を高めるのに有効な手段だったのに。あなたと
は決裂ね」
その言葉には堪えきれずに、聞き耳を立てていた周囲まで巻き込んで笑いが
起きた。笑いが収まると、マルグルーは姿勢を変えて続けた。
「今度は私が質問に答える番ね。なにか聞きたいことはある?」
「そうですね。では、ドアの具体的な運用法について質問したいのですが」
「残念ながら、それは機密事項よ。部外者であるあなたには話せない」
「部外者ではありません。私も海軍に属する研究者、それもドアに関してはエ
キスパートです。この艦にドアが載っているのも私の功績によるものなのです
よ」
「そう。でも、あなたはあくまでドアの研究者。軍人ではない。戦争のことは
なにも知らないでしょう?」
「ドアを今後どのような形で改良していくか。その方針を立てるためにも実際
に現場でどう使われているかを知る必要があるんです」
「仕事熱心ね。わかりました。ドアの整備はそこの彼、ビルが担当している
わ。私より詳しいと思うから、聞きたいことがあれば彼に。頼んだわよ、ビ
ル」
「はい艦長」
「ただ、しばらくの間はこの艦のルールを覚えることに専念してもらいます。
わかりましたね?」
「わかりました。なるべく早く適応したいものです」
 一通り話は終わったので、両者とも食事に戻った。一流シェフの手により提
供される本日のメニューはリブステーキとサラダにスープだ。原潜任務は過酷
であるため海軍でもかなり上等な食事が用意される。舌を喜ばせるだけでな
く、長期任務にも堪えられるよう栄養バランスにも細心の注意が払われてい
る。
「あれ、艦長も同じものを食べるんですか」
「別のものを食べる理由がないでしょう?」マルグルーは素っ気なく答えた。
「それより、あなたの口には合うかしら。日本食は私の口には合わなかったけ
れど」
「米国に来てからもう長いですからね。さすがに慣れましたよ」
「日本人であることに疎外感を覚えたことは?」
「どういうことですか?」崎島はわざと惚けて見せた。
「米国に亡命してきたと思ったら、まさか戦争にまで巻き込まれてしまうんで
すから」
「……私は、巻き込まれたなどとは思っていません。この戦争は私が引き起こ
したようなものですから」そういい、崎島は唇をきゅっと結んだ。
「それはまた驚くべきスケールの責任感ね」
それからしばらくは特に会話も弾まず、各々静かに食事を口へ運んだ。
「この艦では私の命令に従ってもらいますから、そのつもりで」食事を終える
と、笑みを浮かべずに手厳しい一言を残してマルグルーはその場を去った。
 こうして、崎島乗艦一日目は特になにごともなく終わった。

 七日目。崎島はようやくドア室へ入ることを許された。
 ドア室は弾道ミサイルを撤去し、さらに拡張した区画にある。場所としては
潜水艦の中央、艦首区画と原子炉区画に挟まれた位置である。放射線の及ぼす
影響が未知数であるため、原子炉とは距離をおきドアは艦首側に設置されてい
る。サイズとしてはかなり圧迫しており、結果として将校の個室をはじめ乗員
のスペースが大きく削られることになった。
 ドアを繋ぐ先は主に海中である。よって、直接繋げられるわけではなくエア
ロックや耐圧装甲を介して接続される。そして、備え付けられたソナーとカメ
ラによってその先は常時監視される。
 ドアを通しての攻撃方法は大別して二通りある。一つは敵艦内部へドアを接
続する方法。無力化が目的ならスクリュー軸やバラストタンクに、SSDNが
相手ならドアに爆弾を仕掛けるのが効果的だ。突入部隊を送り込めば無傷で拿
捕することもできる。そのための武器も取り揃えられ、密室戦闘に特化したシ
ョットガンやグレネードランチャー、果てはBC兵器までもが用意されてい
る。突入部隊は逆に敵から突入された場合に備え、常に戦闘態勢にある。
 もう一つは外側から攻撃する方法。その際に使用される兵器は爆雷である。
誘導装置も推進装置もなく、ただ上から落として自重に任せる。ハイテク化し
た現代の潜水艦にとってはあり得ない装備だ。だが、ドアを介せばそれでも当
たる。単純な構造ゆえ軽量で、積める量も多いというのも利点である。
 また、対空装備としてCIWSの搭載も検討された(ドアがあれば、潜航し
ながら対空戦を演じることも可能だ)が、この艦の作戦海域では対空戦の機会
はまず考えられず、そのスペースもないため却下された。爆雷すらも当初は不
要の意見が多かった。撃沈目的なら敵艦内部に手を伸ばせばそれで済むから
だ。ただ、ドアの信頼性や想定外の状況への対応策として外から装甲を破れる
兵器も積むべきとの意見から搭載に至っている。
「ここの整備は君が?」
 崎島は同じくドア室配属のビルに尋ねた。
「ん? ああ。ドアなんてよくわからねえもん任されたときは戸惑ったけど、
だいぶ勉強したよ。あんたを除けば、この艦ではドアには一番詳しいと思う
ぜ」
「よく行き届いている。しかし、こうしてみるとやはり大きすぎるな。乗員の
ベッドが犠牲になるわけだ」
「そういうこった。個人的にはもう一回り小型化してくれるとありがたいね」
「小型化もそうだが、やはり魚雷が邪魔なんじゃないかと思う。爆雷に対して
魚雷は大きすぎる。魚雷の射程内もドアでカバーできるんだからやはり不要な
はずだ」
「そういわれりゃ、そうなんだが」
「それに、ドアの用途は多様なのだからドアは複数搭載されることが望まし
い」
「そりゃ理想的だが、ちょっと高望みが過ぎるんじゃないか?」
「リサならできたんだよ。できたはずなんだ」
「リサ……?」唐突に出てきた女性名にビルは首を傾げたが、今はそれより大
事なことがある。「来たぞ、新鮮な野菜だ!」
現在、ドアが繋がっている先は地上である。乗員の生命と士気を維持するた
めに食糧は非常に重要なものだ。ドアがなければ今ごろ彼らの主食は豆になっ
ていただろう。
「ドアのなにが嬉しいって、やっぱ一番はこれだな。野菜は日持ちしないから
潜航して数週間もすると食えなくなるんだよ。今まではな。それが、ドアを通
して定期的に供給される。最高だ」
「そういえば、食糧の保管スペースもかなり広かったな」
「ん? いやいや、それを切り詰めるのは勘弁してくれ。ドアが繋がらなくな
ったらどうするんだ」
「さすがにそんなことはいわないよ。さて、運搬が終わったらドアのチェック
を続けよう」
 その日もまたなにも起こらず、崎島は十分にドアの精査ができた。

 そして一二日目。ドア原潜内部の見学という当初の目的は概ね達成し、一八
時間体制という潜水艦の特殊な周期にも慣れたころ、それは起こった。
「ビル。あの日本人の姿が見えないようだが?」
 休憩中の彼らは、魚雷の傍で四人、トランプを切りながら世間話をしてい
た。
「まだドア室だよ。ず~っとリアルタイムで計器と睨めっこだ。なにが楽しい
のかねえ」
「科学者ってのはそんなもんだろ。白髪でもじゃもじゃ」
「ったく、あれがドアを生み出した張本人ってわけだよな? ドアさえなけり
ゃ平和な任務でいられたのによ。迷惑な話だ」
「ミサイル区画が埋まってジョギングもできなくなっちまった」
「野菜は食えるじゃないか」ビルは少しだけ擁護する。「ま、それくらいだけ
どな」
 ドアによる社会変化の直撃を受けたものたちからすると、恩恵を授かる部分
もあるが、面白くないことも多かった。彼らとしては、どうしても愚痴が多く
なる。
「というかビル。お守りはいいのか? そういう役回りじゃなかったか」
「確かにそんなこと言われてたな。博士の精神状態を監視してあとでレポート
してくれとか」
「なんだそれ。艦長から?」
「いや。司令部だっけかな。俺に直接だからな。びっくりだよ」
「それだけの大物ってか。なるほどねえ」
 そういい、煙草を灰皿に押しつける。正面の相手の目が逸れた隙、イカサマ
のためにビルはゆっくり手を伸ばす。そのときだった。
「敵艦発見。総員戦闘配置!」艦内放送を通し、艦長の声が響き渡った。

「方位3-0-2。本艦より距離四三〇浬。ドアにより敵潜水艦を確認しまし
た。中国の周級です」
「四三〇……射程ギリギリね。爆雷は届きそう?」
「ドアでは目視できていますが、確実性を期すためにはもう少し接近したいと
ころです」
「周囲に他の敵影は?」
「今のところ確認できません」
 発令所では緊迫した空気が流れていた。
 ドア越しの発見。状況は圧倒的に有利だ。そのうえアクティブは未使用。相
手がこちらに気づくことはまずない。
 先に敵の存在を捉えた利は、古今東西いかなる戦場においても変わらない。
だが、今日ほどそれは決定的な時代はないだろう。先に敵を見つけた方が必勝
する。攻撃側がミスしないかぎりだ。それも、よほどのミスでないかぎり揺ら
ぐことはない。
 ゆえに、決して判断を誤ってはならない。周囲に護衛艦はあるのか。近づい
て内部から音もなく斃すか。外部から爆雷で攻撃するか。敵の射程は? こち
らには気づいているのか?
 ドアの射程は、かつて魚雷の射程がそうであったように重大な機密情報だ。
〈ハリソン・シアーズ〉が搭載しているドアの射程は約四三〇浬=七九六k
m。相手の射程も同程度か、あるいはそれ以上か。わかっていることは少な
い。ロシアの新タイフーン級後継艦・アルファ級であれば射程は一〇〇〇km
超に達するだろう。敵もまたこちらを探しており、判断をまごつかせているう
ちに先手をとられることもありうる。
「拿捕します。攻撃態勢を維持したまま接近。突入部隊用意」
 それが艦長の下した決断だった。
 NATOコードネーム・周級。ロシアに追従するように造られた中国のSS
DN(ドア原子力潜水艦)だ。周級に関する情報は少ない。帯びている任務内
容も気になる。進行方向は米国領海。すなわち、向こうからもこちらへ近づい
ている。
「出力を調整し安定性を犠牲にすればもう少しドアの射程は伸びますが」ドア
室の崎島より通信が入る。それに対しマルグルーは「必要があればお願いしま
す」と丁寧な物腰で断った。
 部外者である崎島が乗艦していること自体特例なのだ。ましてや戦闘にまで
関わらせるつもりはない。互いに接近しているため周級はすぐに射程内に収ま
った。
 ドアを一時切断。敵艦の動きと自艦の動きを計算したうえで内部に繋げる。
まずは隠密偵察だ。艦内の構造・乗員の数・兵装などを隈無く調べる。特に、
衝突が予想されるCQB(近接戦闘)部隊の配置は重要だ。十分な情報を得た
ら、警告システムを破壊したうえで換気システムに即効性の神経ガスを送る。
効果のタイミングを見計らい、十分に行き渡ったらフィルターでガスを除去し
つつ防護服装備で発令所に強襲をかける。ドア越しに二・三発威嚇射撃後、警
告。抗う術などない。さらに、あらかじめ敵艦トイレに潜入させていた部隊と
連携し、艦内を速やかに浸透制圧した。
「こちら突入部隊。制圧に成功しました。ただし、敵CQB部隊と交戦し死傷
者が数名」
「よろしい。怪我人をこちらへ搬送。その艦の指揮はあなたが執りなさい」
「了解しました」
 中国兵は全員拘束し一室に押し込め、〈ハリソン・シアーズ〉より何名か士
官を派遣。司令部に連絡し中国の原潜を拿捕した旨を報告。味方識別とするよ
う伝えた。
「引き続き周囲を捜索。異常がなければそのエリアの巡回は終わります」
 結果、すべての不安材料は杞憂に終わった。このように、多くの場合は特に
なにごとも起こらない。なにが起こるかわからないが、なにも起こらない戦
場。艦長にとってはむしろ油断を諫めるための自分自身との戦いになる。
「敵艦撃沈地点の相対座標を記録。これから本艦の正確な現在位置を取得しま
す」
 現在位置を把握するのにGPSは非常に優れたシステムだが、潜水艦が位置
データを獲得するには捜索用潜望鏡などのマストを海中から突き出さねばなら
ない。そのため、潜航中の潜水艦はSINS(艦船慣性航法装置)によって現
在位置を把握している。三次元の高性能ジャイロスコープシステムで、基準と
なる地点から艦の相対的な位置変化を感知するというものだ。だが、それも正
確ではない。そのため、GPSによる定期的なデータ更新によって誤差を修正
しなければならない。
 要は、ドアを海上に開けばいい。ゆえに、ドアがあればマストも不要だ。た
だ、ドアの小型化が間に合うかの瀬戸際だったのもあり、この艦にはマストは
ついたままである。もっとも、浮上する必要もないので大して邪魔にもならな
いのだが。
 ドアを海上に開く場合、マストを突き出すより遙かにリスクは低いが、皆無
というわけではない。それを敵哨戒機に発見された場合、その下に潜水艦が存
在することを教えかねないからだ。発見される可能性は低く、そのうえ当艦の
作戦海域で哨戒機と会敵する可能性はまずないが、用心に越したことはない。
ゆえに、事前に哨戒機対策として若干離れた位置にドアを開いて様子をうかが
うのが慣例になっている。目視での確認は心許ないが、レーダーが装備できる
までは我慢だ。
「哨戒機の姿は確認できません」
「よろしい。続いてドアを――」
「こちらソナー室。方位2-2-1よりアクティブソナーを感知! この音紋は
……ロシア、アルファ級です!」
「なんですって」
 敵艦の拿捕に成功し、一息ついていたところで目の醒めるような報告が飛び
込む。そして、それは最悪の可能性を意味している。
 敵のドアが先に我々を捉えた。それもロシアのSSDNアルファ級だ。
 互いにこの広い海の中、姿を隠しながら彷徨い続けているのだ。会敵などめ
ったに起こるものではない。それが、今日に限って立て続けに二回も!
「敵のドアは?」
「発見できません。移動した模様です」
 急速に移動し振り切るか、音を立てずに気づかれないことを祈るか。前者は
望みが薄い。オハイオ級は静粛性に優れるが足は遅い。後者はどうか。本艦の
外殻には無反響コーティング処理がなされている。アクティブを打たれたから
といって、必ずしも敵がこちらを発見したとはかぎらない。望みがあるならこ
っちだろう。
「さらに方位2-3-4より探信音!」
「……間違いなく気づかれている。だけど、アクティブを打っているのはまだ
こちらが見えていないから」
 とはいえ、それも時間の問題だ。位置が特定されているかは不明だが、二度
のアクティブでかなり狭い範囲内でこちらの位置に目星をつけているのは間違
いない。一方、我々が反撃するには敵のドア射程を一〇〇〇kmと仮定して、
その範囲を索敵しなければならない。それも今からだ。闇雲にアクティブを打
ったところで、とても間に合わないだろう。
「……ドアの出現を注意深く観測してください」
 無茶な命令だ。警戒の範囲内にはこの発令所も含まれる。しかし、それ以外
に打つ手はない。
 仮に反撃が可能であるなら、チャンスは一度きり。敵の攻撃の瞬間に合わ
せ、その出口に爆雷を叩き込む。しかしそれも、敵の攻撃手段が外部からだっ
た場合に限った話だ。射程に十分な余裕があり、内部に手を伸ばすことができ
るなら為す術はない。確実性を期すなら誰だって後者を選択する。前者であっ
た場合も、その対応策は児戯の発想に近い無謀だ。攻撃のバリエーションが多
すぎるため敵がどれを選択するかも予測できない。
 すでに存在を気づかれていることは明らかだ。振り切ることに期待するしか
ない。可能なかぎり射程外を目指して移動する。だが、そのための進行方向が
探信音の発信源と逆方向で正しいのかはわからない。何一つ確かなことのない
まま一縷の希望に縋る。
「針路0-4-0、全速前進。また、ドアを通信態勢へ。艦隊司令部に状況を報
告します」
 敵の射程にもよるが、この位置での会敵は侵攻作戦である可能性がある。そ
の旨だけは伝えなければならない。
通信終了。最期まで情報を送信し続けたいところだが、生還の望みは捨てる
べきではない。やれるだけのことはすべきだ。
「ドアを通しデコイ射出。また、その場で爆雷を起爆」
 敵を攪乱する作戦だ。距離はあったが、衝撃が海中を伝わり船体はわずかな
揺れに見舞われた。これで双方ともソナーは一時的に使用不能になる。撃沈を
誤認させるのが理想だが、圧壊音までは再現できない。時間を稼げてもほんの
数秒か。だが、わずかでも隙は生じる。
「方位0-4-1より探信音!」
 もはや望みは絶たれた。針路先からの探信音。完全に射程内に入っている。
これは動くなということか。
 少なくとも、〈ハリソン・シアーズ〉の命運は尽きた。これはもう覆らない
だろう。だが、乗員まで道連れになることはない。マルグルーは艦内放送で全
乗員に呼びかけた。
「これよりドアを拿捕した周級に接続します。下士官以下の乗員は速やかに避
難してください」
 特に、崎島博士は国家にとって貴重な財産だ。ここで死なせるわけにはいか
ない。まずは彼を最優先に避難させる。
 避難が完了すれば、あとは友軍の仇討ちに望みを託すだけだ。この艦にもま
だできることがある。すなわち核自爆である。だが、それすらもうまくは運ば
ず、この艦は避難途中で撃沈されるだろう。その際には周級への被害拡大を防
ぐために即座にドアを切断し、情報流出を防ぐための自爆となる。マルグルー
は死を覚悟したが、度重なる訓練と豊富な実戦経験のおかげで平静を保てた。
そのときは刻一刻と近づいている。
「方位0-8-2より閃光を確認! 続けて破壊音! ――途絶えました」
「どういうこと?」
「敵艦、撃沈された模様です。ただし、ドアの向こうで」
 それからアルファ級の探信音が聞こえることはなく、いかなる攻撃にも見舞
われなかった。〈ハリソン・シアーズ〉は生還したのだ。
 味方か。我々をドアで捕捉していたアルファ級を、偶然にも味方がドアで捕
捉していたのだろう。間一髪で助かった。この戦争ではなにが起こるかわから
ない。こういうことまで起こりうる。彼女はほっと息をついた。
 後日、艦隊の航海日誌を照会したところ、その時刻に敵の発見と撃沈は記録
されていないことが判明した。味方に助けられたのではない。その代わり、同
時刻に中国の対潜弾道ミサイルの着弾が確認されていた。
 となれば、答えは一つ。すなわち、〈ハリソン・シアーズ〉は敵の敵に救わ
れたのだ。
 なにが起こるかわからない。彼女は改めてその言葉の意味を実感した。この
戦争は、本来なら起こるはずのない三つ巴の戦争なのだ。

「二週間か。試乗体験はどうだった?」
 ドアを通じて地下研究所に戻った崎島をクリスが迎えた。崎島はやや疲れた
顔でそれに答えた。
「思っていたとおり、あまり歓迎はされなかったよ。だが、意味はあったと思
う。部外者の目から見るとだいぶ無駄が多いように思えた」
「たとえば?」
「乗員が未だに三ヶ月交代なのはおかしい。乗員交替もドアによって容易にな
ったのだから従来の運用にこだわる必要はないはずだ」
「交代時にスパイが紛れ込む危険性もある。リスクを少しでも減らすために従
来の周期で運用している、という話だが」
「三ヶ月というのはかなりギリギリの期間だと聞いている。慣れていないせい
もあるだろうが、僕もたった二週間でかなり疲れた。乗員の精神衛生の方が大
事だ。士気にも関わる。ドア戦争で最も重要なのは兵の士気だ。トイレですら
安心できないからな」
「俺は原潜に乗ったことはないが、たしかに三ヶ月はきつそうだな」
「それから、これについてはかなり考えたんだが、やはり魚雷は要らないと思
うんだ」
「ドアが代わりになるから?」
「そうだ。魚雷は一本あたり一tもある。ドアの搭載で狭くなっているのにあ
えて積む必要はないだろう。乗員のためにスペースを空けるべきだ。彼らは魚
雷と一緒に寝ているんだぞ? 僕が乗っているときにも戦闘があったんだが、
もちろん一度も使わなかった。普通に考えて使う機会なんてないんだよ」
「なるほどな。俺としては特に反論は思いつかないが、海軍と相談してみると
いい。旧い体制がすぐに変わることは難しいだろうが」
「ああ。今度、このあたりを上に伝えるつもりだ。ロシアは、ドアではなくそ
の容れ物である原潜を巨大化することを思いついた。同じように、ドアそのも
のの改良だけでなく、我々がドアに合わせて変わるべきなんだ」

 崎島の訴えにより乗員交替周期が一ヶ月となり、さらに魚雷の撤去が決定し
た。その数ヶ月後、〈ハリソン・シアーズ〉は接近戦を余儀なくされた。互い
に同時に発見、同時に部隊を送り込み互いにドア室を制圧。その状況で〈ハリ
ソン・シアーズ〉は魚雷を持たなかったため対応に遅れ、撃沈されることにな
る。
+注意+
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