豚の貯金箱
「ごめんな……。ぶーぶー」
俺は貯金箱に向かって言った。いずれ割る時が来るのは分かっていた。本当に分かっていた。でもいざ割るとなるとやっぱり躊躇ってしまう。なんでこんな可愛いデザインしてんだ。……ちくしょう。
◇
ぶーぶーとの出会いは中学1年の頃である。両親が東京に旅行に行った際、お土産としてこいつをくれた。
なんで東京土産が貯金箱なんだよと文句を言っていたが、両親が俺に1000円をサッと渡し、すぐに和解をした。
金はあったらあっただけ使うタイプの俺だが、貯金箱というものは偉大である。貯まりすぎた小銭を入れるようになっていた。
少しづつではあるが、貯まっていき、揺らすとジャラジャラと音が鳴るのが嬉しかった。次第に愛着が湧くようになり、こいつをぶーぶーと呼ぶことにした。
金を入れるたびにぶーぶーが喜んでいるみたいで、俺も金を貯めるのが楽しみになっていった。
しかし現実を突如知ることになる。
「貯金箱だいぶ気にいってるじゃない」
「ま、まあな」
「でもいずれ割らなきゃいけないって考えると悲しいわよね」
「え?」
割らなければ金を取りだせない事をその時知った。たしかに金を取り出すような穴はないし、割る以外に方法はない。ぶーぶーを割る。考えられないことだった。
なんでお金が入って嬉しそうにしてるこいつを割るんだ?ありえないだろ?何故こんなに可愛いデザインしたのか。デザインした奴を恨んだ。しかし恨んでいても結果は変わらない。俺は貯め方を変えることにした。
初めの頃は貯めるのが嬉しくて10円だろうが100円だろうが気にせず何でも入れていたが、500円だけを入れる事にした。これなら貯まるスピードは遅くなるし、ぶーぶーを割らなくて済む。
しかし時間はあっという間に過ぎた。
中学3年の頃にはぶーぶーのお腹はいっぱいになっていた。ぶーぶーは幸せそうな顔をしていた。俺は見て見ぬ振りをした。入らなくなったお金は財布にしまっておいた。
高校に入学した俺は軽音楽部に入部した。中学の頃からバンドに憧れを抱いており、ベースギターを弾いてみたいとずっと思っていた。しかしここで問題が発生する。
「お願いがあるんだけど……ベースがほしくて……」
「自分で買いなさいよ」
「いや。金がなくてさ……。周りは皆ギター買っちゃったし……」
「あ、そういえば貯めたお金があるじゃない。あれ使いなさいよ」
「い、いや……。あれは……」
「何のために貯めてたのよ。ほしいものができた時に使うためでしょ?」
母親の言い分は至極真っ当な意見だった。いくら貯めたかは覚えていないが、ベースギターを買えるだけは貯まっていたと思う。
これがもし、自由にお金を取り出すタイプの貯金箱であれば、何のためらいもなく使っていたと思う。しかし問題は違う。ぶーぶーを割らなければいけないのだ。命こそ宿っていないものの、俺にはぶーぶーが生きているように思えた。まるで一つの命を奪いとるような感覚がしてならないのだ。
しかし割らなければ前からほしかったベースギターを買うことはできない。親の言う通りだ。何のために金を貯めてきたんだ。そうだ。貯めるために貯金箱はあるんだ。割ってあげることが本来ぶーぶーにとって本望なのだ。そうに違いない。
俺はぶーぶーを割ることに決意した。そして現在に至る。
心の中で割ると決意したものの、心が揺れ動いてしまう。本当に割られることをぶーぶーは望んでいるのか?インテリアとして置いといてほしいとぶーぶーは望んでいるんじゃないのか?俺は考えれば考えるほどわからなくなった。
しかし、いつかは割らなければいけない。……それが今なのだ。再び決意し、倉庫に置いてある工具箱の中からトンカチを取り出し部屋に戻った。貯金箱の下に新聞紙を広げる。
これで破片が散らばっても大丈夫。準備は万全だ。
「ぶーぶー。お前のおかげでお金いっぱい貯めることができたよ。……今まで本当にありがとな……」
俺は横に置いてあったトンカチを持ち、勢いよく振りかざした。
――ぶつかる寸前で手が止まった。
……無理だ。辛すぎる。ぶーぶーとの思い出が走馬灯のように駆け巡った。貯まっていくたびに嬉しそうな顔。お金がいっぱいになって幸せそうな顔。
辛い時はぶーぶーの顔を見ていると、いつの間にか元気になっていた。俺にとって心の支えだった。それを自分の手で壊すなんてできない。持っていたトンカチを床に置こうとした。その時。
「君とずっと一緒にいれて幸せだったよ。今まで本当にありがとう。夢に向かって頑張ってね」
ぶーぶーが語りかけてくるように思えた。俺の目には沢山の涙がこぼれていた。ごめんよ。本当にごめんよ。ぶーぶー今までありがとな。
持っていたトンカチを再び強く握りなおし、勢いよく振りかざした。
◇
「うわー。緊張するなー」
「ファンがついてきてくれたから今があるんだろ、頑張ろうぜ」
「そうだな、よし、行くぞ!」
『おう!!』
俺達は今、動員数10万人というステージで演奏をしようとしている。高校の時組んだバンドがここまで成長できたのには自分でも驚きだ。あの時ベースギターを買っていなければ、ここにいる事はなかったと思う。
ぶーぶー。ありがとな。
お前のためにも最高の演奏するからさ、聞いてくれよ。
俺達はステージの上に立った。