乙女ゲームのヒロインに転生しましたが、愛が分かりません
「お前なんか誰からも愛されねーよ」
ことあるごとに、私にそう言った姉の顔を、私は覚えておりません。
なにせ今から15年以上前の、今の私が生まれる前、いわゆる前世で姉だった人の記憶ですから。
ただ美しい人は蔑む顔ですら美しいのだな、とそう思っていたことは覚えてすおります。
姉は誰からも愛される、美しい人でした。
私は誰からも嫌われる、醜い娘でした。
姉はいつでも崇拝者に囲まれて称えられる一方で、私はその崇拝者達から姉妹というだけで姉の傍にいることを妬まれ虐げられておりました。それは両親だとて例外ではありませんでした。
醜い私は幼い頃から当たり前だったその状況を、当然のことだと受け入れておりました。辛いとか恨めしいとかではなく、それそんなことも思わないくらい日常の出来事だったのです。
姉と私は正反対と言って良いくらい、異なっておりました。もしやと思って戸籍を調べた結果、自分が姉と血が繋がっていない養女であることを知った時は、傷付く前に納得してしまったものです。
姉の崇拝者が姉の前で私を貶した時、姉はいつでも私を必死にかばってくれました。
だけど姉は二人きりになると、いつも他の人にはけして向けない汚い言葉で、お前は誰からも愛されないと、繰り返し口にしました。
姉の言うことは正しかったので、私はいつも黙って頷きました。
姉はそんな私の態度に、「泣くくらいしろよ」と、苛立たしげに舌打ちをしました。
「愛されない、醜いアヒルの子。あんたが白鳥になる日なんか来やしないさ」
姉の言葉は、私の胸に突き刺さることはありませんでした。涙が溢れることはおろか、悲しいとか辛いとかも感じませんでした。当たり前のことでしたから。
それよりも、いつも私に冷たい言葉を告げる姉こそが、どこかつらそうなのが気になりました。愛される人は、愛されない私には分からない、苦労がきっとあったのでしょう。姉は私以外の人の前では、きらきら明るい太陽のようで、とても優しい人でした。私に見せるような態度は、けして見せません。
いつでも美しい姿でい続けるのは、窮屈で息が詰まることでしょう。
私はいつもそう思っていましたが、それを姉に告げることはありませんでした。一度うっかり口にしたら、「愛されたことがないあんたに何が分かる!!」と、怒らせて泣かせてしまったからです。
怒らせてしまうのは構いません。私の存在は、いるだけでいつも姉を苛立せてしまうのですから。
だけど、姉を泣かせるのは二度とごめんでした。普段は「人形のように無感情」と言われる私ですが、あのとき私は生まれてはじめて胸が締め付けられるような苦しさを感じました。もう二度と、あんな思いはしたくありません。
姉の苦しみが私を罵ることで癒されるなら、それが一番だと思っていました。
「あんたなんか現実ではけして愛されないんだから、せめてゲームで疑似体験したら?」
馬鹿にしたように言って、姉が「乙女ゲーム」と言うゲームをくれたのは、私の16の誕生日でした。それは私が生まれてはじめて誰から貰った誕生日プレゼントでした。
姉はそのままいつものように私がいかに愛されない存在か語ると、さっさと部屋を出て行ってしまい、私にお礼を言わせてくれませんでした。以降、お礼を口にしようとする度、なぜかいつも話を反らされて、私は結局最期までお礼を姉に伝えることは出来ませんでした。
せっかく姉がくれたのだから、と私は姉のお古のゲーム機でそのゲームをやってみました。
ゲームの主人公は、姉のように綺麗で明るい女の子でした。
選択肢を選んで行動すると、女の子は他の綺麗な男の人から、愛を囁かれるようになります。男の人が女の子に愛を伝えるその様は、姉の崇拝者が姉に向ける姿とよく似ていました。
(なるほど、これが愛されるということか)
私は未知の世界を探求するかのごとく、ゲームをクリアしていきました。
姉は自分がくれたゲームなのに、私がゲームに夢中になっていると腹が立つようで、たびたびゲームの邪魔をしてきました。
しかし、のめり込んだ私は姉の妨害などものともせず、ゲームを開始して三ヶ月も経つ頃には、私は全ての選択肢を自在に操り、ゲーム全てのエンディング、ゲームに表れるスチルという絵、全てのイベントを見終わっていました。
「オタク、まじキモっ」
姉はそう言って冷たい目でみて来ましたが、気になりませんでした。
私は浮かれておりました。私はゲームを通じて、自分ではけして手に入らない「愛」がどんなものか知ったのです。
そんな珍しい心持ちでいて、集中力が散漫になっていたからでしょうか。いつも歩いている交差点で猛スピードで突っ込んで来た乗用車に轢かれてしまったのは。
即死はせず、死ぬまでの瞬間私は意識がありましたので、最期に思ったことは覚えております。
死への恐怖や、この世の未練はありませんでした。私が死んだところで悲しむ人など誰もいないのですから。
ただ姉は怒るだろうな、と思いました。姉は私が自分の目に届かないところで勝手に行動することを嫌っていましたから。
私は勝手に死ぬことを心の中で姉に詫びながら、息を引き取りました。
そして気が付くと、私はクリアした乙女ゲームの主人公に転生しておりました。
わけが分からないまま赤子になってしまった私は、流されるがままに世話をされて成長していきました。
自分が前世のゲームの主人公に転生していると気が付いたのは、5歳の頃でした。元々ゲームの主人公はかなり特徴がある外見と名前をしていたので、よもやと思っていたのですが、そこで決定的な出来事が行ったのです。攻略キャラの一人と、出会いイベントが起きたのです。
それは「実は昔出会って結婚の約束をしていた」という運命感を出すためのイベントで、イベント自体はあっという間に終わってしまいました。ゲームでも相手が一目惚れをして、一方的に結婚の約束を結ぶという内容でしたので、私は特に何もしなくて良かったのです。ただ、それは私が自分がゲームの主人公に転生したのだと確信するに至るには十分過ぎる出来事てした。
愛されなかった私を憐れんだ神様が、私に愛される機会を与えて下さったのだと思いました。そして私は、ゲームでしか知れなかった「愛」がどんなものなのか、現実として知りたいと思いました。。
その為には未だ残っている、内気で醜く、誰からも愛されない元々の私の性格は邪魔です。私はゲームの主人公のような、社交的で明るい性格にならなければなりません。
幸い今の私は、ゲームの主人公の美しい姿と、誰とでも仲良くなれるコミュニケーション能力を与えられておりました。
足りない明るさは、前世の姉の振る舞いをまねすることで補うことにしました。姉を誰よりも近くで見ていたのは私です。姉ならばどんな行動をするかなんて、すぐにわかります。
私は瞬く間に人気者になりました。
高校に入ると、もっと簡単な状況になりました。ゲームのイベントがはじまったからです。
私はイベントの最善の選択肢通り振る舞うだけで、良かったのです。
気が付くと、ゲームの攻略キャラたちは、私の崇拝者になっておりました。
彼らは隙あらば、私に愛を囁きます。
「愛している」
「君みたいな人は他にはいない」
「君がいなければ生きてはいけない」
私はそれらの台詞を表面上は嬉しそうに、内心は無感動に聞いておりました。
私が望んでた、「愛」はこんなに簡単で薄っぺらいものなのでしょうか。
私がとった行動は、私が彼らに告げた言葉は、私の意思や本心は何一つない、既に決まっていたものでした。私の心の中は、前世の「人形」だった時と同じ空っぽで醜いまま何一つ変わっておりません。
なのに彼らは、私が空っぽだと知らぬまま、自分たちが望む行動をとった私に、「愛」を捧げるのです。
全てが虚構で塗り固めただけの私に。
やり方さえ知っていれば、誰でも私と同じ行動が取れるのに。
私は宝物だと思っていたものが、実はまったく価値がないものだと気が付いたような、ひどく空しい気持ちになりました。
虚構から生まれた薄っぺらい愛は、やはり簡単に崩れ落ちました。
私に愛を囁いた彼らは、転校してきた一人の少女により「真実の愛」を教えられ、私の元を去っていきました。
一人ぼっちになった私は、どこか安堵を覚えながら、転校生に群がり愛を訴える彼らを眺めていました。
彼らが見つけた「真実の愛」は、私には恐らく永遠に理解出来ない感情だと思いました。だって私が彼らの言動で心を動かされたことは一度だってないのですから。
私は欠落した人間なのです。
姉が言った、お前なんか誰からも愛されないという台詞の意味が、今になって分かりました。私自身が誰も愛せないからです。
自分が他人にあげられないものを、人に求めること自体がおかしいのです。
愛とはきっと、それに相応しい人だけが与え受けとることが出来る特別な感情なのでしょう。
私なんかが得られるはずがないものでした。
「――お前なんか、誰からも愛されねーよ」
ふいに耳に入ってきた懐かしい台詞に、心臓が跳ねました。
振り替えると、そこには私のかつての崇拝者から愛されている転校生が、私を睨みつけながら立っておりました。
彼女と私は初対面です。なぜいきなりこのような台詞を言われるのだろう、と訝しく思いながらも、転校生のいうことに異論はなかったので頷きました。
私の反応に彼女は苛立たしげに舌打ちをしました。その反応に既視感を覚えた私は、心臓がますます跳ねるのを感じました。
「違う世界まで追いかけてきて、お前なんかを愛する物好きなんか私しかいねーよ」
転校生の顔が、突如脳裏に甦ったかつての姉の顔と重なった瞬間、私は目を開きました。
彼女は今、なんて言ったのでしょう。
言われた言葉の意味を理解した瞬間、心臓を鷲掴みにされたような、息苦しさが襲いました。
苦しくて、呼吸が上手く出来ないのに、それがとても心地よいのです。
はじめての感覚でした。
いつだって、そうでした。
いつだって私の感情を動かすのは、彼女だけでした。
彼女が泣いた時、私は生まれてはじめて「後悔」と「困惑」をおぼえました。誰かを傷付ける痛みを知りました。
彼女がくれたから、夢中になってゲームをクリアしました。彼女が疑似体験をしろというから、私はゲームから「愛」を見いだそうとしました。彼女が何度も何度も口にしたから、今世で「愛」を得ようと努めました。
彼女が怒るだろうから、どうでも良かった「生」に最期の最期で、執着をおぼえました。
罵りの言葉でも、虐げられる言葉でも、彼女から声を掛けられることに喜びを感じていました。彼女が私にだけ素の自分を見せてくれることに優越感を抱いていました。
彼女だけです。
彼女だけが、空っぽな人形の私を、人間にしてくれていたのです。
綺麗な人。
綺麗で、愛される人
醜い空っぽな、私とは、正反対な人
求めることは、それだけで禁忌でした。
醜い私が求めたら、綺麗な彼女を汚してしまうと思っていました。
あぁ、だけど彼女は先程、そんな私に対して、なんと言ったのでしょう。
「姉さ…」
「お前は私だけに愛されて、私だけを見ていればいいんだ」
口にしかけた呼称は、噛みつくように合わせられた唇の隙間に飲み込まれました。
目から温かいものが溢れ、頬を伝うのが分かりました。
私は生まれてはじめて…いえ、二つの人生の中ではじめて、「愛」を手に入れました。