雨の旋律縦書き表示RDF


梅雨なので仕方無いけど、連日の雨で気分は限りなく青い……そんな時にふと、降りしきる雨音がリズミカルに聞こえた。
そこから“雨”をテーマに何か書こうと思い、連載そっちのけで思いつくままに書き上げてしまいました。
一応、文学のつもりで書きましたが…どうでしょうね。
ご意見お待ちしております(^_^)

雨の旋律
作:藤田文人


 

 ――屋根を打つ音と窓を鳴らす音が激しさを増す。それは、他の一切の音を打ち消す自然が奏でるハーモニー。
 演奏されるは、他を圧倒する大音量かつ激しく力強いメロディ。
 また静けさと哀愁、それと安らぎを与える繊細なメロディ。
 それらは、不思議と飽きる事もなければ気になる事もない。そんな誰にも真似する事のできない不思議な音色を奏でる自然の音楽隊。
 この時期は、各地で様々な演奏会が時間を問わず開催されている。
 そう、この梅雨の時期は自然の演奏を堪能できるのだ。

 降りしきる雨は一定のリズムを奏で、吹き付ける風は時折、休止符を挟む。
 この時期の主役は雨。通常はメインを務める風も、この時ばかりはサブパートにまわる。
 期間限定の独演会だ。
 だから、ここぞとばかりに様々な演奏を繰り広げる。
 恵みの雨という言葉も、度が過ぎれば意味がない。そう思わせるほど、この時期の雨は一度降り始めると長く続く。


 ――夜が明けても厚い雲に覆われ、カーテンの隙間から光が差し込む事はない。おそらく、時計を見なければ時間の感覚さえも掴めそうにないだろう。
 それくらい薄暗い部屋。
 その状況の中、目覚めた青年はふと視線を走らせて微弱な音で時を刻む時計を見る。
 普段なら針の進む音さえ耳障りに感じていたのに、休日だからか、今朝に限って物足りなさを感じていた。
 眠い目を擦り、大きく伸びをする。そして、深く息を吸い込むとゆっくりと吐いた。
 日課とも言える儀式を終えた青年は、ベッドから身を起こして鳴り止まぬ雨音をBGMにいつもの行動に移る。

 洗面台の棚に置いてあるコップを取ると蛇口を捻り、溢れんばかりに水を注ぐ。
 こぼれた水が指を濡らすも構わずコップを口に運ぶ。
 口を濯ぎそのままうがいに移行、むせる一歩手前で水を吐き出す。それから顔を洗ってタオルで水気を拭き取る。
 「――ふぅ」
 青年は軽く息をついて二本並んで立てかけてある歯ブラシから自分のものと歯磨き粉を取る。
 今日はゆっくりできる。そう思うと青年の顔に自然と笑みがこぼれた。
 寝室に戻り、着替えをベッドの上に放り投げて携帯電話を手にする。
 『メール受信あり』
 画面表示された文字を見て青年は受信ボックスを開く。
 「あはは……」
 毎朝届く彼女からのおはようメール。
 毎度の事ながら、その変わらぬ愛情溢れる内容に青年は嬉しくも照れくさい、そんな複雑な気分になる。だが、厚い雲に覆われた外の天気とは対照的にその心は明るくなった。
 携帯電話をテーブルに置くとニヤけ顔でパジャマを脱ぎ、服に着替える。
 そして再び携帯電話を手にすると、いつもと同じ文章を打ち込み送信ボタンを押した。

 カーテンを開けて外を眺める。昨夜から降り続ける雨は、まったく衰えを知らず止む気配を見せない。
 せっかくの休日もこれでは嬉しさ半減。
 青年はテレビをつけて天気予報をやっているチャンネルに合わせる。
 「……今日は一日を通して雨か……」
 時計を見れば、まだ8時。彼女の部屋に行こうにもさすがにまだ早い。このまま部屋でゴロゴロするにしても時間があり過ぎる。
 車で行けなくもないが……雨の日に事故を起こしてからペーパードライバーになった青年にとって、大きなストレスを伴う苦渋の選択だった。
 情けない事に青年は、雨の運転に小さなトラウマを抱えていたのである。
 ――せめて、晴れてさえいれば。
 青年は自嘲気味に笑みを浮かべるとソファーに寝そべった。

 ピロピロッ、ピロピロッ……

 不意にメールの受信音が鳴り響く。
 「誰だ?」
 青年はソファーから身を起こして携帯電話を取ると受信ボックスを開いた。
 それは、彼女からだった。
 さっきメールを送ってきたので来るとは思ってなかった青年は何かあったのかと首を傾げる。

 『今から会いに行ってもいい?』

 彼女にしては珍しい一文だけのメール。
 青年は、彼女に直接伝えようと電話する事にした。

 トゥルルルルッ、トゥルルルルッ……ピッ

 『もしもし、おはよう』
 思ったよりもその声は明るい。
 考え過ぎか。青年は普段と変わらない彼女の声に安堵のため息をつく。
 『どうしたの? 電話で返すなんて、めずらしいね?』
 「……あ、いや……おはよう。なんだか急に声が聞きたくなって……」
 答えに詰まった青年はとっさに誤魔化す。
 何故電話をしたのか。自分でも納得のいく答えが出なかったので、うまく言葉を繕う事ができない。
 『よくわからないけど、ちょっと嬉しいかな。じゃあ、会いに行ってもいいのね?』
 電話越しに嬉しそうな声。どうやら青年の不安は杞憂に終わった様だ。
 きっと、この雨がそういう気持ちにさせたのかもしれない。
 心の寂しさが、無意識に不安を大きくする。雨はすべてを洗い流してしまうから、その途切れる事のない雨音に切なさを感じてしまったのだろう。
 「……いいけど、この雨だよ。濡れちゃうんじゃないか? なんなら、迎えに行くけど……」
 青年はこの雨の中、車を持たない彼女を来させる事に抵抗を感じる。
 歩いて来れないほど遠いわけではない。
 だが、この雨と風だ、傘はその役割を果たす事ができないはずだし、それにわざわざバスで来させるわけにもいかなかった。
 自分が迎えに行けば、それで済む。些細な思いで彼女に負担は掛けられない。
 『……大丈夫だよ、心配しないで。それに、少し歩きたい気分だから気にしないで』
 明るい口調で彼女はやんわりとそれを断る。
 それは、明らかな嘘……青年のトラウマを察しての言葉だ。
 気を使って嘘をつく彼女。その優しさが青年の心を暖かくした。
 『じゃあ、今から行くよ。待っててね』
 そう言うと青年の返事を待たずに電話を切った。
 「……あっ」
 感傷に浸っている間に切られ、ハッと息を飲む。
 青年は自分のふがいなさを感じつつも彼女の優しさに感謝し、電源キーを押すとテーブルの上に携帯電話をそっと置いた。

 ……窓の外を眺め、降りしきる雨に思いを馳せる。
 雨音のリズムは軽快さを増し、さらに風も自己主張を繰り返す。
 彼女はそんな悪天候の中を歩いて来る。いったい何を思い、この部屋へ来るのだろう。
 青年はソファーに横になると目を閉じた。テレビの音は静かに流れ、その耳に入らない……。


 雨が窓を強く叩き、吹き付ける風が唸り声を上げている。
 止む気配をさっぱり見せないこの長雨のせいで、街に買い物に出掛ける気にもならない。
 本来なら、日課とも言える彼氏へのモーニングメールを送った後で軽く買い物に出掛け、帰る足で彼の部屋に寄って行くパターンだったのに。そのお決まりパターンも、この梅雨の長雨により水泡と化してしまう。
 よって、今日はお昼過ぎあたりに彼のウチに行こうかと思っていた。
 それまでの時間を有意義に使おうとベッドに横になってテレビを見る。しかし、屋根を打ち付ける雨音と窓を叩く風に気分が紛れる。

 彼女の住むアパートは築年数が古いので、梅雨の宴もより一層盛り上がりを見せていたのだ。
 軽快というよりも騒然。ポップでメロディアスなサウンドというよりも、ヘビーメタルのライブ会場の様な激しさ。
 彼女は窓越しにその自然が奏でる暴威な演奏にふと過去の記憶が甦る。
 (……そう言えば……彼は雨が苦手だったわね……)
 付き合い始めて間もない頃、彼は車の運転中にタイヤがスリップして事故を起こしてしまった。
 幸い大きな怪我をする事はなかったが、その事故により彼の心に雨と車に対してトラウマができたのだった。
 それ以来、彼は車通勤を辞め、好きだったドライブもしなくなり部屋に居る時間が長くなる。
 今頃、彼はどうしているだろうか。
 部屋で休日のひとときを過ごしているのだろうか。それとも、激しさを増す雨に記憶が甦り落ち込んでいるのか。
 そう思うと急に切なさがこみ上げてくる。そして、何故か無性に彼に会いたくなった。
 彼女は自分の気持ちに素直に従い、携帯電話を手に取るとメール画面を開き、素早く文章を打ち込むと送信ボタンを押した……。

 彼の声はいまいち沈みがちで、彼女の心に一抹の不安を与えた。
 携帯電話をテーブルに置き、寝室に向かう。
 (何着て行こうかな……)
 彼女は心の中で呟くとクローゼットの戸を開き、何着か引っ張り出すと腕組みをして思案する。
 今日は雨。しかも風もあるので、少し厚手のものがいいかもしれない。そんな事を思いながら暫し目を閉じる。
 彼の部屋に行くのだから、それなりに着飾りたい。でも、そういうのに無頓着な彼にこの辺の女心はとても理解できそうにない。そう思うといつものでいい様な気がしてくる。
 雨は強いし、風も吹いている。どうせ濡れてしまうのなら、ラフな格好でも良さそうだ。彼女は引っ張り出した服を次々と戻すと着替えはじめる。

 身支度を済ませた彼女は、愛用の白い傘を手に持つと玄関を出て鍵を掛ける。
 外に出ると風の強さに顔をしかめるも意を決して階段を降りた。
 地面を激しく打つ雨。轍に溜まった水がまるで川の様にずっと先まで続いている。
 強風に煽られて傘が悲鳴を上げる。油断すると風に飛ばされそうな勢いだ。
 気分が滅入ってきそうな悪天候。こんな日に出掛ける自分に呆れつつも無性に彼の事が気になるので我慢して歩き続ける。

 閑静な住宅街は歩く人も疎らで道路もかなり空いていた。だが、視界はあまり良くない。
 たまに通り過ぎる車が轍に溜まった水を弾き飛ばす。濡れない様にそれをかわしながら彼女は無言で進んで行く。
 雨足はさらに加速していった。風に煽られてザワザワと葉を揺らす街路樹。そのざわめきとともに時折、蛇口を捻ったかの様に水が滴り落ちてくる。
 (……すごい雨ね……)
 バケツをひっくり返した様な土砂降りと化す天気に内心ゲンナリする。
 ズボンも膝くらいまで濡れ、靴にいたってはすでに手遅れ状態。歩くたびに靴の中にまで染み込んだ水の感触が気持ち悪くてたまらない。しかし、彼女は引き返す気にはならなかった。
 別に無理をしてまで会いに行く必要など無い。それに少しでもそばにいたい、という付き合いはじめた頃の純真さも一途さも当時より薄れている。
 ――では、何故この雨の中をわざわざ会いに行くのか。
 それは自分でもわかっていなかった。ただ想いのままに行動しただけで確固たる理由など無い。
 寂しさからか愛しさからか、無性に会いたい気持ちが先立ち深く考える暇もなく行動に移った。
 会えばわかる。
 何の根拠もないその思いが彼女の背中を押していた。

 ……しばらく歩くと小さな橋に差し掛かった。この橋を渡れば、目的地まではあと半分といったところだ。
 (……うわっ、何あれ……)
 川の水かさは、いつもよりもかなり増えていた。
 普段は底が見えるくらい浅い川なのだが、今は濁流と化している。
 水量は河川敷に迫る勢い。昨夜から降り続ける雨により、その姿は一変していた。
 橋の上は総じて風が強く吹く。そのため、横から吹き付ける強風に傘はその役目を果たせない。
 雨が横から当たる……彼女はそれに気を取られ、不覚にも車が横切るのを失念してしまった。

 ザザザッ!

 水が勢いよく歩道に飛ぶ。気づいた時には見事なまでに全身がびしょ濡れになっていた。
 「――ありえなーいっ! ずぶ濡れじゃないのぉー! バカー!」
 彼女は泣きそうな顔で叫ぶ。だが、雨と風が織りなす絶妙なハーモニーによりその声はかき消された。
 彼女の叫びは届かず、車は何事なかったかの様に走り去っていった。
 その光景に彼女は頬を膨らませて怒りを露わにする。悔しさがこみ上げてきて地団太を踏みそうになる。
 「ちゃんと歩行者を見て走れー! ムカつくぅーっ!」
 大声で叫ぶと、彼女はズボンのポケットに入れてある携帯電話の安全を確認した。ズボンに染み込んだ雨が表面に少しだけ付いていたがショートはしていない。
 携帯電話の無事を確認するとホッとため息を漏らした。
 「……これでケータイもダメになってたら……ホント、シャレんなんなかったわ」
 胸をなで下ろして携帯電話をポケットに戻す。
 ――もはや、傘を差す意味が完全に無くなった。
 彼女は傘を閉じると両手を広げて天を見上げる。
 完全な開き直り。降り注ぐ雨を浴び、目を閉じて気持ちを落ち着けようと深呼吸をした。

 ……気分をなんとか落ち着け目を開く。
 どんよりとした厚い雲に覆われた空、それをステージに降り注ぐ雨と吹き荒れる風がこの自然の旋律を奏で、自分達の存在の大きさをアピールする。
 その強烈な自己表現を見て、この雨がしばらく続く事を彼女は予見した。
 (……ま、いっか。彼の部屋には替えの服もあるし、着いたらシャワーを借りればいいわ……)
 そう心の中で無理矢理自分を納得させると彼女は気を取り直して再び歩き始めた。

 典型的な雨の被害を被った彼女は、橋を渡り歩き続けた。
 少し先を行くと左手に遊歩道の入り口が見える。川沿いに伸びる小さな道。ここを通り抜ければ、彼の家はすぐ目の前となる。
 遊歩道は途中、砂利になった箇所もある。昔から散歩やサイクリングで利用されている程度なので、その舗装状態はあまりよくない。
 土手には草花が生い茂り、風に揺られるその姿はまるで天の恵みを讃えているかの様にも見て取れる。
 彼女にとってはただの障害にしか思えないだろうが、彼等にとっては恵みの雨。その降り注ぐ雨を糧に限りある生命の炎を燃やし、次代に繋げる新たな生命を生み出す力を造り上げる。
 この自然の摂理の前には何人たりとも為す術を持たないのだ。

 遊歩道はその道程のほとんどが平坦だがかなりの距離があり、この天候の中を散歩する奇特な者はいなかった。
 それを傘も差さずに歩く。彼女を見かけた者がいたなら、きっと奇異の目で見る事は間違いないだろう。
 しかし、彼女は黙々と歩き続ける。彼の部屋に行く事が自分に与えられた使命であるかの如く。
 理由はわからないが、何故か急に彼に会いたくなったのだから。彼女はその想いがままに、風に煽られても雨に打たれても頑なに自分の意志を貫き通した――。


 ……気がつけば、聞き慣れた鼻歌が聞こえる。
 時計を見れば、もうお昼。いつの間にか眠っていた様だ。
 青年はソファーから身を起こし、人の気配がする方に目を向ける。
 「……お邪魔してま〜す」
 寝室からパジャマ姿の彼女が出て来て一言。青年が寝ている間にシャワーでも浴びたのだろう、その髪は濡れておりタオルを首に巻いていた。
 彼女は青年の隣に座ると横になり、膝の上に頭を乗せて青年の顔を見上げた。
 「シャワー借りたから。あと服濡れちゃったから乾燥機も拝借してる〜」
 にこやかな笑みを浮かべながら青年の手を取る。青年は返す言葉が出ずに呆然と彼女を見た。
 「……どしたの?」
 彼女の声が遠く聞こえる。
 ――何故、こんな天気にわざわざ歩いて来たのか。青年はこの疑問が頭から離れないでいた――。
 どちらかと言えば利己的でいい加減な性格の彼女。楽しければ誰とでも遊びに行き、それによって過ちを冒したのも一度や二度ではない。
 その笑顔と心からの反省になんとか維持してきた関係。愛しさはあってもいまいち信用できない彼女が、何故こんな得にもならない事をするのか。青年にとって、その行動はまったく理解できないものだった。
 大変だったね、とか、迎えに行けばよかったね、とかそんなありきたりなセリフさえ口にする事ができない。
 すでに恋人というより感情は薄れ、半ば女友達の位置に移行しつつある彼女に対して、青年は返す言葉が見つからないでいた。
 それ故に黙って彼女を見つめ続け、思案に暮れる。
 そんな青年の思いを察したのか、彼女は取った手を握りしめた。
 「……雨に濡れてまで来たのが、そんなに珍しい? それとも、急に会いに来たから怪しいとか思ってる?」
 少し寂しそうな表情で呟く彼女。
 自分の軽さは十分理解していたので、彼が訝しむのも仕方の無い事の様に思えて悲しくなった。
 「――あ、いや、その……ち、違うよ。ちょ、ちょっとね……」
 青年は慌ててそれを否定し、頭を掻いて苦笑する。
 「……まだ、頭が寝てるんだよ」
 そう言って彼女の髪をとかす様に撫でた。
 明らかな動揺。その態度に彼の本音が見えた気がして彼女の心は曇っていく。
 「しょうがないよね。信用無くしちゃう事いっぱいしちゃったもん……ごめんね」
 彼女は静かにそう言うと視線を逸らす。
 青年は気まずい空気が漂うのを感じ、それが自分のせいである事に胸が痛くなる。
 寂しそうな表情で視線を宙に泳がせる彼女の心を不用意に傷つけてしまった。責めるつもりなどないのに。

 ――雨足はさらに強さを増してきた。吹きつける風も勢いに乗り、窓を激しく揺らす。
 自然の織りなす力強い旋律が部屋の中に響きわたる。
 それが二人の未来を予感させる序章であるかの如く青年の心に染み込んでいく。彼女もまた、その旋律に想いを重ね不安を増長させ心のざわめきを感じていた。

 重苦しい雰囲気が場を支配する。
 二人は言葉のない時の流れに身を任せ、自然の旋律に耳を傾けては己の心に問いかけていた。
 ――彼女は、自身のその軽薄さで彼を苦しめたのではないか、と。
 ――青年は、自身のその煮えきらなさが彼女の心に隙を与えたのでは、と。
 ……それが二人の心にすれ違いを生み出したのではないか。本当に互いを思いやっていただろうか。
 その自身の欠陥が相手を傷つけていたのなら、それは本当に悲しい事だと胸を痛める。
 (……形だけじゃなく、もっと気持ちを口に出さないと……)
 元来無口な青年は、自分の言葉の足りなさが彼女に寂しい想いにさせていると自覚する。そして、青年はそれを直そうと心に決める。
 そっと彼女の頬に触れ、自分の方に顔を向かせた。
 ……その表情は陰りを帯び、少し怯えた様な眼差しで青年を見つめる。
 チクリ、と胸が痛む。
 普段の元気な姿は影を潜め、儚げな雰囲気を漂わせる彼女に青年は言葉を詰まらせる。だが、それでは何も変わらないと自分に言い聞かせ、彼女の頬を撫でながら意を決して口を開く。
 「……謝らないでいいよ……僕の方こそ、ごめん。うまく話せなくて……」
 絞り出す様にして呟く。喉が乾き、胸の鼓動が早くなる。 うまく言えただろうか。青年は彼女の瞳に映る自分の姿を見る様にして視線を合わせた。
 彼の言葉が彼女の心に染み渡り、その真剣な眼差しが胸を熱くする。
 彼に対する愛しさがこみ上げ、その言葉に込められた優しさに顔が赤くなっていくのを感じ何も言えなくなってしまう。
 言葉にならない想いを笑顔に変えて伝える。彼女にはそれしか出来なかった。

 ――だが、そこには確かに愛が存在している。
 その微笑みに青年は愛を感じたから。何の根拠もないのに彼女の心が見えた気がした。
 「……雨の中、大変だったね。今日は泊まっていくかい?」
 心の底から溢れる感情に自然と頬が弛む。見えない綻びが解けた様に青年の顔に笑みが浮かぶ。
 「うん」
 その笑顔に彼女も心の迷いが霧散していくのを感じる。
 もう寂しさから代償を求める事はない。この時、彼女は直感的にそう思い何故今まで素直な自分を出してこなかったのだろうと少しだけ後悔した。
 「じゃあ、いっぱい甘えちゃおうかな。ねぇ、いいでしょ?」
 そう言うと彼女は手を伸ばして青年の顔に触れる。その熱が染み込み、心を温かくしてくれた。


 ――雨は、すべてを洗い流す。心に包む様々な思惑さえも洗い流し、隠された本音を露わにする。
 その想いは風にさらわれ、何処かに運ばれて行く。巡り巡って舞い戻って来るのか。それとも果てしなく宙を漂うのか。
 それは誰も知らない。
 しかし、それでも地に根を張り留まり続ける想いもある。二人の想いは、表向きの不安定さとは裏腹に深く根を下ろしていた……。

 いつしか、雨と風の演奏は静かな旋律に変わっていた。
 その音色は消え入りそうなほど穏やかなメロディ。
 先ほどまでの不安を煽り立てる様なアップビートではなく、儚くも心に安らぎを与える鮮麗なバラード。
 窓を揺らしていた吹き荒れる風は、すべてを優しく撫でる柔らかなものとなり、屋根を打ち付ける様に激しく降り注ぐ雨は、地にあるものを洗い流し真実を露わにする。


 ――奏でるは終焉の幕引きか祝福の開演か。
 それは、心の奥底に潜む真実の想いだけが知っている――。



















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