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4章 死の記憶
4章 8話 神条奈々(7)
 ホムンクルスと目があった瞬間、桜井優は気流に流されている事を忘れ、機械翼への出力を強めた。それは結果的に優に強力な推進力を与え、激しい気流のうねりから離脱する事に成功した。
「新たな亡霊はホムンクルスです! 本隊を全て後退させてください!」
 轟々と耳元でうなる風切り音に逆らい、優は力の限り叫んだ。それで、司令部はようやくホムンクルスの存在に気付いたようだった。機動ヘリは本隊の後ろに控えている為、前線の細かな様子を把握しきれていないのだ。
 白流島から飛び立ったホムンクルスは既に十分な高度に達したようで、優に向かって高速で迫ってきていた。眼下には霧に包まれた白流島。これが高梨市の状況の再現であることにすぐに気づく。ホムンクルスはあの時と同じように優たちを白流島へ落としに来ていると見て間違いない。
「僕が足止めします! その間に後退を!」
 そう言っている間にもホムンクルスが迫ってくる。通信機の向こうで奈々が何かを叫んでいるのが聞こえたが、優はそれを無視して空戦機動に移った。格闘戦を仕掛けてくるホムンクルスに対して、正面から迎え撃つような軌道を描く。同高度から向かってくるホムンクルスに向かって数発の光弾を放つも、その全てが呆気なく避けられた。無理だと悟ってすぐに高度を上げ、ホムンクルスとの軸をずらす。その直後、真下をホムンクルスの放った紫弾が過ぎ去った。
 速い。それが、ホムンクルスへの評価だった。
 上空の積乱雲目指して高度を上げ続けながら、下方から追い上げてくるホムンクルスをチラリと見やって、高梨市の戦いを思い出す。ホムンクルスの脅威は純粋な速度に留まらない。物理法則を無視したかのような独特の空戦機動が最も脅威なのだ。
 背後からホムンクルスが徐々に距離を詰めてくる。優は頃合いを見計らって、急角度のターンを繰り出し、下方のホムンクル目指して急降下を始めた。

◇◆◇

『僕が足止めします! その間に後退を!』
 ヘッドセットから届いた優の声に奈々は唖然とした。解析オペレーターが新たに現れた亡霊のESP波形を過去のそれと照合しているところだが、優の報告通り、ホムンクルスが現れたと見て間違いない。
「許可できない。白流島の付近で戦うのは危険すぎる。一旦、全ての先行隊とともに退避しなさい」
 叫ぶ。しかし、その言葉は優には届かなかったようで、識別子レーダーに映る一つの点が白流島目指して進んでいくのが見えた。小さく呻いて、すぐにヘッドセットに向かって次の命令を飛ばす。
「本隊に通告。ホムンクルス発見の報告があった。これより、こちらで安全を確認するまで無期限に後退を命ずる」
 そしてすぐに通信チャネルを変更する。
「先行隊に通告。本隊との合流を目指し、可及的速やかに白流島から離れなさい」
 しかし、その命令に反するように識別子レーダーの映る先行隊の群れから一つの光点が飛び出した。次いで、それに続くようにいくつもの光点が奈々の命令とは逆にホムンクルス目指して前進を始める。
「何してるの! 早く下がりなさい! 白流島の付近で戦う必要はない!」
『その命令には従えません! ホムンクルスが……桜井さんが死んじゃいます!』
 詩織の悲鳴。珍しく声を張り上げる詩織の様子に奈々は一瞬たじろいだ。機動ヘリからの中継映像がない為、奈々には何が起こっているのか詳しい事がわからない。優は足止めをする、と言っていた。しかし、詩織の言葉から判断するに、足止めさえも難しい、ということだろうか。
 死。戦場にいる詩織が身近に感じてしまったであろうその言葉は無視できないほどの重みを持っていた。逡巡した後に、奈々は近くの解析オペレーターに向かって声を張り上げた。
「機動ヘリを先行隊へ向かわせることは可能?」
「できません。気流が不安定すぎます。時間が経てば更に強い下降気流が訪れる可能性が高く、後退を進言します」
 奈々はすぐにESPレーダーに向き合い、それをじっと眺めた。ホムンクルスが相手であれば、数で押す事は難しい。むしろ、高梨市の時は分隊長格未満の隊員は足手まといになっていた。深く息をつき、決断を下す。
「先行隊の指揮権を桜井優に譲渡する」

◇◆◇

 ホムンクルス目指して急降下を始める優。対して、迎え撃つように下方から高度を上げてくるホムンクルスは失速し始めていた。二人の距離は僅か百メートルにも満たない。優がその間を詰めるのに要する時間は三秒。その短い間に、優は持てる限りの光弾をホムンクルスに向けて叩きこんだ。高速で駆ける景色の向こう側で、ホムンクルスの身体が爆ぜるのが視界に映る。それを確認した後、優はすぐに片翼の出力をあげ、ホムンクルスとの軸を大きくずらせた。
 僅か三秒の攻防が終わり、お互いの高度が入れ替わる。優はそのまま急降下を続け、ホムンクルスは優とすれ違った後、優を追うようにすぐ急降下を始めた。
 焦燥感が募る。先程の攻撃でホムンクルスがダメージを負った様子はない。後ろをとられている現状を考えれば、ホムンクルスに圧倒的なアドバンテージがあると言っていい。
 背後から轟音。優は振り返る間もなく、バレルロールを繰り出した。ロールしながらピッチをあげ、螺旋を描くような軌道をとる。その直後、優が作った螺旋機動の中心を高空から放たれたホムンクルスの紫弾が貫通した。それを視界の隅で確認して鳥肌が立つ。ホムンクルスの狙いは恐ろしく正確なものだった。
 再び高空から轟音とともに強力なプレッシャーが訪れる。バレルロールは危険だ、と判断してブレイクを選択。急旋回し、海面に向かって一直線に落ちていた軌道を水平に立て直す。しかし、その後ろに続くホムンクルスも容易く同じ機動をとり、優との距離を更に詰めてきた。
 ホムンクルスの旋回率は、優の経験に照らし合わせれば異常なものだった。あの速度であれだけの角度をつけて旋回するのは物理的にありえない。
 すぐに背後からESPエネルギーが膨張する気配。バレルロールはおろか、ブレイクも間に合わないと判断する。
「──っ!」
 不意に周囲が明るくなった。それが、ホムンクルスの放ったエネルギー体の放つ微光だと気づいた時、既に優の身体はエネルギー体の中に取り込まれていた。同時に機械翼が停止する。みるみるうちに失速し、優の身体はゆっくりと落下を始めた。
 視界が霧に包まれ、何も見えなくなる。強烈な落下感を覚えながら、優は上体を捻って上方を見上げた。僅か数メートル。そこに、ホムンクルスはいた。優に向かって口からエネルギー体を吐きながら、落下に合わせて一定の距離を保っている。やはり、目的は殺傷ではなく、白流島へ優たちを落とすことのようだった。
 エネルギー体の中、機械翼への出力を強める。しかし、予想通りエネルギー体の干渉が働いているらしく、機械翼が息を吹き返す様子はない。
 ──ならば、取る道は一つしかない。
 優は落下姿勢を制御し、ホムンクルスに向け両手を広げた。両の掌にESPエネルギーが集中し始める。
 優は自らの生存可能性を迷わず放棄し、残された少女たちの強敵となるであろうホムンクルスを片づけるべく、持てる限りの全てを異形の怪物に注ぎ込んだ。


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