2章 ペンフィールドのホムンクルス
2章 20話 長谷川京子(3)
迫りくる亡霊の波に、優は倦怠感を振り払って立ち向かおうとしたが、ESPエネルギーをうまく練る事が出来ず、断念した。既に多量のESPエネルギーを消費したせいで、自由に扱えるESPエネルギーが底をつき始めている。目の前で凛が優を守るように必死に抗っていたが、優はそれに加勢する力を残していなかった。
優はその場に崩れ落ち、周囲の霧を見渡した。エネルギー体が身体に絡みつくように纏わりついてくる。酷く身体が重い。この霧がただのESPエネルギーではない事に気付き、優は唇を噛んだ。
残り少ないESPを攻撃に回そうとするも、上手く制御できない。優のESPエネルギーと周囲のエネルギー体が反発を繰り返し、優のコントロール下から離れていく。
──ESPエネルギー同士が戦っている?
そう考えて、すぐに否定する。これは戦っているというよりも、妨害し合っていると言った方が正しい。周囲に満ちるエネルギー体は何かを調べようとするように優の身体に絡みつき、優の体内から放出されるESPエネルギーはそれを阻止するように、エネルギー体と身体の間に入り込んでくる。
ESPエネルギーの持つ未知の振る舞いに戸惑っているうちに、空から膨大な数の亡霊が舞い降りてくる。優は地に膝をついたまま、力なくそれを見つめた。
空から迫る亡霊群が、優と凛を取り込もうとするかのように上下左右に大きく広がり、雪崩のように肉薄する。迎撃も、回避も間に合わない。
「私は、こんなところで──」
不意に凛が叫んだ。同時に凛から翡翠の光が球状に広がっていき、亡霊を呑み込んでいく。
「──まだ終われない」
神々しい光の波が付近の亡霊を呑み込み、その存在を誇示するように成長していく。優は固唾を飲んで、その攻撃を見守った。
亡霊の群れが崩れ始める。数十を超える亡霊が一瞬で蒸発するようにその姿を消していった。亡霊だけではない。周囲に充満するエネルギー体をも吹き飛ばしていく。
「凄い……」
これが殲滅戦に特化した第六小隊長、白崎凛か、と優は無意識のうちに感嘆の息を吐いた。
凛が悲鳴をあげる。そこで、優は初めて、凛の身体から血が噴き出していることに気付いた。全方位に放出されたESPエネルギーが、凛の身体にまで影響を与えているようだった。
糸が切れたように、凛の身体が突然崩れ落ちる。同時に、凛から発せられていたESPエネルギーの嵐が急速に静まっていく。優は重い身体に鞭を打って、凛のもとまで這い進んだ。そして、傷だらけの凛を抱え上げる。三つ年上の少女は、驚くほど軽かった。
「桜井! 上から来てる!」
後ろから届いた京子の叫び声に、優は弾かれたように上空を見上げた。凛の攻撃で霧が吹き飛ばされて見通しがよくなった上空から、巨大な物体が降下してくるのが見える。優はその物体を凝視した後、自らよりも背の高い凛を抱きかかえ、力の限り地を蹴った。
「先輩!」
「桜井!」
京子と麗が、こちらを援護しようと走ってくるのが視界に映る。しかし、距離がありすぎた。
空から舞い降りた物体を避けきれず、優は凛を抱えたままその物体の下敷きになった。その物体はゲル状の性質を持ち、優と凛を包みこむように広がった。
謎の物体に全身を包まれた優は、その物体を亡霊だと直観的に判断した。その判断を肯定するように、そのアメーバのような物体は優を呑みこもうとするようにもぞもぞと蠢き始める。全身を包む亡霊のあまりのおぞましさに、優は寒気を感じた。
ゲル状の物体が優の身体に巻きつき、その動きを封じ込める。
「桜井さん!」
外からくぐもった詩織の声が聞こえた。優は凛の身体をしっかり抱きかかえたまま、亡霊から逃れようと足掻いた。残り少ないESPエネルギーを一点に集中し、放出する。翡翠の光条がゲル状の亡霊を撃ち抜き、僅かに外の景色が見えるほどの穴が開く。優はESPエネルギーの海の中、助けを求めるかのように空いた穴に手を伸ばした。その手が、誰かに掴まれる。
「桜井君!」
華の声がした。
途端、腕が引っ張られる。そのまま、優は凛を抱きかかえたまま外に引っ張り出された。アスファルトの上に転がり落ちる。
「大丈夫? 怪我はない?」
手を掴んだまま、華が尋ねてくる。隣には詩織と舞もいた。優は何度も咳き込みながら、小さく頷いた。
振り返ると、先程まで優を包み込んでいたゲル状の亡霊が何かを求めるように蠢めいているところだった。攻撃能力は殆ど持っていないらしい。
「これ、何? 亡霊?」
駆けよってきた京子が、その物体を見て眉を寄せる。優は何も答えず、残ったESPエネルギーをゲル状の亡霊に向かってありったけ撃ち込んだ。
◇◆◇
司令部には重苦しい空気が流れていた。
ディスプレイには、依然として高梨市の上空に漂うホムンクルスの姿。出撃した第一から第六小隊の各第一分隊の全てがホムンクルスによって落とされてから五時間が経過した。四時間前に一度、霧の中から発光体が打ち上げられた以外は何の変化も見られない。発光体の放つESPエネルギーの波形から、それが桜井優の打ち出したものであることが判明し、その生存は確認できたが、他は何の手がかりもないままだった。
こういう時、待機するだけというのは精神的な負担となる。奈々は、横で気分が悪そうにしている加奈の姿をちらりと見た。優秀な副官だが、奈々よりも若いせいか、精神的に脆い部分がある。
「報告です。戦略情報局より、経過報告を求める声があがっています」
司令室に入ってきた、若い男が硬い表情で言う。奈々は軽く頷き、退室を促した。
情報統制も限界に近付いている。何の予告もなく街一つが消えたなどと報道すれば、深刻なパニックが起きるだろう。頭痛の種は消えない。
「中心部から強いESPエネルギーを感知しました」
解析オペレーターの緊張した声が、奈々の意識を急浮上させた。高梨市上空に待機させていた機動ヘリから転送されてくる映像にすぐ目を向ける。
画面には、地上に広がる霧の一角が消えていくところが映し出されていた。
一体何が起こっているだろう。
奈々は厳しい表情を浮かべ、機動ヘリに接近を命じた。映像が、ぽっかりと開いた霧の穴に近づく。その時、オペレーターが再び叫んだ。
「ホムンクルスのエネルギー反応低下! 自壊を始めています!」
映像が別の機動ヘリのものに切り替わる。そこに映るホムンクルスは確かに崩壊を始めていた。
「何故……?」
物理的な攻撃を受けた形跡はない。霧の中で起こった何かが、ホムンクルスにも影響を与えたのだろうか。
──それとも、既に戦術目的を達成し、存在意義を失った?
「神条司令、霧が! 霧が晴れていきます!」
加奈の驚愕の色を帯びた叫びに、奈々は思考を中断した。
霧が、晴れていく。地上に高梨市の姿が薄らと浮かび上がり始める。そして、通りに映る何人かの人影。光のない街で、機動ヘリから投影されたライトを眩しそうに見上げている。
──いや、戦術目的の達成が困難だと判断し、撤退した?
司令部に喜びの声がこだまする。しかし、奈々は浮かない顔で、思考を続けた。
──そもそも、亡霊がペンフィールドのホムンクルスを模していたのは何故だ?
──亡霊に高度な知恵があることを誇示する為? 亡霊が人間の頭脳を既に解析していることを誇示する為? 亡霊が人間の文化を熟知していることを誇示する為?
分からない。それが、奈々にはたまらなく恐ろしかった。亡霊と戦えば戦うほど、その不可解な行動に悩まされる。そして、いつも一つの結論に辿りつくのだ。
──亡霊は、人間より遥か高位の存在で、私たちにそれを理解する術はない。
◇◆◇
空が見えた。黒く、何も映さない夜空。しかし、それが京子には酷く懐かしく思えた。
霧は既に晴れ、亡霊群の攻撃はぴたりと止んでいる。全てが夢だったのではないか、と思うほどに街はひっそりとしていた。
あれは、一体何だったのだろう。亡霊が結局何をしたかったのか、京子にはよくわからなかった。優があの良く分からないいゲル状の物質を吹っ飛ばした途端、全てが終わった。あまりにも、突然の出来事だった。
しかし、元より亡霊はそんなものだ、と思っていた為、別段気にもならない。ただ、今は自らの力量不足に呆れていた。
「何が中途半端、なんだか」
──そういう中途半端なの、誰も得しないよ。そうやって、その場だけ繋いでも後で後悔するだけ。
麗に放った言葉を思い出して、京子は苦笑した。あれは、自分自身に対して向けられた軽蔑の言葉だったのかもしれない。
無我夢中で後を追って、人に説教して、まるで第三者を装って、必死に自分の気持ちを隠して、最後は結局何も出来ず、馬鹿みたいだ。誰かのように真っすぐな訳でも、誰かのように強い訳でもない。亡霊よりも、自分が一体何をしたいのかが不思議で仕方がなかった。
「本当に誰も得しないなぁ、これ」
機動ヘリのローター音が夜空に響く。
京子は重い身体を引きずって、傍で華に抱かれてぐったりとしている少年の元へと向かった。
「お疲れ」
優の顔を覗きこむように、その場で屈みこむ。
優は京子の存在に気付くと、疲労の混じった笑みを浮かべた。
「お疲れ様」
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