2章 ペンフィールドのホムンクルス
2章 10話 望月麗(3)
「これ、すっごく可愛くないですか?」
昼食を終え、二人は適当に大通りを散策していた。
アクセサリーの並んだウィンドウを見て、麗が歓声をあげる。
「ん、どれ?」
「あれです。翡翠色の細工が入った指輪」
照明に照らされて明るく輝く、しかしながらあまり主張しすぎない指輪を麗が指差す。
可愛い、というよりも綺麗だと優は思った。
値段は少し高めだが払えないこともない。しかし、知り合って間もない少女に指輪をプレゼントするのは憚れた。
優は慎重に言葉を選んで、麗の意見に同意した。
麗も買ってもらおうとまでは期待していなかったようで、同意を得られた事に満足して再び足を進めた。
「つ、次は向こうのお店見たいです!」
そう言って、麗は優の手をぎこちなく取って、駆け出した。
「わっ」
急に引っ張られ、驚きの声を出す。暖かい麗の手は不自然なほど固くなっていた。
――絶対無理をしてるよなぁ。
映画などはただ並んで見ているだけだった為に何も感じなかったが、買い物を始めてから麗は明らかに不自然な言動を繰り返していた。緊張している、というよりも、無理に親密になろうとしている印象を受ける。
違和感を覚えながらも、優はそのまま何も言わず、買い物に付き合った。
「先輩、少し休みませんか?」
太陽が傾き、街が鮮やかなオレンジ色に染まった頃、不意に麗が切り出した。
「だね。少し疲れたかも」
優はこの付近の地図を思い浮かべ、休める場所を探した。しかし、優が知る休憩ポイントはどれも少し歩かなければならない。
「……あ、あの。私良い休憩場所知ってるんですが、ついてきてもらっていいですか?」
どこで休もうかと少し悩んでいると麗が歯切れの悪い口調でおずおずと提案を出してきた。
特に良い案があった訳でもなかった為、軽く頷く。
「こっちです」
麗がぎこちない動きでまた優の手を握り、駅とは逆方向へ歩き出した。
何だかずっとリードされてるなぁ、と苦笑する。しかし、優自身経験が豊富な訳ではない為、無理に見栄をはることなく後に続いた。
「この辺りはよく来るの?」
歩き慣れた様子の麗に、疑問を投げ掛ける。
「割りと」
「もしかして地元?」
「……いえ、私は名古屋出身です」
「じゃあ、入隊してから良く来てるのかな」
「ですね」
さっきまでとは違う、少し上の空のような麗の返答に優は首をかしげた。少し歩調をあげ、麗の顔を遠慮がちにのぞきこむ。夕陽に照らされた麗の幼い瞳は憂いを帯び、どこか大人びているように見えて、優は少しドキりとした。二つ年下とは思えないほどだった。
何となく声をかけるのが憚れて、黙りこむ。風に揺れる麗のツインテールをぼんやりと眺め、優は麗の歩調に合わせ歩き続けた。
遠くからサイレンの音が響く。赤く染まった景色と、使い古されたサイレンの音が妙にノスタルジックな気分を思い起こさせた。
昔、この音を聞いた事があった。古い記憶が蘇る。血のように真っ赤な夕陽が部屋に差しこみ、その中で女が泣いていた。響くサイレンの音。喧騒。それらが優の不安を強く煽った。女はそんな優の不安を和らげようとするように優しく抱いて、大丈夫だから、と何度も囁いてくれたものだ。しかし、優しく抱き締めてくれた母の細い腕も恐怖に震えていた事を優はしっかりと覚えている。後になって思えば、あの『大丈夫』という言葉は優に向けられたものではなく、自身に言い聞かせる為のものだったのではないかと思う。だから、私は――――私?
鋭い痛みが頭を走った。私、とは誰だ。当時幼かった自分の一人称は私だったのだろうか。思い出せない。頭の中が混濁している。遠い過去の記憶は靄がかかったように不明瞭で曖昧に満ちたものだった。
不意に喧騒が耳に入り、思考が乱れる。それをきっかけに、優の意識は現実へと急浮上していった。視界をきらびやかなネオンの光が覆う。
そこは優の知らない場所だった。テレポーテーションをしたような不思議な感覚に一瞬だけ襲われる。一体どれくらい歩いたのだろう。
小さく首を横に回すと、そこにはさっきと同じように麗の顔があった。しかし、憂いを帯びた雰囲気はなりを潜め、僅かに緊張した様子の顔をしている。そこで優は繋がれた麗の手が若干汗ばんでいることに気付いた。自分も少し汗をかいているかもしれない。そう思うと少し気恥ずかしくて、優は視線を麗から背けた。辺りには20前後のカップルが目立つ。そこで優は異変に気付いた。カップルが目立つというよりも、カップルしか見当たらない。優たちはいつの間にかホテル街に迷いこんでいた。その事に気付き、ギョッとする。
「先輩」
不意に麗が歩みを止めた。
繋がれた手が離れ、手から暖かみが消える。
麗はくるりと踊るように振り返り、大きく息を吸った。
「ここで休憩しませんか?」
はっきりと、麗はそう言った。
「ここ、って――」
麗が立ち止まったのは、ラブホテルの前だった。つまり、そういう意味合いなのだろう。
「……あんまり説教みたいなことは言いたくないけど、僕たち知り合って間もないよね。もう少し自分を大事にしたほうが――」
年上として、やんわりと断りをいれようとした時、麗が叫んだ。
「よく考えた上での判断です。遊びとかそんなんじゃありません! 私、本気です!」
夕陽が逆光になっていて、麗の表情はよく見えない。しかし、声は決心に満ちたもので、麗が真剣なのだとわかった。
「先輩、好きな人いるんですか?」
「……いや、いないよ」
「じゃあ――」
麗が一歩踏み出す。
「――私を好きになってください」
更に麗が一歩踏み出した。二人の距離がゼロになり、甘い香りが優を包み込む。
優は驚いて目を見開いた。唇に柔らかな感触が触れる。そして、夕陽のように赤く燃える麗の顔がそっと離れた。
「私じゃ、ダメですか?」
――何故、こんな顔ができるんだろう。
数日前に麗から告白された時もそう思った。断った時、彼女は本当に悔しそうな顔をして――
会って間もない人に対して、果たしてここまで一生懸命になれるものだろうか。少なくとも自分には無理だ、と思う。
「先輩」
麗の透き通った声が響いた。
茶色がかった大きな瞳が優を射ぬく。その瞳に吸い込まれるような錯覚に優は陥った。
ダメだ と思う。既に流されている。拒絶する力は優に残されていなかった。
「答えを、聞かせてください」
喉がカラカラだった。
鼓動が早い。
唾を飲み込む音が妙に大きく聞こえた。
反対に、周りの喧騒は聞こえなくなっていく。
優は答えを出す為、口を開き――
その時、けたたましいアラートが優と麗の両方から響いた。甘い雰囲気が一瞬で吹き飛ぶ。
優と麗は反射的に音の発生源である端末を取り出した。
――緊急出動命令。
脳裏に数時間前に感じたESPエネルギーの異常な膨張がよぎる。
優は麗を見た。麗が無言で頷く。二人は一斉に赤く染まった街を駆け出した。
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