姫野雪の右手に翡翠の光が灯り、倒れたまま動かない凛へ向けられる。
優はそれを眺めながら、歯を食いしばって両手を床についた。
身体が軋みをあげ、激痛が優を襲った。
優はそれを無視して、ゆっくりと立ち上がった。
この信号は、無意味なものだ。
桜井優は、人間ではない。
例え骨が折れようとも、心臓が止まろうとも、脳が活動を停止しようと、それはESPエネルギーが人の動きをシミュレートしたものに過ぎない。桜井優、という存在は死なない。
優は自分が人であることを強く否定しながら、苦痛に抗って両足で地に立った。
あまりの激痛に、意識が遠のきそうになる。
苦痛から逃れる為に、優は自分自身を造り変えていった。
存在理由に従い、他の全てを切り捨てていく。
桜井優という外殻が、崩壊していく。
「お前、何を――」
姫野雪が振り返り、顔を驚愕の色に染める。
優は自分の身体が静かに崩壊していくのを感じ取りながら、突撃槍を手に、床を蹴った。
雪を守るように、異形の怪物が前に出る。
「まさか、貴方も人では――」
山田茂雄の言葉を無視して、優は突撃槍を叩きこんだ。怪物の腕がそれを受けとめる。優はすぐに突撃槍を分解して、左手に新たな突撃槍を創りだし、振り抜いた。
「貴方は、一体何なんだ!」
再び、怪物が攻撃を受けとめる。優は更に突撃槍を分解して、今度は無数の蝶々を至近距離から放った。
怪物の顔が、驚きに歪む。
蝶々の群れが爆発し、その衝撃が優と怪物を襲った。
怪物は衝撃に押され、態勢を崩して床に転がる。対して、生身の優は至近距離の爆発によって、腹部に致命傷を負っていた。鮮血が零れ、床に血だまりを作りだしていく。
しかし、優は止まらない。瞬く間に外傷が消え、突撃槍を手に、怪物へ迫る。そして、態勢を崩した怪物へ突撃槍が振り下ろされた。
「無駄だ。戦闘に特化したこいつに、お前は勝てない!」
雪の声。
怪物の外皮が、貫通することを許さずに突撃槍を弾く。
その間に、怪物が倒れたまま腕を大きく振るう。無防備な優の両足に直撃し、優が転倒した。
「貴方は、私に勝てない!」
怪物が叫び、立ち上がる。そして、起き上がろうとした優に向かって両腕を振り下ろした。
嫌な音ともに、優の背中が潰れる。口から血が零れ、背中から骨が突き出す。
どう見ても致命傷だった。
にも関わらず、桜井優は立ち上がった。何事もなかったように、優の身体が再生を始める。
「何なんだ、貴方は!」
怪物が動きを止め、叫び声をあげる。悲鳴かもしれなかった。
優は無言で突撃槍を創りだし、再び怪物へ肉薄する。
怪物に、優の攻撃は届かない。純粋な戦闘能力では、明らかに優が劣っていた。
しかし、優は何度攻撃を受けても亡霊のように立ち上がり、怪物へ立ち向かった。
「再構成を繰り返して、無事に済む訳がない! 桜井優! お前、このままでは――」
雪が叫んだ時、これまで一度も外傷に至ることがなかった突撃槍が亡霊に突き刺さった。
怪物が咆哮をあげる。
優はすぐに突撃槍を分解して、新たに創りだした突撃槍を突き出した。強固な外皮を打ち抜いて、突撃槍が怪物の腹部に深く突き刺さる。
身体が熱かった。
急速に力が湧き起こり、優を突き動かす。
「貴方は、亡霊なのか」
突撃槍を引き抜いて、怪物が突進してくる。
優はゆっくりと右手を怪物に向けた。
不可視の波が怪物の突進を妨げ、その巨体をゆっくりと宙へ持ちあげ始める。怪物は為すがまま、見えない力によって中空に釘付けとなる。
「桜井優! これは、お前の力ではないな!」
何かに気付いたように、雪が叫ぶ。
「亡霊か! どういうことだ! 何故、桜井優に力を与え続けている!」
雪の怒声を無視して、優は宙に浮かんだ怪物に向かって力を込めた。
みしみしと巨体が軋み始める。
怪物が何かを叫ぶ。
優はじっとそれを眺めながら、力を込め続けた。
巨体が見えない力に圧縮されるように、その形を歪に変えていく。
怪物が、潰れていく。
「何故、邪魔をする! 何が望みだ!」
雪が喚く中、遂に怪物の身体が圧縮に耐えきれなくなったように、一部が大きく裂けた。何かが外皮を突き破り、鮮血が撒き散らされる。人と同じ、赤い血だった。怪物は意味を為さない悲鳴を上げ続けている。
優は右手を怪物に向けたまま、左手に突撃槍を創りだした。
無言で、怪物に向かって疾駆する。
「結局、貴方が言いたい事、よくわかりませんでした」
優はそう言って、突撃槍を突き刺した。
怪物の動きが、停止する。
優は突撃槍の穂先に、ESPエネルギーを送り込んだ。
怪物の身体が膨らみ、爆発する。
肉片が撒き散らされる中、べったりと血に濡れた優はゆっくりと天井を見上げた。
どこからともなく、力が流れ込んでくる。
ESP能力の一斉発現が起こっているようだった。
同時に、何かが崩壊を始めるのがわかった。
優は呆然と立ち尽くしている雪に目を向けた。
「どうやら、亡霊は姫野さんを捨てたみたいですね」
雪は、馬鹿な、と呟きながら額を抑え、その場に蹲った。
「私だけではない。亡霊は、亡霊そのものを切り捨て始めている。白流島を構成するESPエネルギーそのものが、ESP能力者たちに渡り始めている」
優は、じっと自身の手のひらを見つめた。
「これが、亡霊の目的ですか?」
自分自身が書き換えられていくのがわかった。
今までの存在を押し流すほどの、多量のESPエネルギー。
それが、流れ込んでくる。
桜井優という核を残したまま、存在理由が書き変わっていく。
「この為に、闘争が続けられてきたんですか?」
桜井優を構成する細胞が、亡霊そのものに移り変わっていく。
その人格を残したまま、桜井優を別の存在が呑み込んでいく。
視界が白く染まる。
そして、優は見た。
光の中に、影があった。
影は、いつか見た母の姿をしていた。
優の理解を超えた方法で、影は語りかける。
映像が、浮かんだ。
「それで、桜井優は完全なイレギュラーで決定したんだろう? 道理で、ユニットの数が合わない訳だ。初めは、お前のミスかと思ったよ。ああ、エネルギーの総量は、変わらない。彼は、限られたリソースを徐々に支配していっている訳だ。このままお前がユニットの投下を続ければ、彼はお前という存在そのものを支配するだろう。別の存在になるわけだ」
雪と何かが話している。
「そう。人間の細胞は時間をかけて全て入れ替わる。それでも、人はそれを同一個体とみなす。連続性の問題だ。前のは、違ったな。離散的な考え方だった。世代という概念があれば、社会形成に大きな影響を与えるようだ。この国にはそれを発端にした家制度というものがあって、個体群はそれに支配されていた。人は家という生物の生殖細胞でしかなかった。ああ、明確な敷居値はない。お前には理解できないだろう。人の考えはあまりにも曖昧だ。状況によって、意味が決定する。シミュレートは難しい」
場面が、変わる。
母親が、まだ幼い我が子を抱いている映像だった。
映像が、変わる。
見た事もない惑星。
大きい何かが、小さい何かを守っていた。
映像が、変わる。
目まぐるしく、様々なシーンが浮かんでは消えていく。
リレー。
バトンが渡される。
遺伝子の螺旋。
赤ん坊。
「これってどういう意味か分かりますか?」
「レゾンデートル。フランス語で存在理由、存在意義を意味します」
優と凛の会話。
「白崎さんは、亡霊をどういう風に捉えていますか?」
「どういう風、とは?」
「亡霊って何なんでしょうか?」
「敵です。少なくとも、亡霊は我々の敵になりたがっています」
場面が飛ぶ。
「では、問い返しましょう。人間とは、一体何なのですか」
雪の言葉だった。
「……わからないです」
「そう、わかりません。何なのか、という疑問は人間的な価値観に対する懐疑に過ぎない。普遍的な価値観が根付いていない対象物に、その問いは無意味です。亡霊はただあるだけです。ただ、存在しているだけなのです。意味なんてありません。でも、私たち人間は時間を構造化し、事象を再構成して、離散的な空間を連続した意味のある情報として処理します。では、亡霊とは何なのでしょうか。人がうたかたの時空の隙間に見た幻? それとも、社会が産み出した共同幻想?」
場面が変わる。
宇宙空間。
別の存在と交戦し、情報を更新していく。
別の場面。
「第三の可能性として……」
凛の躊躇するような声。
「亡霊自身が死を望んでいる可能性。不合理な戦闘の結果として亡霊の多くは死滅します。ただ死にたいだけならば更に不合理な方法を取るべきですが、そこに何らかの美学、例えば同戦力の相手に全力で殺される、といったものが存在するならば亡霊の行動特性に納得がいきます」
また、場面が変わった。
どこかの林。
そこに、ころころと笑うような雪の声が響く。
「オーディンは北欧神話と呼ばれる作り話に出てきた一人の神の名前だ。この場合の神とは、そう、高き者のこと。オーディンは知を得る為に、自らの身体を犠牲にする。彼にはある婉曲な呼び名が用意されていた。それは、"旅路に疲れたもの(ガングレリ)"」
カラスが、羽ばたいていく。
そこで、映像が終わった。
光の向こう。
影が、光の中に溶けていく。
優だけが、光の中に取り残される。
優は目を瞑って、全てを受け入れようとした。
光が、優の中へ吸い込まれていく。
「桜井優!」
雪の言葉。
目を開けると、いつの間にか周囲の霧が消えていた。
雪が混乱したように叫ぶ。
「一体、何が起きている?」
優はじっと雪を見つめて、目を伏せた。
「終わったみたい」
「何がだ!」
「全部。闘争が、終わった」
優はそう告げて、雪を見つめた。
「最後に、姫野さんが残ってたね」
優はそう言って、雪に手をかざした。雪が怯えた様子を見せる。
「大丈夫。一人には、しないよ」
告げると同時に、雪の形がみるみるうちに失われていく。ESPエネルギーに還元された彼女は、優の中へ吸い込まれていく。
痛みも、苦しみもなく、存在を呑み込んでいく。
そして、姫野雪と呼ばれた存在は、跡形もなく消えた。
優は暫くぼんやりと中空を見つめた後、思い出したように床に倒れて動かない凛に目を向けた。
屈みこんで、凛の手首をそっと掴む。
生きている。
優は立ち上がり、それから目を瞑った。
無数の存在が、感じられる。
無数の思考が、感じられる。
そして、白流島のような巨大なESPエネルギーの塊はもう感じ取れない。
廊下にポツリと残された優は、ゆっくりとエントランスへ向かって歩き始めた。
照明が点灯する。
空調の音が、復活した。
世界は、ゆっくりと日常へと還っていく。
優は、傷だらけになった白亜の廊下をゆっくりと進んだ。
酷く疲れていた。
遠くから、サイレンが聞こえる。
前方から物音。
陸上自衛軍らしき集団が、小銃を構えて廊下の奥から向かってくる。
優の存在に気付いた一人がエントランスへの案内を申し出たが、優はそれを断った。
エントランスホールに出ると、一階には陸上自衛軍の部隊が展開していた。
騒音の中、優は一階に下りて、騒ぎの中を通りすぎていった。
外に出る。夜明け前の冷たい空気が優を包んだ。
エントランス前には、陸上自衛軍の車両が並んでいる。
その中に、一台だけ黒い乗用車があった。ドアが開き、華秋院彰が姿を現す。
優は足を止めて、じっと華秋院彰を見つめた。彼は、ESP能力に目覚めていた。彼の意思が流れ込み、その意図をすぐに理解する。
「迎えに参りました。中将が、貴方を待っています」
遅れて、彼の口から言葉が零れた。
優は瞑目し、白い息を吐く。
「遠い昔。僕が僕じゃなかった頃。母と山に行った事があります。綺麗なアゲハ蝶がいて、いつまでも追いかけていました。そんな僕に、母が苦笑しながら言いました。綺麗なものに目を奪われ続けていると、迷子になるよって」
早朝の寒空の下。優の独白に、華秋院彰は黙って耳を傾けていた。
「あの頃は、全てがはっきりしていました。正義があって、悪がありました。絶対的な大人がいて、無知な僕達がいました。でも、段々と全てが曖昧になって、色々な尺度が無意味になっていきます」
「獲得した意味を失っていくことこそが、成長でございます。そして、死へ至るのでしょう」
華秋院彰が恭しく頭を下げる。
優は何も言わず、暁の空を見上げた。あれほど輝いていた星々は、薄れて見えない。
「随分と遠くに来ちゃった」
呟きは、暁の空に溶けていく。
「終わりがあると思っていました。勝利があって、敗北があるんだって」
「終わるか、続くか。世界には、二択しかございません」
「うん。だから、これから続くのは僕だけにしようと思います。皆には一時の終わりが訪れて、新しく何かが始まる。そうすることに、決めました」
優は、右足を一歩前へ進めた。朝露に輝く草々が、さくり、と音を立てる。
「さよなら」
最後に背後の本部を見上げてから、優は黒い乗用車に乗り込んだ。運転席に回った華秋院彰がエンジンをかけ、心地良い振動が車内を包む。
「桜井様。私は、貴方の軌跡を最後まで見届けたい」
バックミラー越しに、華秋院彰が言う。
優は柔らかな微笑を浮かべ、ありがとう、と一言返すと、それっきり口を閉ざした。
最後に、目を瞑る。
そして、彼は観測を始めた。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。