夢を見る。
あまりにも多くの夢。
奇妙な生々しさを持った誰かの記憶。
闇に沈んだ意識の代わりに誰かの意識が入ってくるように、絶え間なく夢が廻る。
全ての境界線が曖昧になって溶けていくような、奇妙な感覚。不思議と、心地が良かった。
まどろみの中、誰かが呼ぶのがわかった。
もう、行かなくちゃ。
そして、桜井優の意識はゆっくりと浮上していった。
「桜井くん。風邪引くよ?」
華の声。
優はゆっくりと瞼を開けた。
自分の部屋。
テーブルでうつ伏せになり、いつの間にか眠ってしまったようだった。
重い頭で部屋を見渡すと、隣で詩織が丸くなって寝入っているのが見えた。その向こうには、壁に寄りかかり寝息を立てる凛の姿がある。
イーグルを殲滅した後、四人でささやかな打ち上げをやった事を思い出す。夜が明ける前に出撃命令が来たため、いつの間にか眠ってしまったようだった。
目を擦り、壁時計に目を向ける。十二時を回ったところだった。
「ね、桜井くん」
華の手が、優の手に重なる。
「あれ、やって」
「あれ?」
「ほら、てれぱしー!」
優が首を傾げると、華は補足するように言葉を続けた。
「なんだか、心が一つになったみたいで、凄く嬉しくって、温かくて、心地がよくて、お願い」
奈々も同じような事を言っていた事を思い出しながら、ESPエネルギーを練る。
全ての感覚が遠のいていくような感覚の後、境界が崩れ、何かが繋がる気配。
宙に漂っているような、奇妙な浮遊感。
そして、優と華はESPエネルギーを通して繋がった。
華がにこりと笑うのがわかった。
直後、冷やかな声が響く。
「何をしているんですか?」
驚き、一瞬にして華との繋がりが切れる。
そしてゆっくりと振り返ると、ジト目の詩織と目が合った。
「詩織ちゃん、起きたんだ。おはよう」
にこやかに華が言う。
「おはようございます」
詩織は無表情で小さく頭を下げ、それから小さく背伸びした。
「お昼、どうしますか?」
「僕は食堂行く予定だったんだけど、皆はどうする?」
「私も食堂にする」
「私も、そうします」
二人が頷くのを見てから、優はまだ寝入っている凛に目を向けた。
普段の切れ長な双眸は穏やかに閉じられ、濡羽色の髪が目元にかかり、揺れている。
いつものどこか鋭利な雰囲気は払拭され、酷く無防備な姿がそこにあった。
思わず見入ってしまった優の横を通り、華が凛の肩を優しく揺する。
「白崎さん。もうお昼です」
凛の瞳がゆっくりと開く。優は正面から凛の顔を覗きこみ、にこりと笑った。
「おはようございます」
ビクリ、と驚いたように凛の身体が震え、それから状況を確認するように周囲を見渡す。
「もう、お昼みたいです。僕たちこれから食堂に向かうつもりなんですが、凛さんはどうしますか?」
「……よろしければ、私もご一緒させてください」
「はいっ」
優はまだ眠そうな凛に向け、手を差し伸べた。凛の手が、ゆっくりとそれに重なる。つい先ほどまで寝ていたせいか、凛の手はとても温かった。
その直後、玄関の方から京子と麗の声がした。
「桜井! お昼行こ!」
「せんぱーい!」
凛が煩わしそうに顔を歪ませる。
「……全く、騒がしい」
優は苦笑して、凛の手をとったまま立ちあがった。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
「うん」
「ええ」
空いた手に、誰かの手が絡まる。
そして、優たちは賑やかな玄関に向かって進んだ。
◇◆◇
「はじめまして。中将の代理として参りました、白崎蘭です」
長い濡羽色の髪を持つ女は、にこやかに笑ってそう自己紹介した。
それを迎えた神条奈々は、なるほど、と蘭を見つめた。
「中将の出入りが激しいと目立つが、中隊員の実姉なら面会という形を保持できるということか」
「それに、中将は多忙の身です」
蘭はそう言って、笑みを引っ込めた。
「さて、本題になります。不死鳥が過半数を獲得しました。今後、我々は不死鳥に対する攻撃を開始しますが、まだ準備期間が必要です」
「根回しにまだ時間が? それとも、調整の問題?」
「調整の問題です。制服組の若手を抑える事に随分と苦労されているようです。分裂すれば、終わりですから」
「統制には暫く時間がかかるか。中部航空方面隊の、山岡中将は勝つ方につくと話されていた」
「賢明です。うわべだけの愛国心に振りまわされるなど、愚の骨頂。大衆を操作する道具に、人の上に立つ者が惑わされてはいけない」
奈々は何も言わず、蘭を見つめた。
「社会党と共産党が、反不死鳥に動きます。これに引っ張られる訳にはいかない。我々は、この段階で動く事を許さない。制服組に不審な動きがあれば、速やかにこちらへ連絡を。敵は、不死鳥ではありません。防諜を破壊する蒙昧な駒こそが、最大の敵です」
「理解している」
奈々は頷きながら、ああ、と思った。
政治不信が高まり続けているものの、クーデターが起こるほどこの国はまだ腐り落ちていない。なのに、何故このタイミングで、と奈々はずっと疑問に考えていた。
ようやく、理解した。腐り落ちてからでは、統制が不可能なのだ。切羽詰まった状況になれば、把握できないほどの勢力によって分裂の連鎖が始まる。些末な対立から、全ては崩れていく。
危機感が蔓延してからでは、遅いのだ。各々が独自の正義を導き出す前に、一つの大きな正義の下に集めなければ、手遅れになるのだ。
「不死鳥の崩壊によって、危機的な状況が演出されます。同時に、中央から強烈な働きかけを行う。そして、人々は強烈な指導者を求める事になる。細かなシナリオについては、また後日ご連絡します。今日は、制服組の暴走に注視するように、という連絡だけです」
そう言って、蘭は立ちあがった。あまりにも短い面談に、奈々は唖然とした表情を隠す事ができなかった。
奈々の顔を見て、蘭が説明するように言う。
「中将の代理、というのはついでです。今日は、妹に会いに来たんです」
微笑んで、蘭は静かに部屋から出て行った。
◇◆◇
昼食を終え、優と七人の少女は食堂を出た。
ここ数日ですっかり馴染みとなった集団は、騒がしく話ながらエントランスホールに出る。
そこで、桜井優は足を止めた。向かい側の通路から、スーツ姿の見知らぬ女性が出てきたのだ。来客だろうか、と考えながら、小さく頭を下げる。
「誰?」
愛の率直な疑問が後ろから届く。
女は優達を見つけると、親しみの籠った笑みを浮かべ、近づいてきた。どこかで会った気がした。
「やあ、久しぶり」
女はそう言って、片手をあげた。女の視線の先には、呆然と立ち尽くす凛の姿があった。
優が困惑したように女へ目を向けると、彼女は優達に向き直り、どうも、と笑みを浮かべた。
「君達は凛の友人かな? いつも、妹がお世話になっている。私は彼女の姉、白崎蘭だ」
驚いて、凛に目を向ける。凛は驚いたように呆然と立ち尽くしていた。
「いえいえ! いつも逆にお世話になってばかりで!」
「あのぉ、じゃあ私達はこれでぇ……」
蘭の言葉に華がぶんぶんと腕を振り、千夏が気を利かせて凛を一人にしようとする。
凛は蘭を見つめて動きを止めたまま何も言わない。
少し躊躇した後、凛以外の少女たちは二人の家族を残して、寮棟に繋がる通路へ歩き始める。優もそれに続こうとしたが、凛の様子がおかしい事に気づいてその場に留まった。
「久しぶりだね、凛。それに桜井くん。前に会ったのは確か、病院の駐車場だったかな? そう、クリスマスだった。覚えているかな」
「クリスマス? あ、上田中将と一緒にいた……」
優が記憶を手繰り寄せると、蘭は嬉しそうに笑った。それから、凛に目を向けて不思議そうな顔をする。
「凛? 気分が悪いのか?」
蘭の手が、凛の手首を掴む。凛の肩が小さくビクリと震えた。
「脈拍が随分と高い。緊張しているのか」
その行動に、優は目を瞬かせた。
「あの、お姉さんは、看護師さんですか?」
「いいや、研究者だ。防衛研の開発チームに参加している。カルネアデスの舟板。あれを創ったチームだ」
「――今、何と言った?」
立ち尽くしていた凛が、蘭の口にした単語に反応する。
「カルネアデスの舟板の開発チームに参加している、と言ったんだ。凛、君はESPエネルギーを崇高な何かだと考えている節がある。でも、カルネアデスの舟板が証明したように、ESPエネルギーは神の領域に位置するものではない。君は、人間から高位の存在に変化したわけではない。わかるね?」
諭すように、ゆっくりと蘭が言う。そこで初めて、凛の顔に感情らしきものが宿った。
「そうか、お前が、あれを、やはり……」
「凛。君は、人間なんだ。無理して、亡霊と戦う必要はない。あんな得体の知れない怪物は、機械が相手をすればいい」
そして、蘭は手を差し出した。
「さあ、帰ろう。父さんが、待っている。最近、調子が悪いんだ。実は、いつまで持つかわからない」
蘭の顔に強い疲労の色が広がっている事に、優はそこで初めて気づいた。同時に、凛の顔に苦渋の色が広がっていく。
「……私は、帰りません」
短く、しかしはっきりと凛は告げた。
「凛……」
蘭が窘めるように言う。凛は小さく首を横に振った。
「私の居場所は、ここです。私はこの闘争の行方を、最後まで見届けたい。近いうち、休みがとれれば父には顔を見せます」
それだけ言って、凛は優の手を握った。そして別れの言葉もなく、蘭に背を向けて歩き始める。
「凛さん?」
凛は何も言わず、優の手を引いて寮棟に繋がる通路へ足を進める。困惑したまま振り返ると、蘭が寂しそうに立ち尽くしているのが見えた。
「たまに、自分の愚かさに眩暈がします」
歩きながら、ポツリと凛が呟く。優は手を引っ張り続ける凛をじっと見つめた。
「一体どうしたんですか?」
角を曲がった所で、凛はようやく足を止めた。そして、優を見下ろす。
「以前、私の天体観測にお付き合い頂いた時、桜井様は母に捨てられ、寂しかった、と仰いました。私も、そうでした。どこまでも完璧な姉によって、私の存在は覆い隠され、誰も私に注目する者はいなかった。ずっと、寂しかった」
凛は自虐的に小さく笑った。
「姉を、怨んでいたのです。あれほど完璧な存在なのに、私が抱える劣等感には一向に気がつかない。逆恨みです。そうすることでしか、私は自己を保つ事ができなかった。だから、姉が持たない才覚を、ESP能力を得た時、歓喜しました。神の力を得たのだ、と思いこみたかったのです」
でも、と凛は諦めたように目を瞑った。
「でも、違いました。ESP能力は、人の領域に位置するものに過ぎなかった。私はまた、姉に負けた。でも、今はそれでも構わないと思います。何故か、わかりますか?」
凛は穏やかな笑みを浮かべ、優の頬をそっと撫でた。
「私の存在理由は、姉を超える事から貴方に付き従う事に変容していたからです。姉の事を、それがどうした、と無視することはいまだに叶いません。ですが、少しだけ、向き合えるようになった。昔の私であれば、姉の言葉など聞き入れなかった。父に会おうなど、思わなかったでしょう。この歳になってようやく、反抗期の出口が見えてきた。あまりにも幼稚で、愚かだと思いませんか?」
そして、凛の顔が優の耳元に寄せられた。
「姉も、才覚も、寂しさも最早どうでもいい。勝ち負けなど、どうでもいい。私は、貴方の軌跡を見届けたい。貴方を、支えたい」
そして、凛は囁いた。
「狂おしいほど、お慕いしております」
凛の柔らかい唇が、優の口元に重なる。
廊下の壁に背中を抑えつけられ、凛の腕が首元に蛇のように巻き付き、優の動きを封じ込める。
優は突然のことに、反応することができなかった。
「何、やってんの?」
視界外から、低い声が響いた。
凛の唇が離れると同時に、声のした方を振り向く。
無機質な白亜の廊下。その先に無表情で立つ長谷川京子の姿があった。
「心配になって戻ってきてみたら……」
京子がそう言って、詰め寄ってくる。対して、凛は悪びれる様子もなく、正面から京子の視線を受けとめた。
「何か問題が? 私達は、交際関係にあります」
そう言って、凛は再び優に唇を押しつけた。直後、舌が侵入してくる。
優は驚いて、声にならない呻き声をあげる事しかできなかった。その声を抑えつけようとするように、凛が貪るように舌を動かす。
「ややこしい関係なんだから、そういうのは人前では控えてって言ったでしょ!」
京子が怒鳴り声を上げ、優の肩を掴んで凛から無理矢理離す。つー、と唾液の糸が伸び、京子は忌々しそうにそれを手で引き裂いた。
「ああ、そうでしたね。失礼。少し、抑制が外れました」
凛は口元を拭いながら、薄い笑みを浮かべる。
「私は、これから第六小隊内での勉強会があります。失礼」
そう言い残し、長い濡羽色の髪を翻して、凛はゆっくりと去っていった。
凛の後ろ姿に目を奪われていた優の前に、ずい、とハンカチが出される。
「桜井! ほら、これ」
優は反射的にハンカチを受け取って、それからキョトンと京子を見つめた。苛々したように京子が言葉を続ける。
「口、拭って。汚いでしょ」
それと、と京子は思い出したように言う。
「……今日私の番だから。七時半になったら、部屋に来て。待ってるから。忘れないでね」
そう言い残し、京子が駆け出す。
残された優は、じっとハンカチを見つめた後、言われた通りに口を拭った。控えめな甘い香りが、優に纏わりついた。
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