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4章 死の記憶
4章 27話 神条奈々(11)
 長井加奈が司令室から出て行った後、神条奈々はディスプレイに映る桜井優をじっと見つめた。ひらひらと舞う蝶々。幻想的な光景の中心に立つ少年。どこか現実離れした映像を何度も再生する。
 ――救世主。
 桜井優を初めて実戦に投入した時、自然とその単語が頭に浮かんだ。今一度その単語が頭を支配し、奈々はディスプレイを食い入るように眺めた。
 ――本当に?
 ESPエネルギーの消費による意識障害。あれさえなければ奈々は救世主と信じて疑わなかったかもしれない。しかし、それは起きてしまった。そして振り返ってみれば、ESPエネルギーの消費による意識障害はあの時だけではなかった。優を投入した二度目の戦闘。あの時、致命傷を負ったはずの優は最後に巨大なESPエネルギーを放ち、その後三日間目を覚まさなかった。今思えば、あの意識障害は外傷が引き起こしたものではなく、大量のESPエネルギーの消費が原因だったのではないか。もしくは複合的な結果。
 しかし、と思う。ESPエネルギーの消費が意識障害を誘発するなど有り得るのだろうか。過去に一度物理屋からESPエネルギーに対しての見解を尋ねたことがあった。有力な説としてESPエネルギーを発生させる量子が存在するという話があるのだという。もちろん、現段階でその存在は観測されていない。この存在が仮定されている量子が壊れた時、エネルギーが発生し、やがて別の量子に変化するらしい。奈々は特別に物理を学んだ訳ではなかったから、どうしても専門的な話になると理解が追いつかなかった。ただ、その存在が証明されていなくても、その振る舞いから小銃のような攻撃媒体や、ESPエネルギーを用いた機械翼が実際に開発されたのだから信じられなくても信じるしかない。しかし、物理屋から聞いた話はそれだけだった。ある未知の量子があって、その量子が壊れることでESPエネルギーが発生する。それが正しくても、優の意識障害には説明がつかない。
 ――その未知の量子が人の意識を、自我を作り出しているということだろうか?
 そこまで考えて、奈々は思考を放棄した。考えがオカルトに走り出している。素人が考えて何とかなる分野ではない。
 奈々は思考を切り替えて、コンソールを操作した。画面に敷地内からESPエネルギーが検出された領域が表示される。それにVSAM-Dシステムの捉えた移動体の領域を重ねる。二つの領域は一致しなかった。ESPエネルギーの検出された領域の方が移動体の検出された領域から大きくはみ出している。この事から、蝶々がフェイクである事は間違いない。具体的に何をやっているかまでは分からなかったが、いくつかの推測が奈々の頭に浮かんだ。そして、そのどれもが亡霊対策室の脅威となるものではない。奈々のすべき事は何もなさそうだった。
 奈々はディスプレイを見たまま長い時間動かなかった。

◇◆◇

「派手にやったものだ」
 亡霊対策室防諜部長、佐々木三蔵は足もとに広がる瓦礫の山を見て小さく呟いた。深い森の中、暗闇を部下のライトが切り裂いていく。
 戦略情報局の残した残骸。その所在地を突き止めるのに随分と長い時間がかかってしまった。瓦礫の山はいまだに残っているが、佐々木の求めるものは何も残されていなかった。
 足元の瓦礫をじゃりじゃりと踏みならして前に進む。これだけの被害を伊藤響一人が引き起こしたという事実は脅威だ。あのレベルでこれなら小隊長級のESP能力者が本気で暴れればどれほどの被害が出るか想像もつかない。
 ――だが、本当に伊藤響一人がこの事故を引き起こしたのだろうか。
 佐々木は医療チームからの報告をふと思い出した。戦略情報局が伊藤響に埋め込んだ発信器。伊藤響を保護した時点でそれは既に無力化されていたという。つまり、伊藤響を逃がす為に内部の者が予め発信器に対して何らかの電磁手段を用いた可能性がある。
 それとも、と佐々木は別の可能性に考えを巡らせた。
 ――伊藤響の放ったESPエネルギーが発信器を破壊した?
 ESPエネルギーは物理的な障害を容易に無力化する。身体の中に発信器があったとしても、それだけをピンポイントに攻撃するのは可能な筈だった。しかし、伊藤響は自身の身体に発信器が埋まっている事は知らないと聞いている。もしESPエネルギーによる無力化であれば、伊藤響のESP能力が自動で障害を取り除いた、ということになる。
 いずれにしても、と佐々木は結論付けた。ESP能力者は脅威だ。戦略情報局が人工的にESP能力者を作り出そうとした事も理解できる。ESP能力者の不安定さを何とかしない限り、こうした動きは繰り返されるだろう。
「佐々木さん」
 背後から名を呼ばれ、佐々木は振りかえった。見慣れた部下の一人と目が合う。
「死体は全て片づけられているようです」
「撤収の準備を」
「はい」
 慌ただしく去っていく部下を見送ってから佐々木は明るみの差した東の空を見つめ、立ち入り禁止の看板に向かって歩き始めた。看板があるだけで立ち入りを妨げる障害は何もない。本当にここには何も残されていないのだろう。気化したニンヒドリン反応性窒素は全く検出されなかった。つまり、ここに死体は存在しない。ESP能力者を巡る実験の証拠は何も残らなかった。そして唯一の生存者、伊藤響は本部を襲撃した亡霊との戦闘に巻き込まれて死亡という形をとる。総基ネットの整合性については情報部が既に対応している筈だった。齟齬は解消された。防諜部がこの件に関わる事はもうないだろう。佐々木は煙草を取り出して、大きく息を吐きだした。


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