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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

ジャスティー編(時:2012年)

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第19話 マイウェイ

 公園でビンタしあった翌日、工場仕事を終えた一英は駅前の薬局に来ていた。

紙おむつを物色しながらスマホを耳に当て、美洋からの買い物指示を仰ぐ。

十二月も、はや十八日となっていた。

 自転車の前カゴにベビー用品を詰め込んだ一英が向かったのは、瀬ノ塚塗装の工場だった。

工場に着くと、上弦の月の下、見慣れぬトラックからなにやら荷卸しが始まっている。

 ツナギ姿でフォークリフトを操っていた正義が、一英に気づき笑顔を見せた。

一英の無精ひげは珍しくきれいに剃られていた。

 自転車を降りた一英が挨拶がわりに「真由美ちゃんいねぇの?」と声をかければ、正義は「ウチの風呂覗けばいるんじゃない?」と真顔で答える。

 井梶プレスは今日も忙しく、一英は昼間じゅう配達で区内を駆け巡っていた。

フォークリフトがトラックからベニヤ板をおろし工場の脇へと積んでいくのを眺めながら、どこのジジイも発破かけてきて大変だったと一英が声を張る。

「カズちゃん、ダイドーで祭りやんだってなぁ? 
区内のあちこちでチラシ配ってんの、あれみんな仲間だって聞いたぜ! 
俺も行くからよォ! 
いやぁー、若いっていいよなぁー! 
――だってさ」

 ジジイどもの口ぶりを真似た一英は、宣伝だけは区内全域に広まってると眉を下げた。

最後になるベニヤ板の重なりをトラックからすくい上げ、フォークリフトが振り返る。

「そっか、
がんばんないとね」

 白い息で笑った正義の声にかぶり、道に停まっていたトラックからクラクションが鳴った。

「じゃあな、ジャスティー! 
そのベニヤ、年明けに返してくれりゃいいからよぉ!」

 見るからにガテン系の男は、二人に手を上げハンドルを切る。

正義は区内友達の男に礼を言い、一英も走っていくトラックに頭を下げた。

「……うあー、寒っ」

 背を丸めた一英が、一メートルほど上がったシャッターをくぐり工場内へと入る。

火の気のない工場だが、風がないだけでも外よりは温かく感じられた。

 工場の中央で柱のように積まれたダンボールの影から、作業服姿の裕貴が顔を出す。

「おっ、兄ちゃん! おっつー!」

「……なにやってんの、お前」

「なにって、
門作るの手伝ってんじゃん。
屋台村の」

 ペンキの滴る刷毛を手に、得意顔の裕貴は親指でくいくいと柱を指す。

その返答に思わずめまいを覚えた一英は、シャッターの外に向かって歯をむいた。

「てめぇ、
ちゃっかり裕貴まで巻き込んでんじゃねぇ、
うちは忙しいつってんだろ! 
裕貴も、こんなことより買い出ししろっ」

 一英が柱を見上げると、趣味の悪い、奇抜な色合いで描かれたいくつもの顔が見下ろしてきていた。

ピカソと岡本太郎を大なべでぐちゃぐちゃに煮込んだあとダリをトッピングしたような、どうにも理解に苦しむ画風に顔をしかめる。

 だがご機嫌の裕貴は、トーテムポール状に顔が重なった柱を左右に並べ、屋台村の門を自慢げにディスプレイしてみせた。

「ほらほら! 
なかなかイイっしょ!」

「いやお前ら、これは……
子供泣かねぇ?」

 一英が確実に正常な疑問を投げかけるが、裕貴は笑顔で見事なくらい右から左に流していく。

シャッターをくぐってきた正義が、スカートではない足元を踏ん張り、仁王立ちで顎をさすった。

「そんなに悪趣味な仕上がりに見えますか? 
おかしいなァ、全身全霊、渾身の出来ですけど? 
あ、予算もないので作り直しはナシですから。
余計な小言言わないように」

「余計じゃねぇし」

「なぁ、兄ちゃんもこれ塗るの手伝ってよ。
あと柱六本作らないと」

「やだよ、これからドラム缶借りに行くし。
なんかそれ呪われそうだし」

 一英は、自分たちのセンスの不気味さを一ミリも疑わない二人に呆れ、正義に軽トラのキーを催促する。

ペンキだらけのツナギから鍵を出し一英に渡す正義は、実に満足そうな顔でトーテムポールを見上げていた。

 ネックウォーマーを頭に巻いたその横顔を、一英がちらりと見下ろす。

「なぁ、
あんた幹事なんかやってる場合なのか?」

「はい?」

「ちゃんとおふくろさんの様子見にいったほうがいいんじゃないか、
って言ってんの。
あの男もう来てないのか?」

「んー、
今のところはなんの音沙汰もないみたい」

「でも用心しとけよ。
新小岩は油断のならない街だからな。
相手はおふくろさんの住所も知ってるわけだし……」

 そこまで言った一英を鼻で笑い、正義は小さな紙切れを取り出して目の前でちらつかせる。

「こっちだって相手の住所くらいゲットしてんだな」

「……うわ、こわっ」

 聞かずとも、葛飾コミュニティを駆使してゲットした個人情報だということは明らかだった。

一英は、言ってることとまったくそぐわない無邪気そうな笑顔に、下衆を見るような目を投げる。

 しかし正義はにやにやが止まらないといった様子で、女子のごとく自らの両頬を撫でまわした。

「ゆうべカズくんにビンタしまくったでしょ? 
そしたらなんでか解んないけど、
スコンと平気になっちゃったんですよね。
もういつでもどこでも、どんなやつでも、
気兼ねなく本気でぶん殴れるような心持ちなの。
だから……むふっ! 
またノコノコ出てこないかなぁ、あの野郎! 
あの野郎に打ってつけの屋台案思いついたんですよねぇ」

 一英が恐る恐る「屋台案?」と尋ねると、正義はにたーっと笑い、

「百円払えば無抵抗で一発殴らせるっていう、人間サンドバッグ屋台。
俺が最初の客になるんで、
あいつなら相当稼げると思うんですが」

と答えた。

一英が「ひでぇ」と鼻筋にしわを寄せる。

 裕貴が口笛混じりにトーテムポールを塗りたくる様子を眺めながら、正義はにたにたしていた口元を思い出したように歪める。

「ほんっと、ムカつくよなー。
あの穴はさぁ、あんなんでも俺の生まれ故郷なんだからさ。
あんなやつの腐れチンコが荒らしていい場所じゃねぇんだっつーの」

 一英が『あんなやつ』への同情混じりに笑うと、「ナンダロナ? 卑猥なコトバ、聞こえマシタかー?」という野太い声がした。

見ると、開きっぱなしのシャッターを寒そうにムハンマドがくぐってくる。

「コレ、
オKちゃんカラ、
預かってキタ荷物デス! 
ドコ置く?」

 正義が「事務所のほうに」と言うと、ムハンマドはいくつもの紙袋を提げ、勝手知ったる様子で工場の奥へと入っていった。

外に停めた車にまだ荷物があると知り、刷毛を置いた裕貴が小走りで駐車場に出ていく。

 それと同時に、正義の胸ポケットがピロリンッと鳴った。

正義は一瞬の躊躇の末、取り出したスマホを覗く。

『昨夜はごめんね』

 たったそれだけのメールだった。

すぐに閉じようとすると、再びピロリンッと鳴る。

そこには、

『ねぇヨシくん、
あたしのこと好き?』

といういつもの質問が書かれていた。

またかと思う間にも数通のメールが送られてきて、惰性ながらも一応は開いてみる。

『好きよね? 親子だもの』

『なのにどうして最近来てくれないの?』

『お願いよ、牛乳買っ

 そこまで読んで、正義は呆れた顔でスマホから目を離した。

溜め息つく隙にまたもやメールが届く。

 続けざまに鳴った着信音と突然生気を失った正義に気づき、一英は自分も駐車場へ出ようとしていた足を止めた。

「なんかあった?」

「いや……
ただ、虚しいなって思って」

「え? 
今のおふくろさんだろ?」

「だって、
俺が怒ったくらいじゃこの人変わらないんだもん。
今ここで俺が一言好きって言えば、
また根の浅い自信取り戻して、
数日しか持たない笑顔浮かべんすよ」

 正義は舌打ちでもしそうな顔で、一英にスマホを突き出してみせる。

だが画面を見た一英はすぐにプッと笑った。

「いいんじゃないの? 
予想外な動きする不審者より、よっぽど楽で」

 その言葉になぜか段々と可笑しさが込み上げ、正義も口元を緩める。

「もしかして怒ったとは思われてないのかな。
あの人を怒鳴って腕振りほどくなんて、
俺的には天地が引っくり返るようなもんだったんだけど」

 おどけた正義が「俺もどっか別の街に引っ越そうかな」と肩をすくめると、一英は大将曰くと前置きし、人差し指を正義に突きつけた。

「住む場所変えても『自分』は変わらねェってよ」

 にたっと笑う一英に、正義も白い歯を覗かせる。

 そこへクリアファイルを掲げながら、ムハンマドが戻ってきた。

「ソウソウ、ジャスティー! 
ワタシ、花火ノ確認も頼まれてマシタ! 
花火、コレデ良かっタネ?」

 渡されたファイルには注文書のコピーが入っていて、頼んだ花火の名称と数量がきれいに並んでいる。

確認に打ち上げ花火のパンフレットをめくっていた正義が、あるページで指を止めた。

「虹……」

 花火のタイトルを呟いたあと、正義はハッと顔を上げ、工場の壁に貼ってある忘年フェスのポスターを凝視する。

 そこには忘年フェスのキャッチコピーが書かれていた。

――忘れられない年末を―― 

――きっとあなたに会えますように――

 それは友人たちとふざけてつけた、ノリだけものだった。

 だが今になって突然、言葉の一つひとつが正義の中で意味を成し、煌めいて浮き上がる。

「カズくん……
俺、解っちゃったかも……」

「なにが」

 シャッターの下から裕貴の渡す荷物を受け取っていた一英が振り返る。

「ホントに守りたかったものと、
ホントに殴りたかった相手」

 なにやら確信に満ちた声色に、一英が素っ気ない「へー」を返しながら口角を上げる。

正義はポスターを見つめたまま、不敵な表情で涙袋を盛り上げていた。

 正義が「いいこと思いついちゃった」と振り返ると、ムハンマドは「オウ、ナイススマイル! オ凛ちゃんガ、元気出チャウやつネ!」と笑う。

 だが嬉々とした正義が、

「打ち上げ花火は注文変更! 
全部、こっちの『虹』に変える!」

と言った瞬間、一英とムハンマドはあと三日だぞと非難の声を揃えた。

 ◇

 それから正義はろくに寝ることもなく、忘年フェスの最終準備に追われた。

 区内各地にいる仲間のうち、手が足りないところをヘルプして回ったのだが、目の回るほど忙しすぎて、どこへ行っても永原が現れ準備風景を撮影していたことしか覚えていない。

 なによりネックなのは、屋台村の給仕スタッフが龍の着ぐるみで衣装を揃えるようになっていたことだった。

誰が言い出したか、去りゆく辰年に敬意を払おうというノリだったが、そのせいで当日までの数日間、恵のマンションが一番の修羅場と化していた。

 正義も何回か助っ人に行ったものの、部屋の中は見事にごちゃごちゃで、どこになんの生地があるのかすら見分けがつかない状態だった。

あれで人数分の衣装がすべて間に合うとはとても思えない。

 所狭しなのは恵のマンションだけではない。

瀬ノ塚塗装の工場も負けず劣らずで、屋台村で使う資材のほとんどがここに保管されていた。

通常の業務すらままならないほど、そこかしこにダンボール箱や板の類が積みあがっている。

 そんな狭い中でも、夜になればやはりトーテムポールの制作が続き、最後には裕貴だけでなく一英と寿夫までもがそれに加わっていた。

緻密画の好きな寿夫により若冲風味まで取り入れたトーテムポールが、より一層のカオス感を放ち始める。

「ちょっとヨシ兄、
なにやってんの?」

「探しもの」

 当日二日前の夕方、工場から帰ってくるなり自宅の押し入れを荒らし始めた正義に、さっき掃除機かけたばっかりなのにと真由美がぼやく。

「なに探してるの? 手伝うよ」

「いいよ、自分で探せる。
それより夕飯。
またすぐ出かけるから」

「もう。
絶対の絶対で、ちゃんと片づけてよねっ」

 絶対ちゃんと片さないに決まってるとぶつぶつ言いながら、真由美が台所へと戻っていく。

正義は引っ張り出した衣装ケースの中から、お目当ての古いアルバムを見つけて開いた。

 分厚くて重たいアルバムはカビ臭く、典子が並べたのであろう、色褪せた百年プリントが母親らしいコメント付きで飾られていた。

何十年も前の写真をめくるうち、その中から目に留まった一枚で指が止まる。

そこには若かりし頃の典子が映っていた。

 正義は透明のフィルムを慎重にはがし、粘着質な台紙に載るその一枚をスマホで撮影すると、アルバムをきれいに戻し押し入れを閉めた。

 ◇

「恵さん、
これホントにいけます!?」

「大丈夫よ! 間に合う! 
根性、根性、ド根性!」

 忘年フェスも翌日に迫った日、恵のマンションでは目の下にクマを作った『チーム・リヴェル』がミシンに向き合い怒涛の追い込みをしていた。

女盛りの二十代女子たちが、目も当てられないようなズダボロ加減でスタミナドリンクを煽る。

 それを鬼気迫る動きで撮影していた永原は、これまた鬼気迫る表情で差し入れを持ってきたムハンマドに邪魔者扱いされていた。

 同じ頃、絵梨香のマンションでは水商売時代の仲間が集まり衣装の最終チェックが行われ、盛の熊さんでは凛が大将の仕込みを手伝う。

 皆がそれぞれに慌ただしい時間を過ごす、そんな一日の締めくくりに、正義は瞬平の営む床屋へと来ていた。

新小岩南口の裏通りであっても、この時期は行き交う買い物帰りの人が少なくない。

「あっもしもし、ジャスティー? 
頼まれてた巨大カタヌキ、
なんとか手作りできたんだけどさ、
これどーやって運ぶ?」

 言いながら吹き出しちゃってる江田の声に、まだ見てもいないカタヌキの巨大さとその扱いにくさがやすやすと想像でき、正義はスマホを耳につけながら声を上げて笑った。

 他の客もいないからと早めにクローズの看板を下げた店内には、大音量で有線が流れ、瞬平のハサミがシャキシャキと小気味よいリズムで伸びた髪を切り落としていく。

 通話を切った正義に、瞬平が弾む声をかけた。

「いよいよ明日だね」

 そう言ったきり、瞬平は流れてきた冬の歌姫のヒット曲を口ずさみ始める。

正義は肩から胸、胸から膝へとスルスル落ちていく髪を眺めながら、高音のその曲をともに口ずさんだ。

 ノリのいい曲を歌ううち二人の声は次第にボリュームを上げ、女性らしい歌詞におどけてみたり、サビでは高すぎるメロディーに声をひっくり返したりした。

 騒ぎながら髪を切り終えた正義は、シャンプー台へと前のめりに頭を突っ込み、流されていく髪を目で追う。

髪を泡立てる瞬平の指先はいつもより軽快で、冬の名曲メドレーが頭上で続いていく。

 力を抜いて身を任せれば、頭の中の要らない思考までがきれいにこすり落とされていくようだった。

 整髪が終わり、立ち上がった正義はすっかり短くなった髪型を鏡で確かめる。

色乗せしない淡い黒髪は前髪が眉より上で整えられ、サイドも後ろもスポーティーなまでにすっきりしている。

子猿じみた感は拭えないが、母からはだいぶ遠ざかった雰囲気に笑顔がこぼれた。

 明日は朝から待ち合わせるのを確認し、正義は瞬平に手を振って床屋を出た。

 外を歩けば、切り揃えたばかりの頭が寒風を五割増しに感じる。

 待ちゆく人はみな気忙しく急ぎ足で、行き交う車も普段より多くブレーキランプを光らせている。

 そんな平和橋通りをスキップしそうな気持ちで小走りし、正義はコートのフードをかぶった。



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