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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第48話 そして、世界は平和だったことになる

 九月の下旬。

川岸から臨める建設中のスカイツリーは、でかい懐中電灯をおっ立てただけのようなその上に更なる円柱を伸ばし始めていて、小さく見える大きなクレーンを幾つも触角のように生やしていた。

 水色のTシャツを涼しげにはためかせる一英は、ついこの間完成し開放されたばかりの遊歩道、中川左岸テラスで、傾きを増してきた陽光が水面できらめくのを眺める。

 隣でじっと柵に寄りかかるジャスティーは、グレーのVネックカットソーに玉子色の江戸小紋スカートを合わせ、新小岩ではかなりの頻度で見かける、チャリンコおばちゃんなら愛してやまない黒くてでかいサンバイザーを顔面に貼りつけた姿だった。

 川岸の柵から垂らした釣り糸がまったくもって無反応なのを二人で眺めながら、時計も見ないままぼんやりとする。

 盗撮犯を懲らしめたあの盆踊りから二週間ほど経った頃、一英とジャスティーは警察から表彰されていた。

警察署の前では数台のテレビカメラに囲まれ、ちょっとしたお手柄ヒーローを気取ったものの、自転車に二人乗りで帰ろうとしたところを警察に怒られるという、そんな醜態をも素敵に公共電波へさらした。

 その後、一英は横浜のアパートを引き払って実家に戻り、今は家族との相談が井梶プレスを継ぐ方向に進んでいる。

「鳥の唐揚げ効果テキメンね!」

 一英の出戻りをそう誇らしげに喜んだのは、すべてが計画通りだったとでも言いたげな母洋子であった。

 ジャスティーとは休みのたびに惰性でゴミを拾うようになっていて、このひと夏で随分と日焼けした腕を擦り、一英が息をつく。

「夏ももう終わりか」

「来年はみんなで葛飾納涼花火大会に行きません?」

 いいねと口角を引き上げた一英が川に背を向け、柵に腰を預ける。

すぐ頭上の平和橋ではびゅんびゅんと車が往来しているのに、彼らの耳には波打つ水面が橋げたを打つ音がしっかりと聞こえていた。

 ふと顔を上げると、遊歩道の先から、レースカバー付きの黒電話を抱えた中年女がやってくるのが見えた。

今日も造花がブスブスと刺さった帽子をかぶる女は、一英の目の前まで来るとまたも受話器を耳に当て、あさっての方向を見ながら声をかけてくる。

「ねぇお兄さん」

「なんすか」

「神様に報告の時間だよ? 
今年の夏は災いがたくさん起きたよね~。
災いは嫌だよね~。
でも笑ってれば良いことが起きるよね~」

 そう一方的に言った女はチンと受話器を置くと、堤防へ続く階段を上り、またどこかへと歩いて行ってしまう。

「笑ってれば良いことが起きる、か」

 一英はいまだ不審者に気に入られやすい自分に呆れながらそう言うが、ジャスティーは一英のまったく怒りを伴わない声色に頬を緩める。

一英が「意外とまともかも」と眉を上げると、ジャスティーも「実はあの人、天使ですからね」と言って笑った。

 見上げた空は東からツユクサのごとき青に染まり始め、西の地平に金色の帯を這わせていく。

辺りに漂う街のにおいは、そろそろ夏が終わりに近づいていることを教えていた。

それは、横浜では嗅いだことのないにおいで、きっとこの街で育った者にしか感じ取れない、季節の報せであった。

 五分も経たぬうちに、さっきまで彼らを眩しく照らしていた太陽が街の向こうに沈み、きらめく残光がまばらな羊雲を心逸るほど輝かせる。

 ピクリともしない釣り糸を一英が眺めていると、ジャスティーが「そう言えば」と口を開いた。

「瑠奈さん、
どうしてますかね」

「さぁ。
でも俺と付き合ってた時より元気にしてるって、噂に聞いた」

「僕、死ぬまでホモの烙印なんて耐えられないなぁ、
あの人きっと言いふらしてるでしょぉ? 
あーあ、慰謝料欲しい」

「俺だって欲しいよ」

 溜め息混じりに会話が途切れ、川下からモーター音を響かせてきた小型船が中川を遡っていく。

岸にまで波を打ち寄せる船からは、ジャスティーの友人らしき男が呼び声を上げ、手を振っていた。

 それに手を振り返したジャスティーは、船が小さくなっていくのを見送りながら、思い出したようにむふっと笑う。

「あの日助けた女の子、
どこの子か知ってますよ」

「……」

 しばしきょとんとした一英は、その言葉の意味を反芻するや「はッ?」と素っ頓狂な声を上げた。

「だって同じ学校でしたもん。
今度紹介しましょうか?」

「マッ、マサヨちゃん知ってんのか!」

「だから紹介しましょうかって」

 慌てふためくような一英の異常な食いつきぶりを、ジャスティーがさもおかしそうに笑う。

 当時は知り合った女の子の名前を聞くとか住所を尋ねるという、大人の知恵がまだなかった。

釣った魚をみすみす逃がすという、キャッチアンドリリースな小四の自分が本当に恨めしい。

 常々そう思っていた一英は、久しぶりにマサヨの事を思い出し、彼女が今どんな大人になっているのかを想像した。

「たしか、初恋の相手なんですよね?」

 表情が読み取れないほど黒いサンバイザーの下で、それでも解るくらいにジャスティーはニヤニヤしている様子だった。

瞬時に頭の中がマサヨでいっぱいになっていた一英だが、初恋の相手という言葉でハッと我に返る。

「いや、ダメだ!」

「ダメってなにが」

「初恋の相手こそ、
今どうなってるかなんて知っちゃダメだって言うだろ。
マジでどうにかなってたら、俺、立ち直れないに決まってる」

「なんという腰抜け!」

 サンバイザーを押し上げたジャスティーが高らかな声で笑っていると、「あれ?」という声が頭上から降り、二人が橋げたを見上げる。

欄干でよく見えなかったが声を上げた人物はそのまま橋を渡ったらしく、今度は背後にある堤防から自転車を降りた音がしてくる。

 少しすると堤防の階段を若い女性が下りてきて、またジャスティーの友達だろうと目をやった一英は、エコバックを下げて現れたそのかわいい彼女に息も止まりそうなほど胸を打たれた。

「こんにちはー」

 人当たり良く大人しそうな笑顔で挨拶してくる姿に、ズギューンとでも効果音を上げるくらいに飛び上がった心臓が激しく高鳴り、危うく鼻から出てきそうになる。

固まった一英の喉は、必死になって彼女の名前を呼ぼうとしていた。

「マッ、マ……」

 随分と大人になったが間違いないと、蒸気でむんむんする脳を酷使した一英が確信する。

それは名前しか知らないのにずっと探していた、初恋の女の子。

あの時運命的に痴漢の魔の手から助けた、『マサヨちゃん』だった。

 一英は一人完璧にテンパって、傍らにあった満杯のゴミ袋を素早く隅へと蹴っ飛ばす。

「ねぇヨシ兄、
今晩カレーだけど夜食べる?」

「帰ったら食べます、決まってます! 
カレーは作り置いて熟成という名の酸化現象を起こしたくらいが旨いんです。
米は保温の米で充分です」

「え、なに? 
なんで丁寧語なの」

 いつどうやってマサヨに話しかけようかオロオロしている一英の耳に、間違いなく家族な会話が飛び込んでくる。

一英がかすれた声で恐る恐る「兄妹きょうだい?」と聞くと「はい」というサラウンド音声が返った。

(こっ、こんな身近にダイヤモンドがあったとは!)

 一英は初めて、ジャスティーをいいやつだと真っ向から激しく積極的に認めた。

 これは何が何でもお近づきにならねばと思い、一英がかっこつけながら挨拶するとマサヨは深々と頭を下げた。

「いつも兄がお世話になっています。
ヒーローさんのお噂はかねがね兄からうかがっております」

(おお、かわいいぜ! 
さすが俺のマサヨ!)

 そんな心の声は口には出さず、一英は頭の中で電話番号やメアドを聞こうという今度こそ大人な算段をする。

一人で見事なくらいウキウキしていると、マサヨの後ろから友達らしき小太りの女性が階段を駆け下りてきた。

「やっと追いついたー! 
声かけてんだから、ちょっとくらい気づいてよぉー! 
あぁもぉ超ーだるい、家庭教師なんてやんなきゃ良かった。
なんで中二ってあんなにイっちゃってんのかねー、
……って誰このイケメン! 
ちょ、初めまして、わたし真由美の親友で、倉石純子って言います! 
これからお茶でもどうですか!」

「えっ、あ、いや……」

 突如現れた肉食系女子にビクつきながらも、一英は『真由美』という不自然な一言を聞き逃さなかった。

「よぉ純子、
相変わらずのデブ美人だな」

 そう言ってジャスティーが片手を上げると、純子は不可解な言動を更に続ける。

「あー久しぶりー、
ってかその浮き出た鎖骨折っていいー? 超ー目障りなんだけど! 
そして今日もまたスカートかよ! 
ほんとマサヨはいつ見てもナイスファッションだよね、
一貫してブレが無いよね!」

 蒼い顔をして聞き違いかと思ってみる一英だが、純子は容赦なく笑う。

「でももうさすがに痴漢にゃ合わないっしょ? 
今のマサヨどう見ても男だし!」

 一英は確実に気の遠くなっていく目眩を感じながら、すがるように純子に問いただす。

「い、いやいや! 
こいつヨシ兄でしょ? 
ヨシオ? ヨシユキ? 
なんでマサヨ? 
どっからきた名前? 
やだな俺のことからかってる?」

「え? 
正義まさよしだからマサヨ。
純子だから純、みたいなノリで」

「マサ
……ヨシ?」

 サァァーという音を立てて、一英の魂が現実に別れを告げていく。

(何を、何を言ってるんだ、
このデブ美人は!)

 一英は飛んでいきそうな魂を引き戻すと、くわっとジャスティーを振り返り、並んでこちらを見ている真由美と見比べる。

 その瞬間、すべてを悟った彼の初恋は、散った。

 一英が涙ながらに必死で過去を手繰り寄せると、あの時マサヨをマサヨと呼んだ友人も小太りだったことが思い出された。

「あー、
あの日マサヨに髪留めとランドセルをあしらったのは、
何を隠そうこのアタシだから! 
だってマサヨ、何しても怒んないからさぁ、
ま、オモチャがわりだよね! 
アハハハハハ!」

 純子の暴露にめった打ちにされ惨殺寸前の一英が、あの時の小太り女子が、黒いランドセルを背負っていたことを今更ながらに思い出す。

そして彼がタータン柄のスカートだと思っていたマサヨの服装は、半ズボンの上から腰に巻かれたシャツであったことも純子により今明らかとなった。

 息も絶え絶えな一英は瀕死の精神に鞭打って、ジャスティーに向き直る。

 するとジャスティーはキリリとした顔を作り、

「いいですよ、
マサヨって呼んでくれても!」

と言い切った。

「ばっっ…………」

 今聞いたことと思い出したことの、どれもを信じたくない。

一英は、このまま海まで行って東京湾の藻屑となってしまいたいと、咽び泣きながら左岸テラスを駆け出していく。

「……っっかやろぉぉぉー!」

 川下へと全力疾走していく一英にジャスティーが抱腹し、真由美と純子が不思議そうに首を傾げる。

 中川の水面みなもは、金色の空を映してオリーブオイルのように揺らめき、夜が来るまでのほんの短い間、世界のすべてが黄金色に染め上がっていく。

 笑い声を振り返れば、川の上に横たわる平凡な平和橋がある。

どこにでもあるようなそれは、暑い季節の夕暮れ前にしか見られない至福の空に照らされ、神々しいまでの金色にコーティングされていた。

 その美しさに見とれる暇もなく、スカートを翻して追ってきた男に捕まった一英は、彼の弾けた笑顔にへなへなと肩を落とす。

 一英がいくらさめざめ泣いたところで、アイシングクッキーのごとくゴールドイエローに艶めいたこの笑顔さえあれば、葛飾は今日も平和だったことになるのだ。









おしまい





最後まで一英編をお読みいただき、ありがとうございました。
ぜひ、この後のジャスティー編もお楽しみください。
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