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葛飾、最後のピース 作者:ぐろわ姉妹

一英編(時:2010年)

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第47話 それが最後のピース

 一英が、カウンターに並んでいたセルフサービスの豚の角煮をつまんでいると、空のグラスを幾つも手にしたジャスティーが隣にやってきた。

ジャスティーがカウンターから厨房にグラスを下げると、大将がぬっと顔を出す。

「おう、悪いな、ジャスティー」

「なんのこれしき。
あとジョッキビール二つもらえる?」

「あいよ、ジョッキ二丁!」

 いつまでも凛たちのテーブルに近寄らない一英を小突き、ジャスティーが眉を八の字に下げた。

「酒飲まなくてもいいから、
向こうで一緒に食べましょうよぉ」

「やだよ。
お凛さんに絡まれるし」

「それだけ好かれてるってことでしょう?」

 仕方ないなと苦笑したジャスティーはカウンターに並んでいる小鉢を覗き、「これこれ」とその一つを手に取った。

「今日はこれ食べないと損ですよ? 
超ウマイんですから」

 ジャスティーから渡された小鉢を見ると、そこには白いクリームソースのかかったサーモンが入っていた。

一英が顔を上げる。

「なにこれ」

「これは一年のうち、
この日しか食べられないレアメニューなんです。
大将の愛情がたっぷりつまった渾身の味がしますよ。
これ食べなきゃ今日来た意味がありませんから、マストです」

 ジャスティーがうんうんと頷き、今にもうんちくを語りそうに腕組みをする。

へぇと箸を手にした一英はクリームソースをたっぷりつけ、桜色のサーモンを口に放り込んだ。

 バター風味のソースととろっとしたサーモンが、濃厚な香りを鼻から逃がしていく。

 その味わいを噛み締め「絶品だね」と言いかけた一英が、急に押し潰れた悲鳴を上げた。

「――がッ、辛ッ! 
……なんだこれっ……!」

 あまりの破壊力に咳き込んで地団駄し始めた一英を、ジャスティーがしてやったりと笑う。

「これは色も味もクリームソースでしかないところにハバネロの辛味を存分に加えることに成功したという、
奇跡の珍品なのです! 
超『ウマイ』でしょ?」

「あほかっ、水!」

「はい、水!」

 激辛を超えた激痛に一瞬で噴き出した汗を垂らしながら、一英は差し出されたグラスを引っつかむ。

ぐびぐびと飲んだ水が焼けつく喉に心地よいほど冷たく、刹那に安堵した一英だったが、飲み下すシュワシュワ感と広がる苦味に慌ててグラスから口を離す。

「あーあ、飲んじゃった☆」

 グラスどころかジョッキだったことにも気づかず飲んだ自分にも腹が立ったが、グッと親指を立てウィンクしているジャスティーにイラっとし、一英はその親指を掴み、折らんばかりに仰け反らせる。

「いたいたいたいたいたい!」

 目を固く閉じ、ジャスティーはくしゃくしゃの顔で一英の手をタップする。

一英は初めてまともに飲んだアルコールにソッコーでクラクラしながら、まだまだ粘膜を破壊し続けるハバネロに、抵抗を諦めて残りのビールをあおる。

 ◇

 それから一時間もしないうちに一英はすっかり出来上がり、いつしか競馬予想に興じる常連オヤジたちの輪に入っていた。

違和感なく溶け込む一英に、オヤジの一人が「なぬー!」と声を上げる。

「なに言ってんだヒーロー、
こっちのが一番人気だぞ?」

 短いパンチ頭で小太りのオヤジがビデオデッキのリモコンを手に、天井近くのテレビ画面を見上げる。

きゅるきゅると今にも壊れそうな音を上げて巻き戻されたテープが、芝を走る一頭の競走馬を映し出した。

それを一英が自信たっぷりに指さす。

「この馬じゃないの! 
絶対、一六いちろくだよ、一六! 
だって俺、強い馬の見分け方、知ってっし!」

「おいおい、ほんとかよ! えぇ?」

 自論をぶつけあう一英とパンチオヤジを囲むように、頭にタオルを巻いた土方や職人風情の男たちが揃ってテレビを見上げる。

明日のレース情報が書かれた競馬新聞と睨み合う男たちは、もくもくと煙を吐きながら赤鉛筆を鼻の下に挟んでうなっていた。

 赤い顔をした一英の周辺が嫌っていた競馬新聞と酔っ払いで満ちている様子を眺め、カラオケをしていたジャスティーは口元を隠してこっそりと笑う。

「はい、できたて最新号! 
ヒーローくんもぜひ一冊!」

 カウンター席に戻った一英は、スペシャル感謝デーだというのに遅れてきた永原から、『GJ葛飾』の最新号を渡されていた。

 何気なくめくったそこに自分の写真が載っていて、驚いた一英が目をしばたく。

焦ってめくっていくページには、様々な自分の姿があった。

 常夏のような青空と入道雲を背に、新小岩公園で全力投球する爽やかな姿。

 もやのかかる大浴場で、手を揉みあわせ水鉄砲にする子供っぽい姿。

 人々の応援と熱気が集まる中心で、物凄く小さなカタヌキと向き合う真剣な姿。

 闇に滴るような提灯の下、子供たちをぞろぞろ従えて葛飾音頭を教授する姿――

 どれもが情緒あふれる景色に包まれていて、それに馴染んでいる自分はまるで自分でないような魅力的な人物に写っていた。

それらすべてが、自分が実際に象ったものなのだということが信じられない。

「だっせ……」

 酒のせいで焦点は幾分ぼやけているが、客観的にはこんなにも新小岩を楽しんでいるように見えるのかということを知り、一英の頬に苦笑いがこみ上げる。

 もう一度最初からページをめくっていくと、カタヌキ勝負の写真の中で、誰よりも真剣に一英の手元を見つめているジャスティーに目が留まった。

そのあまりの真剣さにぐふっと笑みをこぼすと、それを厨房から見ていた大将と目があった。

 どこかの席で酔っ払いの馬鹿笑いが連鎖する。

「そういやヒーロー、
面接どうなったんだ?」

「あぁ……面接?」

「おう」

「あー、落ちましたね。
彼女ともそれっきりだし、ツイてないっすよ」

 一英は鼻筋にしわを寄せ、いやぁ参ったと首を傾げて見せる。

 本当を言うと、通知が来るはずだった月曜日にはきちんと「合格」という連絡が来ていたのだが、それをその場で、一英は自ら断ってしまっていたのだ。

(断るつもりはなかったんだけどな……)

 合格の連絡が来たことに戸惑ったのは事実だ。

 きっと瑠奈が、この話はなかったことにと、申し出ていると思っていたのだ。

 それなのに合格の連絡がきたということは、瑠奈がそうしなかったからなのか、もしくはそうしても上司が受け入れなかったからなのか。

前者なら瑠奈は無職に困る元彼に優しさを残してくれたということだし、もし後者だとしても会社からは手を差し伸べてもらえたということだろう。

 いずれにしてもありがたいと思った一英には、このまま瑠奈と同じ会社に勤めても特に問題は起きないだろうという自覚があった。

瑠奈は元彼に執着しないということは以前に朔田から聞いたことがあったし、自分のほうもまた、彼女に対するそれが驚くほど薄れていたからだ。

 もごもごと枝豆に吸い付く。

(なんであんなこと言っちゃったかな)

 就職難だということは重々承知していたはずだ。

だからこそ、今後は上司になるであろう電話口の相手に対し、頭では「よろしくお願いします」と言おうとしていたのだ。

 なのにあろうことか、いざ声を発してみれば、口が勝手に「辞退させて頂きます」と言っていた。

 電話口の相手は驚き、言った本人も驚いた。

だがその発言を撤回する気も不思議と起きず、一英は相手への謝罪を何度も口にしながら、静かに電話を切っていた。

 切れた携帯を呆然と見つめながら、強烈な後悔が襲ってきたことは否定できない。

だがその時の耳奥には、いつかどこかでジャスティーが言ったはずの、

「あなたと仕事がしたいのに」

という声が聞こえていた。

 厨房から差し出されたチューハイに一英は口をつけ、なんでもない事のように言う。

「だから俺、こっち戻ることにしたんすよ。
ちょっと、やってみたいこともできたし」

「やってみたいこと?」

「そっ。
ゲリラ注文の時に見つかった金型の中にね、
細部まで超絶リアルに作りこまれたミニカーの型があって。
それ見たら、もう職人のこだわりがすごいの、ギンギンなの。
だから……
そいつを自分の手で抜いてみたいなぁなんて。
ほら、工場がたたまれる前にさ、捨てる前に一度。
興味本位!」

 言いながら、あの車にあいつならどんな色をつけるのだろうと、ジャスティーの顔が浮かんでいた。

 素っ気なく平常心を装う自分に赤面しそうになるが、数週間前までの自分なら言うはずもなかったその言葉に返ってきたのは、短くも奥深い沈黙だった。

その沈黙は、決して振り向かずに謝罪を受け入れてくれた父の優しさと、どこかしら似ていた。

 もし、どういった心境の変化があったんだなどと聞かれでもしたら、

「やっぱり俺はヒーローなんかじゃないし、
正直、自分を苦しみから救い出すことだけでも精いっぱいなんだけどさ。
でも……俺が俺を救うことで、救われる誰かがいるなら、
その誰かのために自分を救うのもいいかもしれないと、
なんだかそう思ったんだ」

なんてことは口が裂けても言えないだろうなと思っていただけに、猛烈な安心感を覚えてしまう。

 すると、顔を上げた大将がニッと笑った。

「ま、人間、
やりてぇことをやりてぇようにやんのが一番だ。
そこに誰かとの繋がりがあんなら、なおいい」

 一英は、それが同意か感謝か解らぬような曖昧さでニッと笑い返し、大将はコトコトと鳴る鍋に戻っていく。

カボチャ煮を頬張った一英が頬を上下させていると、突然、さっきまで和気あいあいとやっていた外人卓から悲鳴が上がった。

「ナンデ! ナンデ無イ! 
ココマデ作ってキタのにー!」

 ガタガタと椅子を鳴らし、多国籍な面子が必死の形相で机の上や下やを大捜索し始める。

見ると外人卓の上には、彼らが丹精込めて作ってきたものが、今までになく大きく横たわっていた。

 彼らがちまちまと作り上げてきたそれは超大判のジグソーパズルで、一英はずっとインドだと思っていたのだが、今や見まごうことなき葛飾区を象っている。

彼らのテーブルを覗き込んだ恵が、わぁっと歓声を上げた。

「できたんだー! 葛飾パズル! すごーい!」

 拍手する恵に、泣きそうな顔のムハンマドが両手の平を晒してみせる。

「できてないヨ! 
最後のピースが見当たらナイんだヨ!」

「えー!」

 ムハンマドの悲痛な嘆きに、店中の客がなんだなんだと振り向く。

事態を察すると、彼らはお節介にも、全員参加で捜索モードに入り始めた。

床やらグラスの下やらを探し始める面々に、やれやれと大将も厨房から出てくる。

 しかしいくら集まれど、所詮酔っ払いのぼやける目。

通常より小さな極小ピース一つ探すのはなかなかの困難を極めた。

 全員が俯いて、ざわつきながらも注意深く周囲をねめ回している中、ジャスティーはグラスを飲み干すと席を立ち、ポケットから取り出したものを手の中で愛でる。

 そしてカウンターへ駆け寄ると、惣菜皿の下なんかを捜索している一英に囁いた。

「そろそろ帰りましょう、ヒーローさん」

 どこだどこだという言葉があちこちから飛び交う店内は、今二人が帰ったところで誰も気づかないだろうと思われた。

一緒に探してやんなくていいのかよ冷たいな、とか言っている一英を引きずるように、ジャスティーは店を後にする。

 その指先が、最後に伸びたカウンターに小さなかけらをひとつ、残していく。

 ◇

 盛の熊さんを出たあと、奥戸橋を自転車で渡っていく一英は、運転しているジャスティーの後ろ姿が妙にツボにはまり、ひぃひぃ言いながら死に物狂いで笑っていた。

「なんでこのチャリなんだよ!」

「僕のマイチャリなんです!」

 初のアルコールが効きすぎているとはいえ、今二人乗りしている自転車が新小岩のおばあちゃんたち愛用の大人用三輪車で、自分が後部の荷台カゴに乗せられているということが、どうにもおかしくてたまらない。

しかもこの三輪車、カーブに来ると百発百中でこけるのだ。

 またしてもカーブで荷台カゴから放り出された一英は、地面に打ち付けた肘を擦るよりも、よじれる腹を抱えながらジャスティーと運転を代わる。

「気をつけてくださいよ、
大人用三輪車はカーブに弱いんですから」

「わーってるよ」

 一英がふざけてUターンをすると、忠告後一秒で彼らはアスファルトに叩きつけられた。

ジャスティーに怒られた一英は、息も苦しいくらい笑ってから三輪車に乗りなおし、大人しく漕ぎ始める。

「パーティー、
途中で帰ってきちゃって良かったのか?」

「だって明日は日曜日ですよ? 
朝からゴミ拾いするって約束したじゃないですか」

「ぶわっかやろ、してねぇし!」

「街が汚いから嫌いだって言ってたのは、あなたですよ? 
大丈夫! ゴミを拾えば拾ったぶん、この街が好きになりますから!」

「ぜってぇやんねぇ!」

 ぐいぐい漕ぐと三輪車でもかなりのスピードが出るもので、調子に乗った一英は大きく蛇行する中川沿いの道を、奇声を上げながら走り抜けていく。

「ちょっと! 
スピード出すぎだから!」

 抑制しようとしながらも、ジャスティーは笑っていた。

 一英は森永乳業の裏を大声で歌いながら疾走し、住宅街へ伸びる急な下り坂を「ヨロレイホー!」と叫んで降りる。

もちろん両足は高々と上げての急降下で、彼の声とジャスティーの笑いは工場の点在する寝静まった街に迷惑千万に響き渡った。

 その罰が当たってか三輪車はハンドル操作を誤り、坂を降りてすぐの電柱に思いっきり突っ込むと、グワッシャンという音を立てて崩壊した。

酔った二人は痛いことがおかしくて、まだ笑い続ける。


「あったー!」

 カウンターで振り向いた恵が、見つけた最後のピースを差し出す。

 狂喜乱舞しそれを受け取ったムハンマドは、全員が静まり返って見守る中、震える手で最後のピースを収まるべき場所にゆっくりとあてがっていく。

 すると、息を潜めた指の下、『新小岩』の文字がピタッと音を立てた。

 瞬間、店中にワッと歓声が上がり、割れんばかりの拍手が巻き起こる。

その渦の中で、教材用に試作したジグソーパズルがこんなに難しかったとはと、苦節三か月にムハンマドはむせび泣いていた。

 たかだか葛飾区の地図を五千ものピースでパズルにしたことに笑いが起き、製品化するならもっと大きいピースで企画し直せよという野次に、完成を手伝っていた外人たちも大きく頷く。

 盛の熊さんは、全員が分かち合う祝賀ムードをその懐に抱き、暑い夜を一層熱く、更けてさせていくのだった。


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